月下風花
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からから回るは大きな車輪と風車
かたかた揺れるは牛車の屋形としゃれこうべ
ここは死人の世界。
生きているのは自分だけ。
自分一人じゃ生きる道も死ぬ道もわからない。
この世界は何だ。
人とは何だ。
幸せとは何なんだ。
空を仰ぐと大きな満月と、花びらのようにちらつく純白で美しい雪。
空はあんなにも美しいのに、地上はこんなにも……汚い。
小さく白い息を吐き、丸くなって眠る。
人、か?
「…………ないのか、まるで地獄だ」
静かな世界に、知らない誰かの呟く声が響き渡る。
同感。
地獄なんて行ったことはないが、道行く人々が恐れながら語っていた『あれ』が地獄というなら、『これ』がまさに地獄というやつだろう。
「おい。ここで、止めてくれ。生き物の声がした」
張りのある壮年の男の声が響く。
恐らく、さっき呟いていた男だ。
かたり、と音がして車輪が止まり、屋形から人が現れた。
身なりが良いだけで特別変わったところは何もない。どこにでもいそうなごく普通の男。
牛車から降りた男に向かって、付き人が慌てて駆け寄っていった。
平安京がどうなっているのか、誰が偉いのか、そんなものはわからないが、男は高貴と言われるような人なのだろう。
数人の付き人たちが、河原に降りるな、御身が汚れる、など口々に騒ぎ立てている。
五月蝿い……
目線だけそちらに向けていたが、すぐに顔を自分の体にうずめた。
早く帰ればいいのに、とさらに身体を丸め小さくさせた。
がさり、と草の擦れる音が鳴り、地面が揺れる。
「お前の声か」
は?
突如、頭上から聞こえてきた声に飛び起き、全身の毛を逆立てて睨む。
こいつは先程の男……
何を好き好んで、こんな死体だらけの河原に下りてくる?
どうして貴族のくせに、俺の姿を見て悲しげに笑う?
俺みたいなのは貴族にとって一番興味がない、というか忌み嫌っているもんだと思っていたから、正直かなり意外だった。
そして、次に口にした言葉は予想を更に上にいったものだった。
「こっちへおいで」
何だ、コイツ。
何を考えている……!?
「寒かっただろう、可哀想に」
目の前の男はいとも簡単に俺を抱きあげる。
久しぶりに感じる温もりに安心する一方で、目的の見えない男の行動に不信が募る。
そんな俺のことなどお構いなしに、男は草むらを見つめていった。
「お前、母を亡くしたんだな。もしやその小さな体で母の亡骸を守っていた……のか」
何も反応できなかった。
数日前に此処で母を失ったのは事実。
また、荒んだこの世で俺を守り、そして死んでいった母を、野犬やカラスに食わせたくないからと、此処を離れられなかったのもまた事実。
大人しくなった俺を地面に下ろし「少し待っていろ」とそう言って、男は手近にあった草を母の身体にかぶせていく。
懐から、小さな火打石を取りだしカチカチという音を響かせ、火種を着けていった。
小さかった橙の炎も徐々に大きくなり、白い雪に色をつけていく。
ただの火なのに、不思議とそれが神聖なもののように思えてその光景をただ黙ってみていた。
男は炎が消えるまで、坊主のように手を合わせぶつぶつと言葉を唱えているけれど、俺には経とやらの意味はよくわからない。
ただ、唯一わかったのは、母がこの男によって守られたのだということ。
そして、俺のような心を持った者は珍しいと、頭を撫でながら褒めてくれていたこと。
見上げると男と目があった。
「お前はわたしに良く似ているな。この世の仕組みに疑問があるのだろう?」
こくりと頷くと男は静かに笑う。
「おいで、碧。わたしの家へ一緒に帰ろう」
あ、お……?
「名前さ。たった今、わたしが名付けたんだ。美しい青緑を含んだ目をもつ、お前にぴったりの名だと思わないか?」
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