伊助と碧の内緒話
あんな報告で良かったのかわからないけれど、伊助さんは満足そうにうなずいてくれて、無事に私の報告は終わった。
緊張も解けて、ほっと胸を撫で下ろしていると伊助さんが肩を優しく叩いてきて。
「ねぇ奈都ちゃん」
「はい」
「悪いんだけど、碧と二人で話したいんだ。隣りの部屋で待っていてくれるかい」
にこにこと微笑みながらそう話す伊助さん。
一緒にいちゃだめですか、そう聞きたかったけど伊助さんの笑顔がなぜだかそれを許してくれないような気がして。
「わかりました。碧、向こうで待ってるから」
――・――・――・――
隣の部屋の床に座り込んで碧と伊助さんの帰りを待つ。
もうすぐ日暮れも近いのに、こんなに遅くまでいったい何の話をしているんだろう。
さっきの解雇するとかいう話なのかな。
ぐるりと一周、部屋を見渡してみるけれど、暇を潰せそうなものは何もなくて。
することもないし、退屈だなぁ。
そんなことを思っていると、突然人の足音が耳に入ってきて私は顔を上げた。
すると、誰もいなかったはずの出入口には、二十歳前くらいの見知らぬ女の人が立っていて。
黄色の着物をまとい、漆黒の長い髪を後ろに束ねたその女の人は、私のことを憎い敵でも見るように睨んでいく。
「ねぇ。アンタ、誰?」
「……え?」
あんた誰って、何なんだろうこの人。むしろこっちがそう聞きたいよ。
だんだんと女の人の表情が険しいものになっていく。
「答えない、ってことはやっぱりアンタ、伊助様の女なんだね!? 最近伊助様とアタシ、いい感じだったのに抜け駆けするなんて許せない」
「えっ、えええええっ! 違う、そんなの違うよ」
どうして私が伊助さんと付き合ってることになってんの!?
私に向かって、彼女は指を勢いよく突き付けてくる。
信じて疑っていない様子だ。
「嘘おっしゃい! 伊助様は、異国風の女の帰りを待ってるんだって、今朝役人が言ってたわ」
いや、それは正しいけど……
「仕事なんだってば」
いい加減信じてよう。
「ふん、本当かどうかあやしいものね。伊助様本人に聞いて確かめてやる!」
「ちょ、ねぇ、ちょっと待ってよ!」
いま、伊助さんと碧は大切な話しの真っ最中なんだってば!
抵抗もむなしく、意外と力の強い彼女にずりずりと引きずられていく。
二人のいる部屋に近づいていくごとに、だんだんと声が大きく聞こえてきた。
これは、たぶん……伊助さんの声だ。
「嘘みたいな話だけど、君が言うんなら本当なんだろうし信じるよ。でもさ碧、本当にそれでいいの?」
「もう決めたんだ、あいつの幸せはきっと……」
こっちは碧の声。
決めた、とか幸せ、とか、二人は一体何の話をしているんだろう?
「って、うわぁ!」
ぐんと強く引っ張られ、さっきの彼女に無理やり部屋の中へと連れ込まれる。
「伊助様!!」
「そこにいるのは誰だ!?」
「何事だい?」
彼女は大声で伊助さんの名を呼び、碧は警戒して伊助さんをかばうように立っている。
伊助さんはきょとんとした様子で立ち尽くして、ずっこけた私は床に転がっていた。
「伊助様、わたくしです。さぎりでございます」
一歩前に出て彼女は、静かに礼をしていく。
「さぎりちゃんかい、突然どうしたの?」
驚いた様子で伊助さんはそう尋ねていった。
「伊助様は今朝、わたくしと出かける約束をしていましたでしょ。それなのに、こんな色気も何もない童女のような娘を郡衙につれこむなんて、ひどい。わたくしのことなどお忘れになってしまったのでしょうか……」
先ほどとはうって変って、さぎりさんはおよよと、か弱く泣くしぐさを見せていく。
てか、色気も何もないとか、童女だとかって失礼な人だな!
碧と同時に伊助さんの方を見やると、伊助さんはげげげと苦々しい顔をしていて。
ああ、これは……
きっとまた、ダブルブッキングだ。
約束の存在を忘れていたんだろうとすぐにわかってしまう。
「さ、さぎりちゃん。忘れてなんかいないさ!」
伊助さんは慌ててそう弁解する。
「本当ですか?」
「急に仕事が入ってしまって仕方がなかったんだ。な、なぁ碧?」
碧にそう話を振っているけれど、碧は伊助さんのことを呆れたような白い目で見つめている。
「ね! 碧!?」
もう一度、伊助さんはすがるように声をかけていくと、碧はようやく重い腰をあげていった。
「そうだな、こちらも急ぎの報告だったし」
ぱぁっと明るい顔になった伊助さんは、さぎりさんの手を両手でしっかりと握って、甘い声と視線で誘惑するように話しかけていく。
「ほらね、さぎりちゃん。だからこの後は大丈夫。二人で会おう。二人っきりで、ね」
わ、わざとらしすぎる……
そう思って、さぎりさんを見ると。
「……いすけさま」
目がハートになっている。
「そういうことだから、僕はもう帰るよ。二人も疲れているだろうし、ゆっくり休むといい」
きりりとした目で私たちを見てそう話している。
あのね伊助さん、ごめんなさい。
隣に女の人をはべらせながら、そんなふうに真面目なことを言われても、全然頭に入ってこないんです。
碧のほうを見やると、同じような白い目で二人を見つめていた。
部屋を出る直前、伊助さんは振り返って真剣な表情を最後に見せていく。
「あのさ碧、君はもっとわがままになった方がいいと思う。手放すのは簡単でも、過ぎ去った幸せを取り戻すのは……君が想像する以上に難しいことなんだよ」
伊助さんのこの言葉が、これから先いつまでも頭の中に残り続けるなんて……この時はちっとも思ってなかったんだ。




