第二十三章(一)
第二十三章(一)
翌朝、突然現れた黒いジャガーに導かれた紀伊也が、川の下流で見つけた洞窟に入って行くと、そこに司が横たわっていた事に驚き、慌てて抱き起こした。
「司っ しっかりしろっ」
何度か揺さぶって頬を叩くと、死んだように目を閉じていた司がゆっくりと目を開けた。
「紀伊也?」
紀伊也はホッとするのと同時に力が抜けて座り込んでしまった。
司は何故自分がここに居るのか分からず、茫然と辺りを見渡した。
水の流れる音が、冷んやりとした洞窟の中に静かに響いている。
時々、キーっ キーっという鳴き声が洞窟の外から響いて来ていた。
「司、心配したぞ」
少し呆れたような紀伊也の声に見ると、昨夜は全く眠れていなかったのだろう。疲労の色を隠せずに、表情がこわばっているのが分かる。しかし、それでも平静を装っている紀伊也が痛い。
「どこに行ったのかと思ったよ。 どうした? 何かあったのか?」
「ごめん・・・。 全然、抜けてなくて・・」
かすれるような声を出して軽く咽てしまった。そして、口元に当てていた手を、思い出したかのように喉元に持って行く。
「苦しいのか?」
「いや・・・」
そうではない。
何故か少し楽になっていた。それにしても昨夜突き刺さった筈の二本の牙の跡がないのは、どういう事なのだろうか。
「夢、か?」
「?」
不思議そうに首を傾げながら喉元に手を当てて呟く司を、紀伊也は黙って見つめた。
***
「覚えてない?」
紀伊也は司がどうしてここに居るのか訊ねたが、昨夜、幻のようにヤヌークが現れてから後の記憶が全くない事に驚いて息を呑んだ。
何故、ヤヌークが居るのだろうか。確かに司が森を封印した筈なのに・・・
「全く覚えてないし、分からない。何で、オレがここに居るのか? それに、ヤヌークが現れたのも本当かどうかも分からない、自信ないよ」
片手で頭を抑えると、軽く頭を振った。
そして、紀伊也の背後に伏せているジャガーに目を向けると、
「そいつは?」
と、顎で指した。
紀伊也が振り向くと、ジャガーが頭を上げた。
思わず目を細めた紀伊也に喉を鳴らすと、鼻をひくひくさせる。まるで飼い主に甘える犬のようだ。
「彼のお陰で司を助ける事が出来た」
紀伊也は、晃一達と別れてからふらりと現れたジャガーに導かれるように一緒に行動していた事を話した。だが、途中で不意に姿が見えなくなってしまったのだ。恐らくそれは太古の森に入った時だったのだろうと思っていた。
そして、昨夜というよりは朝方、再び自分を導くように現れ、ついて行くと、この洞窟に来たというのだ。
「お前の使令も大したもんだな」
目を細めてジャガーを見つめたが、不意に陰を落とし、
「それに比べてオレの使令は殺し屋ばかりだ」
と、呟いた。
「そう言えば、抜けてないって?」
話をそらせるように言う紀伊也に顔を上げると、思わずホッとしていた。
「ああ、中毒」
「中毒?」
「そ、あいつらのスペシャルドリンク剤。 すっげェ飲んだからな。さすがに聖なる森の水の治癒力も追いつかなかったらしい」
そうおどけたように言うと、苦笑してしまった。
「大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫。お陰でだいぶ楽になったよ。こういう時あれだな、フツーの人間でなくて良かったって思うよ」
そのセリフにはさすがに紀伊也も吹き出してしまった。
しばらく休んでいた二人だったが、やがて立ち上がると、そのまま川の流れに沿って歩き出した。
それもまた何かに導かれるように。そして、何の疑念も抱く事なく。
洞窟の奥へと進んで行くが、不思議と真っ暗闇ではなかった。
高い天井の何処かからか外界の光が入って来るのだろう。川の水が薄っすらと透明な水色に見える時がある。
時々、人一人が通れるかどうかという程に両壁が塞がれる事があったが、川幅は殆んど変わらなかった。ただ、そんな時二人はなんら問題なく通り抜ける事が出来たが、自分達よりも一回りは大きいジャガーは、通るのに苦労し、二人を笑わせていた。
「だいぶ歩いたな」
「どこまで行くんだろう」
息も切れて来た頃、二人は腰を下ろすと、出口とも行き止まりともつかない洞窟の先を見つめた。
ふぅと大きな息を一つ吐いた。
「司、大丈夫か? ここで少し休もう」
「・・・、ごめん」
自分を気遣っての事だろう。日が暮れる前までには洞窟を出なければならないのは分かっている。だが、これ以上は心配かけたくなかった。だからか、素直に口に出していた。
そして、クセのようにポケットに手を入れたが、ライターしかない事に気付くと、がっかりしたようにそのライターだけを取り出した。
カチっ カチっと、ライターの蓋を開けていると、紀伊也と目が合った。
思わず苦笑してしまったが、ポッと火が付いた時、二人は少し驚いたように目を合わせると、同時に洞窟の先に目をやった。
ライターの火が洞窟の先に向かって流れているのだ。
司は火を消して、ポケットにライターをしまうと立ち上がった。
「行こう」
二人は躊躇わずに先を進んだ。