神社と一家
「なんや~、驚かさんといてやぁ」
「あはは、でもおもろかったやろ?」
やっぱり不思議……すれ違うカップルの、何気ない会話が関西弁だ。
人知れず、くすりと笑う。
何だか異世界に迷い込んだみたい。
結婚して家を出たジュン兄が置いていった自転車を借り、それをこぎ続けて数十分。
ようやく目的地が見え始め、自然とペダルをこぐスピードが上がっていく。
「やったぁ、ついにここまで来れた!」
大きな木造の表門を見上げて達成感に浸っていった。
ユカリ姉ちゃん家からそう遠くない場所にある、この神社。
存在自体は知っていたけれど、実はまだ門の中に入ったことは一度もなかった。
前回大阪に来た時、私はまだ小さかったし、あの頃は神社よりもデパートや公園の方が魅力的に見えていたのも事実。
それに……
「入りづらい感じは、もうしないかも」
そう、あの頃はこの神社に近寄りがたかったんだ。怖くはなかったし、嫌な感じもしなかったけれど、ここには不思議な『何か』があるような気がして。
とにかく、中に入ろうかな。
だって、大阪にいられるのは夏休みの間だけだし、勉強とお参りの夏が終わったら、模試が続いて、最後は受験……。
やらなきゃいけないことはこんなにも盛りだくさんなのに、時の流れは待ってくれないんだから。
早速一礼して門をくぐり、右手にある手水舎へと向かう。
柄杓を手に取り、新幹線の中でネット検索をして読んだ『参拝のマナー』に則って、手と口を清めていく。
ひんやりとした刺激が心地良い。
清め終わった後、本殿のほうへと向かっていった。
桃色の財布を開いて小銭を探し、手に取ったのは穴の開いた五円玉。
海王高校と良いご縁がありますように、進路に見通しが立ちますようにという意味で、だ。
誰もいない石段を上って本殿の前に立つ。
「――――あれ?」
本殿の前に立つと同時に、吹き付けていた風が……止んだ。
それだけじゃない。葉のざわめきも、鳥のさえずる声も、徐々に遠くなっていき、最後には一切何も聞こえなくなったのだ。
辺りを取り囲む無音ですがすがしい空間に、気持ちも落ち着き、心の奥底がしんと静かになっていく。
良く考えると怖いことなのに、不思議とこの時は、全然怖くなかった。
むしろ、どこか懐かしくて、嬉しくて、なぜだか少し……寂しい。そんな切なく優しい気持ちでいっぱいで。
変なの。ここ、初めて来た感じがしない。
そんなことを思いながら、軽く会釈し、賽銭箱にお賽銭を入れる。
続いて二回深く礼をした後二回手を叩き、両手を合わせて、心の中で必死に願いを伝えていった。
もちろんその願いは――
海王高校に受かりますように。
これからは勉強を頑張りますので、劇的に学力が上がりますように、だ。
よし、これで大丈夫!
顔を上げて最後に一礼し終わった途端、柔らかくて心地よい風が頬を撫でていった。
なんだか神様から歓迎されてもらえている気がして、自然と口角は上がり、心も踊る。
うん、やっぱりこの神社、好きかも!
そう思った私は、お守りを見に行くことにした。
そこには、整然とお守りやお札、縁起物が置かれており、私は学業成就のお守りを探しだして手にとっていったけれど、困ったことに神主さんも巫女さんも誰一人見当たらない。
どうしたらいいんだろう。
休憩中なのかな?
人気のない境内をぐるりと見回し、ようやく見つけた人はどうやらお仕事中で。
木の下に一人、紙を持ちながら立ち尽くし、何やら一生懸命考えている。
高級そうな紫の模様がついた袴を履いているし、年齢からしてもおそらく神主さんだろう。
今、声かけたらまずい?
でもこのままじゃ、お守りが……
ぐずぐずと悩んだ結果、思い切って声をかけてみることにした。
「あの、お守りをいただきたいんですけど……」
恐る恐る声をかけると、神主さんははっと顔を上げて、私を見た途端ふわりと優しく笑う。
「おやおや、申し訳ありません。お守りですね、代わりの者をお呼びいたします。お待ちください」
物腰が柔らかく、穏やかな人だった。
中年と呼ばれるような歳なのに、すらりとしていて大人の余裕もある。
しわもあるし、髪の毛も白髪交じりだけど、すごく綺麗な顔……若い頃はきっとモテただろうな。
「どうかなさいましたか?」
じろじろと見つめていたのがばれてしまったのだろうか、神主さんは私のことを不思議そうに見つめていて。
「あっ、いえ。何でもないです」
慌てて視線をそらしてそう言うと、神主さんはにこりと笑い、お守りが並べられた場所の横にある扉から、家の中の方へと声をかけていった。
「おーい、いるか?」
返事はない。
「すみませんね、少々お待ちください」
神主さんは扉の中に入り、大きな声で誰かの名を呼んでいる。
「なんや。おるんやったら、ちゃんと返事せなあかんで」
あ、神主さんも関西弁だ。
突然、話し方が変わるのってなんか新鮮かも。
神主さんの声に続いて、奥の方から聞こえてきたのは若い男の子の声。
「あーもう! オヤジが声かけたから、またわかんなくなったじゃねーか!」
声の感じからすると同い年か、向こうの方がちょっと上くらいかな。
「お前に仕事や。はよ出ぇ」
「仕事って……俺は受験生なんだから、シズ姉にでも頼めば?」
ふむふむ、受験生なんだ。なんか親近感わくなぁ。
「お前じゃなきゃ、あかんって。またウチ来てくれたら嬉しいやろ? な?」
神主さんは何やら必死に頼み込んでいるけど、何で受験生の男の子に頼まなきゃいけないんだろう。
私、お守りが欲しいだけなんだけど。
「もー、おとん。私行くから、この子には勉強させたって。ほら、みくじ結びの場所考えてたんやろ? おとんは元の場所に帰り」
今度は若い女の子の声がする。
この人が、シズ姉なのかな?
とたとたと軽い音が聞こえたと思ったら、目の前の障子が開いて、綺麗な巫女さんが現れていった。
「お待たせしてすみません。お守りですか? おみくじですか?」
高校生か大学生くらいかな。
漆黒の髪にくりくりとした大きな目、明るい笑顔が眩しいくらいに輝いている。
「あ、えぇと、このお守り……」
綺麗な人に緊張してしまい、言葉がたどたどしくなってしまう。
「お守りですね、八百円お納め下さい」
そんな私に、にこりと巫女さんは微笑んでくれる。
お金を渡し、お守りをいただいて鞄の中にしまいながら、私は気になっていたことを尋ねていった。
「受験生の子がいるんですか?」
「あー、さっきの聞こえてました?」
巫女さんは困ったように笑う。
頷くと、巫女さんは「まったく、おとんったら」と小さくため息をついていった。
「うちの弟が、受験生なんです。天神さんをお祀りしてる神社の息子が、高校受験落ちるわけにはいかんって、それはもう必死で。だけどおとんは反対に、弟を手伝いだとか神事だとか、とにかく表に出したがるもんだから、いつも噛み合わんくて、あの二人」
神主さんは、受験勉強で疲れる息子さんをリフレッシュさせてあげたいのかな?
でも、逆効果になってるみたいで、ちょっとかわいそう。
「あ、すみません。せっかくお参りに来てくれたのに、こんな愚痴なんか言って。修行が足りない証拠やわ。まぁ、ウチはこんな感じやけど、天神さんのお力は本物やから。ぜひまたお越しくださいね」
天神様と、親しみやすい神主さん一家。
ますます私はこの神社が大好きになった。
「あの、私も受験生なんです。弟さんにお互い頑張りましょう、って伝えておいてください」
そう言うと、巫女さんは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。弟も喜びます。受験勉強頑張ってくださいね」
美人の巫女さんと笑顔で別れた私はまた自転車に乗り、図書館へと向かっていく。
大阪初日のその日は夕方まで図書館にこもり、日暮れと共にユカリ姉ちゃん家に帰っていったのだった。