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夏鶯の空~千年を越える夢~  作者: 星影さき
第十二章 初恋
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願い―後編―

「何で、どうしてこんなことしたの……!?」

 全身にかかる過剰な重力に耐えながら、碧を睨みつけて必死に口を開く。


「この書物を読んだ時から、薄々感じてはいたんだ。霊光の松以降の空白は、俺が事前に知る必要のない未来……つまり、本の持ち主の不在を示しているのではないか、と」


 表情もないまま、碧は淡々と語る。

 私の知っている碧とはまるで別人のように感じた。


 さっきまではあんなに近くに感じていたのに、今はこんなにも遠い。



「奈都、お前ずっと、未来と今、どちらの世界で生きるのか悩み揺らいでいただろう。だが、いずれ決断しなければいけない日は来る。いつまでもこの世界にいたら、お前が余計に帰りがたくなるのは目に見えていたし、俺が帰れと言ったってお前は聞かないだろう? だから、こうしたんだ」



「誰も帰してなんか頼んでないでしょ! 碧の馬鹿!! こんなの勝手すぎるよ……」

 目尻に雫が浮かび、景色がぼんやりと滲んでいく。

 苦しくて、胸が痛くて、嘘のような現実を受け止めなければならないことがたまらなく辛い。



「そうだな、奈都の言うように俺は日本一の大馬鹿者だよ。でも、そんな俺にも守りたいものや譲れない望みはある」


「お願いだから、早く本を閉じて!」

 必死に問いかけてみても、碧はそこから一歩も動こうとしない。


 私のことを見つめて、碧は優しく哀しげに笑う。

 初めて見る碧の哀しい笑顔は、私の胸を鋭くえぐっていく。 



「なぁ奈都。真っ白な紙に書かれた文字は俺には読めなかったけど、きっと続きはこうつむがれていくんじゃないかと思うんだ」


「嫌だ、嫌だよ、そんなの聞きたくなんかない!」


「未来からやってきた泣き虫の娘は、過去の時代で得た思い出を胸に、大切な人たちの待つ未来で、いつまでも幸せに暮らしたのだ、と」



 その言葉に涙があふれて止まらなくなる。

 大粒の雫が次から次へとほほを伝い、ぽたぽたと音をたて、乾いた地面に落下していった。


 何で、どうして貴方には伝わらない?

 こんなにも大切で、こんなにも貴方のそばにいたいと願っているのに。

 ねぇ、もう会えないの……?

 こんなお別れなんて、あんまりだよ。


「奈都、お前は未来の人間で、過去の世に縛られるべきではない。父や母、友人、多くの者がお前の帰りを待っているんだ。お前は、平和で豊かな未来の国で夢を叶え、人を愛し、いつかは子を生んで親になる。奈都の幸せはここじゃなく、未来にある」



「嫌だ! 碧と一緒にいたい。碧がいないのに、幸せな未来なんて考えられないの! 未来に帰れなくなってもいい」


 私が何と答えても、目をそらすことなく私を見つめてくる碧。

 その澄んだ瞳には迷いなんてないように見え、言葉も態度も揺らぐことはない。

 私たちの会話はどこまでも平行線をたどっていく。


「碧が隣にいてくれるなら、全部向こうに置いてでも私はここにいる! 仕事だって料理だってちゃんとやるし、わがままだって言わない。苦手な勉強だって頑張るよ。だから……だからお願い、早くその本を閉じてよ……」

 すがりつくように声をあげていった。

 勢いで出た言葉なんかじゃない。本気でこう思っていた。  

 全てを失くしても碧と一緒に生きていきたい、と。



「ごめん、それだけは聞けないよ。こんなけがれてすさんだ時代なんかより、優しくて無垢なお前には平和な時代が良く似合うと考えなくてもわかる。お前が安全に、いつまでも笑顔でいられるのが俺の一番の望みなんだ。だから奈都、未来の世で幸せになれ、他の誰よりも一番幸せに。ああ……これで、さよならだ」


 碧の言葉に、私は自分の体を見渡していく。

 足元から順に、私の体は輝く光の粒子になって消えていっていることに気づき、消えないように感覚を確かめるように、体を必死になって動かそうとしていった。


 このままでは、私の体は現代へと飛ばされ、この世界にいられなくなってしまう。

 もう二度と、碧に会えなくなってしまう。


 重い腕を無理やり上げて、碧に向かって手を伸ばすけれど碧は哀しげに微笑むだけでぴくりとも動こうとしない。

 次第に私のお腹や胸のほうも光の粒となって消え、髪や顔までもが消えていく。


 あの時代に残っているのは、碧に向かって伸ばした右手だけ。

 私の周りは真っ白な空間に包まれ、もう平安時代の風景も、優しい碧の笑顔も何もかもが見えなくなってしまった。

 ぼろぼろと止まることのない涙をこぼしながら、この右手を掴み取ってくれることを信じてひたすらに手を伸ばし続けていく。


 無情にも真っ白な世界のほうに私の右手が徐々に表れていき、突如重かった手が急に軽くなって、私はその場に崩れるように座り込んでいった。


 望んだ温もりは得られないまま、白い世界に全身を包まれる。

 何も掴めなかったからっぽの両手を見て、最後に小さく聞こえた碧の言葉を思い出した。

 耳に残った大好きな声、かすかに震えた優しいその声。


 傷なんてどこにもないのに、死んでしまいそうなほどに痛くて苦しくて……

 わんわんと大声を上げ、涙が出なくなるほどに泣き喚いていった。


 ねぇ碧、こんなのってないよ。

 何で、どうして私たちはこんなにもすれ違う……?


 光の粒子となって消えたその瞬間に聞こえた碧の声。

 届かないはずだったその独り言は、私が最も望んでいた言葉だった。

 それは、最も幸せで、今では最も哀しくて苦しい言葉……



――ありがとう、奈都。ずっとお前のことが好きだった

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