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心がバカンスに出掛けています。  作者: きよらんて
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私の経験と他人の経験。

経験って、自分が体験しないと身に付かないと思ってました。

自分だけの財産なんだと思っていました。

でも、違うのかもしれない。


友達といつものメッセージを送ってて、自分が相手に向けた言葉なのに、ブーメランのように自分の元に戻ってきた。


私が壁にぶつかる度に、パパちゃんにどう思うか、どう考えるか意見を聞きます。

私の持ってる答えとパパちゃんの持ってる答えを比べるの。


パパちゃんにアドバイスをもらう前に自分なりに、色々調べる。

落ち始めると調べることに夢中になることに気が付きました。

最近気付いたのが、その落ち込む理由の答えが出る間近にいるんだってこと。

その事柄を真剣に考えるようになったんだってこと。


今までは不安解消の為だと思ってたけど、どうやら違うらしい。

次の自分になるための知性の試験らしい。

その試験にクリアした時、すっと自分に溶け込む感覚がする。

まさに知識を身に付けた、自分の物にした瞬間。

わからなかった問題がわかった瞬間と言えば分かるかな?

『あっ!そっか~!』と電球がピカリ‼の瞬間。

今まであった胸の蟠りや重しが無くなった感覚。

あれを体験するのが、試験をクリアした時なんだと気が付いたのでした。


その試験が私にとってパパちゃんとのセッションなのです。


今までは行動して、悩んで、壁にぶつかって、調べて、パパちゃんにアドバイスを貰って、再び行動する。この一連の動作は一人でしてるんだと思ってました。

行動するのも一人。

悩むのも一人。

壁にぶつかるのも一人。

調べるのも一人。

全部、自分の為だけの行動だと思ってました。

私が次のステージに立つために、パパちゃんと言う本棚を使ってるんだと思ってた。


でもね、違うの。

私の行動はパパちゃんの行動でもあり、子供たちの行動であって、私の友達やこれから出会う人たちの行動でもある。

私の悩みはパパちゃんの悩みであり、子供たちの悩み、友達やこれから出会う人たちの悩み。

私のぶつかった壁も、私がパパちゃんから学んだことも、そして次の行動すらも、私と私以外の人たちの為に、私が今経験しているんだと分かりました。


人の経験を聞くことは、その人の歴史を学ぶこと。

その人の経験を知識として、自分の身に付けること。

その人と全く同じ経験や思いは出来ないけれど、一つの要素のように身に染み込ませることは出来る。

これは追体験の一つだと思います。


人の経験も自分の一部にするには、当事者に成りきる必要があります。

よく言うのが『この状況、◯◯さんだったらどうするか』って言葉。

◯◯さんに成りきることで、自分の考え以外のものを引き出そうとする行動だと言えると思います。


他の人の考え方や感じかたを引き出すには、その人の感覚になる必要があります。

そのためにその人とたくさん会話をし、その人の経験を聞かなければ、その人に成りきることは出来ないのだと思うのです。


私が行動し、壁にぶつかり、調べて、パパちゃんの意見を聞くとき、ぱぱちゃんに本音を話します。


『お金って何なんだろう?』

『お金ってなんだと思う?』

『お金ってただの道具にすぎない。なのに人はその道具に振り回されてる。お金がなくても、あっても、お金に拘って縛られてる人達が多い。だからお金って何なんだろうって思った。』

『お金の価値はその時、その時によって変わる。人によっても変わる。時代によっても変わる。』


こんな風に静かに始まって、私の根底にあった縛られた私の気持ちを明確化して、その気持ちや変えたいマインドやありたい自分の姿を、共有することが、私がパパちゃんにアドバイスを求める理由なんだと知りました。

そして同時にパパちゃんの経験にもなるだと知りました。


私の友達とは私の考え方と友達の考え方とを共有することで、新しい知識を得ています。

そしてより自分らしい生き方をするために、お互いの考え方や感じかたを身に付けることで、お互いに新たなステージに立つための階段にしあってるんだと思いました。


これって利用してる。と思われがちですが、全く違います。

自分のステージは自分の物でしかなく、自分の経験や考え方、知識だけでは、自分の次のステージには行けないのです。

人と交わり、人の意見を聞き、その意見を考え、自分の考え方と比較して、混ぜ合わすことで、階段になって次のステージに進むことが可能になるのです。


いわば人は磨き石。

自分と言うダイヤの原石を、人と言う磨き石と一緒に入れて、摩擦させてることで輝くダイヤにしていく。

人間関係とは自分を研磨させる一つに過ぎないのだと思います。


磨き石には小さく研磨する思いやりのある人や自分の感覚に近い人もいれば、大きく研磨する嫌いな人や苦手な人、意地悪な人や悪意のある人などがいる。

そんなたくさんの種類のある研磨石で研磨することが、生まれた宿命なのかもしれません。


私がダイヤの原石であるように、友達にとって私は友達のための磨き石なのです。

パパちゃんを磨くための磨き石でもありますし、今この小説を読んで下さってるあなたの磨き石でもあります。


私の言葉が刺さる人は私と言う研磨石でゴシゴシ自分を磨いて、自分の中の認めたくない何かを直面しているのかもしれません。

私の言葉で安らぐ人は私と言う研磨石で、削りすぎて尖り過ぎてる部分を優しく、丸くしているのかもしれません。

私の言葉で答え合わせをしている人は私と言う研磨石で、輝く石にするための作業をしているのかもしれません。


自分の前に現れている人は何かしらの意味を持って現れているのだと思います。

何かを経験するために現れているのだと思います。

次のステージに立つための階段になるために現れ、そして同時に自分自身もその人の階段になるために存在している。


そう思うとイヤなアイツが少しは『仕方ないな……。』と思えるかもしれませんね。

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