過去を語る人
嵌められたって、いったいどういうことなのだろう。
じっと碧を見つめていると、彼は静かに口を開いていった。
「宇多天皇が隠居したことで、道真は後ろ楯を無くした。これは好機、とあることないこと次の代の天皇に吹き込んで、道真を左遷へと追いやったやつがいるのさ。もともと道真は官吏から好かれてはいなかったしな」
「させん?」
国語力のない私にはその意味がわからず首をかしげる。
それに気づいた源菖さんは、すかさずフォローをいれてくれた。
「降格処分のことですね。低い地位へと落とされたのです。彼の場合は、太宰府という遥か遠くの地の役人に任ぜられています」
太宰府……どこかで聞いたことがあるような、ないような。
「今となっては真実なのかはわかりませんが、道真は自分の娘婿にあたる『天皇の弟』を天皇にさせるため……つまり自分の確固たる地位を手にいれるため策をめぐらせていた。そのため、左遷させられたのだ、とも噂では伝えられていますね」
自分の娘のお婿さんが天皇になれば実権を握れるって、藤原氏の摂関政治とほとんど何も変わらないじゃん。
なんだ、菅原道真はいい人だと思っていたのに、結局は権力にとりつかれた人だったのか。
「自分の娘を利用するなんて、道真も結構ズルかったん」
『違う! そんなのは濡れ衣だ!』
言い終わる前に、怒鳴り声と呼んでいいくらいの大声が聞こえた。
その声に驚き、私と源菖さんは同時に声の方を見ていく。
声の主は……碧。
ぎりぎりとこぶしを握りしめており、その瞳からは心なしか怒りのようなものを感じる。
「それが奴等の策略なんだ。そうやって道真を政治から遠ざけたのは、藤原時平やその他の貴族たち。貴族たちは貴族出身でないのに重用される道真のことをよく思わずに、嘘を振り撒いていたんだ」
藤原時平、ってさっき話に出てきた人だ。
名門の藤原一族の人で、貴族の出世頭だった人。
確かに、藤原一族だし自分の将来は安泰だって思っていたのに、横から自分の地位を脅かすような人が出てきたら、目障りだって思うのかもしれない。
人を蹴落としてまで出世したい、そんな気持ちはわかりたくはないけど。
「宇多天皇……いや、隠居したから上皇か。宇多上皇がこの話を聞いた時、左遷の取り止めを醍醐天皇に訴えようと宮中まで自らやってきた。それなのに、藤原菅根が妨害したせいで会えることはなく、宇多上皇は夜までずっと裸足のまま門の前に立ちつくしていたんだ。信じられるか? 上皇が、だぞ」
菅原道真はそれくらい宇多天皇から信頼されていた、ってこと?
日本のトップだった人が裸足で飛び出してくるって、相当なことだ。
あぁもうよくわかんない!!
噂や源菖さんの話す、自分の地位のために汚い手を使おうとする道真。
碧の話す、日本の未来のために尽力する道真。
一体どっちが彼の本当の姿なんだろう。
「碧、一ついいですか?」
悶々と悩んでいると、源菖さんが穏やかに話し出した。
「何ですか、源菖様」
途端、穏やかな微笑みが消え、真剣な表情へと変わった源菖さんは碧のことをじっと見つめていった。
「以前から、気にはなっていたのです。あなたはまだ生まれてもいない過去の時代のことを、まるで見てきたかのように語ることがありますよね。確か、前も五十年前の話をしていた時そうでした。碧よ、この寺に来る以前のあなたは一体何処で何をしていたのです?」
「――ッ!」
源菖さんの言葉に声を無くし、目を見開く碧。
明らかに様子が変だ。
「何があったのか、話してくれませんか?」
優しい声色で話しかける源菖さんに対し、碧は姿勢を整え跳ねのけるように言い放っていった。
「……何もありはしません。過去の話は、古い友人に聞いただけです。あなたの考えすぎですよ」
――・――・――・――
薄暗い部屋に戻り、一人で部屋をぼんやりと眺める。
碧の様子がおかしかったのはどうしてなのか考えてみるけれど、全然見当がつかなかった。
「やっぱ、わかんないや……あ、そういえば」
ふと自分の荷物が目について、ごそごそと中身をあさり一冊の本を取り出した。
さっき話で出た、太宰府という土地が現代のどこにあたるのかが気になったのだ。
索引からページを開き、すぐに太宰府の文字を見つけ場所を確認する。
どうやら太宰府は九州の福岡県にあるようだ。
大阪から京都までも結構時間がかかったのに、京都から九州なんて考えただけでも気が遠くなる。
しかしまぁ……
「意外と役に立つね、これ」
ぺらぺらと本をめくって、そう呟いた。
はじめてこの時代に来たとき本のお陰で今何年かもわかったし、土地の名前もこうやって調べればちゃんとわかる。
むこうにいた時は難しくてなかなか読めなかった天神様の本も、結構役に立つもんだ。
今日はまだ眠くないし、難しくて読むのを諦めたこの本をもう一度、読んでみようかな。
一度ぱたりと本を閉じて、また最初のページを開こうとすると、廊下の方からよく知った声が聞こえてきて顔を上げていった。
「起きているか?」
碧だ。
「起きてるよ、どうして?」
近くにあった羽織を肩にかけながら、そう返す。
「少しだけ、明日の予定について話したい」




