エルミヤ余話 宰相さまの帰還 前篇
「エルミヤの一粒」本篇、たくさんの方にお読みいただき
ありがとうございました。
つい調子にのって(←作者単純につき)予告した余話をせっせと
書いてみました。
宰相さまが娘に遅れること10か月でエルミヤに帰還します。
ようやく腹を括って、妻カヤの死に向き合うかと思いきや…
何か初っ端から不穏な情勢です。
前後篇でお送りします。
~ 吹き荒れる風は 行く手を阻み 降り積もる雪に 足を捕らわれ
暗闇の中ただ一人 助け手もなく 孤独と恐怖に 身を震わせ…
されど心に 消えぬ灯りが 貴方を守るように 燃え続けている
貴方の帰る場所に 貴方を待つ者がいる
闇の果てには 暁があり 孤独の果てには 愛する者が待つ
貧しさも 寒さも 飢えも 抱きしめて 北の大地は貴方を育む
貴方の帰る場所に 貴方を待つ者がいる
さあ眼を開き 一歩踏み出せ どんな冬にも貴方は負けない ~
カヤよ。お前は本当に残酷な女だ。なぜ、こんな歌を後に遺したのだ。
どこかの愚かな枢機卿が約束された“神の栄光”を擲ち、北方辺境に下った
“お陰”で、今や「エルミヤの歌」がマルモア王都で人気をさらっている。
“優しい女王さま”と“宰相”の歌劇はあっという間に閉幕し、この様子だと
数年もしない内に忘れ去られることになるだろう。
カヤよ。お前と俺の縁はもはや“政略結婚”を偽る必要がなくなった。
誰に憚ることなく、お前が、お前だけが俺の妻だ。お前こそが俺の女王だ。
お前が“いなくなって”からも俺はちゃんと娘を育てたぞ。
サヤは「育てられてない」と反論するだろうが、ともかく、だ。
俺は娘を立派なエルミヤ辺境伯にした。
王家の力にも俺の力にも頼らず、自分の足で立てる施政者に育てた。
しかも、しかもだぞ、好きになった奴ともちゃんと添わせてやった。
婿になった奴はいろいろ…いや、どこもかしこも気に入らんが、
娘の為に全てを擲った心意気は認めてやらねばなるまい。
奴とシイが付いていれば、俺が側にいなくとも娘は守られる。
カヤよ。そう遠くない未来に俺とお前の孫たちが生まれるだろう。
子どもはしっかり育てなければならないが、孫はベロベロに可愛いがって
良いのだろう?お前似の女の子が生まれるといいな。
カヤ、カヤ、俺は頑張った。
誉めてもらっても良いだろう?褒美をもらっても良いだろう?
その手で俺に触れてくれ。お前の唇を、膝を、肌の熱を俺にくれ。
お前の中に深く…
(宰相さまの脳内、激甘・濃厚につき以下、省略。
例えるなら蜂蜜に黒蜜をたっぷり混ぜ、鍋一杯飲み干す感じ)
なのに。
お前はいないという。
俺の帰るべき場所にお前がいない。無明の闇と孤独が果てしなく続く。
貧しさも寒さも飢えも怖くはない。
けれども、お前を失って、俺は一歩も踏み出せない。
どこにも…進むことができない。
いや、お前の死を受け入れてまで、どこにも進みたくないのだ。
*** *** *** *** ***
5の月。マルモアの暦では春も終わる頃。
そうは言っても北方エルミヤの春は遅い。
市街地の雪がぼちぼち無くなり、石畳が少しずつ現れ始める。
早咲きの花が綻び、柔らかい薄紅や雛色を沿道に添え始める。
重たい灰色の雲もぐっと遠ざかり、抜けるような澄んだ青空が広がった。
まだ肌寒さの残るものの、春の息吹を感じる中、先触れもなく、宰相アガイルが
突然ふらりとエルミヤに帰って来た。
「連絡くらいして下さい」
サヤは仏頂面で約10ヶ月ぶりに会う父親を出迎えた。
「“鳥の目”を持つシイがいるんだ。必要ないだろう?」
その通りだが、シイとて四六時中、王都を見張っているわけではない。
“エルミヤに向かう列車に宰相らしき人物が乗っている”という情報を得たのは
昨晩のことであった。
エルミヤはビ・ン・ボ・ウなので、元より派手な歓待をするつもりはないが、
それにしても相手は一国の宰相、しかも長らくエルミヤの都代理を務め、
現・辺境女伯の実父でもある人物である。
それなりの…まぁ、最小限の準備を整える時間くらい欲しかった。
さて、場所はエルミヤ府に隣接する辺境伯公邸。はたして“邸”という言葉を
使うのもどうかという小さな家屋なのだが…サヤ、イオ、シイの3人が揃っていた。
ナナツは役所の方で公邸通いの手伝い人と料理人(節約のため常勤はいない)に
指示を出すのに忙しく、まだ現れていなかった。
「お元気そうで何よりです」
サヤはそう申し添えたが、視線は父親の背後へと流れた。
サヤ、イオ、シイ、3人が内心で同じ感想を抱いていた。
先の辺境女伯が亡くなって初めての帰郷。それなのに。
(女連れかよ…)
そうなのだ。
てっきり侍女の一人でも連れてきたのかと…“鳥の目”を持つシイでさえ注意を
払っていなかったのであるが。
宰相に同行して来たのは先の女王の女官長クレアであった。
高位の女官が宰相閣下に同行すること自体は別におかしなことではない。
しかし、相手がクレアとなると話は別である。
母さまの墓参りに漸く来たかと思えば、王都で“深い仲”の女性同伴。
クレアに特段恨みはない、とはいえ、サヤは当然面白くなかった。
「シイ、お手数だけど、客室をもう一つ整えて」
「分かった」
サヤの指示を受け、シイが動き出す。公邸の“家政”を仕切るのは彼の役目である。
「別に同じ部屋でも構わんぞ?」
父親の無神経な一言に娘はキリキリと眉を釣り上げた。
「私が構います」
“この男”と会話するには体力気力が要る。
何度も縁切りを考えたサヤであるが、悲しいことに親子関係まで否定できない。
何となれば、自分でもうんざりするほど、父と娘は外見上よく似ていているのだ。
前髪がちょっと跳ねた癖まで同じで、サヤは慌てて自分の髪を撫でつけた。
「私は客ではないので、どうかお気遣いなく。
シイさん、お部屋だけ教えていただければ後は自分で致しますわ」
(そんな訳にはいきません)
そう思うものの、親子の対話(親子の闘話ともいう)を邪魔したくない、
というクレアの心遣いがサヤには感じとれた。
シイも心得ていて、クレアを連れて退室する。
「それで…怪我の具合はどうなのだ?」
「ご覧の通りです。まだ固定が取れず、暫く杖が必要かと」
「ふん。大事の前に怪我などしおって」
「…面目ありません」
“父親”への反抗心は別として、これは確かに“宰相”へ謝らなければならない
事態であった。
サヤは左の脛骨及び腓骨をパッキリ折り、この一ヶ月余り、松葉杖を使う生活を
送っていた。ちなみに背後に控える夫アイオンは右の鎖骨と上腕骨をやられ、
三角巾で吊っている…つまり、二人ともしっかり怪我人であった。
先月初め、マルモア王都では満を持して新エルミヤ女王ソメイの戴冠式が執り
行われた。サヤもエルミヤ辺境女伯として当然出席を求められていたのだが、
直前になって代理を立てることになった。
生憎のこと、宰相が密かに予想し、期待した「身重ゆえ長旅は無理です」
ではなく、「骨折ゆえ長旅は無理です」になってしまった。
今年は思いのほか暖冬で、凍死者や餓死者を一人も出すことなく乗り切った。
それは幸いなのだが、春めいてきてからが、逆に仇となった。
普段よりも雪解けが早く、しかも急であったため、各地で雪崩が頻発したのだ。
むろんサヤとて山の素人ではない。
しかし、幼少期から培われた経験と勘をもってしても回避できない、
想定外の事故が起きた。何でもないような山麓の細い仕事道で、小さな雪崩に
誘発された崖崩れに巻き込まれてしまったのだ。
咄嗟に側に居たアイオンが庇ったのと、少し先を歩いていたシイが変事を察知して
直ぐさま救援に走ったので、サヤの命に別状はなかった。
が、足を負傷した打撃は大きかった。単純骨折ではあったものの、
「ちゃんと治さないと、障害が残るよ」
「完治するまで、外出禁止!」
とシイとイオに脅され、厳命され、著しく行動範囲が狭められてしまった。
辺境伯として人に指示するだけでなく、自分が率先して動き回るサヤのことである。
エルミヤ府と隣接の公邸のみに閉じ込められることになると、内心の苛々は募る。
そこへきて父親の突然の帰還であった。
「少し不自由な身を経験してみれば、親への思い遣りも学べるだろう」
しれっという宰相にまた一層苛立ちが募る。確かに松葉杖を使う状況になって、
片足の不自由な父親の気持ちが多少なりとも分かる…いや、分かりたくもない。
帰郷に愛人を同行させるような奴なのだ“この男”は。
「ところで、孫は?」
「父さま、イオと結婚してまだ8ヵ月ちょっとです。
そんなに早く子どもは授かりません」
「これでも一児の父なのでな。標準十月十日ほど費ることは分かっている。
しかし、まだ腹が平らではないか」
「妊娠してませんからっ!」
サヤはたまりかねて大声を上げてしまった。
妊娠していない…それは物凄く確かなことだ。現在“月のもの”の真っ最中で
普段より足腰重く、自覚できるくらい短気になっていた。
「ふん、お前も存外不甲斐ない」
宰相は静かに控えていた婿を鼻でせせら笑った。
「申し訳ありません」
サヤのように牙を剥いたりせず、イオはきちんと謝罪した。
別に口先だけではない。
すぐ側にいたのに妻を庇いきれず怪我を負わせてしまった。
その謝罪が一つ。
それから宰相の夢や自身の願いを別にしても…王都の政争からサヤを遠ざける
ためには、妊娠・出産という口実が一番なのにそれも果たせなかった。
その謝罪が一つ。
舅から「不甲斐ない」と叱責されても致し方ないとイオは表にこそ
出さないものの、イロイロ深く落ち込んでいたのである。
「で、父さま、いつまでここにいるの?」
言外にとっとと都に帰れと匂わせ、サヤは尋ねる。
「当分いる。ので、邸を増築しろ」
「へ?だって仕事は?宰相位は?」
「辞めてきた」
「ええぇ?辞めた?はぁあああ?」
あっさりとトンデモないことを口にした父に娘の声は裏返った。
父親が昨年、サヤの辺境伯正式就任を期に宰相を辞任するつもりでいたことは
本人から聞いていた。
先王に義理立てして王家のお守りをするのはもう御免とのことだった。
しかし、中央の政治情勢がそれを許さない。
昨年末に法王が薨去し、新法王にはマルモアの歴史上初めて女法王が誕生した。
そして本年に入り、4の月初めに新女王としてソメイが即位した。
聖俗の長が共に女性。
平和と繁栄の象徴とも見えるその陰で
…主神殿でも宮廷でも次代を睨んだ権力闘争が早くも始まっていた。
カレント少将やカリウド副宰相が如何に有能でもまだ若い。
宮廷に巣くう魑魅魍魎…とは言い過ぎかもしれないが、要するに
権力と財力をこよなく愛する古狸たちとその取り巻きを抑え込むのにはまだ
力不足であった。
いわんや新女王をや。
漸く孵化したばかりのひよっ子、それもまだ卵の殻を頭にくっ付けているような
若輩者である。
宰相が睨みを利かせていなければ簡単に捻りつぶされてしまう存在であった。
「父さま、マルモア王家が倒れたら、エルミヤだって無傷じゃ済まないのよ。
その辺よく考えて…」
観光産業にも力を入れているエルミヤである。
都の小金持ちに遊びに来てもらうのは大いに歓迎するところだ。
しかし、王都が内乱で荒廃し、多数の難民がエルミヤに流れ込んだら…
はっきり言って受け入れる収容能力は、ない。
少しずつ良くなって来ているとはいえ、冬場は依然ギリギリの食料事情なのだ。
「なに、王家が倒れたら、それを期に俺たちで乗っ取れば良いだけのことだ。
“正統な”女王サヤが立つのだ。誰にも文句は言わせない」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!女王になんかならないって言ってるでしょうが!
自分の野望を娘に押し付けないで」
「サヤ、落ち着いて…」
背後からアイオンが肩に手を置いて宥めるも、収まらない。
アガイルが本気になれば現状を逆手にとって遊戯盤を幾らでも都合良いように
ひっくり返してしまえるのだ。
それだけの力を蓄え込んでいる…絶対敵に回したくない相手だった。
「サヤ、落ち着いて、宰相閣下は完全に辞任した訳じゃないから」
クレアを案内し終えて、シイが一人戻ってきた。
彼は元女王付女官長から入手したばかりの情報を早速に披露した。
「宰相閣下は新女王即位を期に辞任を切望したらしいけど、誰からも本気で
取り合ってもらえず、宮廷で揉めに揉めたそうだ。
で、結局、宰相自身は“名誉宰相”に繰り上がって、カリウドが宰相代理、
カレントが王佐になることで一応事態を収拾したとのこと」
「名誉宰相って…」
なんじゃそりゃ、である。
マルモアにそんな官職、今まで存在したことはない。
アガイルがゴネたことで急遽でっち上げたに違いない。
名誉総裁とか名誉顧問とかなら分かるが、“名誉宰相”って何だ。
実働部隊の長であるべき人物に閑職であるはずの“名誉”を付けてどうする。
「リウもレンも普段大して仲良くないくせにこんな時だけ手を組みおって…」
アガイルの恨みごとが始まる。
かつての腹心たちによって彼のエルミヤ行きが阻まれたのだ。
しかもソメイ新女王までが並み居る大臣たちの前で宰相慰留の為に泣き落としを
かけてきたのだ。むろん予めレンに言い含められての演技であったが。
ただでさえ宮廷から警戒されるエルミヤ辺境女伯と、
主神殿から離反する形で婿に収まった元枢機卿。
その問題夫婦がいる所にアガイルが宰相を辞めて転がり込んだとしたら。
ある人曰わく、虎を野に放つがごとし。
それも新女王の懇願を振り切って…という事態になれば、これはエルミヤに
叛意ありと取られかねなかった。
「で、テキトーに作った“名誉宰相”だが1ヶ月王都滞在、2ヵ月エルミヤ滞在を
当面繰り返すことになった」
つまりアガイルは年に4回王都とエルミヤを往復することになるらしい。
丁度イオが神殿管区長として行ったり来たりしていたのと似たような事になる。
ただ神殿管区長さま以上に名誉宰相さまの出迎えや見送りは面倒くさそうで、
サヤは頭を抱えた。
*** *** *** *** *** ***
日中、父親に振り回された娘は、夜になると口も聞けないほど疲労困憊した。
もともと冬山に独り、猪狩りにいけるくらい体力のあるサヤのことである。
足を骨折して不自由があるとはいえ、それほど肉体を酷使している訳ではないはず
…にも関わらず全身がだるくて意識が朦朧とするのは、それだけ父親との会話に
力が削がれたからであろう。
「サヤ、もうお休み」
それでも机にへばりこうとする妻をイオが寝所へと促した。
「もうちょっと。あの親父のせいで月末決算書類の確認が終わっていなくて」
今日の分と決めたものを明日に回すことが嫌いな…几帳面な女伯さまであった。
「まだ期日に猶予はある。半日遅れても困るものではないよ」
「でも…」
「そんなに眠りたくないのなら、私と寝台で一運動するか?ん?」
サヤを無事な方の手でひょいと抱き上げ、イオは迫力ある琥珀の瞳を近づける。
元枢機卿であり“神の使者”と呼ばれた彼の容貌は王国でも異彩を放っていた。
褐色の肌に銀の髪。百年に一度生まれるか生まれないかというその姿は
マルモア主神を模したかと謂われるもので。
神職を辞した後も、周囲の者全てを酔わせるような香気を漂わせていた。
「イオ、貴方もまだ怪我人でしょ!」
「そんなもの、体位を少し工夫すれば幾らでも…む、ぐ」
それ以上、恥ずかしい説明をされる前に、と妻は慌てて手の平で夫の口を封じた。
「もう、寝ます!」
照れ隠しもあってサヤは大きく宣言する。
やや名残惜しい表情をしつつ、イオは無理を強いたりせず、サヤを寝台に
そっと横たえる。そして、少しの隙間も我慢ならないとばかり、自らの身を
ピタリと添わせた。
まあ、元気な方の手が愛妻の胸元に忍び込むくらいはご愛嬌である。
そうしてサヤが少々揺さぶっても目覚めないくらい熟睡するまで、イオは
添い寝を続けた。念のため、寝しなに飲ませた茶にも軽い睡眠薬を混ぜておいた。
これで朝まで夢の国にいてくれるだろう。
サヤの温もりを一晩中感じていたい。だが、イオにはまだやる事があった。
*** *** *** *** ***
寝室から滑り出たイオを不機嫌な顔でシイが出迎えた。
昼間、舅から言われた事がひっかかり、イオは本題の前にそちらを切り出した。
「おい、まさか、お前のせいじゃないだろうな」
「何を突然…」
「“ディヴァン”のお前がいるせいで、サヤに子どもができにくい、とか
そんなことはないだろうな?」
ディヴァン。シイが色濃く引く異種族の血が定める“魂の片割れ”。
サヤはイオを夫に選びながら、その生命はシイのものと繋がっていた。
片方が死ねばもう片方も死ぬ。何事もなければ、純血の異種族には遠く
及ばないが、それでも人間よりはずっと長い寿命を生きることになる。
「サヤが子を産めないかもと悩み始めたらどうしてくれる」
昨年短い婚約期間(一ヶ月なかった)を経て、正式にサヤと結婚したイオは
それこそ溢れんばかりの愛情を妻に注いでいた。
もちろん、舅に言われるまでもなく、速攻家族を増やす気満々であった。
が、一抹の不安がよぎる。
「サヤが子を産めないとか、そんなことは、ないと思う…」
立て続けにイオに責められ、シイの目が泳いだ。
その自信なさそうな様子が、逆に相手の神経を逆なでする。
「もう一つの尖った耳を千切り取ってやろうか。知っていることを白状しろ」
シイの少し尖った耳は異種族の特徴を表すものであったが、片方が昨年、
現・宰相代理カリウドの心無い所業によって損なわれてしまっていた。
もちろん、イオのは下手な脅しであった。
シイの耳のことでサヤが大変心を痛めていることを知っているだけに、
脅しを実行に移すのは…相当難しかった。
「知らないんだ、本当に。僕ほど血の濃い“異種族”はもうほとんど残って
いないから。そもそも僕たちの一族で“ディヴァン”がいながら、
“ディヴァン”以外の者と番うことは稀だし。
そういう場合の妊娠とか出産の情報なんてないよ」
「サヤはお前のような“異種族”ではない」
「だからさ、僕はサヤの幸福を邪魔するつもりはない、と何度も言っているだろ?
確かに、“ディヴァン”を外に持つことで、子どもができにくい可能性は
あるかもしれない。
でも、それは要するに、確率の問題で、つまりはあんたの頑張りようだろ?」
せいぜい励めばいいじゃないかと、好敵手に変な慰められ方をして
イオの口がひん曲がった。
普通の御家庭ならば、まだ新婚ほやほやで焦る必要はないのかもしれない。
だが。
「あの孫、孫、騒いでいるクソ爺が、またぞろ変な事を考えかねないだろうが」
一応サヤの手前、大人しくしていたのだが、シイの次に目障りな存在が現れた。
サヤの実父で、マルモアの影の最高権力者。
冷酷非情な政治家である反面、子離れできていない馬鹿親爺。
そして、何の因果かイオの舅であった。シイ同様、殺すに殺せない相手だ。
「別に子どもの父親は俺じゃなくとも良いとかほざきそうだからな」
「なにそれ?宰相が何を喚こうか関係ないだろ。
それともサヤを馬鹿にしているの?サヤが父親の言いなりになって、愛しても
いない男の子どもを産むはずないだろ」
「…そうだな」
シイの非難に晒され、イオは琥珀の瞳は伏せた。それ以上の言葉を呑み込む。
確かに、サヤが愛してもいない男の子どもを産むはずはない。
けれど、相手がシイなら…?
伴侶として自分を選んでくれた。それは疑っていない。
けれど、自分とは別に、別の形でシイを大事に思っていることを識っている、
自分はだめで、“ディヴァン”のシイが相手なら子どもが生まれるかもしれない。
そんな風に新婚夫の悩みは…尽きない。
だが、そんな冥い感情を目の前の男に吐露する訳には到底いかなかった。
「で、お悩み相談は終わったか?」
二人が黙ったところで、真打ちとばかりアガイルが登場した。
責任の一端は“孫々”と騒ぐ自分にもあることを知りながら、知らん顔だ。
なにせ可愛い娘を奪った男…嫁に出したわけではないのだが、父親にとって
どうしても娘の“夫”という存在は憎らしいものだ。
アガイル自身は政治情勢やら人間関係やらの諸事情に阻まれて、娘の成長を側で
見守ることができなかった。
それなのに、後から出てきた男は、娘の心を奪った挙げ句、娘の夫として
四六時中一緒に居るのだ…男がどんなに優秀な人物でも、むかつく。
せいぜい、悩め、悩めと、アガイルはどこまでもアイオンに意地悪であった。
しかし、舅と婿の確執はともかく。
3人が深夜にわざわざ集まったのは他でもない。
「王都の黒幕を仕留めておいたぞ」
「買収された山の一味は片付けた」
「潜り込んだ鼠も掃除しておいた」
エルミヤ女伯のため、という点では完全一致している報告内容である。
“山麓の細い仕事道で、小さな雪崩に誘発された崖崩れに巻き込まれた”
サヤ自身、単なる事故の可能性と、もう一つ、故意の可能性を抱いていた。
ただ、何か確証あってのことではないので、夫にもシイにも言わなかった。
しかし、彼女が言わなくとも、夫も秘書官も、そして都の父も
勝手に動く連中なのだ。
そうして、サヤの足を大げさな固定で留めておく内に、3人で“事故”を調査し、
犯人一味を焙り出すや、綺麗さっぱり排除してしまった。
むろん、慈悲、何それ?の世界である。
「さて、エルミヤ州軍を創設するぞ。陛下に許可はもらってある」
ここへ来て、イオもシイも宰相が単なる妻の墓参りではなく、確たる目的を持って
帰還したのだと察した。しかし、突然なにを言いだすのかと想えば、“州軍”。
エルミヤがマルモア国軍とは別に、独自の軍隊を持つ。
「サヤと、サヤのエルミヤを守りたいのだろう?もちろん協力してくれるな」
諾という返へしか想定しておらぬ傲慢な口ぶりである。
王都にいるカリウドやカレントと同じく。
辺境にいるアイオンもシイも未だ、この悪神鬼神を体現したような男に
真っ向勝負を挑めるだけの能力を持っていなかった。
何しろ“サヤのため”と言われてしまえば。
“名誉宰相”に顎で使われることになろうと、協力しない訳にはいかない。
こうしてエルミヤ辺境女伯が幸せな夢を見る頃、
危ない男たちが3人、危ない相談を夜を徹して続けていた。
宰相、墓参りはどうするのですか~?
クレアさん、一体何しにエルミヤへ?
州軍創設にサヤ、困惑を隠せず、
ノリノリな男たちに待ったをかける。
エルミヤ州軍って何のため?
戦う気ないのに要るの軍隊?
・・・などと、ドタバタの後篇に続きます。




