弓削忠邦の術
妖……怪?
また、ここでも妖怪疑惑。うんざりするよ、もう!
「碧は妖怪じゃないよ。鬼でも狐でも、狸でもないってさっき平康さんが証明してたもん」
押し黙っている碧に変わって、私がそれを伝えていく。
私の言葉に一番大きな反応を示したのは、忠邦さんでも碧でもなく、弟子の仁太君。
慌てたような声が響き渡り、あまりの声の大きさに驚いた私は思わずびくりと身体を強ばらせた。
「うげっ、忠邦様。コイツ化け狐じゃないみたいですよ! マズイじゃないっスかぁぁ! どうしましょう、ここでまた取り逃がしでもしたら……」
次に聞こえたのは真逆と言って良いほど静かで柔らかな声。
「仁太、大丈夫ですからお黙りなさい」
「忠邦様ぁ、そうは言っても……」
「聞こえなかったのですか。お黙りなさい」
あたりを包む空気が一瞬にして変わった。
重く刺すような視線が私たちをとらえている。
何だろうこの人、得体が知れなくて……怖い。
「奈都、このままじゃマズイ。逃げるぞ!」
呆然としている私の横で焦りと決意が入り交じったような声がする。
はっと我にかえり、駆け出そうと左足に力をこめた瞬間、肩のあたりに違和感を感じて足を止めていった。
「私は藤原殿と違って甘くはありませんよ」
忠邦さんの声に反応するかのように、私の右肩が徐々に重くなっていく。
何者かの気配を感じるとすぐに右肩のあたりから、真っ白な人形をした紙がふわふわと現れていった。
「何この紙……?」
白い紙は風に揺らめきながら、ゆったりと移動し私の目の前でぴたりと動きを止めている。
重力に逆らい、風にも飛ばされずガラスに貼り付くかのようにその場を動かない不思議な紙。
良く見てみると、人形のお腹のあたりに墨で模様のような文字と星のマークがつけられている。
「ちっ、あれの他にも居たのか」
舌打ちをした碧が憎らしげにその紙を睨み付けているところを見ると、この紙は私たちにとって良いものじゃないというのは確かなようだ。
「奈都さん、お察しのようにそれはただの紙ではなく、術がかけられています。一つは今朝早々に見破られましたが、弱いほうの術には気付けなかったようですね」
「さっすが忠邦様! バレないように放つなんて、なかなか出来るもんじゃないっスよ」
術? 見破られる?
――奈都。あんな特大のゴミをどうやったら付けてこれるんだ。
もしかして、今朝のあれはゴミなんかじゃなくて、忠邦さんがつけた人形の紙だったってことだったの?
あの時もいままでも、こんなのがついてたなんて全然気づけなかった。
仁太君の言うように、やっぱりこの人すごい人なんだ……
強そうにはとても見えない忠邦さんは、にこにことした表情を崩すことなく私たちを見つめている。
でも。
こうやって笑ってはいるけれど、心の内はいったいどう思っているのだろう。
さっきの威圧感はいままで感じたことのないようなものだったし、すごく怖かった……。
未知のものへの恐ろしさがいっそう募っていく。
「忠邦、そいつで奈都に何する気なんだ」
碧は額に冷や汗を一すじ垂らしながら、緊張に溢れた声で問いかけていった。
「うーん、何をするって……見当ついてるんじゃないですか?」
自分の頬に手をあてて、考え込むような動作を見せた後、忠邦さんは私の前にいるのと同じくらいの大きさの紙を取りだし、それを宙へと浮かせていく。
「つまり、こういうことですかね」
そう話し、ふっと軽く人形に向かって息を吹き掛ける。
ただそれだけなのに、信じられない光景が目の前に広がっていった。
……嘘でしょ!? こんな恐ろしいものが私の目の前に貼り付いているの。
顔面から血の気が失せはじめ、全身が小刻みに震えだしていく。
ただの紙だと思っていたものが、こんなの危険なものだったなんて思ってもみなかった。
弱い術だと忠邦さんは言っていたけれど、目の前のそれは弱いなんてものではなかった。
人形の紙は音をたてて自らに炎を宿し、塵になって消えるまで橙の炎をあげながら激しく燃えていったのだ。
いや、紙が燃えるとか、そんなレベルじゃない。
ここまで大きい火なんて未だかつて見たことなかったし、もはや爆発のようにすら思える。
「忠邦……!」
「そんなに怖い顔しないで下さいよ。何もとって喰おうとしているわけではありません。いくつか貴方に聞きたいことがあるだけです」
忠邦さんは細い目を開いて、にたりと不気味に笑う。
「ただ……残念ながら私の指示に従って頂けない場合、もしくは私の望む答えではなかった場合、このように術式を発動させます。ですが安心してください。所詮威力はあの程度ですから、死ぬことはありません。奈都さんの可愛らしいお顔に無惨な火傷のあとは残るでしょうけど、ね」




