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六粒と二片

晴れてエルミヤ辺境伯爵になったサヤですが。

叙爵式の後始末に頭を抱えることになります。

そこに宰相があやしい動き。

親子の溝はいつ埋まるのか?

エルミヤ辺境伯爵。「代理」取れました。

もはや重要案件の決定に、(さと)代理の事前承認も(みやこ)代理の事後承認も必要ありません。

「さ~や」と署名して、辺境伯の実印を押せば、決定事項。

速やかに執行して然るべし、となります。


貴族制度の消滅したマルモア王国で、例外的に存在する北方辺境伯。

王都の中央府にしてみたら「あんなド田舎」という認識でも、その「ド田舎」では

絶大な権力を持つ。


王家や国軍が介入しない限り、という条件が付くけれど、基本的には、

領主であるエルミヤ伯が行政・立法・司法の番人となる。

さすがに、「気に食わん」という理由で首を跳ねることはできないけど、

「辺境伯に逆らった」という理由で牢屋に放り込むくらいはできてしまう。


怖っ。


手にした権力を誤らずに行使するのは難しい。

ビクビクしていれば舐められるし、威張りちらせば恨まれる。

幼い時から母の仕事ぶりを見てきたとはいえ…若輩なのは否めない。

いろんな人と付き合い、味方につけていかなければいけない。


分かっておりますよ。

叙爵の翌日から「隠れ家」に、文字通り隠れている場合ではないことは、

よっく分かっておりますとも!


「サーヤ、ご飯食べながら百面相しないで」

傍らで甲斐甲斐しく給仕するのは、己が「実力」で見事復職を果たした青年シイ。

彼はちゃっかり辺境伯の正式な秘書官に収まっていた。


「気分が晴れないなら、小鳥たちを呼んで、目覚めの一曲でも(さえず)ってもらおうか?」

「…遠慮します」

ムスッとしたまま、サヤは紅茶を飲み干す。シイが絶妙の頃合でお代わりを注ぐ。

お嬢さまの世話をするのが嬉しくて仕方ないという風情だ。

けれど、サヤは素直に喜べない。


なぜなら、シイは…「辺境伯爵」となった自分を現在の窮地に追いやった一人だ。

大騒ぎで散会した叙爵式のせいで、サヤは素顔を晒して、お天道様の下を

歩くことができない状態だ。

今や彼女は「聖職者」と「軍人」と「異種族」の青年を手玉に取った辺境女伯

ということで世の注目を浴びてしまっている。

しかも、

「あの」反逆者である王弟を「祖父」に持ち、

「あの」“優しい女王さま”の“恋人”である宰相を「父」に持つということで、

一度注目されてしまうと、次から次へと話題の種がほじくり返されてしまったのだ。


「これから、どうする?」

ナナツに問われ、よもや叙爵早々に引き籠もりますとも言えず、

サヤは取りあえずの考えを口にした。

「まずは気が進まないけど、宰相邸へ。

 閣下は不在だと思うけど、仕えてくれている皆にはお礼とお詫びを言わないと」

叙爵式の後は宰相邸で辺境伯とその婚約者の御披露目会をする予定であった。

もちろんサヤもカリウドも「そんなもの真っ平ごめん」というのが正直な気持ち

だったが、互いの職責上、社会常識として避けては通れぬものだった…のだが、

法王猊下による“三度の問い掛け”によって、婚約が整わなくなった。

のみならず、“儀式の間”は大混乱に陥った。

結果、御披露目は取り止めになり、宰相邸の奉公人は各方面へ知らせと詫びに

奔走することになったのであった。


決して彼女自身が引き起こした騒動ではない。が、彼女が原因であることもまた事実。


「それから神殿に行って、法王猊下とサヴァイラ第二枢機卿に謝罪しなければ」

たぶん法王への拝謁は叶わないだろう。

ただサヴァイラには、直接会って、今後のことを相談しておきたい。

マルモア神教への信仰心なぞ大して持ち合わせていないサヤだが、辺境伯として

神殿勢力と表立ってコトを構えるつもりはない。

「第五枢機卿は個人的な発言で宮廷を騒がした罪で謹慎処分を受けたよ。

 神殿の一室に閉じ込められている」

鳥を使って集めた情報をシイが知らせる。

「…そうでしょうね」

謹慎処分で済めばよいが、恐らくそれは次の厳罰へ向けての仮処置に過ぎない。

“神の使者”として(あまね)くマルモア国民に慈愛を注がねばならぬ聖職者が一女性に

愛を告げるなど、許されることではなかった。

皆の前で告白されて嬉しかったのは事実。

私も好き!と叫びたくて、無関心を装うのに苦労したのも事実。


だが、やはり、ここは敢えて「イオの阿呆!」と(なじ)りたい。

スコーンと音のするほど、自分の立場も相手の立場も忘れてどうする!

イオはもしかしてサヤのために、枢機卿の地位を(なげう)ってくれるかもしれない。

でも、サヤはイオのためにエルミヤを棄てることはできない。


どこぞの安っぽい恋愛小説とは違う。

自分の今までを捨てて、エルミヤの地も民も捨てて、ただ恋のために生きるなどできない。

冷たいと言われようが、愚かと言われようが、どちらかを選ばなければならないとしたら、

サヤが選ぶのは常にエルミヤだ。


「ナナツ、うちと取引のある商業連にご挨拶回りを始めてくれる?

 後で私も合流するから」

「分かった」

ナナツが(うなず)く隣でシイが身を乗り出す。

「じゃあ僕はサーヤのお供で…」

皆まで言わせず、辺境伯は秘書官をぎっと一睨みした。

「あんたは暫く出張所で内勤よ。派手に“人外の”を見せびらかしたんだから、

 思いきり警戒されているわ。今度、地下牢にしょっ引かれても助けに行かないからね」

「そんなヘマはしないよ」

「と・に・か・く、表にでないでちょうだい。

 叙爵が成ったのだから、一刻も早くエルミヤに帰るわよ。

 義理を欠かない程度に挨拶回りして、とっとと王都をおさらばしましょう。

 できたら1週間後、遅くとも10日後には発つつもりで準備して。

 エルミヤに戻ったら冬支度の総点検をして回らなければならないんだから」

「了解」」

隠れ家に集う一同はサヤの命を受けて散った。

シイはぶつぶつ文句を言い続けたが、何が何でもサヤの側に居るとまでは

強情を張らなかった。

但し、サヤの肩にちょいっと目白を一羽止まらせた。どうやら「見張り」らしい。

他にも目立たないところで、カラスやら鳩やらを何羽か追跡させるとのこと。

「いいね?鳥の目で見えていても直ぐに助けに行けるとは限らない。

 くれぐれも無茶は慎むこと」

「うん」

素直に頷いてからサヤは叙爵式以来、心に掛かっていたことを尋ねた。

「シイのその力…いつから?」

ずっと隠していたという可能性もある。

けれど、顕現したのは恐らく最近のことだろう。それもたぶん…。

シイが口を噤んだままなので、サヤは自分で先を続けた。

「副宰相が貴方にした仕打ちのせい…私のせい?」

眠っていた力が顕現したのは、耐え難い暴力や屈辱に対する本能的な怒りだとしたら。

直接の原因は副宰相だが、そのきっかけを作ったのはサヤだ。

「違うよ、と言って欲しい?それとも、そうだよ、と言って欲しい?」

秘書官に復職したシイは以前より少し意地悪になっていた。

弟分は止めたと宣言されたが、しっかり自己主張してくる。

「自分だけのことなら、たぶん血に眠る力は発動しなかったと思う。

 でも、サヤが僕のために身体を張って助けに来てくれたから…

 もう単なる弟や従者では留まれなくなった。

 禁じ手だろうと何だろうと使えるものは使って、貴女を守りたい。

 貴女の一番近くにいたい。貴女を…他の誰にも渡したくない」

そう。

シイを突き動かすのは彼自身の強い欲心だ。

サヤを欲しいという己の欲心が古い異種族の力を呼び覚まし、揮わせる。

「シイ、私は…」

言わなければならない。シイの気持ちは嬉しい。

ずっと側にいてくれたら嬉しい。

彼の傍らでこそ、サヤは自由に呼吸することができる。

これは真実。

けれど。


サヤの決心はシイの指先で封じられた。

「…言わないで。君の口から他の男の名を聞きたくない」

「私はシイの力を利用したくない」

「僕は辺境伯爵の秘書官だよ?(あるじ)のために身を粉にして働くのは当然でしょ?」

例え、将来君が誰を選んだとしても側にいる…そこまで言おうとして止めた。

何だか敗北宣言のようで不吉だ。

「それじゃあ私ばっかり狡いわ」

「そう?じゃあ、僕もちょっとは良い思いをしようかな」

えっと問い返す間もなく、腕を引かれ、前のめりになったところを、

ちゅぱっと軽い口付けが降ってきた。


油断した。


「何するのよ!」

憤然と抗議したサヤに、秘書官は肩をそびやかした。

そうしてプリプリする辺境伯を車に押し込め、宰相邸へと送り出したのであった。


*** *** *** *** ***


宰相家。名家出身でも豪商出身でもない。

有り体に言えば出自のはっきりしない傭兵上がりの男が一代で築いた家である。

先代国王にその実力を認められ、武官としては最高位の国軍総司令部総司令官にまで

登りつめた。

王亡き後は、王都の騒乱で足を負傷したのを機に軍を引き、文官に転じた。

そして現在は文官として最高位の宰相位に居る。


国軍は元より、マルモア議会に相当する元老院をも掌握し、神殿にも睨みをきかす。

しかも、“優しい女王さま”の“恋人”として王家を味方につけ、

絶対的な権威と権勢を手にした。


当然ながら、宰相が傭兵から士官となったばかりの若かりし頃は相当陰口を叩かれた。

“陰口”では済まされず、しばしば実力行使で台頭するアガイル武官を排斥しようと

いう動きもあった。しかし、彼と正面きって争った者は、結果として、誰も宮廷には

残らなかった。時に本人のみならず、家ごと消滅している。


例えば、彼が王命で婚姻を結んだエルミヤ辺境伯カヤを王の側室に召し上げるべし、

と唱えた、ある名家出身の大臣については…

アガイルが「面白い提案をなさいますなぁ」と冷笑した翌日、一家まるごと、

使用人も含めて王都から消された。彼らがどうなったか、北のカイケン大河から遺体で

発見されたとか、南の国の奴隷市場で売られていたとか様々な噂が飛び交ったが

真実は闇の中である。


そんな向かうところ敵なしの宰相の唯一の娘(不仲説が流れるも嫡子であることは

確かだ)がこの度めでたく母の跡を継ぎ、正式なエルミヤ辺境伯爵となった。

となれば、祝賀の客で邸は賑わいそうなものなのだが。

普段通り、いや下手をすれば普段に輪をかけて邸には静寂が支配する。

理由はもちろん宰相自らが法王に願い出たエルミヤ辺境伯の婚姻が「失敗」したから

である。


「え?居るの?」

裏口からこっそり邸に入ったサヤは執事の言葉に思い切り迷惑顔をした。

またも宰相が在宅とのこと。

叙爵式終了後は“優しい女王さま”にべったりで退出してしまったので、

そのまま宮中に留まっているかと思ったのだが。

何と体調を崩し、本日及び明日の出仕を取りやめているという。


あの宰相が体調不良って。

ありえん。絶対サボりに決まっている!


「サヤ様の叙爵に張り切っていらっしゃいましたから。

 無事に終わって、ほっとされた反面、お疲れが出たのでしょう」

などと真顔でのたまう執事に、サヤは返答に困った。

式前日に細かな約束事を書面で渡してくれたものの、逆に言えばそれだけだ。

とても宰相自身が「張り切って」いたとは思えないし、式そのものも「無事」とは

到底言えなかった。


「…じゃあ一応、お見舞いでも」

本音は顔を合わせのも嫌だったが、在宅しているのが分かっていて無視もできない。

ここは大人の対応だ。

「あのサヤ様…」

いつも卒のない対応をする執事が言い淀む。

以前にもあったことなので、サヤはピンときた。

またか。

「どなたか来ているのね」

政務のことで宰相の部下が訪ねてくることがあっても、執事が憂い顔をすることはない。

となると、また女の人だろう。

女王さまの所の女官長か。王女さまの所の侍女か。或いは…別の誰かか。

仮病を使って何をやっているのだか、“あの男”は。

「部屋の片付けをしているから、お客さまが帰ったら呼んでちょうだい」

世話になった奉公人一同に御礼を述べて、そのまま帰ろうかとも思ったが、

また来るのも面倒だし、いっそ王都を辞す挨拶にしてしまおうと決心する。

次に会うのは女王か宰相の葬儀の場ということで。


叙爵式前にほんの数日滞在した“自分の部屋”へと足を向ける。

部屋にあるものは好きにしていいと言われているので、この際、服も宝飾品も

持てるだけ運び出して売っ払ってしまおうか。

“あの男”の施しは受けないと格好つけたいところだが。

エルミヤはビン・ボ・ウですので!

サヤの吹けば飛ぶような矜持(プライド)など、エルミヤでの越冬のためなら塵に等しい。


「ねぇ、ちょっと、そこのアナタ、頼まれてくださらない?」

少し鼻にかかった甘ったるい声が頭上から響いたのはその時だった。

廊下を歩いていて…折悪しく宰相の客人とやらに見つかってしまったらしい。

不愉快な声を辿ってみれば、そこには見覚えのある貴婦人の顔があった。

貴婦人…前回会った時は貴婦人だったはずだ。しかし、今回は…?


「何てお姿をなさっているんです、財務大臣夫人!」

相手は叙爵式に先立つ“優しい女王さま”主催の音楽会でサヤをイビリ倒そうとした

女であった。

何でここに、という疑問はこの際、とばす。

状況から考えて、宰相閣下と「遊びに」来たに違いない。

問題なのは、その格好だ。

高官夫人が長い髪を腰に垂らしたまま、他人(ひとん)ちの廊下を下着姿で歩いていたのである!

上は長袖のレース、下はペチコートと一応肌の露出は避けられている。

が、下着は下着。

郷里にいる時のサヤですら自分の部屋でしかそんな格好にならない。

「あら?エルミヤ伯じゃないの?

 貧相な装いしているから、使用人だと思ってしまったわ。

 丁度良かった、ドレスがあちこち破れてしまって、このままだと帰宅できないの。

 貴女、縫ってくださらない?」

階段を下りてきた夫人は片手にドレスを持っていて、それをサヤの前に付きつけた。

ある意味…これくらいの図太さを学ばねばならないのかもしれないと、辺境伯は

唖然としてしまった己を戒めた。

外で目立たないように質素な身なりをしていたのは事実。

しかし、それを貧相と嘲り、あまつさえ辺境伯と分かった後も縫い物を命じてくる傲慢さ。

「直ぐに代わりのものを…」

メイド長を呼ぼうと(きびす)を返したサヤを夫人は引き止めた。

「貴女の服じゃ大きさが合わないし、召し使いのものは嫌よ。

 だいたい違う服で帰宅したら夫に何て言い訳すれば良いのかしら。

 宰相閣下に破られたのだから娘の貴女が何とかなさい。

 貧乏エルミヤの女伯爵さまは針と糸くらい持てるでしょう」

「…こちらへどうぞ」

素晴らしい暴言の数々にサヤは反論することができなかった。

怒りがフツフツと沸き、「宰相め、後で(ぼこ)る」と心に誓う。

女にだらしない「あの男」の情事なぞどうでも良い。

どうでも良いが娘に迷惑かけるな。

派手に楽しんだ挙げ句に、なぜ愛人のドレスを私が繕ってやらなければならないんだ!


「あら、やっぱり上手じゃない」

せっせと針と糸を動かすサヤを見て、財務大臣夫人は目を細めた。

「…どうも」

ぼそっと呟く女伯爵。

たかだか数日しか使っていない“自分の部屋”に針箱があることや、

布地を見て最適な針や糸を選べてしまうあたり“貧乏性”を自ら証明しているような

ものだ。本人は「だって本当に貧乏だもん」と内心開き直るが。


大臣夫人のドレスは胸元と裾、それに左袖がそれぞれ少しずつ裂けていた。

難しい繕いではないが、少しばかり時間がかかる。

その間、客人は向かいの長椅子に陣取り、下着姿のまま足を組んで…なんというか、

魅惑的ではあるが、反面、高官夫人らしからぬ蓮っ葉な姿をしていた。

いっそ宰相の部屋に戻っていてくれないかとも思ったが、どうやらドレスが直るまで

そこを動く気がないらしい。

「ようやく辺境伯爵になれたわね。おめでとう」

どこまでも続くかという悪口に突然、別のものが混じり、サヤは危うく針で自分の指を

刺しそうになった。

顔を上げれば、皮肉でも嫌みでもなく、“普通の”笑顔を浮かべた客人がいる。

「手が止まっているわよ」

注意されて慌て針仕事に戻るも、もしかして、という予感が高まった。

「わざと…だったんですか?」

胸元を縫い終わって、左袖に移りながら、サヤは下を向いたでまま問うた。

「何が?」

「音楽会で派手に虐めてくださったこと」

「ああ。わたくしに感謝なさい。宰相閣下がだいぶ水面下で抑えているとはいえ、

 貴族のいないはずのマルモアで、若くして辺境伯爵になろうという女にえげつない

 ことを仕掛けてくる連中は後を絶たないわ。

 わたくしが公然虐めてさしあげて、財務大臣夫人の“獲物”認定されていたからこそ

 あんなもので済んだのよ」

「それは…ありがとうございます?」

疑問形になってしまうのは仕方ない。財務大臣夫人の“獲物”認定なんて嬉しいものか。

「…針を動かしている間だけ、聞きたいことがあれば教えてあげるわ」

「閣下が水面下で動いていたって本当ですか?」

とても信じられん。あの男が、サヤの叙爵に協力してくれていた?

「表立って動いたら、貴女は親の七光で辺境伯になったって言われるでしょう?」

夫人の答えは少しズレていた。

時間が限られているので、次の問いに行く。

「亡くなった“4人”と貴女は何か関わりがあるのですか?」

何の“4人”かは敢えて伏せておく。関係者であれば説明は不要だ。

「そうね。もう他の3人については聞いたのでしょう?

 最近亡くなったのはレンの義兄。5年前に亡くなったのは女王付女官長の夫。

 そして10年前、賜杯直後に死んだのは2人。1人が王女付侍女長の夫。

 そして最後の1人は…わたくしの婚約者」

つまりは宰相閣下と“関係”のある3人の女性は全て先王によって伴侶を失った

者たちだった。女官長の「寂しいからよ」という言葉が思い出される。


「婚約者を失ってから…アガイルの勧めで現在(いま)の財務大臣と結婚したの。

 貴女も音楽会で見たでしょうけど、私より20も年上の禿げて太った親爺よ。

 でも私に夢中だから、大抵の我が儘は叶えてくれる

 …宰相閣下が仕込んでくださったお蔭ね」

いや、そんなコトまで聞いていませんから!

婉曲表現ではあるが、言わんとしていることは結構生々しい。

「叙爵祝いにエルミヤへの特別給付金が国庫から支出されるから、

 せいぜい冬に備えて有効活用してちょうだい」

「…ありがとうございます」

俯いたままボソボソと礼を述べる。

これがサヤ個人宛ての給付なら、突っ返す所だが、エルミヤへとあれば受け取らない

訳にはゆかない。これから極寒の冬に向かう辺境で、民の蓄えはカツカツだ。

非常時に流用できる資金があるのは正直有り難かった。


「綺麗にできたわね。助かったわ」

繕いおわったドレスを身に着けると、財務大臣夫人はちゃんと礼を述べた。

高慢ちきで、口が悪く、貴婦人としての品位にも欠ける…しかし、そんな夫人の

姿は真実の半分。根っからの極悪人ではないことをサヤは認めざるを得なかった。


意気揚々と帰って行く財務大臣夫人を見送って、辺境伯爵は早くも疲れを感じた。

しかし、夫人と入れ替わるように執事が呼びに来る。

宰相閣下が見舞いに来いと命じたらしい。


愛人の後始末を娘にやらせて、帰ったあたりで呼びつけるあたり、絶対わざとである。

「ふざけんなよ、宰相!」

“自分の部屋”でサヤが吠えたのは仕方ないことであろう。


*** *** *** *** *** 


「お加減はいかがですか」

「悪い」

宰相の執務室ではなく休憩室の一つに通され、交わした最初の会話がこれである。

ドレスが破れるほど財務大臣夫人と懇ろにしていたくせに、病人の振りをするな、

と怒鳴りたい。が、ここは気力・体力温存とサヤはぐっと堪えた。


「財務大臣夫人と仲良くしておけよ。交付金や納税の面で優遇してくれる」

「夫人とお話する機会を与えてくださって感謝しております」

アンタのコネは要らんと言えたら、どんなに良いか。

「具合が悪くなったぞ。お前のせいで、な。叙爵の条件は婚約だと言ったはずだ。

 お前はまだ私との約束を果たしていない」

悪いのは気分ではなく、機嫌らしい。

「でもあれは不可抗力では?口火を切ったのは閣下の腹心の部下(レン)でしょう」

「役目大事なレンがあの場で異議を申し立てるとは、な。

 だが、あれだけならリウかレンかをその場で選べば良いだけの話だ。

 それをお前の(シイ)が話を複雑にし、枢機卿(アイオン)が止めを刺した」

「いやあ、びっくりな展開でしたね」

のんびりしたサヤの感想が余計に宰相を苛立たせる。

「何を悠長に構えている。これで辺境伯爵の婚姻は難しくなったのだぞ?

 いや、お前にまともな婚姻を期待した私が愚かだった。もう相手はこの際、問わぬ。

 別に一人に決めず、辺境女伯の“恋人”として複数侍(はべ)らしても構わん。

 ただ子どもはとっとと産め。最低息子2人に娘1人は必要だ。

 息子はエルミヤ伯家と宰相本家をそれぞれ継がせる。娘は有力な縁組みに使う。

 言うまでもないが、数は多いに越したことはない。

 後継ぎの替えはあった方が安全だし、娘も多ければそれだけ勢力拡大を狙える」

「いい加減にしてください」

熱に浮かされたかのようにべらべらと己が野望を語る宰相にサヤは静かにキレた。

具合が悪いと言っていたが、頭がイカれているようだ。


相手は誰でも良い。子どもを作れ。

後継ぎ息子と政略の為の娘が必要。

それも複数。

どこまでも人を馬鹿にすれば気が済むのだ、この男は。


「将来息子が生まれても宰相家を継がせるつもりはありません。

 エルミヤ伯爵位だって継ぐ、継がないは本人の意志次第です。

 それから、娘を政略結婚の駒には使わせません。」

だいたい“宰相家”って何だ。

宰相位は世襲制ではないし、そもそも成り上がり一代で継がせるような家かと言いたい。

エルミヤについては、サヤ自身、いつまでも例外的な辺境伯爵位が存在すべきでは

ないと思う。世襲はしない方向で進めたい。

自分の仕事を子に引き継いでほしいというのが親としての人情だとしても、

子どもの人生は子どものものだ。親が縛るべきではない。

約1名、そこのところを全く分かっていない男が目の前にいるが。

「私の子はお前だけだ。後継として婚姻も出産も当然の義務だろう」

「お言葉ですが…私のことは除籍して下さって結構です。

 後継ぎについてですが、どうか若い後妻でも迎えて、お励みください。

 私は一切口出ししませんので」

「馬鹿を申すな!私の妻はカヤだけだし、娘はお前だけだっ!」

母が亡くなる前にその言葉を聞けたなら、受け止め方も違ったかもしれない。

けれど、今のサヤにとっては、宰相が自分を都合の良い道具として使おうとしている

だけに聞こえてしまう。


「お取り込み中、失礼します」

そこに、緊張した面持ちの執事が飛び込んできた。

「何だ?」

不機嫌な顔そのままに宰相が怒鳴る。

「お客様がお見えになりまして…」

「体調不良で伏せっていると言って、追い返せ!」

「それが…」

それができるなら、わざわざ主人の手を煩わせたりしない。

執事が言い淀む内にも踵を鳴らす音が廊下から聞こえてきた。


「わたくしを待たせるなど、どういうつもりなの!」


(え…この声?)

まさかと、サヤは目を(みは)る。


扉の向こうから派手に登場したのは、マルモア唯一の王女であった。


幾ら宰相と親しくしていたとはいえ、王家の姫君が一家臣の家を先触れなく

訪問するなど本来ありえない…ありえないはずなのだが。


「宰相、わたくしの呼び出しに応じないとはどういうつもり?」

「王女さま、体調不良で伏せておりましたので、ご容赦願います」

言葉尻は丁寧だが、宰相は王女に頭を下げて礼をとろうとしなかった。

「叙爵式の騒ぎをどう収めるつもり?お前が言いだした婚約でしょう!」

“聡明な王女さま”はどこかに“聡明”さを置いて来てしまったようでした。

苛々と扇を振り、怒りに燃えた表情を隠そうともしない。

「どう、と申しましても。法王猊下のお言葉に従うだけでございます」

対する宰相は冷静そのもので、王女の追求を軽く受け流している。

そうなると、矛先はサヤへと向けられた。

「辺境の伯爵になったからと言って、良い気にならないことね」

「慎んで、職務を全ういたします」

サヤも宰相閣下に倣って、冷静な態度に努めた。

元々外見が良く似かよっている親子である。

そうしていると二人が心を通わせた父娘のように映り、王女は余計に腹を立てた。

「認めないわよ。お前がアイオンと、なんて!枢機卿が還俗なんてありえないわ」

…結局それが言いたかったのか、とサヤは合点する。

と、同時に疑問も沸く。第五枢機卿と王女との噂はなんだったのか。

それに、イオは確かに王女へ口付けしていなかったか?

もしや、二股かと、こちらも心穏やかではいられなくなる。


「貴女が神王妃なんて…!認めない、絶対に許さないから!」


シンノウヒ?

サヤの頭の中で上手に変換できなかった。シンノウヒとは何のことだろう。

信仰心に乏しいサヤであったが、エルヴィラやイオの押し込みで少しは神学を

齧った。だから、“聖俗の長”としての神王が過去に数名現れたことを知っている。

その隣りに立つ神王妃の存在も習ったことがある。

しかし、歴史上最後の神王はもうかれこれ100年以上も前のことのはず。

なぜ、そんな“死語”が今さら王女の口から飛び出すのか。


「聞いているの!なんで、お前ばっかり、皆、お前ばっかり構うのよ。

 お前なぞ、いなければいいっ!」

癇癪を起して、王女の平手が舞った。

ああ叩かれると思った瞬間、サヤは避けようと身を()じった。

鈍い音が響く。

「きゃあ!」

叫んだのはサヤではなかった。続いて、カランと何かが足元に転がる音。

「痛い、痛い、痛い…」

王女が腕を押さえて呻いていた。側に転がっているのは宰相の杖。

「これ以上、私の娘に手を出すのは許さない」

「アガイル、お前…王女に手を上げるなど、ゆ、許されないことなんだからぁ」

しかし、先ほどの覇気はどこへやら、だんだん涙眼となり、言葉も覚束なくなっている。


「王女の私と、自分の娘とどちらが大切なの?」

自分の娘と女王の娘とどちらが大切なの…?そんな問いをサヤもしてみたかった。

母さまが死ぬ前であったならば。

「自分の娘の方が大切だ。父親ならば当然だろう?」

冷たく笑った宰相は、冷たく笑った枢機卿(アイオン)に重なって、王女には見えた。

この人も、自分を騙していたのだと悟る。

そして、自分の母親も。

「お母様を愛しているのではなかったの?

 お前はずっと長い間、“優しい女王さま”の“恋人”であったはず」

「そう偽ってきただけだ。私が、女王を“愛した”ことは一度もない。

 もっとも、その“恋人”役もそろそろお終いだ。

 母親のことより自分のことを心配するのだな、“聡明な王女さま”」

「どういうこと?」

「女王をまもなく譲位させる。死にたくなければ大人しくしていた方が身のためだぞ?」

女王が位を降りる。そうなれば次の女王は自分となるはずだ。

しかし、宰相の口ぶりでは、まるで…まるで。


「王女さま、王宮へ戻りましょう」

腕を押さえたまま、床に蹲った王女に、後を追ってきた侍女長が声をかける。

侍女長と宰相が目配せし合うのを、サヤだけが気づいた。


「王女さま」

王女が王宮を抜け出し、宰相邸に向かったと知らせを受けたレン少将も遅れて

駆け付けた。腫れ上がった王女の腕に素早く応急手当てを施し、宰相に杖を返す。

そうしてサヤと目配せし合った。

少将は状況を見てとって、王女に配慮し、サヤに声をかけて来ようとしなかった。

ただ、その青い瞳で「また連絡する」という意味のことを伝えてくる。

サヤは小さく頷いて承諾の意を示した。


「お騒がせいたしました。これにて失礼いたします」

今にも泣きじゃくりそうな王女を抱えるように、レンが宰相邸を辞す。

「レン、王女をよくよく見張っておけ。血が繋がらないとはいえ、唯一の身内を

 私に殺されたくないならば、な」

最後にそう警告した宰相に、レンは頭を下げ、王宮へ向けて車を出した。


「唯一の身内って、王女の父親は特定できないんじゃ…」

“優しい女王さま”のお相手は4人。

王女の父親がレンの義兄なら、王女は確かにレンの姪ということになるが。

「“4人”の共通点は名家出身だということと、先王に似た髪色や瞳の持ち主だと

 いうことだけだ。それ以外の身体的特徴は異なる。ずっと近くにいた者なら、

 王女が誰に酷似しているかなぞ自ずと分かるものだ」

尊敬していた、けれど気の触れてしまった義兄を看ること十年。

その義兄を喪って、大酒を飲み、大泣きしていたレン少将。

たぶん彼は、王女が義兄の娘だと確信していなかった。

けれど、もしかしたらと思い、我儘に振り回されながらも、見守ってきたのだろう。

“サーヤのためだけに動くことはできない”と告げた彼の寂しそうな横顔を思い出す。

彼もまた重荷を背負って生きてきたのだ。


「それでシンノウヒって何のことです?」

「神王妃、だ。ちゃんと発音しろ。イオがお前のために“聖俗の長”を目指すらしい」

「は…?何を馬鹿な」

最年少の第五枢機卿。サヤのことで騒ぎさえ起こさなければ、将来、法王座を狙うのも

可能だろう。しかし、神王となるには、王権をも手にいれなければならない。

「女王に認めさせれば良いだけの話だ。イオが先王と女王の唯一の息子だと。

 嫡子で“神の使い”。神王を名乗る資格は十分ある」

「何を言って…イオが神王なんて、そんなのダメだよ。止めなければ」

好きな男のことだから分かる。彼は優秀だけれど“王の器”とは違う。

彼は、“神王”という最高位を自分の復讐のために使おうとしているだけだ。

「では、お前が女王になるか?

 先々代の国王は自分の弟、お前の祖父に位を譲ろうとしていた。

 謀叛をでっち上げて、失脚させたのが先々代の国王妃と現女王の母親だ。

 復権して、正統な王位継承者を名乗ることもできるぞ?」

「閣下、私は女王座なぞ望んでいません」

あの女王の後釜なぞ真っ平ごめんだ。顔も見たことのない祖父が草葉の陰で泣いて

いたとしても、王位を主張するつもりはない。

サヤが望むのはエルミヤの平和だけだ。

「では、エルミヤを独立させるか?マルモアから切り離して、お前が女王となればよい

 なんなら、エルミヤ女王となってからマルモアを制圧しても良い」

「…神王妃だの、女王だの、ぶっ飛んだ発想から離れてください」

この男はどうして自分を平穏な世界に留めおいてくれないのか。

「よく考えろ。神王妃でも、マルモア女王でも、エルミヤ女王でも、現在(いま)なら可能だ。

 お前に望むように、私が力を貸してやる」

           は…?この男はまた何てことを言い出すんだ。

「父親だからな。娘の願いは叶えてやりたい。

 だからお前も私の願いを叶えてくれ。孫たちを得て次世代を安泰にしたいのだ」

            は…?この男の本心は何を求めているんだ。

俺に任せておけ、と言わんばかりの得意顔に今度こそサヤは固まった。

娘の方が王女よりも大切だ、と言っていた。

女王さまを愛したことは一度もない、とも言っていた。

そうして“父親だから”とも言っていた。

欲しかったはずの言葉が次々とサヤに向けられる。


けれど、とっくに期待することも求めることも止めてしまった彼女は…

ただ虚しい気持しか抱けなかった。


ということで宰相アガイル、転じて親バカぶりを全開にし始めましたが、

娘サヤには全く伝わっていません(当然か…)


次回、サヴァイラを訪ねて大神殿に赴いたサヤの身に激変が!

(イオが大人しく軟禁されているわけないですよね)

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