過去を振り返って
輝く朝日を浴びながら、二人でただひたすら西へと帰り道を歩いていく。
「あのさ、頼みごとって何? そろそろ教えて欲しいなーなんて」
洞窟を出てから難しい顔で隣を歩いている碧に向かって、そう尋ねていった。
少しふざけた調子で聞いたのは、碧の様子が何となく変だったから。
「あ、ああ。すまない、考え事をしていた」
ふと顔を上げて苦笑いをする碧。
洞窟の中でも困ったような顔をしていたし、いったいどうしたんだろう。
「そんなに悩むようなことなの?」
私の問いに返事もせず、悲しそうに笑う。
変なの、碧らしくない。
「いつか手放さなきゃいけないのは、わかっていたのにな」
独り言のように呟いた碧の声は、風の音にかき消されてよく聞き取れなかった。
「奈都に頼みたいことは、そう難しいことじゃないんだ」
空を見上げて静かに頷いて、真剣な表情で話し始めていく。
なぜか碧のそれが、覚悟を決めた人の姿のように見えたのが自分でも不思議だった。
「だが、頼みごとの前に……奈都はこの時代に来た時、この年の出来事を読みあげたことを覚えているか?」
「本の文字? 出来事? うーん」
ここに来たばっかりの時か。
視線だけ上に向けて、腕を前に組み、必死に思い返してみる。
――ねぇねぇ……今、何年?
あぁそうだ、確か碧にいまの年を聞いたんだ。
そしたら、平成でも昭和でもなく、聞いたことのない年の名前が返ってきて。
――何年って、天暦三年だ。それがどうした?
もしや、と思って図書館で借りた本を開いて天暦の文字を探したんだよね。
――ちょっと黙ってて、今探してるんだから。てんりゃく、てんりゃく……あった、これだ!
そこでやっと気付いたんだ。ここは過去の時代で私はタイムスリップしちゃったんだって。
そして次に私がしたことは……年表の出来事を読みあげた。
――えぇと。天暦三年、大将軍社の前に突然七本の松が生え、毎晩霊光を放った
「七本の松と、霊光……?」
呟くようにそう言うと、碧は静かに頷いていく。
「そう、俺が化け猫としてこうやって再び生を受けたのは、きっとそれをするためなんだと思う。大将軍社の前に霊光を放つ松を発生させること、それが恐らく俺の使命」
「どうしてそうだって言いきれるの?」
化け猫と松と霊光、二度目の生と使命……何が何やらさっぱりで、頭が混乱してきてしまう。
「音も光もない真っ暗な世界を漂っていると突然声が聞こえたんだ。『霊光放つ松の噂を都に轟かせよ』と。そして気づいたら俺は人の姿をして、五十年先の未来にいて……源菖様の住む寺の前に立っていた」
ふと源菖さんの言葉が頭の中で蘇る。
――幼い、というほどの歳ではなかったですね。あの子が十の時くらいでしょうか。寺の前で座り込んでいるところを見つけて、わたしが拾ったのです。
――それまで彼がどこで何をしていたのかは知りません。ただ、あの子は出会った頃から、貴族でもないのになぜか文字を読むことが出来、京の内部事情に精通しているという、とても不思議な子どもでしたよ
源菖さんの言っていることがあの時はどこか引っかかって感じていたけれど、ようやく全ての糸が繋がった。
碧の人間としての十年間は、最初からなかったんだ。
だって元々は猫として生きていたのだから。
文字を読めて、京に詳しいのだって当たり前だったんだ。
京に住み、猫だった碧に道真さんが文字を見せて何度も話しかけていたのだから。
「俺を蘇らせたあの声の主はいまも誰だかわからない。道真様か、神か、それとも怨霊か。こうなってしまっては、時平殿の可能性だってある。だが、そんなことはもういいんだ。俺は俺のやるべきことをする。そのための手伝いを奈都、お前に頼みたいんだ」




