夕闇迫る
「君、この光る松の意味わかるの? 私にはさっぱりだよ」
松が光るなんて、歴史の年表に載るほど大事なことなのかな?
あぁでも、松が光って私はここに来たんだから、結構おおごとなのかもしれない。
「意味がわかるも何も……いや、今はよそう。もうじき日が暮れる。おい。お前、家はどこだ?」
彼は夕焼け空を眺めてそう言うけれど、私はどう答えたら良いのだろうか。
帰る家ならある。あるけれど。
「帰り方がわかんない……」
「は?」
「だから家はあるけど、帰り方がわかんないの!」
半ばヤケになって怒鳴っていった。
さっき本の年表を見て、ありえないことが現実に起こっているのがわかってしまった。
この世界は過去なんだ。
しかもびっくりすることに、私が生まれるもっともっとずっと前の時代。
十二単や、鳴くよウグイス、紫式部に、春はあけぼのの……平安時代。
時代が違うんだ。タイムマシンもないのに家に帰れるわけ、ないじゃない。
ここには私のことを知っている人なんて誰もいないし、目の前にいるのも傲岸不遜で感じが悪い男の子一人だけ。
それに、平安時代に興味なんて一切なかったし、通知表での社会の評価は大抵2。
1にならないのは、毎日出席しているから、ただそれだけだ。
歴史のことは相当有名なことじゃない限り、ほとんど何も分からない。
平安時代のことなんて先生が話していた『和歌をラブレター代わりに送っていた』っていう、どうでもいいプチ情報しか頭に入ってないよ。
知らない時代の知らない土地に、一人ぼっち。
孤独であることがわかると、寂しくて怖くてとても悲しくて、息が苦しい。
「いくらなんでも平安時代はひどいよぉ、私が歴史嫌いなの知ってるでしょぉぉぉ! ふぇぇぇぇん」
不安と共に涙がこみ上げてきた私は空を仰いで、駄々をこねる子どものようにわんわんと泣き喚いていった。
「おい、泣くな。帰り方がわからないって、お前……狐や狸にでも化かされたのか? さっきから言ってることが滅茶苦茶だぞ」
男の子は途端に慌てだし、私の顔を覗き込んできて。
「たぬきなのか、きつねなのか、なんてどうでもいい! 誰でもいいから早くお家に帰してよ……」
しゃくりあげながら、私はその場にしゃがみ込み、声を上げて泣きつづけていった。
風の音しかしない静かなこの世界で、私の声だけがうるさく響いて消えていく。
音も消え、太陽の光が薄れるごとに徐々に深くなる夕闇がこのまま自分を取り込んでしまうのではないか。
ふとそんな思いにかられた私は、不安から逃れようとぎゅっと強く膝を抱えていったのだった。
――・――・――・――・――
「うぇぇ、ひっく」
ずいぶんと長い間、泣いていたような気がする。
気が付いたら、辺りはもう真っ暗な闇に包まれていた。
思う存分泣いたら案外冷静になるものだ、とは聞いていたけれど、本当にそうだ。
ふと、冷静になってようやく、この状況が最悪だということに気づいてしまった。
どうしよう、一人になっちゃった。
さっきまではまだよかったのに……今はもう本当にどん底の状態だ。
口は悪いけどカズキ二号という話せる人もいたのに、泣き喚く私に呆れて帰ってしまった。
誰も知らない、こんなよくわからない時代で、これから私は一体どうしたらいいんだろう。
絶望に打ちひしがれ、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。
目の前に広がるのは闇。
うっすら月明かりはあるものの、薄暗いせいで遠くの方は何も見えない。
まるで今の自分の状況みたいだ。
お先は真っ暗。
どうしようもなくなって、また涙がこみ上げてくる。
知らない時代で一人ぼっちで、しかも人気のない神社で夜を明かすしかないなんて。怖すぎる。そんなの嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ。
どうしよう。また、涙が出てきた。
「おい、まさかまた泣く気なのか?」
「え……?」
右隣から声が聞こえ、振り向いた。
雲が隠していた大きな満月が、風によって姿を現し、白く強い光を放つ。
闇が隠していた隣にいる人の姿を朧に映し出していく。
きらきらと光る亜麻色の髪に青緑色がかった澄んだ瞳……真横に腰を下ろしていたのはさっきの和服を着た男の子だった。
「よくもまぁ、飽きもせずそんなに泣けるもんだな」
呆れ笑い、とでも言うんだろうか。
呆れ半分、おかしさ半分って感じだ。
どうして君がここに……?
さっきまではいちいちむかっとしてしまった憎まれ口なんてもう、どうでもよかった。
とにかくほっとして、嬉しくて、もう大丈夫だって思えて、興奮した私は気づいたら大声を上げていた。
「カズキ二号っ!!」
「はぁ!? カズキ二号?」
しまった。つい心の声が出ちゃったよ。
カズキ二号呼ばわりされた男の子は眉を寄せて、不服そうに私のことを見ていた。
このままじゃまずいと思った私は、慌てて弁解をはじめていく。
「あっ、ごめん。だって名前わかんなかったから。えっとね、私は奈都、君は?」
「……俺は碧だ」
また口をへの字に曲げて、いかにも不機嫌といった様子で彼は答えていった。
この時代なのに、なんとか郎とか、なになに助とかじゃないんだ。
ちょっと意外。
だけど。
「いい名前だね! 瞳に青緑色が混じってるし、すごくぴったりの名前だよ。碧は、あれからずっと隣にいてくれたの?」
目を丸くした碧は、すぐ私の方から顔を逸らしていった。
「……フン。ほったらかして、山賊に捕まっていたりしたら夢見が悪いだろ」
またそうやってそっけなく言うけど、碧は思っていたほど嫌な奴じゃないのかもしれない。
日が落ちて暗くなっても見知らぬ私の隣にいてくれたし、もしかしたら私が泣きやむまで待ってくれていたのかもしれない。
それに、さっき私が名前を褒めた時にちらりと見えた、うつむいた碧の顔がすごく優しくて柔らかい……本当に綺麗な笑顔。
その姿を見てしまうと、目の前の人が嫌な人だとか悪人だとかにはとても思えなかったんだ。