常識の『枠』を越える。
まだまだ未熟だ!と思いながら『正直』に生きる練習をしています。
『嫌なものは嫌』『ほしいものは欲しい』『好きなものは好き』
簡単なようで難しい。
難しい理由は何でしょう?
答えは『常識』に縛られているから。
『常識』ってたくさんある。
交通ルールから、法律、家庭のルールに学校の校則、自分が決めたルール、マナーや礼儀作法もそうかも……。
この『常識』の上で生活すれば、するほど『素直』になることから遠ざかる。
なぜ『常識』から遠ざけられないんだろう。
それって『みんな』が『当たり前』と思ってるからかもしれない。
『常識』からはみ出ることで、バカにされたり、嫌われたりするかもしれない。と怯えているからではないだろうか?
『女の子』だから髪を長くしなさい。
『女の子』だから、勉強するより愛されるように努力しなさい。
『男の子』だから、逞しくあれ。
『男の子』だから、車など機械が好きなものだ。
ばっかばかしい!!
『常識』って誰のために作られたのだろうか。
そもそもルールやマナーは、人間関係を円滑にするために作られたもののはずなのに、いつの頃からか変な方向に進んでいると思う。
『こうしなければいけない』
何故ならば、それは『常識』だからだ。
『こうあるべきだ 』
何故ならば、そういう慣習だからだ。
『ここはこう答えるのが当たり前だろ』
何故ならば、みんなそうしているから。
何の意味があるのだろうか?
ここまでくれば『常識』を振りかざしてる、誰かが利益を得るからなのか?と思ってしまう。
子どもは純粋で、素直だ。
大きくなるにつれて、親から言われる。
『◯◯したらダメ』
『◯◯しなさい。』
『◯◯ちゃんも、こうしてる』
これって、子どものためって言いながら、実は親のためだ。
親が楽できるように、親が恥をかかないように、親が褒められるように。
社会に生きるならば、『常識』を知る必要はある。
でもそれに乗っかるだけはどうかと思う。
その『常識』から外れるとどうなるか、考えてみたことある?
交通ルールを例にあげるとこんなかんじ。
『横断歩道は青になってから、渡りましょう』
みんな当たり前のように、信号は青になったら渡るもの。
赤は止まって、信号が変わるまで待つもの。
って、思ってる。
何で『赤信号』じゃ渡らない?
車に轢かれるかもしれないからだよね。
車が来てなければ、渡る?
渡るかもしれない。
大勢の人が赤信号で止まってたら、自分だけ渡る勇気がある?
誰かが渡ってるのみたら、自分も渡る?
『赤信号』で渡るのも自分の意志、みんなが渡ってたから自分も渡るのも自分の意思。
釣られて渡るときも、自己決定ちゃんとしてる?
逆に『赤信号』で待ってるとき、車道の状況確認してる?
『青信号』で渡るときも、車道の状況確認してる?
私はいつも確認してる。
子供たちにも『油断するな』と言ってます。
『青信号』だから安全って、何で言えるの?って私思ってます。
車は交通ルール守るものって、『常識』に縛られていると危険を回避するスピードが遅くなります。
私は自分が信じるものしか、信じない。
私が認めたものしか、認めない。
世の中にはありとあらゆるルールやマナー、常識が存在します。
色んな人の色んな考えが存在します。
それ事態は、認めます。
赤信号でも横断歩道に突っ込む車が存在することは、認めます。
しかし、そんな事をする人を認めません。
他人に被害を与えても平気な人が存在することを認めます。
しかし、そんな事をする人をを私は認めたくありません。
仲良くしたくもありません。
悪事を働くことがカッコいいと思っている人が存在することは、認めます。
しかし、そんな事をする人を私はカッコいいとは思いません。
物事事態は認めますが、その人自身を認めるかどうかは話は別です。
私は個性的です。
奇抜な髪型をしています。
世の中の女性が艶々で、フワフワ、サラサラの髪型をしていて、それが流行りだろうと、選択しません。
それより頭部の半分以上を刈り上げてる、この髪型がお気に入りです。
100%、世に言う『モテ髪』ではないです。(笑)
メイクも『愛されメイク』なんて、しない。
それよりキツメのラインと、派手めのメイクしてるほうが楽しい。
ガーリーなAラインのスカートを穿くより、タイトなパンツとスニーカーが好き。
流行りとか、モテるための常識とか興味がないんです。
モテるより、バカなことを思いっきり楽しみたい。
口説かれるより、美味しいコーヒーを出してくれるカフェで、一人で本でも読んでおきたい。
興味のない人に評価されるより、尊敬する人の今取り組んでいることを聞きたい。
私は私の興味があること以外、興味がない。
今自分がしていることは、どこから来ているのか考えてみて欲しい。
みんなしてるから、流行りだから、常識だから、その先を考えてみて欲しい。
みんなしてることをしなかったら?
流行りに乗らなかったら?
常識から外れてみたら?
どうなりますか?
どう思いますか?
どう感じますか?
恥ずかしい?
不安?
一人だと感じる?
バカにされるかも、と思う?
そんな感情が沸き起こるとするならば、『常識』の枠の中にいる証拠。
その枠の中にいる限り、『素直』になることは難しいです。
自分の望むままに行動することは、苦痛に感じると思います。
みんなと同じじゃないと、不安になると思います。
『常識』に縛られるのは楽です。
みんな同じだから、絶対的な安心感があります。
間違えることも少ないでしょう。
責任も取らなくていいでしょうし、『みんなやってるし』って言い訳も使える。
多勢に無勢はつよいです。
民意も強いです。
しかし多勢でしかない。
その他大勢でしかない。
既製品でしかない。
私は嫌です。
自分で決めれないなんて。
考えれないなんて。
責任が取れないなんて。
覚悟を決めれないなんて。
つまらない。
私はきっと『常識人』です。
交通ルールも守るし、優先座席には座らない、法律も守るし、順番も守る、財布を拾ったら届けるし、困っている人がいたら迷わず助ける。
約束の30分前には到着するし、遅くなるときは分かった時点で連絡する、何かの仕事などは報連相をしっかり取る、分からないことを早めに手を打つ、最後まで責任をもって取り組める。
そして何より、真面目だ。
それでも『常識』の枠の外にいる。
『常識に囚われない』と言われるし、ワガママ、傲慢とも言われる。
同じくらい優しい、親切、気配りが出来るとも言われる。
『素直』になるとは、言いなりになることではない。
自分の心に『正直』になることだ。
『常識』を知り、どうするのか自分で決めることが大切。
『常識』の中で行動するもよし、はみ出すもよし。
選んだ自分に責任と覚悟、それと誇りと自信を持てばいいだけ。
小さな一歩からコツコツ繰り返すことで、着実に前に進んでいける。




