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1000年かけて、貴方を殺せる喜びを  作者: 片道切符
【二章】
7/32

11☓☓年 乳と蜜の流れる地

 ──11☓☓年、西ヨーロッパ──


 冷たい風が吹いている。カラスの鳴き声が夕空に響く。

 荒廃した道を小さな馬車が駆けていく。


 馬車には二人の男女が乗っていた。小さな麻袋を抱えて何処かへ向かっている。

 顔は暗く、俯いたまま動かない。

 しばらく走った後、荒れ果てた教会脇の霊園で、ゆっくりと馬車が止まった。

 馬車から袋を抱えた男が降りてくる。


「おお主よ、お許しください」


 そう口にした男は、抱えていた袋をドサッと地面に捨て、足早に馬車に乗り込んだ。

 男女を載せた馬車が来た道を戻っていく。その姿は次第に小さくなり、ついには見えなくなった。



 袋がもぞもぞと動く。

 袋の中の何かが出口を探して這い回り、やがて袋の口から顔を出した。

 赤ん坊だ。袋の中には一人の女の子が詰められていた。

 その赤ん坊は一声もあげず、まだうまく開かない目を無理矢理見開いて、キョロキョロと周囲を見回していた。


(......そう、今回はこういう趣向なんだね。)


 祝福されることなく産まれてきた赤ん坊。

 産まれて間もなく、実の親子に捨てられた赤ん坊。

 しかし彼女には驚きも絶望もなかった。一声の泣き声も上げず、ただ静かに現実を受け止めている。

 齢数ヶ月の、赤ん坊が。


 彼女は生まれながらにして知っているのだ。

 この世は既に地獄の底で、自分が祝福されることは無いのだと。

 これ迄にあった、既に何度かの人生で。


 彼女の名前は【転生(てんしょう)】。神の魂の欠片を抱いた悪魔の娘。

 たった一人の兄妹を殺す事を宿命付けられた少女。


 その少女がこの世に生まれて間もなく、最初の試練に直面していた。




(いくらなんでもこのまま放置はないよね......?)

 生まれてすぐに「はい終了」なんて、そんなのないよ。いくらこの世が地獄でも、もう少し救いがあっていいはずだ。

 経験上、助かる何かは起こる筈。

 それが、私達に理不尽なまでの不幸を課す【神の試練】のルール。


 決してサインは見逃すな。

 赤子の私は未成熟な体をフルに使って周囲を探る。


 ──カシャン、カシャン

 すると、遠くから金属がこすれるような音が聞こえてきた。

 地面が軽く揺れている。たくさんきてる。


 これだ! 恐らくこれを逃せば、私の人生先はない!

「おぎゃあーーーっ! おぎゃあっーーー!」

 今回の人生、産まれて以来の泣き声。渾身の力を込めて、私はオギャる。

 すると、集団は足を止め、その中から一人の男が近寄ってきた。くるぶしまである黒のローブを着た男、首にはロザリオをかけている。



「おお可哀相に、君は捨てられてしまったのかい? そんなに泣いて、さぞ寂しかっただろうね。でももう大丈夫だよ、安心して泣き止みなさい。君も私達と一緒にエルサレムへ向かおうじゃないか。そこであれば君の両親の罪も許して貰えよう。

 これもまた巡り合わせ。主よ、大いなる出会いに感謝致します」



 男は神父のようだった。集団をよく見る、大勢の神父にそれを守護する騎士達。

 これは......、聖地巡礼の聖職者達の集団?


 ひょっとして、結構ヘビーな貰われ先かも。

 少し焦ったけど、今更どうすることもできない。

 すべてを諦め大人しく神父に抱かれ馬上についた。


 これが今回の、私の人生のはじまり。







 私はしばらく、幼少の時をエルサレムで過ごす事になった。

 地上のエルサレム、そこはイエスが死んだ場所。罪の赦しを求めて各地より巡礼団が訪れる、聖なる街。

 私を拾った一団もその巡礼団の一つであった。

 そこまでの道中は決して楽な旅ではなかったけれど、そこは赤ん坊の特権。そんな事はどこ吹く風と、我儘三昧、要求三昧。私の世話にひいこら追われる神父達を横目に、徹底して気楽に努めた。

 ああそっか、私のせいで楽な道程でなくなったんだっけ。私にとっては、聖職者達が私の為にあくせく働くのを眺めていられる中々楽しい道中になった。

 最初は少し心配していたけど案外バレないものだね。悪魔の娘でも甲斐甲斐しく世話してくれるなんてアガペー。



 ──エルサレム。

 砂ぼこりの舞うみすぼらしい街。神の膝下でもあるたいへん居心地の悪い街。

 しかし私の育て親である神父のリトマスは喜々としてこの街で信仰に精を出している。あれからもう丸五年になる。

 今のこの街はキリスト教徒達の暮らすキリスト教の街。しかしかつてはサラセン人達(キリスト教徒から見たイスラム教徒達の通称)の街だったらしい。吟遊詩人曰く、十字軍(クルセイダーズ)を名乗る神の使徒たちが聖戦(ジハード)を起こし、およそ100年前に悪しき異教徒から奪還したんだとか。

 今ここは、その時に成立した十字軍国家エルサレム王国が統治してる。


 聞けば、悪しき異教徒ことイスラム教徒にとってもこの街は聖地だとか。彼らの讃える聖人が昇天した場所だとか。

 そのため、キリスト教徒とイスラム教徒はこの聖地を巡って争いを繰り返してる。

 汝の敵を愛せよとか言ってた奴らが、宗教が違うからとかいう理由で相手を蹴っ飛ばして回ってる。

 異教徒を殺しても罪にはならないと、満面の笑顔で口にしながら血まみれの両手で祈ってる。


 私の知る限り、一等(いびつ)で変わった世界。




 私は神父から「テンセル」という名前を貰った。

 名前とは特別なものだ。真名は魂に刻みこまれ決して損なわれることはない。国や言語によって多少の揺らぎはあれども、私はいつどの世界であっても【転生】なのだ。

 無論、輪廻(りんね)も同じだ。この世界においてどのような名前を貰ったかは分からないが、真名から大きくズレる事は無い。いつか名前を聞く日が来るだろう。


【輪廻】──、私のたった一人の兄妹で、何より大切な友達だった人。

 私達の宿命を知ったその時、私はまるで心臓をくり抜かれたような心地がした。

 世界一大事に思っていた人をこの手で殺さなければならない。その人に殺されるかも知れない。あんなに仲良しだったのに。

 二人で背中を預けて戦った事もあった。でも次の人生で、私達は命を奪い合った。彼は本気で私を殺そうとして、私は震える手で戦った。

 それから何度も、何度も。


 ...今、私は彼を求めて探している。彼を殺す為に。

 愛憎(あいぞう)悲哀(ひあい)怨嗟(えんさ)憤懣(ふんまん)と、そして喜びをもって。





 地上のエルサレムでの暮らしはとても退屈な日々だった。

 神父は日々聖遺物だかに祈りを捧げ、騎士は街の外で村々を脅かし祈りに励むサラセン人を追い立ててる。

 仕方がないから私も元気に街を出歩き、視界の端に映った子供の鼻の頭を小突いて回った。特に意味はなかったけれど、スッとしたから良いことだ。

 子供を笠にやりたい放題、それが許される環境もそう多くない。それが通りそうな今の内に、適当な神の下僕相手に過去100年余りの鬱憤を晴らしておこうと思う。


 しかしある日、今まで私の横暴を黙認していた神父が急に私を呼び出し、叱責した。

「なんてことを、おお神よ! キリスト教徒がキリスト教徒を襲うなんてあってはならない事だ。

 襲うのならば、イスラム教徒にしておきなさい」


 いつの間にやらキリスト教徒にされていた私、お叱りの内容に少し目を丸くする。

 どうやら神父は5年の間にちょっとした立場を得たみたいだった。エルサレム王国の助祭。それは平民の出身でありながら権力機構に一歩足を踏み込む肩書きだった。

 それだけに、これまで放置していた悪童の奔放な振る舞いもいい加減看過できなくなっていた。育ての親である彼の立場に係るからだ。

 だからせめて、破壊衝動があるなら内ではなく外へ向けなさいと。イスラム教徒相手なら無法な振る舞いも聖戦になる。


 これでも育ての親の言う事だもの。別に必要があってやってた訳じゃないし、そこまで言うなら小僧の鼻を狙うのは止めとこう。

 私は外に出かけて、言いつけ通りにイスラム教徒の小隊や巡礼者を探す。


「ふーん、懲りずに今日も居るんだね」


 一人、郊外で礼拝に励む年老いたイスラム教徒を見つける。街に入れないイスラム教徒はこうして街の近くまで巡礼に来るときがある。イスラム教徒達にとってここは危険な場所なのに。

 これが信仰って言うものなのかな。


 近付いて、真横にちょこんと座り老人をじっと見つめる。

 浅黒い肌。縮れた黒髪。彫りの深い透き通るようなグレーの目。

『アッラー・アクバル』、それは彼らの祈りの言葉だ。アラーの神は偉大なりという意味だそうだ。

 アラーとは彼らの信奉する唯一神、この世でただ一柱の偉大な神のことを指す。

 つまりあいつだ。私達に地獄の苦しみを課したあいつ。

 キリスト教徒の信ずる神とおんなじあいつ。


(あなた達はどうして争ってるの?)


 同じ神を信奉する者同士で、どうして?

 老人のグレーの瞳を覗き込み、心の中で問いかける。

 彼は私には目もくれず、神への祈りに没頭している。



 唐突に、ひゅっと風を切る音が私の横を駆け抜けた。

 そして次の瞬間目の前で鮮血が跳ねる。ありゃ。

 遠くから槍が飛んできて、礼拝をしていたサラセン人の老人を貫いたのだ。

 串刺しにされた老人はうめき声をあげながら、地面の上でガサガサと這い回るように暴れている。


「おお、危ない危ない。悪しき異教徒が我らがキリスト教徒を脅かすところであった」


 後ろから声が聞こえる。立ち上がり振り返る。

 髭を丹念にたくわえた大柄な騎士が、大勢の騎士を伴って馬上から見下していた。


 この男は知っている。サラセン人を毛嫌いし、執拗に迫害して回る『強盗騎士』ことルノー・ド・シャティヨン。

 三年前のモンジザールの戦いで、サラセン人の指導者サラー・フッディーンとエルサレム王国の間に和平が結ばれたにも関わらず、未だその姿勢を崩してはいない危険な男だ。



「君はキリスト教徒かね?」

 ルノーが問いかける。

「はい騎士様。テンセルと申します。我らが主は偉大なり」

 私は、平然とした顔で心にもない事を答える。


「ふふん、よろしい。私と神の計らいに感謝したまえ」

 ルノーは満足そうにそう口にすると、老人の体を物色し金目の物を懐に入れた。その後、騎士を伴い何処かへと去っていった。



 騎士が去ったのを確認した後、足元の老人に目をやる。

 まだ息はあるみたいだ。でももうじき死ぬ。

 もう一度顔の前に座り込んで、声をかける。


「君はもう死ぬけど、何か言い残すことはある?」


 老人は首だけでこちらに向き直り、血走った目で答える。

『悪魔どもめ、神の裁きを受けろ』


 私はそれを聞き届けたあと、ヒューヒューと苦しい声を漏らす彼の首をナイフに変えた小石で勢いよく掻き斬った。鮮血が地面に広がり、まもなく彼は息絶えた。

 透き通るようだったグレーの瞳が今や見る影もなく、憤怒の色をたたえている。


「ふふ。なんて言ったのか全然わかんないや」

 私はころころと笑った。仕方ないよね知らないんだから。

 アラビア語、少し勉強してみるのも面白いかもね。


 私は死体の上に腰掛けて、騎士ルノーが去った方角を眺める。

 さてさて彼はどこに向かったのかな? 不穏な()()()がぷんぷんするね。




 時代の変わり目には必ずと言っていいほど、常識では考えられない程の傑物が現れる。人の身でありながら私達に及ぶ程の神性を備えて、彼らは時代を蹂躙する。


 サラセン人達の指導者「サラー・フッディーン」。

 ──通称『サラディン』

 この時代においては、彼だ。


 今、時代が動こうとしてる。幼い私達を軽く呑み込むほどの時代の奔流が迫ってる。そして恐らくそれは、人類史に忽然と輝く血と暗黒の物語になるだろう。

 エルサレム。彼らが信ずる神の土地を巡って。




「ここはそろそろ潮時かもね」

 エルサレムはもういいよ。いい加減、こんな街には飽き飽きだ。

 すっくと立ち上がり、とことこと街に戻る。

 私の体はまだ子供だ。時代に立ち向かうには10年早い。

 焦らなくてもその内輪廻とは出会うことになる。それが私達の巡り合わせ。

 今は力を蓄えて、その時をゆっくり待とうじゃないか。


 街に戻り支度を整え、丁度帰途につくところだった巡礼者の一団に適当な理屈をつけて合流する。

 逃げるに際し、一応育ての親の神父にも声をかけたがグズったので置いてった。どうもお世話になりました。



 ごとごとと馬に揺られながら、次の自分の生活を思い描く。

 どうせなら、乳と蜜の流れる地にでも辿り着きますように。

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