第二十五章(三)
第二十五章(三)
「ここがあの場所なら普通に歩いて、3,4時間ってところか・・」
体を起こして息を整えると紀伊也に訊いた。
「上手くいけばそうだけど、橋がないから回るしかない。それに、何処に出られるかは行ってみないと分からないな。途中まではアイツに先導させるけど、川を渡ったらそうも行かないだろう」
自分達が出て来た大きな葉の群を警戒したように見ているジャガーに目をやった。
「日が暮れる前には着きたいな・・」
「その体じゃキツイだろ。もう一晩休んでから行った方がいいんじゃないか?」
「いや、今行く。でないと、起きられそうにないよ」
苦笑いを浮かべると、上目遣いに紀伊也を見上げた。
「分かった、でも無理はするなよ」
紀伊也は立ち上がると、口笛を吹いてジャガーを呼んだ。それに反応したジャガーは一度紀伊也に振り向いたが、再び森の奥に向くと鋭い視線を送った。だが、それ以上は何もせず、耳をピンと立てたまま体を反転させると、紀伊也の元にゆっくり近づいたが、そのまま通り抜けると、付いて来いと言わんばかりにこちらに顔を向けて尾を振った。
紀伊也は再び司の体を支えるとジャガーの後について歩き始めた。
今度は前よりも重たい体になっていたが、気持ちの上では幾分軽くなっている。その分司を励ましながら前に進んだ。
距離にしてはそんなにはなかっただろうが、やはりかなりの時間を費やして川沿いを下っていた。
気が付くと崖の高さが低くなって、川面がすぐ隣に見えるようになった。
「橋だ」
ようやく見つけた木で作られた橋は以前のような吊り橋ではなく、普通によく見かける橋だった。
「あと少し、だな」
「ああ。 ・・・ 本当ならこの橋を渡る筈だったのにな・・・」
司は言うと、橋から続く小道を恨めしそうに見つめた。
本当なら司の言う通り、この橋を渡って森の奥にある原住民の村に行く予定だったのだ。それが、運命の悪戯なのか、未知なる森の中に迷い込んでしまったのだ。
はぁと、大きな溜息をつくと、再び前を向いて足を踏み出した。
橋を渡り終えて振り返ると、ジャガーが背を向けて歩き出したところだった。
不思議なジャガーだった。
艶のある黒い毛並みは見事なまでに漆黒な色をしていた。確か、本来なら黄色い目をしていた筈なのだが、会った最初から琥珀色をしていたのには何か不思議なものを感じていた。
つかず離れず、そっと寄り添うように居てくれたジャガーには何か温かいものすら感じていた。
二人は、その後姿が見えなくなるまで見送った。
陽の光も柔らぎ始めた頃、懐かしいような見覚えのある道に出た。
この坂を下れば出発した民家の裏林に出られる。
もう諦める事はない。手を伸ばせば届く距離まで来ていた。
もうこれ以上は歩けないと言っていたが、ここまで歩いて来られた。
もう休む必要はない。もう言葉すら交わす事が出来ないほどに喉も渇き、疲れ切っていた二人だが、無言で一歩一歩前に進み続けた。
だが、あとほんの僅かな距離なのに、なんと遠くに感じるのだろう。
普通の体ならば30分は掛からないだろう。しかし、あれから既に1時間近くは歩いているのに、なかなか坂を下りられない。
まるで、迷路に迷い込んでしまったかのように長い長い下り坂になっていた。
はぁ はぁ はぁ ・・・・
二人の吐く息も苦しさを増している。目を閉じてしまえばそのまま永遠の眠りについてしまいそうだ。
ようやく林の中に入り、側の木に掴まった。
が、まともに力が入らずするりと抜けてしまい、拍子に手の皮を擦りむいてしまった。弱り切った体ではこの程度で血が滲み出てしまう。それに、体中すでに傷だらけだ。
気にも留めず、次の木に掴まっては前に進んでいた。
「司っ!」
不意に驚いたような紀伊也の声に、うなだれていた頭を上げると、遠くに屋根が見える。
ホっ ・・
息を吐いたとたん、倒れそうになって慌てて足を踏ん張った。
!?
突然、全身がぶるるっと震え、右手の平の傷が疼いた。
と、同時にもの凄い嫌な予感と殺気を感じて後ろを振り向いた。
ザザザーーーっっっ・・・・
何かがもの凄い勢いでこちらに向かって駆けて来る。
明らかに二人に襲い掛かって来ていると言ってもいい。
うわぁぁぁぁっっっ・・・!!!
その姿を目にしたとたん、思い切り紀伊也を突き飛ばすと、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
「司っっ!?」
突き飛ばされた拍子に地面に転がってしまった紀伊也が、驚いて起き上がった時に目にしたのは、一本の槍を持った上半身裸の人間の姿だった。
首からジャランジャランと何かを下げている。大きなギョロっとした二つの目は血走り、欲っしていた獲物を見つけた狂喜に満ちていた。
「わーっはっはっはっーーっ、見つけたぞーーっっ!!」
狂喜の雄叫びを上げて紀伊也には目も暮れずに勢いよく走り抜けて行ったのは、ヤニ族の族長だった。
通りすがりに見えたその顔は洞窟で見た絵と全く同じだ。
一瞬、紀伊也の全身に、あの時感じたものと同じ悪寒が走った。