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三粒と一片

親愛なる読者さま


何と申しますか…先に謝っておきます。いろいろごめんなさい。

残酷描写や性的表現は全てパス、という方はこの“三粒”を回避してください。

登場人物のリアルな生き様をなるべくそのままに…ということで書いたのですが、

ちょっとショッキングかもしれませぬ。お許しを。

マルモア王都の大通りを滑るように白銀の公用車が走る。

サヤが音楽会出席のため王宮入りした時は嫌味なくらい身元確認が

繰り返されたのに、復路は第五枢機卿が軽く手を挙げただけで、

城門が難なく開かれる。


それにしても…まずい状況である。


イオの怒気に負け、うっかり乗り込んでしまったが、街中の裏通りに

高位聖職者のみが使う白の公用車が止まったら目立ち過ぎだ。

今のところ、ご近所さまにはエルミヤから出てきた遠縁の者

ということで通している。

よもや小じんまりとした中古住宅が北方辺境伯の“隠れ家”とは誰も

思わぬだろう。

が、それもこれも褐色の肌に銀の短髪という都中に顔の知れた

青年枢機卿が現れたらお終いだ。


「あの、イオ…その辺で下ろしてくれると嬉しいんだけど」

相変わらず厳しい面もちのまま横に貼り付くかごとく座っている男に、

サヤは勇気を振り絞ってお願いした。

「君をこのまま帰すつもりはない」

ところが第五枢機卿は本気でサヤを拉致する気満々だった。

「私の私邸に案内しよう。君の家よりずっと広くて静かだ。

 このところ慌ただしかったから、少し二人でゆっくりしよう」

何の冗談かと思ったが、イオの目は笑っていない。


真剣(まじ)ですか…)


枢機卿の私邸って。しかも“二人でゆっくり”って何だ。

変な妄想が次々浮かぶのをサヤは慌てて追い払った。


「せっかくのお誘いですけれど、仕事が立て込んでおりまして。

 猊下もお忙しいと存じますので、わたくしのことはお構いなく。

 いえもう、本当にその辺で下ろして…」

おほほ笑いをしつつ外を見やる。

隙を見て飛び下りたいところだが、そこは高位聖職者用の公用車。

優先通行でノンストップの上に、確実にドアはロックされているだろう。


そこで乱暴に腕を引かれ、サヤはイオの胸に倒れ込んでしまった。

彼の苛立ちが衣を通し、熱い体温と共に伝わってくる。

「私の前でその白々しい演技は止めてくれ。

 音楽会で見ていて…君があんな連中に(へりくだ)るのを見て…

 吐き気がするほど嫌だった。

 君がクリームたっぷりのスコーンを口にするのを見て…怖かった」

サヤにとっては毒。もちろんイオには分かっていた。

それで死ぬことはない…けれど彼女を確実に苦しめる毒。


今はまだ大丈夫かもしれない。

けれども次は大丈夫ではないかもしれない。

彼女を…自分は失ってしまうかもしれない。

そんな恐怖でイオは息が詰まりそうになった。

失うくらいなら、例え彼女の意志を曲げることになったとしても、

閉じ籠めてしまいたい。例え嫌われても死なれるよりは遥かにましだ。


そして第五枢機卿には、それを実行するだけの力があった。


「イオ、私は大丈夫よ。これくらい平気。

 女王さまから叙爵の言質を取ったのだもの…勝ったと思ってる」

青年枢機卿の背中に手を回し、あやすようにポンポンと軽く叩く。

彼の怒りが自分に向けられたものではないと知って、サヤの方は少し

落ち着きを取り戻した。


珍しくも暴走気味のイオである。

こんな時、真っ先に止めに入ってくれるだろうシイがいない。

副宰相に暴力を振るった廉で城の地下牢に送られてしまった。

レン少将は身の安全を請け合ってくれたが、やはり心配だ。

一刻も早く出してあげたい。

「イオ、お手数だけど、今晩にでも再度登城してシイの“告解”を

 お願いできる?」

告解とは高位聖職者が咎人(とがにん)に対面する際の一方式で、

相手が囚人の場合、虐待等の非人道的扱いを受けていないか

確認することができる。

そして何より咎人が懺悔し、高位聖職者がこれを認めて

「この者は悔い改めた」

と宣言した場合、釈放されたり減刑されたりする。


「…嫌だっ」

「えっ…?」

獣の低い唸り声のようなものが、イオの口から漏れ、次の瞬間、サヤは

座席の上に押し倒されていた。

二人の視線が絡み合い、サヤは自分が痛恨の失敗(ミス)をしたことを

悟った。


イオは彼女にも腹を立てていたのだ。

それも恐らく今までの中で一番酷く。


*** *** *** *** *** 


薄暗いが完全な闇ではない。

(かび)臭いが鼻が曲がるほどではない。

底冷えするが備え付けの薄っぺらい毛布でしのげぬこともない。


極寒のエルミヤ高山地帯で1週間避難小屋に閉じ込められた時に比べれば、

王宮の地下牢なぞシイにとっては“楽勝”といえた。


副宰相をぶん殴り、前歯を一本折った上、鼻血を噴かせた異民族の青年に

レン少将は気味が悪くなる位寛大だった。普段はサヤを挟んで攻防戦を

繰り返す二人であったが、今回は別だ。


「王国軍の少将としては,君を罰する立場だが、個人的には賞賛したい。

 リウのあの顏…痛快だった」

どうやら副宰相と少将は日頃から不仲らしい。

「不本意だろうが、ここで少しばかり大人しくしていてくれ。

 2、3日中には内済に処して、出してやる。暫くの辛抱だ」

また明日にも様子を見にくる…そう言い残して少将は足早に仕事に

戻って行った。


(所詮は名家の坊ちゃんだよな…あいつ)

優秀な武官なのかもしれないがツメが甘い。

そんなことを考え、ボンヤリ天井を仰いでいる内にシイは別の足音を

聞いた。視界が効かなくとも、音で分かる。僅かに足を引きずる音。


ほどなく独房の格子が開き、目の前に一人の男が立った。

薄闇に相手の表情は読めない。読めないが分かる。

男が自分に対して激昂していることに。


「何か…弁解することはあるか?」

静かな問いかけだった。


「ございません」

静かな(いら)えだった。


「そうか…」

次の瞬間、シイは二つ折りになって前のめりに倒れた。

男が容赦なくシイの腹を蹴ったのだ。

「この愚か者め。自分の役目を忘れたか!」

床に崩れおちたシイの背中を相手は何度も何度も踏みにじる。

鉄片を仕込んだ長靴はそれだけで武器になる。

たちまちに背中の薄皮が破れ、血が滲み出したが、シイは一切の抵抗を

放棄していた。全ては…彼が招いたことで、男の怒りは正当なものだった。

「一時の感情に負け、副宰相に手を出すなど。

 あれの足を引っ張るつもりか…何のためにあれの側にやったと

 思っている!」

髪を鷲掴みにされ、上半身を引き起こされる。そうしてから、両頬を

張られ、またも冷たい石の床に顔面を埋めることになる。

男は拷問の手口を熟知していた。一撃でシイの命を奪うことも可能だが、

そうはせず、きちんと手加減している。意識が朦朧とするほどの痛みを

与えながらも、失神しないギリギリの所を選んで攻撃してくる。

「自分が生かされた理由を忘れるな。あれの邪魔になるようなら…

 あの時助けてやったお前の一族諸共(もろとも)に、今度こそ葬り去ってやる」

フラフラになったシイを男は更に(おもり)つきの鉄鎖で拘束した。

それから(おもむろ)に開け放した格子の向こうに視線をやる。

「来たのか、リウ」

「…歯の治療に時を要しまして」

遅れて現れたのは副宰相であった。

「先に少しばかり懲らしめておいたぞ」

「後は私めにお任せいただけますか?」

「もちろんだ。きっちり“調教”しろ。但し…殺すなよ。

 まだこいつの使い道はある。生きたまま飼い主に返してやれ」

副宰相に拘束の鎖を渡し、男は独房から出る。

そのまま行きかけて、思い出したように振り返る。

「リウ、まだ仕事が残っているぞ。夜半までには戻ってこいよ」

夜半の仕事…?

拘束する鎖に力が加わる。副宰相はイオを苦しめるためというよりも、

無意識に行っているようであった。

「かしこまりました。刻限までには必ず戻ります…宰相閣下」

遠ざかる足音が消えた時、副宰相は鎖を手繰ってイオの頭を引き寄せた。

「さて、お楽しみの時間だ。まずは義歯の具合を試させてもらおうか」

左耳をペロリと舐められる。

「や、め、ろ」

宰相からの責め苦に沈黙を保っていたシイがくぐもった声を出す。

口の中が切れていて鉄錆の味がした。

しかしそれよりも…敏感な耳先を男に舐められて、嫌悪感がこみ上げる。

「ああ?下等民族のお前に拒否権なんてものはないんだよっ!」

「うぁぁあああ!」

シイの口から絶叫が迸った。

リウ副宰相がシイの少し尖った耳先に歯を当て、咬み千切ったのである。


*** *** *** *** *** 


当たり前のことであるが…車は自動では動かない。

運転手がいて…公用車ともなると助手席には護衛も付く。

運転席と客席とは曇り硝子で隔てられ、防音もある程度施されている

のだろうが、サヤは気が気ではない。


北方辺境伯代理と第五枢機卿は只今のところ、ちょっと人さまに

見られたら言い訳のできない…イカガワシイ状況に突入していた。

女王さまから下賜された“金雲海”のネックレスを掻き分けるように

サヤの胸元が大きく広げられ、イオが顏を沈めていた。

「イオっ!」

サヤが警告を発するも、相手は拘束を緩めず動かない。

「嫌だ。シイに“告解”なぞ許してやるものか。あいつは…自分の

 感情に負けてサヤの努力を無にしかけたんだぞ!」

「シイは私のために…」

みなまで言うこと許されず、咬みつくような口付けが降ってくる。

「私は我慢した。ずっと君のために耐えていたのに。なのにあいつは…」

どうやら堪忍袋の緒が切れたらしい。サヤは容易に口を挟めなかった。

「サーヤに随行を断られたけれど、心配だったから音楽会に出向いた。

 君が呼んでくれたなら直ぐにでも助けに行ったのに。

 君は結局、音楽会の間中、誰にも助けを求めなかった。

 私とは…ろくに視線すら合わせてくれなかった」

「そんなこと…」

抗議が途中でふぎゃっと小さな悲鳴に変わる。

イオの手がサヤの胸の膨らみに触れている。


ぞわぞわ、ぎゃああの状態である。


「私はサーヤから目を離さなかったのに、サーヤは私のことを2回しか

 見てくれなかった」


数えていたのか。

イオは相当根にもっているようであった。


「それなのに、君はシイを…あんな奴を抱きしめて。許せない」

どうもそれが怒りの根幹だったらしい。

「我慢しないで私も殴れば良かったのか。無知な女王を、傲慢な王女を、

 自分勝手な宰相を、下種な副宰相を。

 そうすればサーヤは満足してくれたのか。喜んでくれたのか?」

「止めて…イオ。私は私の事情に貴方を巻き込みたくない」

相手を思いやっての言葉だが、これがまた第五枢機卿の怒りに火を付けた。

「シイは?奴なら巻き込んでいいのか?奴は“身内”で私は“他人”

 だからか?私よりも…奴が好きなのか?」

イオとシイ。

比べてみたこともない。比べられない。どちらも大切で、大好きだ。

けれどもイオに対する気持ちとシイに対する気持ちは違う。

似ているようで…全然違う、と思う。

ただサヤにはまだその違いをきちんと言葉で説明することができなかった。

その代わりに、イオの激情に流されまいと、必死に理性をかき集める。

「あの、イオ。冷静になって。人目もあるし…」

そう言って、前方に目をやる。

運転手や護衛が“敵方”に買収されないとも限らない。

「彼らのことなら心配ない。口の固い連中を選んであるし…高位聖職者の

 隠し妻やら愛人やらを公用車で運ぶのは珍しいことではない」

ところがイオは実にさらりとトンでもないことをのたまった。

言われたことを理解するのに3秒。

その後、サヤの理性はあっさりと吹き飛んだ。

音楽会では“耐え難きを耐え忍び難きを忍んで”いた彼女も、ここで

理性の針を振り切らせた。

「ちょっ…隠し妻や愛人って…イオ、あんたまさか余所(よそ)に…」

25歳の青年枢機卿。

聖職者でありながら、女を“その気”にするのが上手すぎる。

知り合って7年近くになるが、王都にいる時の彼が普段どんな生活を

しているかなんてサヤは知らない。

むくむくと怒りが湧いてきて、サヤは身を起こすと、いつの間にやら

イオの胸ぐらに掴みかかっていた。

「ち、違う!誤解だ。余所にはいないっ!私にはサーヤだけだっ!」

さすがに自分の失言に気づいて、イオは慌てて弁解した。

「私は隠し妻にも愛人にもなるはつもりないわ!」

「それも誤解だ。サーヤを日陰者にするつもりはないっ!」


…どうにもイオが劣勢になったところで、公用車が急停止した。

二人して転がりそうになったところを、イオが身を呈してサヤを庇う。


「何事だ?」

完全停止したところで、二人して身を起こす。


「そろそろウチのお嬢さまを返してくれないかな?」

その声と共にドアのロックが解除された。

一目散にサヤは外に飛び出し、声の主に抱きついた。

「わーん、ナナツ!」

公用車を急停止させたのは反対車線から妨害を仕掛けたエルミヤ(くに)代理

ナナツの車であった。

60過ぎても、その運転技術はお見事で、実の娘のように思っている

サヤをあっさりと取り返す。先に帰ったと見せかけて、実は枢機卿の

公用車を追跡し、人目につかないところで勝負に出たのだ。


さすが元ヤクザの親分…いえ、げふん、げふん。


「報われない恋心ってヤツにはちっ~とばかし同情しますがね…」

ナナツはサヤを抱きしめたまま、第五枢機卿に睨みをきかせた。

成人してから甘えることのほとんどなくなった彼女が珍しくも

泣きついてきたのだ。


彼の“娘”を泣かせた罪は重い。


「猊下、しばらく家には出入り禁止ですぜ。お嬢さまに近づいたら

 …その褐色の肌が真っ白になるよ?」

単なる脅しではない。

ナナツは本気で枢機卿撃退を自分の部下に命ずるつもりであった。


「何が“報われない恋心”だ。勝手に決めつけるな」

ナナツがサヤを連れ帰った後、イオは公用車の中で独りごちた。

それはかなりのところ…“負け犬の遠吠え”である気がして、

第五枢機卿はがっくりと両肩を落とした。


*** *** *** *** *** 


自分の絶叫で覚醒する。

首を絞めつける鎖から何とか逃れようと、シイはもがいていた。

耳先を千切られた痛みとほぼ同時に、首筋にも違和感が走った。


恐らく薬を盛られたのだろう。

痛覚はそのままに…四肢の自由が利かなくなっていた。


「この程度でまいるほど(やわ)じゃないはずだろう?

 二度と抵抗する気が起こらないように…しっかり(しつ)けてやる」

副宰相による拷問は続いていた。

いや、それは何ら証言や自白を引き出すものではない。

単なる、暴力の連続であった。

「あまり時間がないな。これからまだ“仕事”があるし…

 どうするか」

どうやら夜半に仕事があるのは本当らしい。

副宰相はシイを痛めつけながら、しきりに時間を気にしていた。

「ああ、宰相閣下に“殺すな”と言われていたんだっけ…あんまり外見に

 傷をつけると飼い主に返す時に(うるさ)そうだな。どうするか…」

囚人が何も言わぬのをよいことに、副宰相は自分の思いを駄々洩れにする。

「そうだ。久しぶりに“軍隊式”調教方法を試してみるかな。

 大丈夫…心配しなくても、それ以上、外見が酷くなることはないよ」

くっくと、愉快でたまらないという風に喉から音が洩れる。


「何を、する」

副宰相が腰に手を掛けてきたのを感じて、シイは身震いした。

「ふうん。まだ若いね、君の肌は。女のように滑らかだ」

「僕に…触るな」

「お前に拒否権はないと言っただろう?薄汚い獣の分際で」

「やめっっろぉお…」

身体の内側から付き挙げられるような痛みにシイは再び絶叫することに

なる。

「狂いたければ狂えばよい…心配しなくても、“お嬢さま”の元には

 返してやる。穢れたお前を見て、あの女はどんな顔をするかな」

楽しみだ…そう呟く副宰相は狂気を宿していた。


次回、シイ奪回にサヤが動きます。

サヤが対峙するのは“聡明なる王女さま”。

さて、どんな方法でシイを助けるのか。


一方、“優しい女王さま”とその“恋人”の間にも

何やらおかしな動きが出てきます。

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