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二粒と一片

宰相さまの命令で第二枢機卿を訪ねることになったサヤ。

女王さま主催の音楽会なんぞ憂鬱以外の何物でもない。

宮廷作法の猛特訓…なんてやってられんわ!

そこに叙爵を巡って結婚問題も浮上中。

枢機卿イオ、少将レン、秘書官シイの思惑も入り乱れてきます。



マルモア王都の南には広大な森が広がっている。


人の領域と自然の領域の境界に建つのが王国の主神殿で、法王と

枢機卿の居所もここにある。7人の枢機卿の内、王都を管区とする

第一枢機卿以外は、各地方に管区を持つ。第二枢機卿以下6人は、

王都と自分の管区を数か月ごとに行き来することになるので、

主神殿に常時7人が揃うのは特別召集の枢機卿会議が開かれ時に

限られる。


サヤが上京している現在は、通常招集の枢機卿会議が10日に一度

開かれるだけで、第三、第四、第六枢機卿が都を留守にしていた。


(第二枢機卿も留守だったら良かったのに…)

飛んできた羽ペンを避けながら、サヤは何度目かの溜息をついた。


「あだっ!」

しかし次の瞬間、紫の房飾りの付いた扇子が額を直撃し、悲鳴をあげる。

「もっと真面目におやりっ!」

そうして容赦ない罵声が浴びせられる。


エルミヤ北方辺境伯代理は、宮廷作法の基本中の基本である、お辞儀の

練習をさせられていた。もう何十回同じことを繰り返したか分からない。


「歩き方がせわしない。笑顔が固い。指先がそろってない。

 目線がおかしい。首の動きがぎこちない…やり直し」

サヤの正面で肩を怒らし、目をかっと見開いて立っているのはサヴァイラ

第二枢機卿。マルモアで唯一の女枢機卿で、御年70をゆうに超えるが、

依然かくしゃくとしている。

…そして神の代理人というより地獄の代理人のようである。


「田舎領主としては通用しても、都の貴婦人としては全然なっていない。

 このままでは、確実に音楽会で笑い者になるよ。どうせ、私が

 神殿管区を移ってから作法の練習をサボり続けているんだろう」


その通りなので、サヤは何も言えない。

というか弁解する気にもならない。

エルミヤでの日常生活に仰々しい宮廷作法はの出番はないのだから。


「こちらをどうぞお嬢さま」

額の汗を指で拭おうとしたところ、すかさずシイが濡れたおしぼりを

差し出してくれた。優秀な秘書官は朝から女主人の第二枢機卿訪問に

同行し甲斐甲斐しく世話を焼いていた。


「ありがとう、シイ」

「甘やかすな、シイ」

サヤとサヴァイラの声がほぼ重なる。


「猊下もどうぞ」

そこでシイは抜け目なく、枢機卿へもおしぼりを差し出した。

サヴァイラはしばし沈黙したままシイを見つめたが、やがてその心遣いを

受け取った。


緑がかった黒髪に少しとがった耳。シイの明らかに異民族と知れる

外見は、マルモア主神殿の中で異端のものといえる。

王国において少数民族に対する差別は法により禁止されているが、依然

都の上流階級の間では彼らを“蛮族”、“賤民”と蔑視する意識が根強い。

神殿も異教徒である彼らに大抵冷淡である。


そんな中にあってサヴァイラは例外的にシイを“普通に”扱った。

彼女が前エルミヤ神殿管区長として赴任していた頃、サヤにはガミガミと

礼法指導を行う一方で、シイに対しては随分と温厚な態度を取っていた。


「エルミヤの銀葉高山茶を持参しました。お召し上がりになりますか?」

「…いただこう」

シイは初めて入った第二枢機卿の一室でまごつくことなくお茶の準備を

始めた。


(さすが、シイ!助かるわ!)

サヤはソファに身を沈めながら、内心で快哉(グッジョブ)を叫ぶ。

これで休憩時間が延長された。

彼女の弟分で従者で秘書官のシイはとても優秀だった。


「シイ、お前の不出来な主人のために、ちょっとそこで“宮廷人らしく”

 振る舞ってみなさい。サヤ、よく見ているんだよ」

サヴァイラはシイを部屋の中央に立たせると、一連の動きを命じた。

「前に進み出て、そこで腰を落として頭を下げてお辞儀、中腰のまま(おもて)

 上げて控えめに微笑む。それから目を伏せて再度お辞儀、真っ直ぐに

 立って、指先を揃えて、そのまま後退、半回転して退出…」


サヴァイラの指示に従ってシイが流れるように動いていく。男女どちら

でも通用する基本動作なのだが、静から動へ、動から静へと一つ一つの

所作に品がある。

「シイ、すごい、キレイ、さすが~!」

サヤは惜しみなく賞賛し、拍手さえ叩いた。

「ありがとうございま、お嬢さま」

褒められて、シイも満面の笑みを浮かべる。

サヤが学習する傍らには彼が大抵控えており、女主人より先に上達(マスター)する

ということが、実は結構ある。


「感心している場合かいっ!」

そこにサヴァイラの叱責が飛ぶ。彼女が投げつけた祈祷用の数珠を

サヤが避け、直後にシイが受け止めた。


「今度の音楽会には王都で評判の歌劇歌手が何人か呼ばれている」

「あ~なんだか、演目に予想がつきます」

サヴァイラの情報提供に相槌を打つ。そうしておしぼりでゴシゴシ顔を

拭きながら(その時点でシイが入念にほどこした化粧がすっかり

落ちている)、サヤはそれ以上の特訓を放棄することに決めた。


「大方“優しい女王さま”と宰相さまの辛く切ない恋物語を歌った

 ものでしょう。でも、それだとあまりに…あからさま過ぎですね」


女王さまの音楽会に招待されるなんて非常に名誉なことだ。

女王さまと宰相さまの恋物語をモチーフにした演目は王都で人気を

博しており、招待客からは間違いなく歓迎されることだろう。


ただしサヤを除いて。


「…サヤ、宮廷作法をおさらいする気が真面目にあるのかい?」

「いえ、まったくありません」

思わず本音がポロリ。

「枢機卿である私が貴重な時間を割いているのに、何て態度だ!」

だって、ねぇ。

茶器も飛んでくるかと身構えていたサヤだが、さすがにサヴァイラは

そこまでしなかった。シイがいれたお茶だからかもしれない。


「それについては申し訳なく思います、猊下。しかし、わたくしも偉~い

 宰相さまのご命令ですので、逆らえず」

しらっと頭だけ下げてみせるサヤ。眉間の皺を深くするサヴァイラ。

エルミヤの神殿管区長をしていた5年もの間、サヴァイラは姪の子ども

であるサヤの教育に心を砕いていた。将来の女辺境伯として都に出ても

恥ずかしくないように…との配慮で神学・哲学はもちろん、宮廷作法や

儀典を厳しく指導したのだが、どうしてか反抗的な娘に仕上がって

しまった。


頭が悪いわけではない。運動神経がないわけでもない。

むしろどちらも良すぎるくらいだが…“優雅な貴婦人”としての振る

舞いをサヤは本能的に嫌悪しているようで、なかなかサヴァイラの願う

ような、気品溢れる姫君には仕上がらなかった。


「仮に完璧な作法で音楽会に臨むことができたとしても、それはそれで、

 あの方たちの癪に障るはず。ここは田舎領主として出向き、適度に

 嘲笑をかってあの方たちの優越感を満足させる方が無難かと」

“優しい女王さま”がどう出るか不明だが、王女さまやその取り巻きは

確実にサヤを貶めにかかるだろう。それを真に受けずのらりくらりと

逃げる必要があるのだ。


「計算高い娘になってしまって…つくづく教育を間違えた」

大げさに溜息をつくサヴァイラに、なおもサヤは意地悪い提案をした。

「いっそ、あの方たちの前で泣きべそをかいてブルブル震えて、最後には

 ぱたりと気絶する、という筋書きが良いでしょうか?

 でも、そこまでしてしまうと女辺境伯としての才覚を疑われてしまい

 そうですね。どういたしましょう?」

「現時点では、お前のその小賢しくて、小生意気で、ずぶとい性格が

 相手に知られないようになさい。地方領主としては優秀と評されても、

 宮廷人としては不器用で不器量な“日陰の娘”を演じなさい」

「…なかなか酷い言いようですね」

俗家を離れたとはいえ、サヴァイラはサヤの大伯母にあたる。

ちなみに女王の伯母、王女の大伯母でもあるわけだが。


「王宮でわらわはお前を庇ってやれない。枢機卿として表だって

 王家と事を構えるわけにいかぬゆえ。例え女王や宰相の振る舞いに

 業腹なことがあっても短慮はなりませんよ…今はまだ」

「分かっております。ご忠告感謝いたします」

サヤの記憶の中で、サヴァイラはいつも厳しい教師だった。

彼女が神殿管区長としてエルミヤに滞在している時は、怒鳴られることも

嫌味を言われることも、時折物が飛んでくることも、日常茶飯事で

あった。小うるさくて、厄介な相手なのは確かだ。

けれどもまた…母方の身内の中で唯一、本気でサヤと向き合ってくれた

人物でもあった。


そろそろ休憩も終わるという頃合いを狙ったわけではないだろうが、

扉を叩く音が響く。

「お入り」

サヴァイラが了承を与えるや、入室してきたのはレン少将であった。

「少将殿、なぜここに…」

途端にサヤの顔が強張り、シイの目が鋭く細められた。


「宰相さまに命じられて、音楽会の事前準備に参りました」

少将は第二枢機卿に敬礼すると、当然のようにサヤに近づいてきた。


「少将殿も音楽会に?」

「ご令嬢の随行(エスコート)を仰せつかりました」

枢機卿の問いに、当然、とばかりにレンが答える。


宰相さまが娘を心配して腹心の部下を伴につける。

一見、親心の発露のようにも思われるが。


(違う、これは監視…首輪を付けるのと同じことだ)


「結構です。謹んでお断わりさせていただきます」

手をとろうとしたレンをやんわり撥ね退けて、サヤが拒絶を口にした。


「どうしてだ?俺が隣にいた方が苛められずに済むぞ?」

「表で苛められなくても、裏で恨まれるに決まっているでしょう?」

少将殿を慕う独身女性が何十人人いると思っているんだ。

それに一緒に連れだって歩いたら、婚約疑惑に根拠を与えてしまう。

まさしく宰相さまの思うツボである。

 

「いい加減に観念したらどうだ、婚約者殿」

「だから婚約者じゃないから。私の立場で音楽会に来るな、とは言えない

 けど、向こうであっても、寄るな、話しかけるな、目も合わせるな」

「そのつれないところがまたグッとくる」

少将が両腕を広げたところで、サヤは身を翻し、シイが割ってはいる。


「またお前か。目障りだ、どけ」

「申し訳ありませんねぇ、少将殿。

 お嬢さまをお守りするのが僕のお仕事なんで」

「黙れ、この蛮族が!王国の軍人相手に生意気な。

 不敬罪で討たれたいのか」

どんどん二人の仲が険悪になる。

こうなってくると当事者のサヤそっちのけである。


「お前たち、ここをどこだと思っているんだ。

 王国の主神殿で流血沙汰なぞ冗談じゃない。

 殺し合いは余所でしておくれ」

たまらずサヴァイラが怒声をあげた。

彼女は枢機卿としての重責を担いつつ、本当は心静かに暮らす

ことを切望していた。


サヤはこの機会を逃さず、さっさと退室することにした。

宰相さまの命令で一応宮廷作法の指導を受けたものの、要は「来た」

ということが重要で、成果は二の次なのである。


「猊下、本日はこれにて。ご指導ありがとうございました」

 後日、カポポ編みの見本品をお持ちしますので、またよろしく」

ペコペコ頭を下げたサヤに、サヴァイラは処置なしという風に頭を振る。

サヤの態度は、貴婦人らしからぬどころか、地方領主にも見えない、

二流商人のそれだったのだ。


「サーヤ」

睨み合うシイとレンを引き剥がしつつ、渡り廊下に出るなり、

馴染みの声が近づいてくる。


「イオ枢機卿…猊下が何故ここに?」

真っ先に尋ねたのは少将であった。

年齢はレンの方が上だが、地位は枢機卿であるイオの方が上である。

眉を顰めつつ、レンはぎりぎりの礼節を保った。


「枢機卿が主神殿にいるのは別に不思議でもなんでもないだろう?」

何言っているんだコイツ、という態度でイオは少将の神経を逆撫でした。

二人とも同じ位の背丈だが、レンの方が軍人として鍛えている分

がっしりしている。にもかかわらず、イオの醸し出す雰囲気はレンを

圧倒するものがあった。


「音楽会への随行は私がしよう」

「枢機卿ともあろう御方が一地方領主、それも未婚の女性に肩入れする

 のは好ましいことではないでしょう?」

何言っているんだコイツ、という態度でレンも枢機卿の神経を

逆撫でした。ぎりぎりの礼節もたちまちに綻びる。


「エルミヤにおいて私が聖界の長なら、サヤは俗界の長にあたる。

 自分の管轄する神の愛し子を後見するのに何の不思議もなかろう」

「聖界の長、ですか。邪な心満載の気がしますか」

「血塗れの手をした軍人に言われたくないな」

周囲の空気が凍り始め、ピキピキとヒビが入るのが聞こえそうな勢いだ。

シイは女主人を守って、ピタリと寄り添っていた。

聖職者と軍人が殺し合ったとしても仲裁するつもりはない。

むしろ二人が潰し合ってくれた方が、彼としては有り難かった。


「あの、イオ、お気持ちは嬉しいけど、音楽会への随行は不要だから。

 会場で会ってもできたら知らんふりしていてちょうだい」

冷戦を収めたのはやはりサヤであった。


イオが傍らに立っていてくれるなら、

手を握ってくれるなら、笑いかけてくれるなら。

きっと王宮のどんな集まりでもサヤは楽しんでしまえるに違いない。


けれども、彼の立場を思えば、サヤの事情に巻き込むわけにはいかない。

最年少の枢機卿が王家の不興をかうようなことがあってはならない。


「サーヤ」

名を呼ばれて、サヤとイオはしばし見つめ合う。イオは傷ついたような、

辛そうな顔していて…笑顔を返すのが難しかった。


「音楽会くらい自分で対処できるわ。まぁ、

 殺されるわけでなし、なんとかなるでしょ」

「サーヤ」

シイとレンが見ている前でイオは躊躇もなくサヤを抱き寄せた。


(ちょ、ここ、まだ主神殿の中庭…!)

じたばたともがくも、どうしてか抜け出せない。

同じことを少将にやられると頭突きや拳で撃退する自信がある。

それが相手がイオだとクモの糸にからめ捕られたかのように身体の

自由がきかなくなってしまう。


「動かないで、サラ。愛し子に祝福を与える。

 …全ての憎悪や怨嫉から貴女が守られるように」


(額にキスなら、ま、いっか)

実はイオがエルミヤの神殿管区長になってから度々やられていることだ。


「くっ…むぐぐ」

しかし、今度ばかりは若干…いや、全く、勝手が違った。

イオが触れたのは額ではなく。

呼吸が止まるほど深くサヤの唇を塞いだのである。


繰り返しますが、まだ神殿の領域内です。

そして二人きりでもありません。


(え、ちょっと、ちょっと…ええっ~!)

エルミヤ辺境伯代理の精神状態は大混乱をきたした。


「サーヤ、そこはがつんと殴るところだろうっ!」

「この破戒僧!さっさとお嬢さまから離れろっ!」

レンとシイが叫ぶも、サヤの耳には届かない。

イオの全く予想できない行為に頭は真っ白。何も考えられない。


「音楽会で辛くなったら、この口付けを思い出して」

思いのままに娘を貪った後、その耳元に囁く。

力が抜けて立っていられなくなった女主人を不機嫌なシイが支える。


そうしてイオは素早く姿を消し、怒り狂った少将がその後を追いかけた。


「お嬢様、音楽会には僕も参ります。護衛としてなら同行できるはず。

 ええ、どんな手段を使っても…お側を離れたりしませんよ」

街中の家に帰る道すがら、車の中でぼんやりとしてしまったサヤを

抱きしめて、シイがきっぱりと宣言した。


枢機卿、お前が真っ先に手を出してどうする!ええ、その非難は当然です。


次回、いよいよ“優しい女王さま”登場です。もちろん“恋人”の宰相が

近侍するのは当然。“聡明な王女さま”が二人にべったりで現れるのも当然。

音楽会に名を借りた試練の時。サーヤはどうやって立ち向かうか、の巻です。

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