人飼いの花 4
黄金の髪の者たちを天の御使いと呼ばうようになったのは、かれらがその比類ない武力によって《那》を従え尽くした後のことであったという。
――きみたちは、ひとより劣った一族なんだよ。
甘く囁きかけるように、“皇”の民はこの島国に栄えた“血種”を端から淘汰していった。それは支配であり、一方で虐殺でもあったと聞く。《那》であった邦が崩落すると同時、“血種”の栄華は地に落ちた。髪に燃えていた暁の赤は血の赤と読み替えられ、輝かしく語られていたはずの貴種の肩書きも、気付けば下等種のそれと化していた。そうしてできたのが帝都イカルガ、そして“皇”の統べる帝国だ。
ひとは言う。皇の民がこの国を変えた。火花と硝煙が帝都をつくったのだと。
知の奴隷であった爺、私の育て親も、よくよくそれをわきまえていたはずだった。だがあのとき――あの炎天下、心を尽くして育て上げた拾い子のひとりが云われもなく嬲られるに至り、やさしい爺もついに堪えが効かなくなったのだろう。子供を背にかばってやりながら、それまで一度だって浮かべたことのなかった、皮肉めいた笑みを浮かべてみせたのだった。
国が変われど、帝都が立てど、人が変わることはなかった。冠ひとつ挿げ替えて、ただただ額づきひれ伏すばかり。おまえたちにとり空の色など、赤も金も同じことであったのだろう――。
そう吐き捨てた老爺が蹴り飛ばされ、手ひどく痛めつけられるのを、私は遠くから眺めていた。悲鳴を上げる力も見る間に失われ、殴打に歪められた顔の輪郭が、かれみずからの血痰に沈んでゆくのを。――諦めを知ったのは、そのときであったように思う。
爺を亡くしてからの子供たちは、芯を失った独楽も同じだった。ある者は身売りに、ある者は物盗りに。散り散りに市井へ流れて行った後、私は彼らの行方を知らない。
花の名前を教えてくれたのは、同じ生まれの孤児であっただろうか。
うめ、もも、つつじ、きんもくせい、手の届かない花々を指さして、片端から言い連ねてみせた彼女の名を、私はもう憶えていない。しかし桜、あの哀れっぽい花と、その力なく散りゆくさまばかりは、どうやら私のまなうらにも色濃く焼き付いているようだった。主人の庭には植えられていない花だったから、久しくそれを見ることはなかったけれど、蘇芳の邸ではじめに目に映ったものが桜であったということを、私は確かに認識できたのだ。
「もうすぐ夏が来るのね」
諸々の支度を整えて、私が蘇芳の邸の資産になったのは、結局春も終わりに差し掛かろうというころだった。葉の芽のついた梢を指して、詩織はうっすらと目を細める。傍らの私は地面の花弁ばかりを見つめていた。枝先に咲き誇っていたころの栄光を、まだ忘れられずにいるかのような骸たち。
未練がましい姿だった。
「私は庭の片付けでもすればいいの」
桜の樹から目を背け、早口に詩織に問いかける。
「掃き掃除、それとも草むしり」
「掃除……草むしり? どうして」
「家の仕事をさせるために私を買ったんでしょう。こんなに」もとの邸の四倍はあろうかという家屋を見やり、「立派な家だし、使用人なんか山ほどいるんだろうけど」
詩織は曖昧に笑う。目の前の人間が、異国の言葉を喋りだすのを見たかのようだった。
「私はあなたにお仕事をしてほしいわけではないの。ただ……ただ、なにかしら、そう、強いて言うならお客さまとして……」
「あんたの太鼓持ちをしろって?」
「違うわ、もう、そういうことじゃないのよ」
唇をつんと尖らせて、怒っているふりをする。それでいてすぐに相好を崩すと、頬をうっすらと染めてはにかんだ。
「できることなら、お友達になりたいわ」
「……友達?」
話が通じていないのは彼女の方ではないか。私は顔をしかめる。少なからず罵倒の意を含めていたものの、詩織は気づかなかったようだった。というのも、ちょうど彼女は庭先に立つひとりの老人を認め、そちらに意識を移したところだったためだ。
「三越爺、爺、少しいいかしら」
庭木に鋏を入れていた老人が、やおらこちらをふり返る。
邸の主人には及ばぬものの、彼もまた背の高い男だった。つなぎの作業服を着ているおかげで野暮ったい印象は拭えないが、穏やかな目元に理知が見え隠れする。かれの細面に、束の間、育ての親の顔がよぎるのを、私はまばたきでかき消した。
「お嬢様、おはようございます。なんぞ爺に御用でしょうか」
「おはよう爺。あなたに紹介をしておこうと思って」私をてのひらで示す。「この子は千春、今日からお邸に住んでもらうことになったの。私のお客さま。ほかのお手伝いの方にもよろしくね」
皺の内側に隠れていた老人の目が、私に向けられるに至ってまるまると見開かれる。髪の色を見やり事情を悟ったのだろう、「そうですか」と一声発して頷いた。
「邸の庭師をしております、三越と申します。慣れぬことも戸惑われることも多いでしょう、なにごとかお困りでしたら、些末なことでもお伝えくださればよろしい。この老骨、微力ながらお力添えいたしましょう」
「爺は私の産まれる前からここに勤めてくれているの。私よりも邸に詳しいと思うわ、もちろん邸のことでなくてもね」
三越から差し出された皺くちゃのてのひらを、私は恐る恐る握り返す。連日の土仕事で黄ばんだ爪、そして年月に節くれだった指の節、からからに乾いた皮膚が、私の手を包み込んだ。その感触に息を詰めこそすれ、私のてのひらも決してつややかなものではない。一月ほどの猶予があったとはいえ、水仕事に庭仕事にと痛めつけてきた指だ。
握手には長い時間、そうして手を握り合っていた。三越は「なるほど」とやはり小さく漏らして手を離し、ゆるやかに二度、首を縦に振った。
「ときにお嬢様、お時間の方はよろしいのでしょうか。仁科めが探しておりましたぞ」
「いけない、手習いの時間だわ。千春は……」
「この爺が引き受けましょう。暇つぶしのお相手ぐらいは務められますゆえ」
「ありがとう。千春、少しだけ待っていてね」
詩織がからからと下駄を引き摺っていったあと、三越はしゃんと作り上げていた顔立ちを人懐っこく和らげる。慣れきらぬ私を野良猫とでも重ねたのか、よしよしそう怯えずともよろしい、と背を丸めてみせた。
「なにも取って食いなどしないのだから、そうご警戒なさらず。少しばかりこの爺の話し相手をお願いできませんか」
「あんたこそ」彼の呼び名に迷い、言葉に迷って、最後には詩織にするように答えていた。「私みたいな“血種”を相手に、慇懃な態度をとる必要はないでしょう」
「千春殿はお嬢様のお客人でいらっしゃる。私が取る態度はこれで間違いございませんよ。お相手が人であれ、“血種”であれ」
砂粒を噛まされたような心地になって、私は唇をひん曲げる。
「この邸の人はみんなそうなの? “血種”を人だとでも思っている?」
だとすれば馬鹿げたことだ。時代遅れにもほどがある。食って掛かった私に、三越は細く息をついた。
「そうした者は少ないでしょう。ですが私は長く生きております。まだ《那》と呼ばれていたころの、この島国の景色を見ている」
酸い感情が胸を突くので、私は自嘲じみた吐息を漏らした。自分のいない世界のことを掘り起こして何になるというのか。私に痣を残したのは風土記でも鉛玉でもない、街の“血種”を拾った男だ。回顧に浸る無意味さなど、物心つく前から知っている。
「ただの夢物語でしょう。私は、そんなものは知らない」
「爺の思い出話ですよ。……私のことなどはよろしい。なるほどお嬢様のお客人となれば、千春殿、皆があなたに奇異の目を向けるでしょう。ときにはやっかみを伴って。身のほどを示すだけのものをお持ちか?」
「働くことしかしてこなかったんだ。あるわけがない」
「しかしここにおいて、あなたは働くことを許されない」
難儀ですなあと口にする三越だが、その口調にはさほど思い悩む様子がない。私が意図を掴みかねていると、彼はおもむろに私の頭を撫ぜた。
目の前に赤色が跳ねる。疎ましい色が。思わず腕を弾いた私に、三越はかかと笑った。
「あなたが、ただ、お嬢様を裏切らぬ者でさえあればよろしい」




