おつかい
「着いたぞ、ここだ」
朱色に塗られた大きな建物の前に立ち、碧はこう言った。
おお!
ようやく私の想像する平安時代っぽくなってきた!
綺麗で豪華で、それでいて品があるというか何というか。
映画や漫画で見たような建物に目を輝かせた私のテンションは、人知れずどんどん上がっていく。
「ここにいる役人さんに書類を渡せばおつかい終了だよね。ここまで来たら楽勝だね!」
にかっと笑って右隣を見る。
「まぁ、渡すだけで済めばいいんだがな……」
碧は何かひっかかっているようで、複雑な表情を浮かべていた。
建物の中に入ると、屋敷や役所と言うよりは神社の中のようなイメージに近く、外と同じように朱色に塗られた柱があったり、床は板張りになっていたり、扉や障子の代わりにすだれのようなものが仕切りとしてかけられたりしていた。
そっか、貴族の住む建物だけど、この時代にはドアとかガラスがないんだ。
風が良く通るし、夏はいいけど冬は寒そう。
あぁでも、夏に十二単も暑そうだし……
ううむ、貴族っていい生活してそうな気がしたけど、現代と比べたら結構過酷な生活をしてるかも。
きょろきょろとあたりを見回してみると、伊助さんのように髪をまとめあげ、烏帽子をかぶり、着物というよりは神主さんの着ている服のようなものをまとった人が何人も働いている。
私が想像していたよりも、その人たちの体はずっと細い。
遊んで暮らしているイメージがあったぶん、ふくよかではないその体型に少し違和感を感じてしまう。
そんな役人さん達はてきぱきと仕事を進めているけれど、仕事自体は午前中で終わりにしてしまうらしい。
午前中に働いて仕事を終え、午後は歌合わせをしたり、蹴鞠をしたり、そうやってそれぞれ自由に過ごすのが貴族の生活なのだそうだ。
中学生の私でさえ午後も勉強しているのに、なんだか少しずるい。
そんなことを考えていると、突然後ろから声をかけられた。
「おや。お主、もしや伊助のところの碧ではないか」
低い声に振り返ると、伊助さんよりも少し年上と思われる男の役人さんがいた。
たれ目でにこにこ顔の伊助さんとは正反対で、切れ長でつり目のその人は理知的でクールに見える。
「ああ、坂上様。お久しぶりでございます」
深々と頭を下げる碧。
どうやら知り合いで、向こうの方が地位のある人みたいだ。
「やはり碧か。こんなところでどうした? 伊助の女グセの悪さに呆れて京へ帰って来たのか? それなら俺がお主を雇ってやってもいいぞ」
坂上と呼ばれた男の人は、からからと楽しそうに笑っていった。
きっと、坂上さんは伊助さんと面識がある人なんだろう。
口ぶりからすると、もしかしたら友だちみたいに仲の良い間柄なのかもしれない。
「雇うだなんて、俺のような者にはもったいないお言葉です。それに、今回は伊助様の使いとしてやって来ただけなので。坂上様のそのお気持ちだけいただかせてください」
碧は物怖じせず、穏やかだけれど堂々と役人さんと話をしていく。
いつもの不機嫌で偉そうな様子とは全く違っていて、なんだか別人のようにも思える。
以前伊助さんは『碧は人前ではちゃんと敬語で話してくれるし、それが面白い』と話していたけれど、私からしてみれば、目の前のこの光景は面白いというよりは、すごいという感じだった。
同い年くらいなのに、背筋を伸ばし凛として話すその姿がずいぶん大人に見えて。
私がぼんやりと見つめていることも知らず、二人はどんどん話を進めていっている。
「あいつがお前に使い? 一体何を頼まれたんだ?」
「書類を渡すように頼まれておりまして。ちょうど、坂上様にお渡しする予定の書類だったのです。こちらがその書類です」
碧は荷物から、預かった書類を取りだし、坂上さんへ渡していった。
坂上さんは書類を開いてうなずきながら、墨で書かれた文字にざっと目を通していく。
「あぁ、これは報告書か。ふむふむ、見たところ何の問題もなさそうだな。細かく正確な報告、毎度感謝する。長旅ご苦労だった」
顔を上げた坂上さんは満足そうにうなずいていった。
書類に不備もなく、無事におつかいを終えられそうだ。
碧の方を見ると、目が合った彼の口元が弧を描いているし、このおつかいは上手くいった、ってことで間違いなさそう。
「ありがたきお言葉、嬉しく存じます。では、俺たちはこれで」
私たちは坂上さんに向かって深々と頭を下げて踵を返していった。
よし、これでおつかい終了だ!
ほっと胸を撫で下ろし帰路につこうとしたところで、背中の方から声がかかる。
「ところで……」
坂上さんだ。まだ用事、終わってなかったのかな。
「はい、何でしょう」
くるりと、私と碧は振り返る。
「お主の横に立つ、化粧もせず髪も短い不思議な女子のことなのだが……もしや、この娘は伊助の女か? それとも、お前のなのか?」
う、嘘。まさか私のことで呼び止められたの!?
それにやっぱり平安時代じゃ私の見た目は相当変わってるんだなぁ。
ちらりと碧の横顔を盗み見する。
また、嘘も方便ってことで、碧の親戚ということになるのかな。
そう考えていると、碧は静かに口を開いていく。
今回は何の嘘もなく、偽りのない真実が碧の口から語られていった。
「どちらのものでもありませんよ。坂上様が思うような恋慕の情は伊助様にも俺にもありません。こいつはただの同僚でしかないのですから」




