陰陽師 あらわる
「くそッ、あいつらどこへ行きやがった!」
「どういうことだ、煙のように消えていったぞ」
「さっきの二人、一体何者なのです? 藤原殿、あの者たちは本当に妖怪なのですか……?」
――・――・――・――
碧に手をひかれ、息を切らしながら長い廊下をひたすら走る。
「ぜぇっ、はぁっ……ねぇ碧、さっ、きの一体何なの!?」
少し前を走る碧に、とぎれとぎれになりながらも尋ねていった。
あんなのどう考えてもおかしいし、さっきのあれはもはや人間技じゃない。
返事はなく、振り返ってもくれないもんだから、碧がどんな顔をしているのかもわからなくて不安ばかりが募っていく。
「ちょっと! 聞いて……」
「すまない、どこから話していいかわからない。もう少し待ってくれないか」
遮るように放たれたその声はいつものように堂々としたものではなく、どこか弱々しげで不安そうにも感じられる。
「……ごめん、またあとでにしよ」
これ以上何も聞くことは出来なかった。
碧のあんな声、聞いたこともなかったから。
あんまり聞いてほしくないのかな、さっきのこと……
私が知りたかった『さっきの』とは、武士に囲まれ絶体絶命の大ピンチだった私たちが、部屋を脱出する時に使ったあの方法のことだ。
先ほど私たちは平康さんの罠にはまり、武士たちに殺されそうになっていて。
機転をきかせた碧がはったりをかまし、その場を切り抜けようとしていった。
ここまではいい。問題はここからだ。
斬りかかるべきかやめるべきか、そう決めあぐねている武士たちに構うことなく、碧は手を前に軽く伸ばし、両手の人差し指と中指をクロスさせ、うつむきながら小声で何かを唱えていた。
呪文のような言葉を終え、クロスした指を開放し勢いよく手を左右に広げた瞬間から……この世界の時が遅くなったんだ。
まるで私と碧以外の全ての時間が止まったみたいに。
こうやってここを出ようと走り回っている今も、その現象は続いている。
廊下を歩く役人さんも、部屋の中で働いている女官さんも、動いているのかわからないほどにスローモーションで、普通のスピードで動いていられるのは碧と私の二人だけ。
こんな魔法みたいなこと、人間に出来るもんなのかな。
お主は化け狐か、と平康さんは碧に聞いていて、碧は否定してたけど……これじゃ本当に碧は人じゃないみたいだ。
広い知識を持ち、大人顔負けで仕事をし、鬼の子と呼ばれた過去を持つ碧。
五十年前のことに詳しく、人並み外れた能力を持つ碧。
いつも自信に満ちているのに、時折悲しげな表情を見せる碧。
……碧は一体何者なんだろう。
「――教えてあげましょうか。彼の正体を」
廊下から庭に出て、門が視界に入ったと同時に、まるで私の思考に連動したかのようにくすくす笑う声と、言葉が響いていった。
穏やかで柔らかく低い声。
この声、どこかで聞いたことがある気がするけど、どこで聞いたんだっけ?
それに、碧が何者かを教えてくれるって……
ぴたりと足を止めた碧の横顔を見ると、その表情は苦々しげなものになっていた。
その表情からすると声の主は味方じゃないどころか、むしろ厄介な相手だってことが簡単に想像ついてしまう。
誰もいないのに不思議と嫌な感じを放つ門を碧はじっと見つめ、静かに呟いていった。
「陰陽師、弓削忠邦……最悪な時に来たもんだ」




