天神祭へ
「なっちゃん、やっぱりここにいた!」
誰かが私を呼ぶ声に視線を向けると、遠くの方にユカリ姉ちゃんがニコニコと微笑んでいるのが見えた。
優しくて明るい、私の大好きなお姉さん。
栗色の長いふわふわ髪も、ちょっと抜けたその性格も、全てが親しみやすくて、私は小さいころからずっと姉ちゃんに一番懐いていた。
「あんたやっぱり、ここが好きなんやなぁ」
そう言って姉ちゃんは、木造の大きな社と、小さな社を見回しながら私の方に向かって来る。
「ここは、特別だからね」
青く広がる空を見上げて、呟くようにそう言った。
「どう特別なん?」
不思議そうな顔で尋ねるユカリ姉ちゃんに向かい、にこりと微笑んでいく。
「私を変えてくれた、すっごく大事な場所なんだ」
同じように姉ちゃんも微笑んでいくけれど、すぐさま何故だか慌てる様子を見せ始めていった。
「そっか……って、あ! 急いで帰らんと、着付け出来んってオカンに怒られる! なっちゃん、はよ行くよ!」
ユカリ姉ちゃんは、私の手を強く引きながら急ぎ、家の方に向かっていくのだった。
――・――・――・――
「うん! 可愛い」
私の長い髪を、姉ちゃんはまとめ上げてこう言った。
ユカリ姉ちゃんのお母さんの着付けが終わり、たった今ユカリ姉ちゃんのヘアアレンジが完了したところだ。
鏡の中の浴衣を着た自分は、普段の見慣れた自分とは違い、何だか不思議と輝いて見える。
「ここまで来たら、化粧もしよ! な!」
嬉しそうな顔で鏡を見ていたのがバレてしまったのだろうか。
姉ちゃんはさらにやる気を出してしまったようだ。
化粧箱をがさがさとあさりだして、ファンデーションやチーク、名前もわからない化粧道具をぽんぽんと取り出していく。
「そんなの恥ずかしいし、いいよ」
口をとがらせてそう言った。
高校は化粧も禁止の学校だったし、普段も化粧なんて一切したことがなかったせいか、少し恥ずかしい気持ちになったのだ。
「そんなんじゃ、あかん! 素敵な相方ゲットするんやろ!?」
むぎゅうと私の頬をつかみ、強引に引き寄せて勝手に化粧を始めていく。
私が誰かに振られてしまったと勘違いしている姉ちゃんは、本気で今日私の彼氏探しをするつもりのようだ。
しかも、これから始まる天神祭で……
天神祭、それは元々碧の恩人であり後に神様となった人、菅原道真のお祭り。
無くした本も見つからず、平安時代に飛ぶ策も全て尽きた私。
ユカリ姉ちゃんの結婚で、大阪に通えるのも今年で最後になってしまう。
碧に少しでも縁のあるこのお祭りが、平安時代に行く最後のチャンスになるような……そんな気がした。
――・――・――・――
昨日から開催している天神祭。
朝早くからはじまり、夜になっても天神祭は続いている。
今日は天神祭二日目。
徐々に日も落ちていくにつれ、だんだんと人が天満橋付近に集まり、賑わいを見せていく。
大川では水上パレードが行われ、あちこちでだんじり囃子が響き渡っている。
本当は、ユカリ姉ちゃんと二人で奉納花火を見に来たのだけれど、すでに私は姉ちゃんと別れて一人で行動していた。
夜のこの川を見ると、ホタルを碧と二人で見た思い出を思い返してしまい、辛くて苦しくて仕方がなくて。
そのくせ、まだここから離れたくない私は『人ごみに疲れた』と姉ちゃんに嘘をついてまで、こうやって静かな場所を探し、河川敷を一人漂った。
辺りの闇もだんだんと深くなり、人の声も遠ざかっていく。
川を見ながらぼんやりと過ごし、ふと時計を見ると十九時半前……もうすぐ花火が上がる時間だ。
遠くの川岸には人がこれでもかと詰め掛け、今か今かとその時を待ちわびている。
そんななか私は、祭を楽しむ騒がしい声を遠くに聞き、人気のないこの場所で夜空をひとり見上げていった。
花火開始のアナウンスらしきものが聞こえ、騒がしい声がしんと静かになっていく。
――あぁ、花火が始まる。
もったいつけるような静寂をかき消し、打ち上げの火薬の音が響き渡っていく。
すぐさま真っ暗な夜の空を割りながら一すじの光が昇り、そして……弾けた。
少し音のずれた爆音と共に、青緑色をした大輪の花が咲いて、ぱちぱちと音を立てて消える。
華やかに花開く姿はほんの一瞬で、留まることなく儚く散って消えていく。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
その色が、その様が、会えなくなったあの人に重なった。
視線を落とすと、ゆらめく川に映る儚く美しいその灯が、滲んで見える。
碧は本当に存在していたのかな?
長い時間を越えたせいか、そこすらあやふやになってしまうけれど、もうそんなことを考えたって仕方ない。
私は最後のチャンスを掴み損ねてしまったんだ。
あの時と同じように空っぽの手のひらを見つめていく。
碧にはもう二度と……逢えないんだね。
ねぇ、どうしたらいいの?
この寂しさからくる苦しみを抑えるには。
ぽっかりあいた胸の穴を埋めるには。
誰か教えて。
碧を愛しいと、会いたいと思う、この気持ちの消し方を。
お願いだから、教えてよ……
花火が弾ける音がするたびに、抑えてきた気持ちがあふれだしていき、涙が止まらなくなる。
これ以上涙をこぼさぬようにと、私はその場にしゃがみこみ、静かに目を閉じていく。
たくさんの懐かしい日々を思い返し、ゆっくりとまぶたをあけていくと、ふと何者かの気配を感じた。
「誰?」
そう問うても返事はなく、がさりと草のすれる音しかしない。
ひょっこりと草木の影から現れていったのは、一匹の猫だった。




