僧侶と鬼
なんだろう。
不思議な夢を見た気がする。
綺麗な満月が出ているのに雪がはらはらと降っている夢。
悲しくて苦しいけれど、どこか温かくほっとするような、そんな夢……
「目、覚めましたか?」
まぶたを開けられぬままうとうととまどろむ、静かで柔らかい声が耳に入ってくるのが心地良い。
聞いたことのない声だ、一体誰なんだろう。
ゆっくりとまぶたを開けると、そこにいたのは袈裟を身につけ、ゆるりと微笑んでいる年配のお坊さんだった。
「はじめまして、お嬢さん。具合はどうですか?」
誰だろう、このおじいさん……
私、何でこんなところにいるんだっけ?
ぼんやりとした頭は、まったくと言っていいほど働いてくれない。
「初めてお会いしますし、不安にさせてしまいましたかね。ご挨拶が遅れてすみません。わたしの名は源菖、この寺の住職です」
ぼんやりして何も言葉が出ない私を、目の前のお坊さんは気遣ってくれる。
『この寺』って言っているから、きっとこの部屋はお寺の一室なのだろう。
「源菖、さん?」
私は優しそうなお坊さんの名前を、確かめるように繰り返していった。
源菖なんて聞いたこともないし、お坊さんの知り合いなんていない。
そう思っていると、源菖さんはにこりと微笑み、思いもよらぬ言葉を続けていった。
「ええ。碧の育ての親みたいなものですよ」
「碧!?」
なんだって!
ほんわかしていて穏やかな源菖さんと、いつも眉を吊り上げぴりぴりしている碧。
全然雰囲気が違うじゃない。
どういう育ち方をしたら、ここまで正反対になるんだろうか。
そう碧に言ってやろうと思って辺りを見回してみるけれど、どこにも碧の姿が見当たらない。
もしかしてどこかではぐれてしまったの?
「あの、碧は? 碧はどこに行っちゃったんですか!?」
慌てた私は声を荒げて尋ねていった。
一体どこでいなくなってしまったのだろう。
確か山賊に襲われて、私の言葉に碧が不機嫌になっちゃって、変な臭いがして、それから、それから……?
「奈都さん大丈夫ですよ、ご安心ください。あの子は京の様子を見に行っているだけです。半刻もしないうちに帰ってきます」
半刻って、この間調べた気がする。確か一時間くらいだったはず。
「でも日も暮れちゃって、こんなに暗いのに。危なくないのかな」
「月明かりがあるとはいえ、危ないでしょうね。賊やもののけに見つからないとも限らない」
頬笑みを絶やさず、まるで何事もないかのように源菖さんは言い放っていった。
そんな危ない京に碧は一人でいるの?
「じゃあ何で、碧を止めてくれなかったんですか!」
巻物が所狭しと置かれた小さな板の間に、私の声が響き渡る。
育ての親なのに、子どもを危険なところに行かせる意味がわからない。
困惑している私に向かって、源菖さんは穏やかな声でゆっくりと語っていく。
その様は、駄々をこねている子どもをなだめるかのようだった。
「大丈夫ですよ。思い出してください。普通の子どもなら危険でも、あの子にとっては問題ない。そうでしょう?」
「え?」
一体どういうことなんだろう。
思い出してみても、大丈夫な理由が全然わからない。
私が悩んでいるのを見て、絶えず笑顔だった源菖さんは、初めて困ったような顔を見せていった。
「おや、奈都さんは気づかれませんでしたか。どうやらわたしは余計なことを口走ってしまったようですね」
「あの、気づく気づかないって、それどういう意味ですか?」
一体碧に何があるって言うんだろう。
ふぅと小さく息を吐いて、源菖さんは微笑み、語っていく。
「いずれ気づくことでしょうし、ここまで話してしまっては伝えたも同然。お教えいたしましょう。奈都さん、あの子はいわゆる鬼の子なのです」
「鬼!?」
あまりの衝撃に声が上ずってしまった。
なんだその答えは、予想外すぎるよ!
鬼って言ったら、黄色と黒のしましまパンツに、頭のてっぺんに生えたつの、そして金棒と太鼓。
碧っぽい要素が一つもないような気がする。
うんうん唸って考え込んでいると、源菖さんは小さく笑った。
「ふふふ、恐らく奈都さんの考えている鬼とは違いますよ。あの子は聡明で、身体も身軽で俊敏、感覚も張り詰め、研ぎ澄まされている。つまり周りの人間より少しばかり能力が高いのです。何がきっかけか、碧のように普通とは少し違う子どもがこの世に生を受けることがあるのです」
静かに頷きながら話を聞いていった。
源菖さんの話はとても納得できる。
まだ若いのに碧は大人顔負けで役人の仕事をし、山賊の襲撃や異臭にもいち早く気づいていた。
それに今思えば、棒で砂を巻き上げて、三人全ての目に当てるなんて、思いついてもなかなかできない芸当だ。
源菖さんも静かに頷き、碧の話を続けていった。
「そして、そういった子どもは悲しいことに、民から畏怖の対象として『鬼の子』と呼ばれ他人と上手くなじめないことが多いのです。ですから、碧も実際に鬼の子どもだというわけではありません」
鬼の子って、そういうことか。
だけど、ちょっと人より優れているってだけで、怖がられて、鬼呼ばわりされるなんて……
「鬼なんかじゃないのに。化け物扱いするなんて、ひどいよ」
「そうですね。子どもは天からの授かりもの。わたしも鬼の子などという呼び名は好みません。ただ、幸いなことに、言われている本人はさほど気にしてないようでした」
源菖さんは昔を思い出したのだろうか。
くすりと穏やかに笑い、そう語っていった。
まるで碧とは本当の親子のようだ。
「源菖さんって碧の育ての親なんですよね? 碧が小さい時から、ずっと知っているんですか?」
「幼い、というほどの歳ではなかったですね。あの子が十の時くらいでしょうか。寺の前で座り込んでいるところを見つけて、わたしが拾ったのです」
「十?」
想像していたよりずっと大きい。
住職さんに拾われた、とか、小さな頃に親を亡くした、みたいなことを言ってたから、てっきりもっと小さい時に拾われたのかと思ってた。
「はい、十の頃ですね。それまで彼がどこで何をしていたのかは知りません。わたしもあえて聞きませんでしたし。ただ、あの子は出会った頃から、貴族でもないのになぜか文字を読むことが出来、京の内部事情に精通しているという、とても不思議な子どもでしたよ」




