全ては望むように
ぎぃぎぃと軋みの音が鳴り響いていく。
今度は足音二人分。
源菖さんと私は並んで、碧の待つ玄関へと向かっていった。
玄関にたどり着くと、碧はそこに腰掛け、昨日私から奪い取った歴史書を難しそうな顔をして読んでいた。
「碧、お待たせ!」
返事がない。
それどころか、反応すらない。
来るのが遅かったことを怒っているのかな?
どうしよう……
おろおろとしだす私に、源菖さんはふわりと微笑んでいく。
「あぁ、いつものことですよ。奈都さん、大丈夫です。見ていてください」
そう言って、本を読む碧の目の前に陣取りしゃがみこんだ。
じいっと見つめられているのに、気づいているのかいないのか、碧は本から目をそらすことはない。
「こらこら。集中すると周りが見えなくなるのは悪い癖ですよ」
碧の横から手を出し、本をパタリと強制的に閉じさせた源菖さんは静かにそう言い放っていった。
源菖さんがこういう力技に出たりするなんてちょっと意外だ。
「うわっ! もう、急に現れないで下さいよ!」
身体を震わせ、大声をあげて飛び上がる碧。
「いくらなんでも急にこんなことはしません。さっきからずっといましたよ。ね、奈都さん」
碧のあわてふためくその様子からすると、無視していたわけじゃなく、集中のしすぎで私たちの存在に気づけなかったみたいだ。
思い返してみれば、こっちに来たばかりの時も同じようなことがあった。その時も、私の持ってきた参考書に夢中になってて、全く話が出来なかったんだっけ。
視野が狭いのか、広いのか。
どうやら碧の視界の調節は、極端すぎるみたいだ。
「奈都? あぁ、もう準備終わったのか?」
源菖さんの言葉でようやく私の存在に気づいたようでじっとこちらを見つめてくる。
イライラしているような様子は見られない。
「うん、お待たせしてごめん」
よかった。怒っていないみたいだ。
――・――・――・――
「源菖様、それでは行って参ります」
深々と頭を下げている碧を見て、源菖さんは優しく笑う。
「碧、旅立つ貴方に一つ助言をいたしましょう」
「助言、ですか?」
「ええ。全ては貴方の望むように、と」
全ては碧の望むように? 助言だとは言っていたけれど、源菖さんが伝えたいことが全く持ってよくわからない。
碧なら意味がわかるのかな、とちらりと視線を送ってみるけれど、碧も難しそうな顔をして首をかしげていた。
どうやら碧にも意味が通じていないようだ。
私たちが困っているのを見てくすりと微笑んだ源菖さんは、優しく碧の頭を撫でていく。
「何やら悩んでいるようでしたので。貴方は昔から物事を複雑に考えすぎるきらいがあります。そこは長所ですが、短所でもあるのですよ」
「源菖様……」
「貴方がそこまで悩むほどのことです。正解が見えないようなものなのでしょう? でしたら、どの選択をとっても恐らく後悔は残ります」
こくりと、碧は声も出さずに頷いていく。
碧が悩んでいる?
微塵もそんな姿を見せないから、全然わからなかった。
「そういった時は、貴方がそうしたいと望む方を選べば良いのです。上手くいってもいかなくても、それはそれで良いのです。どちらにしたって歩み続けることを止めなければ、貴方の選んだ道は決して間違いにはなりません」
源菖さんの言葉に、ふぅと小さく息を吐いて困ったように碧は笑う。
「さすがお見通し、ですね。ご指導ありがとうございます」
少し吹っ切れたような表情を見せているけれど、あの碧が悩むって相当のことだと思う。
誰にも何も言わずに一人で、いったいどんなことに悩んでいたのだろう。
「そして奈都さん。無事に貴女の時代に帰れるよう願っております」
源菖さんは私の方へと向き直り、穏やかにそう話しかけてくれる。
「本当にお世話になりました! あの、その……昨日のお話、絶対に忘れません」
絶対に忘れたりなんかしない。
この平安時代に生きた人たちの歴史や想いを。
この歴史の様々な真実を。
私の言葉に源菖さんはにこりと笑ってうなずいていった。
「碧、奈都さん。これから貴方がたの行く京の町は決して安全とは言えません。どうかお気をつけて」




