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人飼いの花 5

 そのとき三越がなにを思っていたのか、私には長く見当もつかなかった。

 もっとも、理解しようとすらしなかった、というほうが正しく――事実、数日後、私がイカルガの都に買い物に出かけることになった段には、彼と交わした言葉のことなどすっかり忘れ去ってしまっていたのだった。

 蘇芳家での生活は快適だ。退屈だ、と言い換えてもいい。朝は決まった時間に起こされ、食事は詩織や彼女の父母と共に摂ることを許される。日中の詩織は学校に手習いにと忙殺されているため、必然的に空いてしまう時間を、私はどうにかして埋めなくてはならなくなる。

 そうした時間を三越の手伝いで潰すようになるまでに、さほどの間を待たなかった。手伝いといっても仕事未満のものだ。余分な花芽を摘み取る、気にかかった草を引き抜く、程度の、手間のかからない手作業ばかり。私が町へと使いに出ることになったのも、その一環であったのだろう。とある午後、わずかばかりの金銭を握らされ、新しい鋏を買ってくるようにと言いつけられたのだ。

「お金なんか持たせていいの」

 邸に来たばかりの余所者などに。硬貨を手の中で弄んだ私に、三越は「余ったら甘味でも買っていらっしゃるとよろしい」とこともなげに言って返したのだった。

 碁盤の目状に行き交う通りを幾つか抜ければ、目的の大通りにたどり着く。イカルガを縦一文字に断ち切るこの朱雀大路は、“皇”の住まう宮廷を北に見ながら、都南部の大門にまで続いていく。一通りの専門店が軒を連ねている上、駅舎や大学、種々の要所がこの通りに面しているおかげで、昼夜を通して人通りが多い。

 それは“血種”をとっても同じことだ。意識を傾ければ、赤い髪は嫌でも目に入る。

 私は無意識に首元へ手を伸ばす。主の道楽がそこを締め付けていた時期のことを思い出したのだった。わたしがまだ幼いころ、年頃ゆえの見目――人に見せびらかすだけの価値を買われていたころのことで、そのときもやはり何度となく、人ごみの中へと買い物に出されていたものだった。

「園芸用の鋏をひとつ」

 金物屋の暖簾に声をかける。机の向こう側から、小柄な老人が虫を見るような目を私に寄越した。私が持ち金の五割を――まるで予算のすべてであるかのように――机に広げてみせれば、店主は胡乱げにそれを一瞥し、やがて鈍く光るくろがねの鋏を持ち出した。

 彼が口にしたのは、先に提示した金額を二割ほど上回る値だ。

「足りないよ、出直しな」

「いいや、十分だよ」

 不足するぶんを懐から足し、鋏を握って店を出る。背後に痛烈な舌打ちを聞くことになったが、必要なものは手に入れたのだ、知ったことではない。

「素直な爺さんでよかった」

 通りを行きながら、そう胸を撫で下ろす。正規の値よりは高くついたとしても、ぼったくりに遭うよりはましだった。“血種”の使いは舐められるのが常なのだから、こうでもしなければ望みのものが手に入らない。

 門限までには少し時間があったが、他の用事が見つかるわけもない。そのまま取って返そうとしたところで、しかし、「きみ」と声をかけられた。別人に向けたものだろうと気にもかけなかったが、「そこな“血種”」と言い直されては無視のしようもない。

「なにか」

 声の主は、私より頭一つは背が高い相手だった。腰に佩刀、歳若い青年らしい精悍な顔立ちに、短く切りそろえられた髪が涼しげだ。しかし数秒ほど顔を注視してから、それがどうやら女性のものであるらしいと気付く。

 すまないが、と断りを入れる声は和やかだった。

案内あないを頼まれてくれないか。この辺りの地理に疎くてな」

「他をあたればいいでしょう、“血種”なんかに頼むより」

 ありったけの皮肉と、少しばかりの卑屈を込めてあしらう。暴言が返ってくることだろうと予期していたが、意外にもかれは食い下がった。

「先の金物店でのきみを眺めていた。さかしい娘だ。私も爺とは付き合いがあるのだが、あの“血種”嫌いをやりこめる者がいるとは思わなかった。礼はするよ、ほら」

 そう小金を握らされる。厄介な相手に捕まったものだ、と私は渋面を作った。断り通す面倒と案内を果たす面倒、どちらが手間かと勘案して、「どこまで」と問い返す。

「ほおずき通りは近くかい」

「遠くはないけど、なにもない路地だよ」

「なに、心配はいらない。主の命さ」

 言って、節くれだった指で刀の柄を叩く。

 私も深入りをするつもりはなかった。そう、とだけ返して先導する。

 ほおずき通りは朱雀大路から三本ほど通りを外れたところにある小さな小路だ。人気が少ないのをいいことに、野良の“血種”がたむろする場所にもなっている。商店の類も珍しく、一般人が立ち入って興ずるようなものもないはずだ。

 私はちらりと背後のかれを見る。着物は上等のものだ、主がそれに見合う立場にあるのだろう。女に帯刀させてよそへ放るところを見ると、よほどの変わり者か、それとも。

 思考を巡らせてから息をつく。私が気にすることではないのだが。

「……着いた。ここから向こうの塀までがほおずき通り」

「ああ、ありがとう。用事の途中にすまなかったね、帰り道には気を付けてくれ」

 知ったような顔で別れを告げられる。「どうも」以外には返すに足る言葉を持たなかった。もと来た道を戻ろうとして、ふと思い当たる。

 かれは金物屋の老人と顔見知りだと言っていた。付近で彼と私との問答の一部始終を見守り、興味を得て声をかけたとも。

 ――ならば何故、老人自身に道を訊かなかった?

「ねえ、あんた」

 ふり返った先にかれの姿はない。しかし代わりに十字路を曲がってきた男と衝突することになり、私はたたらを踏んで後ずさった。海松みる色の学帽を被った相手に非難の目を向けてから、彼もまた“血種”であることに気付く。

 彼は開口一番、私に問うた。

「やあ、問おう、血のともよ、空は何色か」

「はあ?」

「空は何色をしているか、と問うている…………ん、待て」

 学帽の下から狐目が覗く。世辞にも人相がいいとは言えない顔が、奇妙な形に歪んだ。

「お前、千春か」

 初対面の相手に名を呼ばれる謂れはない。睨む目つきにことさら力を込めた私に、彼はわずか、戸惑った様子で両手を上げた。

「俺だよ、常盤だ。同じ爺に育てられただろう。憶えていないか。いや、もう十年近く昔のことだとはいっても」

「常盤」

「そうだ、思い出してくれたか」

「あんたのことは記憶にないけど」彼ががっくりと肩を落とすのを眺め、続ける。「爺には憶えがある。あそこには多く子供がいたから、おおかたその中のひとりでしょう」

「……薄情だな、変わりがないというか」

 男、常盤は頬を掻きながら語る。血も名も知れぬ、私たちの兄弟のことを。

 同じ老爺に教えを受けた者の境遇は、さほど恵まれたものではないという。花街に流れた女が性病で死んだ、物乞いを続けた男が人斬りに殺された、云々。運良く人の主を得たとしても、日々馬車馬のように働かされていることに変わりはない。

「かわいそうに、みな無念の死を遂げた。爺が死んでからというもの、俺たちは居場所を失くしたんだ。いいや、俺たちには爺がいただけ僥倖だった。今の“血種”は産まれたその時から居場所をすりつぶされている」

 いつの間にか強まった風が、叢雲を押し流している。雲の切れ間から覗く光は一際強く彼の背を照らしていた。その逆光に目を細める。

「まるで他人事じゃないか」

「なんだと」

「他人事みたいに話すんだなと思っただけだよ。かわいそうに、無念だろうに。まるであんたが、人にでもなったみたいだ」

 溜まった雨水のような淀みが、常盤の目をよぎっていく。そのとき鮮烈に私を射抜いたものは、彼のその目の底にぎらついた、鋼のような光だった。湖面に巣食う藻の吐きだす泡を、珠と信じて掴まんとするかのような。

 酔った目だ。

 浮かされた者の目だった。

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