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人飼いの花 1

 散り際の桜は火花と同じ色をしているのだろうか、と、暖炉に火を起こすとき、そんなことを考えている。

 居間の火入れは私の役目だ。くすぶった火種をかき回し、火花を木くずに纏わせる。爪の先ほどの火の芽を、今度は細い木の枝に、それから薪の根元へと移し、炎が揺らめき始める段になって、ようやくひとつ息をつく。

 そうして暖炉に留め置かれた火かき棒を睨みつける――もの覚えの悪かったころは、この鉄の塊によくたれていたものだ。火を入れるのが遅い、火種がひとつ残らず消えた、運ぶ薪の数が少なかった、云々。けちをつけるところがひとつでも見つかれば、熱を帯びた鉄の棒が容赦なく私の体を襲う。目に見える部分の皮膚が焦げ、大小の痣が腕を覆って初めて、私はようやく主人の折檻から解放されるのだ。

 話は幼少期のみに留まらない。邸の仕事をひととおりこなせるようになった後も、なにかと難癖をつけられることに変わりはなかった。やれ気分の悪い時に目の前を横切るな、やれ挨拶の声が小さかった、やれ貴様の赤毛が気に食わん、やれ、やれ、やれ。そんな毎日が、この邸に迎えられた折から七年、一日たりとも欠かさずに続いていた。思えば“血種”の価値ふぜい、ほんの少し高値のついた人形と変わりはない。言うなれば合法的な暴力の矛先だ。

 私たちは人と区別されてきた、否、差別されてきたのだ。ただこの髪に赤が透ける、それだけの理由によって。

「千春」

 知らず気を抜いていた。はい、と応え、遅れて「ご主人様」を付け加える。

 欠片でも礼を失する、それだけで肝が冷えるようなものだった。邸の主人たる男は整ったあごひげを気難しげに震わせたが、どうやらこの日は機嫌がよかったらしい、私に厳しい一瞥をくれるだけで済ませた。

「今日は客人がお越しになる。くれぐれもここに顔を出すことは無いように」

「……? ですが先日は、給仕をしろと仰せつかったはずで」

 口に出してしまってから、しまった、と思う。

 案の定、直後に主人の平手が飛んだ。ぴしゃり。頬に痺れるような痛みが残る。

「私は、今、顔を見せるなと命じたんだ。二度言わせるなよ愚図め。……いいか、何があっても客間には近づくな。裏庭の掃き掃除でも、草むしりでも、すべきことはいくらでもあるだろう」

 はい、ご主人様、と答えてかれを見送った私は、数秒の後に深い溜息をこぼしていた。主人直々の言いつけは執事長のそれより重い。火熾しの後にと言い含められていた仕事は、おかげでなべて後回しとなった。代わりに与えられたのは寒さ厳しい裏庭の雑用。主人は放埓な態度で、しかし狙いすましたかのように、私の身を痛めつけるにふさわしい役目を押しつけるのであった。

 口答えをしたのが悪かったのか、それとも。わずか思いを馳せたものの、考えるだけ無駄というものだった。“血種”が虐げられることに、理由もなければ意味もない。育ての親の死後、私のような愛嬌のない娘に拾い手が見つかったこと、命を繋ぐだけの食事が与えられていることを、せめてもの幸運と見做すべきなのだ。

 ――育て親。

 彼のことを思うたび、自然、私の胸は鉛のように重くなる。

 ただでさえ立場の弱い“血種”の、さらに親のない孤児であった私を養い育てたのは、まわりから爺と呼ばれていたひとりの老人だった。まわりから、というのは言葉どおり、ほかにも数人の子供たちが彼に拾われ育てられていたということだ。

 とはいえ爺もまた“血種”であったことに違いはない。寄る辺がないのは彼も同じことだった。そんな爺が子供を拾い育てるような真似ができたのは、ひとえに彼がこの国――ただしくは、《那》と呼ばれていた頃のこの国の高官を務めていた過去を持つためだ。当時はまだ“血種”が政務官のほとんどを占めており、教育らしい教育を受けられたのも“血種”か、あるいは人のうちでも立場ある一握りに限られていたという。私たち拾われ子たちが人並みの学びを得られたのは、そんな時代に国の手綱を握っていた爺の、いわば昔取った杵柄のおかげであった。

 幾重にも重なった爺の皺に、ことに哀切が滲む瞬間がある。それは彼が帝都イカルガの成り立ちを語り聞かせるときだ。言い換えるなら《那》の国の終わり、すなわち爺が高官から、ただの“血種”になり下がったときの話を始めるときだった。

 よく憶えている。諳んじることも容易だ。耳にたこができそうなほど聞かされたから。

 爺曰く。

 この国を変えたのは、西より来る“すめらぎ”の民であった。

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