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夏鶯の空~千年を越える夢~  作者: 星影さき
第五章 過去を語る
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どうか忘れないで

 夕飯を食べ終わり、碧、源菖さん、私の三人はそのまま会話を楽しんでいた。


 その内容のほとんどはこの世界にとっての未来、つまり私のいた現代についての話。

 源菖さんは信頼のおける人だから、とすでに私の身の上については碧から話されていたようだったし、源菖さんも疑うことなく私の話を聞いてくれた。


 私は二人に、自分にとって当たり前だったかつての日常の話を、そりゃもうたくさん、息つく間もなく話していった。

 学校や家、飛行機に鉄道、テレビに携帯電話。コンビニに遊園地。

 未来の日本の話に二人は釘づけだった。

 あの頃は当たり前だと思っていたことが、この時代に来てそれは全部当たり前じゃなかったことに改めて気づく。



「すごい……未来はずいぶんと進歩しているのですね。この時代から千年以上あと、ですか。……夢物語のようだ」

 源菖さんは圧倒されてしまったようで、なかなか言葉が続いていかない。


「千年後には、そんな豊かな時代がやってくるのか。真実なのだろうが、今の時代からは全く想像できないな」

 碧はあごに指をあてて目を伏せ、考え込むような様子を見せていった。



 今の時代……か。

 碧や源菖さん、伊助さんの生きるこの時代は一体どんな時代なんだろう。


 ここに来てから数日経っているけれど、平安時代という時代のことを未だによくわかっていない自分がいる。 

 それに、時代の手掛かりとなるものを見たような気がするけれど、綺麗さっぱりわすれてしまっていて、記憶を手繰り寄せようとするたびに、なぜだか『思いだしたくない』と頭と身体が拒絶してしまうのだ。


「そういや碧、都の様子はどうだった?」

 まぁ、記憶に頼らなくても、時代の手掛かりなんてこれからいくらでも得られる。こうやって碧の話からでも、ね。

 思いだしたくないことは無理に思い出さなくてもいいと開き直った。

 頭と身体が拒絶反応を起こすくらいのものだ。どうせ、ろくな記憶じゃないだろう。


 「京の様子か……」

 碧はぽつりと呟き、顔を上げていく。


「かつて俺がいた頃よりも悪化していた。民はやつれ、死ややまいの恐怖におびえているようだったし、町では野犬が死人の腕をくわえて走りまわるという荒廃ぶり。本当はもっとゆっくり見て回りたかったのに、陰陽師を名乗る胡散臭い男に追い回されるものだから、予定以上に早く帰ってくるしかなかった」


 死人の腕……想像するとぞっとする。

 それに、何か思い出しそうなような。


「犬、死体……川?」

 そうだ、碧と喧嘩をした後、私はあの川で――


 記憶が鮮明になっていくごとに、ぶるぶると体が震えていった。

 立ち込める腐敗臭と野良犬やカラスの鳴き声、冷たい色をした死体。


 あそこに横たわっていたものは全部、人だった。

 生きていたんだ。きっと家族もいて、夢もあって、体温だってあったんだ。

 人だった人たちが、何であんなところに捨てられているの?


 嫌だ、もうやめて、怖い……!



「おい、奈都!」

 普通じゃない私の様子に、ガタっと音をたて、碧は勢いよく立ち上がっている。

 そんなのも違う世界の出来事のように見えてくる。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ!!

 忘れてしまおう、こんな恐ろしい記憶……

 私には耐えられない。



 すっと目を閉じると、ゆっくりと右肩に優しい温もりが触れ、耳に穏やかな声が聞こえてきた。


「奈都さん、大丈夫ですよ。あれは貴女の生きる世にとって過去のこと。貴女が心を壊す必要はないのです。ですから、どうか……あの光景をどうか忘れないであげて下さい」


 その温かさが私に冷静さを少しばかり取り戻させてくれる。


「源菖……さん?」

 ゆっくりまぶたを開くと、穏やかな源菖さんの顔と、心配そうな碧の顔が見える。 


 優しく微笑んだ源菖さんは、私の両手をとり、諭すようにゆっくりと語っていった。

「平和な時代から来た貴女にとって、地獄のようなさまは衝撃が強かったことと思います。ですが、わたしの想いも碧と同じ。苦しいとは思いますが、貴女にあの光景を忘れて欲しくはありません。歴史の真実を、この時代に生き、そして死んでいった民の想いをのちの世に伝えていくためにも」


「歴史の、真実ですか。あの、私が例外なんです。学校で日本史のこと教えてもらっているけど、私が物覚えが悪いだけで。皆ちゃんと知ってる……」


「そういうことじゃないんだ」

 私の言葉を遮るように、碧は静かにそう言い放っていった。


「え?」

 それならどういうことなんだろう。



「奈都。お前、厚みのない歴史書を持っていただろう? 社会とかいう横書きの書で、それを元に、教えを請うていると言っていたあれだ」


「あ、うん。碧の家に置いて来ちゃったけどね」

 きっと教科書のことだ。

 こっちの時代に来た日、向こうで私は数学と日本史の勉強をしようとしていたからカバンに入っていたんだ。


 碧は静かにうなずき、話を続けていった。


「それを読み、俺は愕然としたよ。俺たちの過ごすこの時代……平安時代は貴族のものとされ、和歌や書、遊戯などきらびやかな世界がお前の書には映し出されていた。政治形態や平将門の乱など大まかなことは書かれてあれど、民の苦しみや貴族の腐った心は何一つ見えてこない」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 京へ行く準備をしている時、教科書を置いていくことにためらいはなかった。


 情報が少なすぎるんだ。


 貴族の文化、摂関政治、仏教、地方政治の乱れ……確か、教科書にはこのキーワードで書かれていて、その内容に間違いはほとんどなかったと思う。

 だけど……


 三、四ページそこそこでこの時代について正しく理解できるはずもなかったんだ。



「奈都、お前に辛い思いをさせたことはわかっているし、心に傷を負わせてすまないとは思っているが、後悔はしていない。自分の目で見てわかっただろう? この時代は、未来の者たちが思い描いているような美しい時代なんかじゃない。混沌と歪みと腐敗、それこそがこの平安時代なんだ、と」

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