道なき道を行く者
「平安時代って……そんな時代だったんだね」
ぽつりと呟いた。
あのあと時間をかけてゆっくりと碧と源菖さんが話してくれたのは、平安時代の政府……つまり朝廷や貴族の話。
そのあまりの横暴さと身勝手さに、開いた口がふさがらなかった。
「そう。この時代はお前が想像していたようなきらびやかな世界からは程遠い。不当な徴税、詐欺や殺人、暴力や横領……美しく着飾った醜い鬼が私腹を肥やしているような、そんな時代なんだ。こうなると、最早人間の所業とは思えぬ」
碧は呆れたように深いため息をついていった。
私利私欲のためにあらゆる不正行為を行い、民から税を巻き上げる国司。
口封じのために殺人や、暴力といった見せしめ行為を行う役人たち。
不正行為を知っていながら、目を逸らし続ける朝廷。
平安京の外ではバタバタと民が死んでいくのに、自身の身に降りかかるたたりや、はびこるもののけを恐れ、日夜魔よけの儀式を繰り返してばかりいる貴族……。
碧と源菖さんが知っているだけでも、こんなにたくさんの身勝手な話が出てくるんだ。
きっと探せばもっともっとたくさん出てくるに違いない。
いったい何なんだ、貴族ってやつは!
周りがどんなに苦しんでいても、自分さえよければ良いってことなの!?
「あぁなんかもう、偉い人が嫌いになりそうだよ」
二人の話の内容にうんざりしてそう呟くと、源菖さんは困ったように笑っていった。
「ふふ、奈都さん。地位のある者全員がそうというわけではありませんよ。この国の未来を憂いていた方ももちろんいます。もう五十年ほど前に二人ともお亡くなりになられましたが」
どんな人なのかを問う前に、碧が呟く。
「宇多天皇と道真公……か」
「宇多天皇と道真公?」
そんな人、授業で習った記憶が全くない。
私と碧の言葉に源菖さんは黙って頷き、話を続けていく。
「はい。そのお二人ですよ。これは私がまだ若かりし頃、人づてに聞いた話です――――」
――・――・――・――
源菖さんの話した内容はずいぶんと意外な話だった。
ここからさらに50年ほど前、西暦900年あたりのお話。
その頃の天皇は宇多天皇。
彼は摂政や関白といった代理人が政治を行う、この時代にありがちな摂関政治ではなく、天皇が自らが政治を行うことを目指していたのだそうだ。
平安時代の天皇なのに藤原氏に操られない政治だなんて、なんだか画期的な気がする。
そして、宇多天皇の朝廷には二人の出世頭がいた。
一人は藤原家の一人『藤原時平』つまり、優秀な家系の役人。
もう一人は貴族ではなく、学者の生まれの『菅原道真』。才能で駆けあがり、役人にまで登りつめた男。
源菖さんいはく、菅原道真は稀代の大天才だったそうだ。
史上最年少で文章生という試験に合格したり、過去約260年間で合格者がたった67名という超難関試験にも合格してみせたのだそう。
貴族の生まれでもないのに、自分の才能で出世して役人として立派にやっていける人がいるというのは、周りの人たちの希望にもなったんだろうなとひっそり思う。
秀才で他人から憧れられる菅原道真と、模擬テストで下から数えた方が早い菅原奈都……同じ名字なのに、ずいぶんな差だ。
道真は頭がいいだけではなく、すじを通す意志の強さもあったようで、権力に屈服することなく自分の意見を堂々と伝えることも出来たため、宇多天皇は正直で誠実な彼のことをかなり信頼していたらしい。
それに、社会の授業で習った遣唐使。それを中止させたのも道真だ、と碧は語った。
唐という国の衰退や、航海自体が危険であり費用がかさむことを冷静に分析し、得られるものに比べてリスクが高いと菅原道真が進言し、中止となったのだそうだ。
もしかしたら『唐に行かされたくないから』と道真は中止を申し出たのかもしれないけれど、それでも結果的に人命と日本の財は守られたのだ、と碧は静かに目を閉じた。
宇多天皇と菅原道真が協力して作り上げたその時代。
異例とも言える能力主義の人材登用、地方政治にまで目を向けた改革を行い、特別政治が荒れることもなかったようで、源菖さんは「この二人が長く共に政治にあたっていたら、藤原氏が操る今の政治を変えることが出来たのかもしれないですね」と穏やかに笑っていった。
宇多天皇と菅原道真、か。
この時代に人と違う道を自分から選ぼうとするなんて、ただ素直にすごい人だなと思える。
だけど、一つだけ気になるのは……
「何で二人は摂関政治を止められなかったんですか? 二人だけじゃ止めるの難しかったのかな」
藤原氏の手が入らないように自身で政治を行おうとする宇多天皇。
頭も良く、意志も強くて度胸もある菅原道真。
裏で操られる独裁的な政治が止められなかったのは何故?
質問をしながら源菖さんを見つめると、その源菖さんは碧の方へと視線をやっていった。
まるで碧に『お前から話すように』と促しているようだ。
碧はこくりと頷き、私の目をそらさずにまっすぐ見て、静かに言い放つ。
「嵌められたんだよ、道真公は。優秀すぎることがアダになったんだ」
それはどこか重く、悲しさを含んでいるようなとても苦しげな声で……
私はそんな碧をただじっと見つめていることしかできなかった。




