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人飼いの花 6

「人ではない。そうだ、俺たちは人ではない。人であるはずがないんだ」

 あんな下等種などでは、とうそぶくのを確かに聞いた。寸秒にして総毛立つ思いに襲われ、私は一歩を下がる。常盤は先の通りの朗らかな笑みを取り戻すと、はは、と声を上げた。

「俺自身のことを話していなかったな。俺は今、とある組織に属している。“皇”に反する組織だ、なんなら軍と呼んでもいい。俺の目につく限りでは、まだ大きなものではないが……この火はすぐに勢いを増して、金の冠を焼き尽くすだろう」

 黄金こがねを討つ赤の火、俺たちの火だ。

 唄うように継いで、常盤は両手を広げる。

「“皇”を玉座から追い払う。そこに坐すべくは“血種”以外にあり得ない、というわけだ。俺はその組織に、種火の役を仰せつかっている」

「だから私を誘おうって……」

「そうだ、人手は少しでも多い方がいい」

 常盤が私に手を寄越す。彼もまた人の主を持つ身にあるのだろう、ひびとあかぎれにまみれた指を持っている。薬指の爪はつぶれ、その脇に肉の瘤を作っていた。彼の手を見下ろし黙っていた私を、押し潰すように鐘の音が響く。六時を報せる音、三越の決めた門限だ。懐の鋏が重みを増した。

「悪いけど話は持って帰るよ。邸に帰らないと」

「いいや、ここで決めてくれ。お前の答えを受けずには帰せない」

「馬鹿言わないでくれる」

 理想に燃える相手は手に負えない。私はそれをよく知っている。天に唾吐いたおかげで嬲り殺された爺の姿は、まだ脳裏に焼き付いているのだ。常盤とて彼の末期を見ていたはずではないのか、と苛立ちが頭を焦がす。

 しかし立ち去りかけた私の手首を、彼は渾身の力で掴み上げた。

「そんなに蘇芳のお嬢様が大事か」

「…………あんた、なにを言っているの」

「“皇”の嫁御になる娘が、そんなに大事かと聞いている!」

「違う、私が訊いたのは」

 ――なぜ私の主が、蘇芳の令嬢だと知っているのか。

 そう尋ねようとしたはずだった。興奮に目を血走らせたこの男を、なんとか問いただしてやるつもりで。だが私が言葉を吐かんとしたときにはすでに、彼は側頭部への痛打を受けて、白目をむいた後であった。常盤が悲鳴もなく崩れ落ち、私の腕が自由にされる。あかあかと残った痕が、彼の込めた力を物語っていた。

 刀の柄だ。常盤を昏倒させたのは。そして隠密の巧みさが、彼に一瞥ぶんの注意さえも払わせなかった。鞘で刀を握り、彼の背から姿を見せたのは、先ほど私が案内をしたばかりの女人だ。

「やはり内実が漏れていたか。鼠がいるな」

 ひとりごちてから私を見る。ああ、とうすら寒い笑みを浮かべて、刀を腰元に戻した。

「案内ご苦労、無事彼のもとにたどり着けた。今度こそ礼を言う。きみが賢しい娘で良かったよ、もしも手を取るようなら、ここに首が一つ落ちていたところだ」

 ぞっとさせるような一言とともに、かつり、刀のつばを弾く。それが冗談でないことは悟られた。腹を腕で覆いながら、私は女をねめつける。

「あんたはこいつを捕まえに来たってわけ。なら、主っていうのは」

「むろん“皇”だ。私たちはかの御方と、その血族以外にはこうべを垂れない」

「私を釣り餌にしたの。同じ“血種”を使っておびき寄せるつもりだった?」

「それもあるが、もうひとつ」

 言い、かれは酷薄な目で常盤を見下ろした。

「彼も言ったろう、きみが近日中に蘇芳家に引き取られたからだよ。この時期だから政の側も過敏でね。いや、それだけ敏感でないと困るのだが……早い話が、きみにも謀反の疑いが向けられていたということだ」

「時期?」

「耳は飾りか? それもこの、お喋りな男が喋ってくれただろう」

 私は無言を保っていた。にわかには信じたい話だ。だが蘇芳という家の家柄、そしてかの邸を保つだけの資産を思えば、かれの言葉も真実味を帯びる。女は「なににせよ」と鼻を鳴らし、無造作に常盤の腹を蹴りつけた。

「きみに関わりのないことは分かった。ちょうどこれから蘇芳の邸に邪魔をするところだ、送ってあげよう」

 言外に、ついて来い、と命ぜられる。私はこくこくと頷いた。呼び寄せておいたらしい部下に常盤を引き渡し、女は先だって道を歩く。その歩みに迷いはなく、先の案内なども初めから要らなかったに違いなかった。身を固め、幾らかふてくされ、それでも置いていかれないようにと足を進めていた私を、かれはふり返りもせず言った。

「露払い、という。私たちの名だ。“皇”の近侍のさらに内側、御身をお守り申し上げる者だな。代々二名の武芸者からなり、慣例に倣って右と左の銘を頂くことになっている。私は右の露払いだ、名は深守みかみ

「ふうん」

「今のはきみに名前を聞く流れだっただろう」

「知らないよ、身分の自慢がしたいのかと思った」

「それもないとは言わないが。……名は?」

 私は渋々「千春」と答える。吐きだしてから、それは他人の名のように感ぜられた。

 人に名乗る機会など、詩織に買われるまでは無きに等しかったし、これからもないのだろうと考えていた。“血種”であることを見極めるなら髪の赤があれば十分だ。それだけで所有物として事足りる。

「千春、春、か。なるほど。きみ、桜は好きか」

「嫌いだよ。あんな未練がましい花」

「…………そうか」

 私も、さほど、好きではないな。

 自ら問いかけたくせにそう言って、それから深守は口をつぐんだ。

 夕霞が空を滲ませていた。太陽を彼方に見送って、西の山際はいよいよ紫藍に染まっている。薄雲は白くたなびき、視界の隅に膨らみを見せて、春の終わりを告げていた。街灯が落とした影を踏むたび、ざり、ざり、と土が鳴く。

 門限をすっかり踏み越してしまった私を、一番に出迎えたのは詩織だった。門のところで首を左に右にと向けていた彼女は、私を見るや駆け足で寄ってきて、何も言わずに抱きついた。子が母を探すような――あるいは母が子を探すような、無言の訴えがそこにあった。

 共に待ち構えていた三越に、私は鋏を渡すつもりで懐を探る。だが彼の目は私を通り過ぎ、深守の微笑に注がれていた。

「主の姿はないか。ご多忙ももっともだ、まあ、先にご当人からでもいいだろう」

 深守はぼやき、一通の書状を持ち出した。詩織の前にそれを開き、厳かに告げる。

「蘇芳家のご長女に御文奉る。此は“皇”の詔である」

「……すめらぎ、陛下」

 私から身を離し、けれどもシャツの裾を片手で握ったままで、詩織は深守に顔を向ける。よろしい、と一笑した深守が、低い声で続けた。

「あなたを皇居に迎え入れる。書状の下賜より先、その身は御君に奉るものと心せよ」

 風が吹いた。

 瞠目した詩織の頭上を、桜の花弁が舞った。イカルガの大地に千々の影を散らし、されども彼方へと飛びゆくだけの力もなく、ひとひら、またひとひらと、狂ったようにひらめきながら落ちていく。落ちたのち転がる。風の行く先に手を伸ばすように、あの花が無様に這いずる。からだを砂に擦りながら。

 ただその身を焼いた茜ばかりは忘れじと、赤く、赤く。

 ――赤く。

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