天暦参年
――おい、起きろ。
ん……誰?
――お前、死にたいのか?
何言ってるの、この人。死にたいわけないよ。
だって、私にはこれから素敵な未来が待ってるはずなんだもん。って、さっきからぺちぺち鳴る音がうるさい。
それに、なんだかほっぺが……
「もう! 痛いから叩かないでよっ!!」
「痛っ!」「痛ぇ!」
飛び起きると同時に何者かの頭に私の頭がぶつかって、ごつんという鈍い音が響き渡った。
ぶつかった頭と、さっきまで叩かれていた頬の痛みを和らげようと必死に手でさすっていった。
目から星が飛び出るっていうのを、初めて経験したような気がする。
「この石頭め……頭突きとは恩人に対して、ずいぶんな態度をとるんだな」
刺々しいけれど少し色気があるような、そんな若い男の人の声がする。
「恩人?」
石頭という言葉は気になるけれど、華麗にスルーをきめて顔を上げ……驚いた。
高い位置にくくった薄い色素の長い髪に、緑がかった茶色の瞳。色白で滑らかな肌も、すっと通った鼻すじも、それはそれは絵のように綺麗で……
たぶん歳は私とそう変わらない。
それなのにこんなに外見に差がつくなんて、神様はなんて不公平なんだ。
そんな綺麗な男の子をじっと見ていると、彼のへの字に曲がった口元がさらに鋭い角度になっていき、私への視線が呆れたものになっていった。
「この黄昏を見ても、恩人の意味がわからんとは……お前は阿呆か」
むっ、何かこの人感じ悪いな。
昨日国語の長文で出てきた『傲岸不遜』ってやつだ。
私の嫌いなクラスメイト、カズキみたいな熟語と思って覚えてたけど、まさかこんなところに傲岸不遜カズキ二号がいたとは!
ちなみに意味は、思いあがってて上から目線!
「恩人の意味ぐらいわかるよ! 助けてくれた人ってことでしょ!? さすがにそんなに馬鹿じゃないもん」
むかっとして強く言い返すけれど、男の子から返ってきたのはとてつもなく深くて大きいため息だった。
「お前、どこまで阿呆なんだ。俺が言いたいのは、起こされずこのまま眠っていたらここは夜の闇に包まれるということ。お前は、もののけや鬼に魅入られたり、山賊に売られたりしても良かったのか?」
もののけ? 鬼? 山賊?
ずいぶんおかしなこと言う人だな。
冗談にしたってセンスが悪すぎる。
「もののけって、そんなバカな。霊感ない人がお化けに会うなんて、そうそうないでしょ。それに山賊だって、とっくのとうに絶滅してるし。君さ、どうせ言うんなら、もっと楽しい冗談にしなよ」
「は……?」
私の言葉に、男の子は呆気にとられたように目を見開いていった。
「お前、よくここまで死ななかったな。それに、そのおかしな着物といい、童女のような髪型といい、本当に奇怪きわまりない。もしや! まさかとは思うが……お前はもののけなのか?」
「なっ……!」
何この人、めっちゃ失礼!
なんで私がもののけ扱いされなきゃならないの?
それにさ、童女ってたぶん、小さい女の子ってことだよね。
美容院で切ってもらったばっかりのボブをどうして、ちびっこの髪型呼ばわりされなきゃなのさ!
「もうっ、おかしいのはそっちの方だよ! ワンピースなんて皆着てるじゃん! むしろ君みたいな服着てる人の方が変。男なのに髪だって、私より長いしさ。それじゃまるで、ドラマでやってた牛若丸だもん」
「は? わんぴぃす? それに……水干を知らぬだと。お前、いったいどこからやって来たんだ?」
ワンピースを知らないなんて、ますます変だ。
『すいかん』っていう服の名前だって、聞いたことすらないよ。
もしかして、男の子の間では和のテイストが今年の流行りなの……?
頭の中が大混乱になっている状態で『とりあえず答えられる部分だけでもちゃんと答えよう』そう思った私は、呟くようにこう話す。
「どこから来たって……大阪の姉ちゃんち、からだよ。」
「おおさか? そんな所は知らん。京からどれくらいかかるんだ?」
大阪を知らないなんて、これはどう考えても変だ。
都道府県を未だに全部言えない私でさえ、大阪の名前は絶対にあげられる。
それに、京……なんかその呼び方、どこかで聞いたことがあるような。
たとえば『これより京へ向かう』とか、『京の都は美しく』とかそんな感じのセリフ。
あ。そっか、セリフだ。
時代劇で出てくるセリフだよ、これ!
目の前の、牛若丸風の和服の男の子をじっと見やる。
もしかして、この格好は最近の奇抜なファッションでも、コスプレでもないんじゃ……
えぇえ、ウソでしょ?
慌てて周りを見回してみると、見覚えがある風景は大将軍社だけで、それ以外は綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
いつもお参りをした大きな天満宮もなくなっているし、車の音だって一切しない。
大将軍社の後ろにあった住宅街でさえ、鬱蒼とした林になっている。
一体どういうことなの?
こうやって悶々と考えている間にも夕闇は迫り、視界は狭まっていくのに、ライトが付く気配だってない。
この物騒なご時世なのに、明かりさえないなんて、やっぱり変だ。
いろいろ考えてみて、一つの仮説にたどり着いたけれど、そんなこと起こるわけがない。
そう思う一方で、そうとしか考えられなくなった私は、目の前の男の子に質問をしてそれを確かめようとしていった。
「ねぇねぇ……今、何年?」
「何年って、天暦三年だ。それがどうした?」
てんりゃく、なんて聞いたことないし、もっとわかりやすい……西暦? だっけ、で言ってほしかった。
そう思いながら、図書館で借りた本を取り出し、索引ページを指で追う。
「おい、なんだそれは?」
「ちょっと黙ってて、今探してるんだから。てんりゃく、てんりゃく……あった、これだ!」
天暦の文字を見つけたことに喜んだけれど、すぐに気づいてハッとする。
ここに書かれてるってことは……悪い予感が当たっちゃったんだ。
やっぱりここは――
黙れと言われて不機嫌そうにため息をつく男の子を横目に、私はページを開いて、年表に書かれた文字を読んでいく。
「えぇと。天暦三年、大将軍社の前に突然七本の松が生え、毎晩霊光を放った」
……まるで意味わからん。
松が光るって、クリスマスツリーか。
あ、違う。クリスマスツリーはもみの木だわ。
そう心の中でくだらない一人ボケ突っ込みをして、心を落ち着かせようとする。
とにかく、本の内容だけじゃ何が何やらさっぱりだ。
苛立っている男の子に聞くのはなんだかちょっと気が引けるけど仕方ない。
「ごめんね、やっぱり天暦っていう年について詳しく……」
『教えて』と続けようとしたけれど、男の子は私の言葉を大きな声で遮っていく。
その言葉はずいぶんと予想外な内容だった。
「霊光を放つ松だと! 何故、お前がそれを知っている!?」