猫と祭りと
人懐っこく近寄ってくる猫の首をそっと撫でてやる。
野良猫はごろごろと喉を鳴らし気持ち良さそうに金色の目を細めていった。
「猫、か……おまえが碧だったら良かったのに」
そうは言ったものの、この猫に気持ちを救われている自分がいる。
とめどなく流れていた涙も、いつの間にやらおさまった。
癒しを求めるように、ただひたすらに私は猫を撫でまわしていく。
そんな猫もどこからかやって来る人の足音が聞こえた途端、耳をたてて警戒し、無情にも風のように去っていってしまい……
私に残されたのはまた、空っぽの手だけ。
「はぁ……」
深いため息をつきながら、やるせない思いになる。
現実から目をそらすように、逃げていく猫と反対側……花火の打ちあがっている方に顔を上げるとそこには、どこからあらわれたのか、おかしな人が立っていた。
神社で働く宮司さんが着るような和服をまとった、すらっとしている男の人。
どんな顔をしているのかはわからない。男の人とわかったのは背格好からだ。
「あっ、ええと、神社の人……ってことはここ、天神祭で使います?」
おどおどと動揺しながら、こう尋ねていった。
人見知りは滅多にすることがない私。
だけど、目の前の人だけは違っていた。
とにかく得体が知れなかったのだ。
人気のない場所に、こうやっていること自体少し不自然なのに、それだけではなく目の前に立つこの人は、妙なお面をかぶっていた。
しかも、よくあるプラスチックのお面ではなく、和紙で出来た猫のお面。
和風のお面は趣はあるかもしれないけれど、可愛いとはいえないし、むしろ不気味なようにも思える。
何て言うか、これじゃまるで妖怪……みたいだ。
猫のお面をつけた妙な男の人は、何も言わずに私のほうに少しずつ近寄ってきて。
不審に思った私はじりじりと後ずさりをし、再び声をかけていった。
「あの、もし邪魔だったらどきます」
「まったく……にぶいのは相変わらずなんだな」
答えになっていない言葉を言い放ち、彼は猫のお面に手をかけていく。
ゆっくりと外されるお面。
完全に取り去られた瞬間、思わず目も心も奪われた。
はっ、と一瞬息がとまる。
息どころか、時の流れまでもが止まったようにすら感じた。
お面の下にあったのは、見覚えのある顔。
あの頃からは少し大人びて、ずいぶん背も伸びてしまっていたけれど、この人は確かに……私がずっと会いたいと待ち望んだ人。
碧緑がまじった澄んだ瞳、あの時よりも短い亜麻色の髪。
整った顔立ちに、特徴のあるその笑顔。
どう見ても、何度見ても、目の前の人は――
「な、ななな……どうして、どうして」
気持ちばかりがあふれてしまい、何一つ言葉になっていかない。
「何でここに!? 碧、君は本当に碧なの……」
ようやくまともに話した言葉に彼は笑う。
「ああ、俺だよ。今度は幽霊でも化猫でもないぞ」
化猫なんていう言葉、本物の碧じゃなきゃ出てくるはずなんてない。
混乱を極めている私に、碧は優しく声をかけてくれる。
「お前に会う、そのために俺は千年の時を越えたんだ」
「な、んで?」
わけがわからなかった。
あんなにいろいろ試してみてもダメで、何回泣いても、何回嘆いても変わらなくて、諦めかけたその瞬間に貴方はこうやって目の前に現れた。
こんな大逆転、ありなの!?
「あの時お前の手を自ら離したこと、ずっと後悔してた。未来に生きるお前の幸せを願いながらも、会えないことが苦しくて仕方なかったんだ」
成長した碧は視線を落とし、外したお面をぼんやりと見つめて、話を続けていく。
「霊光の松の噂が京へと届いて、役目を終えた俺が消え行くときも、奈都にもう一度会いたい……その想いしか残らなかった」
顔を上げてきまりが悪そうに笑う。
「想いと妖力が強すぎたんだろうな。こうやって千年の時を越えて、今の時代に再び生まれついたんだ」
「何で、私に会いたいだなんて」
時を越えるなんて、簡単に話しているけれど、そんな簡単なことじゃないはずだ。
困惑した私は彼にそう尋ねていった。
「ここまで話したのに、ちゃんと言わなきゃわからない?」
じっと碧に見つめられ、私は少しばかり怯んでいく。
だって、碧が何を言いたいのか、私にはさっぱりわからなかったのだ。
「まぁいいか。ようやく奈都に伝えられるんだから」
以前と変わらず、くすくすと私のことを小馬鹿にするように笑っていく。
そんな様子に『昔みたいに怒ってやろうか』そう思ったけれど、突然その作戦は阻まれた。
あまりにも真っすぐな瞳で、真剣な表情で私を見つめてくるものだから。
そして、碧の口から放たれた言葉。
それは――




