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一粒と二片 

宰相殿のプッシュする婚約者候補登場。

宰相殿が大好きな王女さまも登場。

そしていよいよ父親失格の「あの男」登場。


サヤ、親子や家族や親戚で悩むのは君だけじゃないよ。

強く生きてくれ!

嗚呼~ついに来てしまったよ、この日が。


「あの男」に会わなくてはならない。

にっこり笑って、ご機嫌伺いをして、近況報告をして。

それから頭を下げて、お願いしなければならない。

エルミヤ北方辺境伯として承認してください、と。

両膝と、両手、そして額を床にこすりつけてでも。

あの男に乞わねばならない。

エルミヤを私に下さいと。


厳めしい鉄扉で守られた宰相邸にサヤは足を踏み入れた。

宰相の娘である彼女にとって、その場所は一応「実家」ということになるの

だろうが、「帰ってきた」という気持ちには全くもってなれない。


「サーヤ、綺麗に仕上がっているのだから髪の毛いじるの止めて

 …大丈夫だから」

半歩下がった位置からシイが囁く。つい先ほどは「皺になるから」という理由で

報告書の入った封筒を取り上げられたばかりだ。


自分では平気なつもりでいて、やはり動揺を隠しきれていないらしい。


「お待ちしておりました、サヤさま」

正面玄関ホールで宰相家をとりまとめる執事とメイド長が深々と頭を下げる。

のみならず、主だった使用人は皆出迎えに来たようで、サヤは総礼をする

一同を前に、にこりと微笑んで見せた。


一応宰相の息女という扱いをしてもらえるらしい

…そんなもの少しも望んでナイケド。


「え…?宰相閣下はご不在なの?」

宰相の執務室へ向かおうとしたところ、執事から行き先変更を求められ、

サヤは顔をしかめた。


この日、この時を指定してきたのは向こうなのに。

また“仕方ない”だ。王宮内で急用でも入ったのだろう。


「お使者の方がお待ちです」

宰相の使者。

客間で待つ人物が誰かなど容易に想像できた。

このタイミングで宰相が寄越してくる人物は一人しかいない。


「待ちかねたぞ、婚約者殿」

扉を開けるなり延びてきた腕を逃れて、サヤは後ろに跳びすさる。

あわやシイと激突するところで、彼に優しく抱き止められた。


「待たせてないし、婚約者でもないし」

じりじりと距離を詰めてくる男に、シイを背中に貼り付けたまま、

やはりじりじりと後ずさる。


「相変わらず恥ずかしがり屋だな、サーヤは」


そこでシイが女主人を庇うように前に進み出た。


「お嬢さまは全力で嫌がっているんです。近づかないでください、少将殿」

「相変わらずでしゃばりだな、シイ。婚約者殿との甘い再会を邪魔するな」


そこで男二人が押し合いになる。

マルモア軍少将の鍛え上げられた体躯に対し、長身だが細身のシイは一見して

不利だが、なかなかどうして負けてはいない。


「宰相閣下は不在なのでしょう?なら、ここで時間を無駄にすることないわ。

 帰りましょうよ、シイ」

少将に冷めた視線を投げて、サヤはきびすを返した。


「待て、待て、閣下から伝言だ」

「忙しくて邸に戻って来られないというのでしょ。

 “仕方ない”わ、後日お伺いしますとお伝えして」

別に顔を見なくても良い。叙爵の承認書だけ送ってくれれば十分なのだ。


「話は最後まで聞け。忙しくなって邸に戻って来られないから、

 王宮に来てほしい、とのことだ」

「何ですって?」

その後に(絶対お断りだ!ふざけんな!)と怒鳴るのをサヤは辛うじて我慢した。


行きたくない、行きたくない、王宮なんて。

“優しい女王さま”とその恋人宰相の「愛の棲家」なんて。


「叙爵のための女王陛下拝謁について日程の件で直接、話をしたいそうだ」

そう言われてしまえば断れない。

拝謁が叶わなければ、いつまでも“代理”のままだ。

「………分かりました。王宮へ参ります」


王宮は宰相邸に比べ何倍も心理的ハードルが高い。

王宮か牢獄かと問われれば牢獄を取りたいくらいだ。


「あのう、そのまま行かれるのですか…?」

躊躇いがちに口を挟んだのはメイド長だった。

めったに訪れることのない宰相令嬢のために手ずからお茶の用意をしてワゴンを

押して来たものの、客間の入り口で揉める様子に今まで出られずにいたのだった。


「王宮にいらっしゃるのでしたら、もう少し着飾って行かれませんか。

 お嬢様の部屋に新しいお召し物と装飾品のご用意がございます」

しかし、メイド長が記憶する限り、令嬢が宰相邸に用意された部屋に足を踏み

入れたこともなければ、そこにある衣装や宝石に手を触れたこともなかった。

「お気遣いありがとう」

そしてこの時もまた。

メイド長に丁寧にお礼だけ言って、サヤは直ぐに少将へ向き直った。

「宰相閣下をお待たせしては申し訳ない。このまま参ります」

幸いにしてサヤの服装は質素だが準礼装と呼ぶべきものであった。

女王に拝謁したり、正式な晩餐に出席するとなれば別だが、宰相を非公式訪問

する位なら問題なかろう。いつ、どこで、だれに会っても困らないようにして

おいてくれたシイに感謝である。


「お前はこのまま帰れ。外交使節以外、異民族は王宮には入れない」

少将がシイに向かって顎をしゃくる。

その態度がまた癪に触って、サヤはすぐさま抗議した。

「シイはれっきとしたエルミヤ市民で、私の正式な秘書官よ」

「だとしても、あの外見だ。王宮衛士と揉めたくないだろう?」

緑がかった髪に、先の尖った耳。

美しいが異彩を放つ容貌は確かに衛士を警戒させるだろう。


「心配せずとも、サーヤには俺が付き添う」

それで納得したわけではなかったが(むしろ少将同伴こそ心配なのだが)、

シイは引き際を心得ていた。

「シイ、待って!」

自分に向かって軽く頷いて、身を翻した彼にサヤはとっさに手を伸ばした。

「痛っ!」

ついうっかり、彼の後ろ一本に束ねた髪をわし掴みにしてしまう。

「あ、ごめん」


置いて行かないでと言いたい。でも、言えない。

一緒に帰りたいと言いたい。でも、もちろんそんなのダメだ。


「え~と、帰ったら、カポポ編みの見本品を点検するから、顧客リストの

 チェックをしておいてもらえる?」

「…分かった。なるべく早く帰ってきてね」

「分かった…なるべく早く帰る」

傍らで聞けば夫婦のような会話だが、サヤにしてみれば、少将に当てつける

意図はない。しかし、シイの方は別で、去り際に少将に対して嫌みな視線を

送ることを忘れなかった。


(サーヤは僕の所に帰ってくるんだ)

そんな意図を込めた視線を。


*** *** *** *** *** 


黒塗りの官用車の中でエルミヤ北方辺境伯代理は身を縮ませていた。

広い車内がなぜか窮屈に感じられ、その上、暑苦しく、息苦しくもあった。


おまけに向かいあわせに座れば良いものを、なぜか少将はサヤと並んで腰を

下ろしていた。


(近い、気まずい…)

とはいえ、自分から口を開いて場を作る努力などさらさらするつもりはない。


「どこに帰るつもりだ?」

重い沈黙を破ったのは少将の方で、振り向けば酷く不機嫌そうな顔があった。

「え…?」

一瞬、何を聞かれたのか理解できない。

「サーヤの都での家は宰相邸だろう?

 邸には君の部屋だってちゃんと用意してある。どこに帰るつもりだ?」

「ああ…」

宰相の腹心である少将にしてみれば納得がゆかないのだろう。

「宰相閣下のお屋敷は私の家ではないもの。都での仮住まいは自分で用意した」

「どこに?」

「あなたには教えない。必要があるなら閣下に聞けばいい」

本当は「あの男」にだって教えたくなかった。けれど、立場上、無視もできない。

全ては正式な辺境伯位叙爵のためだ。

「何が気に入らない?自分で言うのもなんだが、

 私は花婿として、かなり優良株だと思うぞ」

…確かに客観的に言ってもそうだろう。

釣り書きを見せられて、超!優良株ゆえに逆に警戒心が湧いたものだ。


マルモア王国では半世紀前に貴族制度が廃されている。

けれども“名家”とか“名望家”と呼ばれるものがしぶとく生き残っていて、

少将の生家がまさにそれだった。

名家次男にありがちだが、士官学校に入り軍人になっている。

そこで坊ちゃん士官に留まらず、めきめきと頭角を現し、元将軍・現宰相に

認められ、30歳を前にして少将の位まで登り詰めている。

しかも、この男、ガタイはガッシリしているが、明るい金髪に空色の瞳という

甘い(かんばせ)の持ち主でもあった。


親から見た「婿に欲しい男」、若い女性から見た「夫にしたい男」の番付(ランキング)では、

この数年、常に上位一桁入りしているそうな。


しかし、である。


「あなたがどれほど人気者でも、宰相閣下が推してきたという時点で、

 私的にはお断り」

「なぜ?舅と婿の仲が良好なのは望ましいことではないか」

「政略結婚はまっぴらごめん」

「ふっ。お子さまだな、サーヤは」

「なんとでも。それからサーヤって呼ばないで?

 あなたにそんな風に呼んで欲しくない」

伸びてきた指を払って、サヤは向かいの席に座り直した。

「政略結婚が嫌だと言うなら、俺と恋愛すれば良いだろう。

 こうやって、手を繋いで…」

正面に向き合ったのがまずかったようだ。

少将の右手が易々とサヤの左手を捕え、指を絡めた。

「…キスをして」

そのまま彼の方へ引き寄せられ、左手の甲に唇が押し当てられる。

「離してくださらない?少将殿」

「…名前で呼べ。俺の名前を忘れたわけじゃないだろう?

 レンって呼べよ、サーヤ」

「お断りです」

きっぱり拒絶して、身を離そうともがくも、ますます強く引き寄せられ

胸に抱きしめられる。けっして小柄ではないサヤだが、鋼の軍人である少将が

相手では華奢な貴婦人のようだ。

「レンって呼んでみろよ…呼ばないとキスするぞ?」

呼んでもスル気満々の相手の様子を見て終にサヤがキレた。

「いい加減にしろっ、この助べえ軍人っ!」

至近距離にあった王子様顔に頭突きを喰らわし、ついで右手の鉄拳を鳩尾に

叩きこむ。

暴力はいけませんと自戒しつつ、でも婚約者を自称する性犯罪者から

身を守るのは正当防衛だよな、と思う。


「相変わらず…凄い威力だな」

閉じられた瞼の奥で星を散らし、呼吸困難に苦しむ男は官用車の皮張りシートの

中に沈んだ。彼はサヤに会う度に、こういった手痛い反撃を受けるのであった。


「大事な所を蹴られたくなければ、そのまま動くなよ、少将殿」

どこのヤクザだと問いたくなるようなドス声でサヤは相手を脅した。


北方の辺境エルミヤは自然条件が厳しく、生活条件もやっぱり厳しい。

そんな所で、可愛い女の子、なんてやっていられる訳ないじゃないですか。

でもって、繰り返しますが、エルミヤはビ・ン・ボ・ウ、でしてね。

辺境伯代理の護衛やら警備やらにお金なんかかけられないのですよ。

自分の身は、自分で守る、これ鉄則。


…でも、正直なところ、官用車の窓に(スモーク)硝子(ウィンドウ)が嵌っていて良かったです。

都で人気の少将に迫られているのを外から目撃されるのも困りものですが、

その男に頭突きやら拳骨やらしているのを目撃されるのはもっと困ります。


これ以上、敵は増やしなくないですものね。


*** *** *** *** *** 


「エルミヤ北方辺境伯代理サヤ、参上しました」

王宮内の宰相執務室に通されるなり、(げっ!)とサヤは呻きたくなった。


本当に勘弁してほしい。


最悪の事態…例えば“優しい女王さま”と宰相さまの濡れ場に遭遇するとか…

に比べれば遥かにマシだが、不快指数6割増し位の状況であった。

何となれば2年ぶりに逢う「あの男」の横に赤茶色の髪を高々と結い上げた

小柄な女性が座っていたからだ。


「これは…王女殿下がいらしていたとは。ご無礼をいたしました」

王女在室の時に通すなよ、と執務室前の護衛士を詰りたい気持ちになったが

後の祭りだ。サヤにとって、極力会いたくない人物に順位を付けるとしたら、

第一位・宰相、第二位・女王、そして第三位にこの王女が来る。


同い年のこの王女、(ちまた)では“聡明なる王女さま”と呼ばれるようになりつつある

らしいが、どうにもサヤとは相性が悪い。母親同士が従姉妹ということは、再従姉妹(はとこ)

関係になるのだが、王女さまと地方領主代理では身分差は歴然である。


「お久しぶりね、サヤ。来た早々で悪いのだけど、宰相に勉強を見てもらっている

 ので、もう少し外で待っていてもらえる?」

言葉遣いは親しげだが、たっぷりと毒が塗り込まれている。

普通ここは(一応)親子の(2年ぶりの)再会に譲るところだろ、とか、

専属の教授陣がいるだろうが、宰相の手を煩わせるな、とか、内心思うものの、

サヤは「もちろんですわ」と言って、それはもうニッコリと微笑んで見せた。


そのまま案内役の少将と共に隣の控え室に移る。

「未来の女王さまのお勉強も大変ね」

王女が大変なのか、それを見る宰相が大変なのか、どちらとも取れる言い方で

サヤは少将に向かって肩をすくめて見せた。

「宰相殿は姫君の親代わりみたいなものだからな」

言ってすぐ、少将は後悔することになる。

サヤの表情は変わらなかった。

その口元には薄く微笑みすら浮かんでいたが…言うべきことではなかった。


姫君の親代わり。

“優しい女王さま”の恋人は“聡明な王女さま”の父親のような存在で。

実の娘のサヤにとっては、どこまでも遠い存在で。


控え室で待機する間、女官が気をきかせて茶と菓子を運んできたが、

サヤも少将も口を付けなかった。


「待たせたわね。お邪魔して本当に申し訳なかったわ」

程なくして、片手に書物を数冊抱えた王女さまが部屋から出てきた。

「どうぞお気づかいなく。勉強熱心な王女さまを尊敬するばかりです」

言葉とは裏腹に少しも尊敬する様子なく、機械的にサヤは頭を下げた。

「アガイルに助けてもらって助かったわ。なかなか宿題が終わらなくて」

アガイルって誰だ?と内心訝(いぶか)りつつ、数秒後にそれが宰相の名前だったと

思い出す。

「これからアイオン枢機卿の神学講義があるの。アガイルが手伝ってくれな

 ければ間に合わないところだった」

アイオンって誰だ?とまたも疑問に思いつつ、今度は数秒経ても答えが見つからない。

「あら?ご自分の所の神殿管区長をお忘れ?」


アイオンって…イオ?

その時、サヤの胸には硝子の破片が刺さるような痛みがあった。

(何で、イオが…?)

枢機卿の彼が、王女さまの神学教授を務めること自体、不思議なことではない。

悔しいのは、イオがそれを自分に教えてくれなかったことだ。

もちろん、彼がサヤに報告する義務なぞありはしないのだが。


「レン、部屋まで送ってくださる?」

感情を隠すのに精いっぱいのサヤの前で、王女は次の攻撃に出た。

書物を少将の片手に預けると、もう片方の腕を自分の腕にからめたのである。

その無邪気で子どもっぽい様子は小柄な王女さまにはよく似合う。

本当の婚約者にそんなことされれば、腹も立つだろうが、はっきり言って、

サヤにとって少将はどうでも良かった。

王女さまを連れていってくれるというならむしろ恩の字だ。


「王女さまの護衛をよろしくお願いします、少将殿」

やはりニッコリ笑顔でサヤは王女と少将を見送った。

少将は何か言いたげであったが、結局何も言わなかったし、

サヤも言わさなかった。


さて。

本当の試練はこからだ。


「…お久しぶりでございます、宰相殿」


2年ぶりだが、2分以内に終わらせたい。いや、2分でも長すぎる。


「サヤ」


正面に立つ宰相。

その髪の色も目の色も自分とそっくり同じで

…外見だけよく似た親子であるゆえに、サヤは余計に嫌気がさした。


前半、サヤ vs レン。後半、サヤ vs 王女の展開になってしまった。


レンは結局、サヤに名前を呼んでもらえず。王女、なんか悪役?になってるし。


次回、前半、サヤ vs 宰相。後半、イオの名誉挽回となる予定。


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