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視聴覚室

一ヶ月遅れのチョコレート

作者: さわいつき

 異常気象による暖冬から、一気に春に突入した感がある今日この頃。暖かな風が髪を撫でていくのに身を任せ、私はぼんやりと眼下に広がる景色を見ていた。

 視線の先には、母校が見える。卒業式は二月に終わり、籍だけはまだあるものの、既にそこに私の居場所はない。たまさか訪れる卒業生がいたとしても、担任への合否報告くらいなものだろう。私大の受験A日程で在学中に既に進学先が決まっていた私は、それすらも顔を出す口実にはできないのだ。

 校舎の中を移動する制服姿の在校生たちの姿が見え、つい先日までは私もあの中にいたんだなと妙に感傷的になる。明日は終業式で、明後日には来年度の受験が予定されている。ますます高校から遠ざかっていくようで、なんだかやりきれない気持ちが湧いて来た。




 もうかれこれ一年近く私の頭の中を無遠慮に占拠してくれている、憎らしいほどに恋しい面影が脳裏に浮かぶ。せめて頭の隅にでも追いやろうと努力すればするほど、余計に頭から離れなくなってしまうのが厄介だ。

 そして結局、そんな努力はいつものように無駄な徒労に終わり、私は頭を抱えてしまった。

「なんだかなあ」

 教師と生徒だというだけで、私の恋は前途多難だった。むしろ報われるはずがない想いだった。そんな事は重々承知していたから、絶対に伝える事はしないつもりだった。こう見えても、きちんとモラルを持っているのだ。

 先生の前でもできるだけ平静を保ち、他の一部の女子生徒のように、あからさまに好意を態度に表す事はしなかった。そうすればするほど、きっと先生の心は離れていくだろうと思ったからだ。鬱陶しくて煩わしい生徒になるよりは、目立たず騒がずただの一生徒でいられる方がいい。そう思っていた。

 まさか、先生が私の恋心に気付いていたうえに、それを面と向かって指摘されるような事態が訪れるとは思わなかったのだ。それは、絶対にあってはならない事だったのに。

 軽蔑されるだろうか、嫌われるだろうか。面には出さないけれど、心の中ではこれ以上にないくらいに怯えていた。それなのに、嫌われるどころか先生からとんでもない事を言われてしまった。

 手が出せない間に、他の男のものにはなるな、と。

 その言葉の意味に、私はしばらく頭を悩ませた。手が出せない、という事は、本当は先生は私に手を出したいという事なのだろうか。他の男の人のものになるなという事は、先生のものになれという事なのだろうか。

 けれどそのことごとくを、私の理性が否定していた。そんな事はあり得ない。私に都合のいい勘違いなのだと。でも、それならばなぜ先生はあんな意味深な事を私に言ったりしたのだろうか。からかうにしてはたちが悪すぎるし、いくら先生でもあんな事でからかったりはしないだろう。

 ぐるぐると思考は堂々巡りを繰り返すだけ。先生自身から答えをもらえない限り、その謎は深まるばかりだ。そしてその謎の原因になる言葉を投げかけ、さらには私の耳にかじりつくなどという大胆な行動を取った張本人は、あれ以後思わせぶりな態度を取る事さえもなくなってしまったのだ。まるでそんな事はなかったのだと言わんばかりに、特別な会話を交わすでもなく、普通の教師と生徒として授業も補習もこなしていた。

 自宅まで送り届けてくれたのも、補習が終わった時点で雨が降っていた時だけ。それも、傘をさしたまま自転車に乗る事が困難だと思われるほどの降りっぷりの時だけに限られていたという徹底ぶり。もちろんそれが本来あるべき姿なのだけれど、好きな人からの甘い言葉を一度経験してしまった私は、曖昧な期待を抱かずにはいられなかった。当然の事ながら、その期待が叶えられる事はなかった。

 宙ぶらりんで中途半端なままに迎えた卒業式も、消化不良の想いを抱えたままでは感動もできなくて。ただ、もうこれで先生に会えなくなるという確固たる一つの事実ゆえに、涙を流した。きっと事情を知らない周囲から見れば、よくある卒業式の光景の一つに過ぎなかったのだろうけれど。




 肌で感じる風が冷たくなるころ、私は両手を頭の上に伸ばし、長時間じっとしていたために固くなっている体中の筋肉をほぐした。

 足下に置いたままだったショルダーバッグを手に取ると、かさり、と乾いた音がする。中に入っているのは、あの日に渡せなかった小さな包み。母からの分は母と弟と三人で食べた。これもいっしょに、と思っていたのに、母に止められた。もういっそ食べてしまえば想いごと消せると思っていたのに、そんな私の考えなど母にはすっかりお見通しだったらしい。

 食べる事ならできそうだったのに、捨てるとなると話は別で。渡す事ができなかったチョコレートは、やはり捨てる事ができなかった私の恋心と同じように、中途半端なままで今もここにある。

 一ヶ月の間私の机の上に置きっぱなしだった包みは、バッグの中で包装紙にシワが入っている。可愛く飾られていたリボンも、ぺちゃんこに潰れていた。

「どうしたものかなあ」

「なにがどうしたって?」

 いきなり背後から声をかけられ、心臓が飛び出るほどびっくりした。

 学校を見下ろす事ができるこの場所は、切り立った小さな丘の上にある。切り開いて住宅地にする予定があったらしいのだけれど、開発費用が莫大になる事を理由に、途中で放置されたままになっていた。持ち主の好意で公園というか広場として開放されてはいるけれど、遊歩道以外は手を加えられていないため、雑草も木も伸び放題だ。

 私がいるのはさらに丘の突端部分だけれど、学校に近すぎるため、他の景色は僅かしか見る事ができない。そのため、わざわざここにに来る人なんて、ほとんどいないのだ。いるとすれば、学校を覗きに来るようなちょっと危ない系の人が多く、警官による巡回路にもなっている。学校側が気付けば通報される事もあるらしく、実際、私がいた間にも何度か警官を見かけた。

 どきどきと激しく打ちつける鼓動を胸に手を当てて押さえ、恐る恐る背後の人影を確認するために顔を巡らせる。

「せ、んせ、い?」

 そこにいたのは、私の頭の中を無遠慮に占めている、当の本人だった。

「警察から確認の電話が来たみたいでな」

 私の動揺など素知らぬ顔で、先生はのほほんと口を開く。

「女の子が、丘の上にずーっと立っているってな。職員室で騒ぎになる前に、俺が自主的に様子を見に来たんだが」

 年配の教師が多い中、二十代の先生は、貴重な若手だと言える。たとえ自主的に言いださなくとも、きっとあの手この手で言いくるめられて先生が来させられたのだろう事が容易に想像できた。

「あー。あの警察官、かな」

 少し前に声をかけてきた若い警察官が、卒業生だと説明してもなんとなく怪しんでいた事を思い出す。人を疑うのが仕事とはいえ、こんないたいけな元女子高生が何をするというのか。恐らく警察官の心配はそこではないのだろうけれど。

「お前ね。ここまで来ているんだったら、顔を出しに来ればいいだろうが」

「理由も口実もありませんから」

 それに、午前中だけとはいえ在校生たちは普通に授業があったはずなのだ。まさか私服姿で遊びに来ましたなんてわけにもいかないではないか。

「理由や口実があれば、顔を出したそうな口調だな」

 指摘されてはっとして、すぐにむっとした。人の挙げ足を取るなんて、相変わらず教師にあるまじき行為だ。

「で? 何時間もこんなところで何をしていたんだ?」

 先生は顎に手をあて、じろじろと無遠慮な視線を投げかけてくる。

「センチメンタルに浸りに」

 本当の事を答えたのに、先生はぷ、と小さく吹き出した。何気に失礼な人だ。

「センチメンタルの意味を、ちゃんと理解しているのか?」

「感傷的とか涙もろい、でしょう」

 いくら英語が苦手だからって、私でもそのくらいは知っている。

「なんだ。一応分かっていたんだな。で? 佐川を感傷的にさせている原因はなんなんだ?」

 それはズバリ目の前にいる大和先生、あなたです。とはさすがに言えなくて、言葉に詰まってしまった。

「もしかして、それが関係しているのか?」

 先生が指さしている先は、どうやら私の胸元で。そこにある物に気がついた私は、慌てて両手を体の後ろに隠した。慌てたものだから、つい手に力が入ってしまったようだ。今の感触だと、恐らく、箱のどこかがくしゃりと潰れたのではないだろうか。

 もともと渡せなかった物だ。これから先も渡す事などできないだろうと高をくくっていたのに、まさか本人に見られてしまうなんて。

「違います」

「ふうん? まあいいけどな」

 あっさりと引き下がってしまった先生に肩すかしをくらわされたような形になり、私は思わずむっとした。

「だから、言いたい事があるなら言えって」

「べつに、何もありません」

「そんな顔で、何もないわけがないだろうが」

 じりじりと距離を詰めてくる先生から逃れるために、私は遊歩道に向かって同じようにじりじりと後退する。

「いえいえ。ほんとうになんでもありませんから、どうぞ気にしないで学校に戻ってください」

「あ? 今、何時だと思っているんだ?」

 言われて腕時計を見ると、時刻はすでに十八時半を過ぎている。教職員の就業時間は十八時までだから、今日の業務は終了しているらしい。

 などと考えていると、あっさりと手に持った包みを奪い取られてしまった。時計を見るために手を体の前に出してしまった私の失態だけれど、してやったりな先生の表情を見る限り、どうやら完全に嵌められたようだ。

「先生、それ、返して下さい!」

「佐川が、チョコをくれたらな」

「は?」

 チョコ?

「バレンタインのチョコレートだよ。お前、本命に渡さなくてどうするつもりだったんだ」

「そんな、一か月も前の事を。だいいち、先生が受け取れないって言ったんじゃないですか」

「お袋さんからのお礼は受け取れないって、言ったんだよ」

「でも先生、チョコレートならたくさんもらっていたじゃないですか。あの時も、囲まれていたし」

 あの時向けられた、刺すような視線。勝ち誇ったような歪んだ笑顔。そのどれもが今も鮮明に思い出せる。

「あんな物、どうせ全部義理だ。俺は、お前からのを楽しみに待っていたんだがな」

 あの時あれほど素気なく私を追い返そうとしたくせに、どうして今になってこんな事を言うのだろうか、この人は。あの時の私の悔しさも切なさも、何も分かっていないくせに。それにあのチョコレートのすべてが義理だとは、私には思えない。現にこうして先生への恋心を抱えている私がいるのだから。

 人を好きになるのは理屈じゃない。教師だとか生徒だとか、そんなものも何の障害にもならない。好きになった人がたまたま自分の学校の先生だった、ただそれだけの事。もちろん気持にブレーキをかけなければならないという意味では、十分障害になり得るのだろうけれど。

「そんな物、最初からありません。とにかくそれを返して下さい」

 今その手に掴んでいるのが件のチョコレートなのだと悟られないよう、けれどそれなりに大切な物だから返してほしいのだと伝わるように、少しだけ必死さを滲ませる。

「ふうん? 俺じゃなければ、誰に渡すつもりだったんだ?」

 本命とばれないように、カモフラージュのため、市内のショッピングセンターで買った。けれど有名ホテルの包装紙が使われている時点で、バレンタイン用の物だという事はばれているらしい。

「古典の、日本ひのもと先生です。日本先生、インフルエンザで休んでいたから渡しそびれたんです」

 とっさに浮かんだのは、学校内でも若い方から数えて五本の指に入る、穏やかで陽だまりのような笑顔の国語教師の名前だった。あの先生も、大和先生とはまた違った人気を誇っている。

「なんで、そこで日本先生の名前が出てくるんだ。お前が惚れているのは俺であって、日本先生じゃないだろう。たとえこれが義理チョコだとしても、俺に本命チョコも渡していないお前が、なんで俺以外の男にこんなもん渡すんだよ」

 またこの教師は、なにを勝手な事を。私はまたもやむっとした。

「私が大和先生の事を好きだなんて、いつ言いましたっけ」

 そう。先生に言い当てられて焦った事はあったけれど、私がそれを肯定した事もなければ、告白なんてした事もないのだ。

「今さら何を言っているんだ、お前は」

 私の気持ちがいつまでも先生にあると信じ切っているあたり、かなり自分に好都合な思考回路を持っているのだなと感心する。ただ、それが図星なのが悔しい。

 じりじりと近づいてくる先生に、手すり伝いにじりじりと後退する私。傍から見れば、いけない大人に迫られているいたいけな少女というところだろうか。もっとも、移動しているせいで校舎からは見えない位置に来てしまっている。さらにはこの時間になれば、学校から連絡を入れない限り、今日はもう警察官も巡回しては来ないだろう。

 西の空に赤く色づいた日が傾き始めれば、日没まであっという間だ。そうなるまでにはなんとかこの場から去りたいところなのだけれど。

「そういう笑えない冗談は、いただけないな」

 笑えないと言いつつも、先生の口角は上がっている。けれどすっと細められた先生の眼は、愉快そうには見えない。むしろ怒気を孕んで妙な迫力を伴っていた。




 笑えないのは、こっちの方だ。散々思わせぶりな事を言っておいて、気のある素振りまで見せたくせに。なのにいつも肝心なところで突き放されているのは、私なのだ。

 負けじとじっとりとした目つきで睨みつけていると、程なくして先生の方が折れた。

「とりあえず、義理でもなんでもいいから、これは俺がもらっておくからな」

「は? え?」

「どうせ今頃じゃあ、日本先生にも渡せないだろうが。だったら、俺がもらってやるって言っているんだ」

 相変わらず、つまらないところで恩着せがましい人だ。その余計なひと言がなければ、私だってもう少しは素直になれるだろうに。たぶん。

「返せって言っても、返してくれないんでしょう? 好きにしてください」

 思いがけず先生の手に渡ってしまった本命チョコに、根性なしの心臓がどきどきと騒ぎだした。

「ったく、素直じゃないな。とりあえず、手、出せ」

 つい言われるままに両手を前に差し出すと、手のひらに小さな箱が乗せられる。チョコレートのような平べったい形ではなく、どちらかというと立方体に近い。

「これ、なんなんですか」

「義理チョコのお返しだ」

 今日がホワイトデーだと、先生が知っていた事に驚いた。でもよく考えみると、在校生たちにとってはバレンタインデーの次に重要な日なのだから、それなりに話題にも上るしひと騒ぎやふた騒ぎはあったのかもしれない。

 そしてさらに。まさか渡してもいなかったチョコレートのお返しを、先生が先に用意しているなどと思いもしなかったから、本気でびっくりしてしげしげと箱を眺めてしまう。

「もしかして先生って、全部の義理チョコにお返し、しているんですか」

 ふと湧いてきた素朴な疑問を口に乗せた。もしそうだとしたら、義理に対してかなりの散財になった事だろう。

「そんなわけ、ないだろう。お前にだけだ」

 少しだけ照れたような表情なのにどこか苦々しげなその口調に、思わず笑いそうになるのをなんとか堪えた。

「今開けても、いいですか」

「いや、できれば家に着いてからにしてくれ」

 どうしてそこでそっぽを向くのだろう。

「は? なん、で、ですか」

「いろいろ事情ってものがあるんだ。ああ、それと、十八日後の予定は空けておけよ」

 今日が十四日だから、十八日後ならば四月一日だ。その日に何かあっただろうかと記憶を探ってみるけれど、思い当たる事柄が見つからない。

「エイプリルフールに、なにかあるんですか?」

「四月馬鹿なんか、どうでもいい。ああ、そうか。またお前が妙な勘違いをしないように、今から言っておかなくちゃならないか。覚えておけよ。十八日後に俺がお前に言う事は、エイプリルフールの冗談嘘なんかじゃないからな」

「はあ」

 訳が分からず気の抜けたような返事をした私に、先生が軽く肩を竦めて、困ったように眉尻を下げた。初めて見る少し弱気なその仕草に、あろう事かまたしても心臓が勝手に騒ぎ出してしまう。

「て事で、暗くなる前に帰らないか」

 辺りは既に、夕焼けで真っ赤に染まっている。あと僅かな時間で辺りは薄暗くなるだろう。いくら一人ではないとはいえ、こんな場所にいるべきではない事くらいは分かった。

「今日もチャリなのか?」

「え? あ、いえ、今日は別の用事もあったから、電車です」

 家から駅までは、年度内に有給を消化しなければならないとかで休みを取ってごろごろしていた父がいたので、運よく送ってもらう事ができたのだ。

「家まで送ってやるから、ついてこい」

「は? え?」

 状況が把握できずにぼーっとしていると、いきなり先生に手を捕られ、せっかくもらったお返しを危うく取り落としそうになった。とっさに握りこんで難を逃れたけれど、もし落としでもしていたら、後で何を言われるか分かったものじゃない。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 触れている手が熱を持つのが分かる。きっと顔も真っ赤になっているだろう事は、頬の熱さと踊る鼓動から間違いないはずだ。なんとかこの夕焼けでばれませんように。そう願いながら視線を上げてみると、珍しいほどに優しい笑顔がそこにあった。



 どきどきしながら帰宅した私は、出迎えてくれた弟に声を掛けられた事にも気が付かなかった。

 私室のベッドに座ってしばらく茫然としていた私は、不意に思い出してバッグを漁り、先生から渡された小さな包みを探す。すぐに目的の物を見つけて取り出して、しげしげとそれを眺めた。

 中身はいったい何が入っているのだろう。しょせん義理チョコそれも半ば無理矢理に奪い取られた物のお返しだ。過度な期待はしない方が賢明だろう。そう思いつつも、ほんとうはほんとうに本命チョコだったのに、と、素直になれなかった事を少しだけ悔やんだ。

 しばらく、そのまま箱を睨みつけていた。それこそ穴が開くのではないかと思えるくらいにじっとりと。しかしこのまま睨んでいたって、透視能力があるわけでもないのだから、中身が分かるはずもなく。ごくりと唾を飲み込んで、可愛くラッピングが施されたリボンに手をかけた。

 箱から出てきたその結果があまりにも予想外で、私は茫然と手の中の物を見つめる。

「え? これって、えええええーっ?」

 ようやく事態を理解した脳味噌が、今度はその結果をにわかには信じる事ができず、私はうっかり奇声を上げてしまったのだった。

 何事かと部屋に飛び込んできた弟が、私の状態を確認して吹き出した。

「だから心配いらないって言ってたのに」

 と愉快そうに言われて、とっさに何も言い返す事ができない。中学を卒業したばかりの弟は、どうやら事恋愛に関しては、私よりもいろいろよく分かっているらしい。

「これ、どうしよう」

 途方に暮れた私は、藁にも縋る思いで相談を持ちかけた。

「どうしよう、って、そりゃ、もらっとくべきなんじゃない?」

「や、でも」

「どうせまた会う約束はしているんだろ」

 そういえば、十八日後がどうとか言っていた気がする。

「その時、それの意味を聞いてみれば? 今は何を聞いても、先生の立場上答えられないだろうし」

 頼りがいのある弟を持った事を感謝したのは、これが初めてかもしれない。

 手のひらの中でころりと転がる小さな輪っかを指先でつまみ、部屋の明かりに透かしてみる。

 ほんの一瞬、輪っかのむこうに、贈り主の笑顔が見えたような気がした。



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