願い―前編―
「ああ……話したかったのは、この歴史書についてなんだ。全ての旅が終わったら返すって約束してたろ?」
碧の右手にあったのは、分厚い歴史書。
図書館から借りて、そのままこちらの世界に持ってきてしまったあの本。
この時代について一番詳しく書かれていたのに、碧に没収されてしまって以来すっかり存在を忘れてしまっていた。
「あ、それ!」
「ちょっと待て、話はまだ終わってない」
私が手を伸ばそうとした途端、碧はぴしりと制止する。
「その本に何か面白いことでも書かれてたの?」
最初は難しく感じて読もうとしなかったし、読もうと思った時には手元になくて読めなかった。
そのせいで、せっかくこの時代について書かれた本なのに、内容は全く知らないと言っても過言ではない。
すると碧は、真剣な様子で話しだしていった。
「奈都はこの本に白紙があったことを知っているか?」
「白紙?」
最後までパラパラとめくってみたことはあったけれど、そんなものあった記憶はない。
ただ、本の最初と最後の二・三枚が白紙なんて、良くある話だ。
この時代には紙も珍しかっただろうし、白紙のページを作ること自体が不思議なのかもしれない。
そう思っていたら、碧の口からあまりにも意外な言葉が飛び出していった。
「この歴史書の最終章はほぼ白紙なんだ。その数は、およそ四十……俺にとっては、な」
よ、四十枚!? そんな馬鹿な!
そんな大量の白紙のページ、あったらさすがにすぐ気づくはずだ。
それに『俺にとって』……?
「この歴史書で俺が読めた最後の文字は『突如発生した七本松が霊光を放ち、その噂は――』ここまでだ。ここからは文字が薄くなり消えていっている」
「嘘でしょ、それがそんなおかしな本なわけないよ。だって、図書館の本だよ?」
ごく普通の図書館で借りた、少し分厚いけれどありふれた本。
そんな本を、読める人と読めない人がいる?
魔法の本でもあるまいし。
「嘘だと思うなら見てみるか?」
ゆっくりと碧はページをめくり続けていき、最後の文字を探し始めている。
その手は何故だか少し震えていて、ページをめくる速度もやたら遅いようにも思える。
何だろう、何かがおかしい。
もしかして――
「お願い! やめて!!」
本を奪い取ろうとしたけれど、立ち上がった碧にするりとかわされる。
私も立ち上がって追いかけようとしたけれど、もう既に遅すぎた。
碧はそのページを探し当てて、私の方へと本をかざしていく。
――嫌だ、何でなの……?
その途端、強い風がぶわりと吹き付け、私の髪と真っ白なワンピースを揺らしていった。
目を閉じて風をやり過ごし再び目を開けると、碧や周りの景色は夕陽の橙に染まっているのに、私だけがいつか見た真っ白な光に包まれていた。
――体が重い……?
重力が増したような感覚になる。
私は、その場に立ちつくしたまま一歩も動けなくなっていった。
足どころか手までも重くて持ち上がらない。
――どうして?
『明日はさ、わんぴいすを着て、お前の持つ書の全てを持ってきてほしいんだ』
『予言の書や未来の学問を見せることで信憑性が増すだろ?』
何故、あの時違和感に気付けなかったのだろう。
この時代、文字は貴族や寺院の人間、その他限られた者しか読めない、そう碧も話していたじゃないか。
農民に予言の書を見せたって、読めるはずなんかない。
信憑性が増すなんて、碧の嘘でしかなくて。
私にワンピースを着せたのも、本やカバンを持たせたのも全部全部、全部……碧の計画のうちだったんだ。
私が持ってきた物全てを未来へ持ち帰らせるために。
物を置き忘れて、困ることがないように。
この時代から、綺麗さっぱり私の存在の証を消そうとしたんだ。
まるで、これまでの日々がただの長い夢であったかのように……




