第十六章(ニ)
第十六章(二)
「しっかりしろ」
目を開けると、シンラが心配そうに覗き込んでいた。
再び目を閉じて何かを呑み込むと、司は気を取り直したように大きな息を吐いた。
そして、目を開けると体を起こしかけたが、とたんにズキっと頭が痛む。
っつう・・
こめかみの辺りを手で押さえて顔をしかめると、目の前にすうっと手が伸びて来る。その手には水の入った筒が握られていた。
「何も飲まないよりはマシか」
そう言って受け取ったが、
「考えようによっては毒も薬だ。痛み止めくらいにはなるだろう」
と、シンラに言われて思わず苦笑してしまった。
「先程から外が少し騒がしい。今夜あたり何かありそうだ」
壁を見ながらシンラが言った。
司はふうっと息を吐くと、腰をずらして壁に寄りかかった。
「今夜か・・・」
半ば諦めたように呟くと天井を見つめた。天井と壁の隙間から入って来る光に外の暑さが伝わって来る。
「何が始まるのだ?」
「 ・・・。 知らない方がいい。 それに、オレも知りたくない」
司はそれだけ言うと、再び筒に口を付け、ごくりと毒水を飲んだ。
きっと『人狩り』が行われたのだろう。何処かの村で男が捕らえられたのだ。
儀式は今夜、日暮れ前から始まるだろう。
だが、どうやって自分達を調理するのだろう。ふと冷静になって考えた時、まな板の上で切り刻まれる自分の肉体を想像して背筋に冷たいものが流れると、ごくりと息を呑んでしまった。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
ハッと顔を上げると、またもやシンラの心配する顔が覗く。
今気が付いたが、光に当たったその瞳は深い緑色をしている。よく見ればすっと伸びた高い鼻に彫りの深い鋭い眼、少し厚い唇を持った整った顔立ちをしている。皆が言っていた美人なアマゾネスの一人なのだろう。
それならばティプラとは一体どんな人物なのだろう。
これから始まろうとする恐ろしい出来事を一瞬忘れたように、ふと思った。
「ティプラって・・・」
思わず口にした言葉にシンラの顔がふっと緩んだ。
「ティプラ様の瞳の色と、そなたの瞳の色はまるっきり同じだ」
「え?」
司の意図するところを知っているかのような応えに驚きを隠せない。
「聖なる森の扉が開かれてしまったのだ。時が来る前に閉じなければならぬと古来より言われている。森の番人であるヤヌーク様が見分された者を使わすと伝えられて来たが、なかなか現れなかった。しかし、そなたがシーメ様とお会いしたというのならば、もしやそれはそなたの事かもしれぬな」
シンラはそう言って、まるで見定めるかのようにじっと司を見つめた。
「ちょっと待ってくれよ。 オレには・・・、オレにはお前の言っている事がよく解らないし、第一ティプラとかシーメとか言うのはこの辺りに伝わるおとぎ話に出て来る人物で・・」
「おとぎ話ではない。事実そなたはシーメ様にお会いしている。現実を見極める事だ。そなたは既に聖なる森に足を入れたのだ。ならばその使命を果たさなければならぬ」
戸惑いを隠せない司にシンラはきっぱり言った。そして更に言葉を続けた。
「恐らく今宵は満月だ。次の新月がその時なのだ。その時までに聖なる森の扉を閉じなければ、世界に災いをもたらす事になる。そなたの使命は・・」
ガタガタっっ
不意に小屋の扉が開かれた。
とたんに、鋭い槍を喉元に突かれ、身動きが出来なかったが、視線だけを動かして息を呑んだ。
見なければよかったと後悔したが仕方がない。見てしまったのだ。彼等の血走った飢えた目が自分の血を求めているのを。口の端から今にもよだれが垂れそうになるのを必死で堪えているようだった。それを見た時、司の背筋に冷たいものが流れた。
だが、更に二人の男が入って来ると、その剣先を突き付けられたのはシンラの方だった。
「シンラっ!?」
ゆっくり立ち上がったシンラと目が合った。
「そなたの使命は碧き石を聖なる泉に返す事」
そう最後に言葉を残すと、シンラは連れて行かれてしまった。
オレの使命・・・
一人残された司は、シンラの出て行った扉をじっと見つめていた。