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六粒と一片

さて、いよいよ波乱の叙爵式の幕開けです。


サーヤは無事、辺境伯になれるのか。

副宰相と婚約してしまうのか。


レン、シイ、イオはこれにどう動くのか。

マルモア王国副宰相カリウドは鏡に映った自分の姿を()めつけていた。

目元にくっきりと浮かんだ隈。幽鬼のように青白い顔色。

とてもではないが、婚約発表を直前にした男の(ツラ)ではない。

理由は単純で、一言で述べてしまえば「睡眠不足」なのだ。


仮にも副宰相を拝任している彼のこと。体調管理は基本中の基本である。

宰相ほどではないにせよ、副宰相としての職務は多忙を極める。

加うるに、毎晩ではないにせよ、秘められた「夜のお務め」も続いている。

自邸に帰ることは稀で、王宮内に用意された寝室に戻るのも大抵日付が変わってから。

そうして、朝は、空が白むのと同時に起床する。


つまり睡眠時間が少ないのは常のことで、「睡眠不足」などという事態は

本来あり得ないはずなのだが。

ここ数日、彼の安息は完全に奪われていた。一刻も心休まる時がない。

王宮の警備網を嘲笑うかのように、昼夜となく、姿の見えぬ者たちの招かれざる

“訪問”を受けているのであった。


襲撃とか暗殺というのとは少し違う。

相手の様子は何が何でもリウの命を奪おうとするものではない。

うっかり気を抜くと死んでしまうかも、という程度に攻撃を留めて、騒ぎになる前に

サッと退く、ということを幾度も繰り返す。

彼の見たところ、黒幕はどうやら複数いるようで…武術の型が神殿兵臭いのと、

北方の傭兵臭い連中については容易に見当がつく。

前者はエルミヤ辺境伯代理にとち狂っている某枢機卿であろうし、

後者はエルミヤ辺境伯代理の親代わりともいえる某郷代理あたりであろう。


それだけはない。副宰相の周囲には怪奇現象が出没していた。

狩猟を趣味としているわけではないし、唐揚げを常食しているわけでもないのだが。

都中の鳥たちに憎まれてしまったかのように、彼がほんの僅かに目蓋を閉じた瞬間を

狙っては、「クワッ」だの「ゲゲゲっ」だの「ガッガッガ」だの薄気味悪い奇声が

外から聞こえてくる。たかが鳥といえども、何十回、何百回と地味な嫌がらせが

続けば、段々と苛々も募ろうというものだ。

全て気のせいにしたいところだが、野生動物を自在に操る異種族の存在を彼はずっと

昔、書物で読んでいた。そしてそんな術を仕掛ける可能性がある者についても…

心当たりがある。尖った耳を一つだけ残した小生意気な若者。彼が(おとし)めた若者。


(どいつもこいつも田舎領主に過ぎぬ娘のために)

彼らの声なき言葉(メッセージ)の意図するところは明白だ。

彼とエルミヤ辺境伯代理の婚約が許せぬということだろう。


カリウドには全く理解ができない。

あの娘のどこにそれほど人を引きつける魅力があるのか。

宰相の娘だから何だというのだ。所詮は政略結婚でできただけの子どもだ。

母親が王家の血を引くから何だというのだ。反逆者の孫を尊ぶ必要はない。


もっとも…貴族制度が廃された王国に残る「辺境伯爵」という地位。

冬は長く、土地は痩せ、異民族や異種族が跋扈する蛮族の地。

しかし、北方の軍事拠点としてのエルミヤの重要性は無視できない。

名家出身であり、副宰相たるカリウドが政略結婚の相手にしても良いか、と

気まぐれにも考える程度には…サヤの政治的価値があった。


それでも、彼が信奉する“優しい女王さま”には及びもつかない。

己を偽り、別の男になりすましても、欲しいのは女王ただ一人だ。

女王の命令一つで、サヤを苦しめることも、辱めることも…殺めることさえ

副宰相は辞さないつもりであった。


彼がエルミヤ辺境伯を妻とするのも、結局は“優しい女王さま”のためであった。

あの方と役に立ちたい。あの方に頼られたい。あの方に…自分を見て欲しい。

そう願う一方で、しかし、副宰相は気付いてもいた。

愛しい(ひと)の心がとうに壊れてしまっていることに。

少しずつ…薔薇の花びらが散りゆくように、白砂がこぼれ落ちるように、

正気を保てる時間が短くなってゆくことに。


今は宰相を始め、側近が周囲をがっちりと固めているため、醜聞(スキャンダル)を免れているが、

それも何時まで保ちこたえられるか。

“優しい女王さま”は夜の闇に熱く肌を重ねる男を宰相だと信じている。

…そんなはずはないのに。

いくら顔の判別がつかないとはいえ、いくら背格好が似通っているとはいえ、

いくら声色を真似ているとはいえ、正気であれば気づかぬはずはないのに。


全ては“優しい女王さま”のために。

そう誓う一方で、しかし、副宰相は気付いてもいた。

宰相が動きだす。

女王の恋人を演じ続けていた彼が、満を持して「エルミヤ辺境伯」を誕生させるのだ。

その先に何が待つのか、カリウドは掴みかねていたが…

確実にいえるのはマルモア王室が今のままでは居られないということ。

女王と彼の、仮初の関係にも、終止符が打たれることになる。


全ては“優しい女王さま”のために。

しかし、この後、彼を待ち受けるのは予想もつかぬ出来事ばかりであった。


*** *** *** *** ***


“代理”時代を経て、エルミヤ辺境伯爵が誕生する朝が訪れる。

晴れ渡る青空とは裏腹に、

王宮に上がる準備をしていたサヤの苛々は頂点に達していた。

街中の“隠れ家”を離れ、宰相邸に投宿?(自分の家だという自覚はない)していた

彼女は、執事やメイド長を始めとする使用人一同から、“お嬢さま”として、

それは、それは丁重な扱いを受けた。

更には、サヤの服装や髪型、化粧に至るまで、宰相邸の総力を挙げ、

華美すぎず、地味すぎず、若々しさを前面に出しつつ品格を滲ませるような…

と、難しい注文によく応え、完璧なまでに整えられた。


皆の心遣いが分かるだけに、まもなく正式な辺境伯になろうという娘は

内に(くす)ぶる鬱憤(ストレス)を発散できずにいた。

胸元を飾るのは “優しい女王さま”から下賜された国宝級の“金雲海”。

極細の純金を編み上げたようなネックレスが首に絡んで窒息しそうだ。


叙爵式を前に、自分でも緊張しているのが分かる。

けれども、落ち着かないのは、式のためというよりも、

振り向いた先に、手を伸ばした先に居るべき人が居ないせい。

シイの不在。

それが幾日も続いて、正直なところ、サヤは相当へこんでいた。

仕事にしろ、生活にしろ、シイがいなくて、不便と思うものの、困るほどではない。

問題なのは心の方で…シイが“精神安定剤”の役割を果たしてくれていたことを

今更ながらに思い知る。


「不機嫌な顔をするな。待ちに待った叙爵の日だろうが」

しかめっ(つら)の“お嬢さま”を見かねてナナツが口を挟んだ。

エルミヤ(くに)代理である彼もまたサヤに従って登城する。

エルミヤ都代理である宰相も本来は同行するはずであったが、女王さまへの

ご機嫌伺いのため、前日から王宮に伺候し、サヤたちの到着を待っている。

女王のお加減が悪いとのことだったが、カレント少将が予言した通り、

叙爵式は一切の遅延も変更もなく、予定通り行われることになった。


「折角の“金雲海”を千切るんじゃないよ」

首を掻きむしりそうになっているサヤを、第二枢機卿サヴァイラが諌めた。

彼女は今回の叙爵式に当たって、神殿が派遣され、サヤの後見役を務める。

本来は神殿管区長の役目だが、第五枢機卿アイオンは年若く、この役目を辞退していた。


「女王さまからの頂きものなんて…首輪をしているようで気持ちが悪い」

奉公人には聞こえないよう、サヤはサヴァイラの耳元でこっそり不満を零した。

すると第二枢機卿は目を細め、とっておきの秘密を暴露した。

「女王さまからだと思わなければいいだろ。その首飾りは手違いで女王さまに

渡ってしまったものの、元々は宰相が奥方に贈ろうとしていた物なのだから」

「…へ?奥方って、母さま?」

サヤの目が点になる。

宰相が母に国宝級の首飾りを贈ろうとしていた?

とても信じられない。何の呪いだ。

「宰相に女の影がちらつくのは、お前も知っての通りだ。

だけど、宰相の妻は後にも先にも、お前の母親、ただ一人だよ」

そんな風に告げられてもサヤはちっとも喜べない。

むしろ現在深~いお付き合いのある御婦人の中から誰か選んで再婚してほしい。

後妻との間に男の子でも生まれれば、関心がそちらに向いて、エルミヤへの口出しも

減るだろうし、何よりサヤに対して、結婚しろだの、孫を作れだの、煩く言わなく

なるだろう。


サヤが宰相に望むことはただ一つ。

サヤもエルミヤも放っておいて欲しい!

宰相の本心がどこにあれ、今まで放っておかれたのは事実だ。

ならばこれからも放っておいて欲しい。

サヤが父親を必要とする時期はとうに過ぎ、父親に期待することもなくなった。


「自分が見たものだけが真実の全てではないよ」

けれどサヴァイラはそんなサヤに釘を指す。

どうしろというのだと反論したい。

けれども王家の姫君として、神殿の巫女姫として、艱難辛苦を乗り越え、

現在の地位にある女枢機卿に八つ当たりするほど…サヤは子どもではない。


「カリウド副宰相がお見えになりました」

執事の言葉に一同席を立つ。

迎えに来た副宰相は酷い顔色で、半病人のようだ。

持ち前の毒舌も鳴りを潜めている。

その冷たい手を取りながら、サヤは自分の顔が引きつるのを感じた。


漸く、辺境伯「代理」から正式な「辺境伯」になれるというのに。

心に重い石を抱えようで、少しも気分は晴れなかった。


*** *** *** *** ***


玉座におわすはマルモアの“優しい女王さま”。

その右奥の、常にはない神座には、法王猊下が臨御する。

“聖界の長”である法王が“世俗の長”である女王の元に赴く。

そのことの持つ特別な意味合い。

…エルミヤ辺境伯爵の誕生をマルモア大神殿が殊更に重視しているということに

他ならない。


叙爵式は王宮内で早くから周知されたが、大臣も中央官僚も別段出席を

義務づけられていなかった。それにもかかわらず、“儀式の間”には入場整理が

必要になるほどの大勢が詰めかけた。日頃、サヤのことを田舎娘と侮る者たちも、

この珍しい“見せ物”を無視することはできなかったのである。


“優しい女王さま”の傍らには自主的に出席した“聡明な王女さま”が立つ。

その背後を警護するのはカレント少将。

法王猊下に近侍するのは第五枢機卿アイオン。

第二枢機卿にサヤの後見役を譲ったものの、エルミヤの現神殿管区長は彼なのだ。

いろいろ思うところはあれど、己が庇護下にある娘の晴れ舞台を見逃すはずはない。


そして玉座の直下にはアガイル宰相が待ち受ける。

サヤの父親であり、エルミヤ(みやこ)代理でもあり彼は叙爵式で最も多くの役をこなす。


これだけ豪華な顔ぶれなのだ。

サヤの辺境伯叙爵を祝福するかどうかはともかくとして…宮廷人が“儀式の間”に

結集するのはむしろ当然のことと言えた。


サヤ一行が“儀式の間”に招き入られると、目に見えぬ動線に導かれるかのように、

それぞれが所定の位置に着いて総礼する。

神殿から遣わされたサヴァイラ枢機卿はサヤの右手斜め前に立つ。

アガイル宰相は下座に進み、サヤの右手斜め後ろに膝を付く。

この所作で彼は宰相としてではなく、エルミヤ都代理として、動くことを暗に示す。

そしてサヤの左斜め後ろにはエルミヤ郷代理のナナツが膝を付く。

最後にサヤの真後ろ、5歩ほど離れた位置にカリウドが膝を付く。

この所作で彼は副宰相としてではなく、サヤの守護者として、動くことを暗に示す。

主役が女性の場合、守護者には通常、伴侶か伴侶となる者が選ばれるため、

“儀式の間”のあちこちで囁き声が交わされた。

(副宰相殿があの娘の…?)

(相手はレン少将ではなかったのか?)

(やはりレンの相手は王女さまなのだろう)

(しかし、イオ枢機卿が還俗するという噂もあるぞ)


もっともサヤ本人には外野の雑音など耳に入らない。

というか、そんな余裕は無い。

“儀式の間”に入った瞬間から彼女の一挙手一投足は全て、“(さだめ)”に(のっと)ったもので

なければならなかったのだ。

例えば何歩で定位置まで進むか、とか。

どの頃合(タイミング)、どの角度で、お辞儀をし、膝を付いて、顔を上げるか、とか。

自分自身のことだけではない。

サヤの所作に合わせて、アガイルもナナツもサヴァイラもカリウドも動くことに

なるのだ。ナナツとサヴァイラはともかく、アガイルやカリウドと呼吸を

合わせるのは至難の技だ。

しかも会場での予行練習なくぶっつけ本番。なんの拷問だと言いたい。


宰相と女王さま付き女官長、そしてレン少将が渡してくれた資料を

何とか一夜漬けし、邸の者たちと練習して、サヤは何とか危うい綱渡りを続けていた。


「エルミヤ郷代理ナナツ、ここに代理役を返上し、新たな辺境伯の誕生を承認する」

「エルミヤ都代理アガイル、ここに代理役を返上し、新たな辺境伯の誕生を承認する」

幾つかの定形問答が繰り返され、その度に叙爵に必要な承認が重ねられてゆく。

「マルモア王国国主カナイ、ここに新たな辺境伯の誕生を承認する」

最後はもちろん女王の承認で締めくくられ、

サヤにはエルミヤ辺境伯を象徴する宝剣と儀仗が授与される。


ここに新たなエルミヤ辺境伯爵が誕生するのだが、もう一つ重要なこととして、

法王猊下の祝福が残されていた。

「辺境伯、前へ」

法王猊下が一歩一歩、神座を下るに合わせ、サヤも前に進み出る。

これもまた頃合(タイミング)が難しく、猊下より一呼吸先に定位置まで進み、

そこで再び(ひざまず)かねばならない。両手は胸元で交差し、(こうべ)を垂れる。


第二枢機卿サヴァイラや第五枢機卿アイオンと日頃親しく?交流していても、

サヤが法王猊下と正式に対面するのはこれが初めてであった。

イオが以前「理想主義で平和呆けした爺」と悪態づいていたことを耳にしたことがある。

けれど、間近に見た“聖界の長”は…恐らく、それだけの人物ではない。

温和な表情の中に俗人には纏えぬ“何か”を秘めている。そんな気がした。


「エルミヤ辺境伯爵サヤに祝福を。マルミヤの神のご加護を」

猊下が辺境伯の額に口付けし、辺境伯が猊下の右手に口付けする。

聖衣の裾ではなく、“神の代理人”の肌に直接口付けすることを許されるのは

大変名誉なこととされる。

…篤い信仰心なぞ持ち合わせていないサヤにとってはどうでも良いことなのだが。


「尊き御身をここにお迎えし、至福のこの時に、どうか今一つの祝福を授けたまえ」

ここで宰相が進み出て、法王猊下に願いを申し出る。

「アガイルよ、ここに何を望むか?」

「辺境伯サヤと副宰相カリウドの婚約を認めていただきたく。

 マルモア王国とマルモア神殿…そしてエルミヤの更なる栄光の(いしずえ)として」

列席者の中から軽いどよめきが起こる。

副宰相がサヤの真後ろの位置を占めたことにより、半ば予想していたことだ。

それでも、宰相自らが法王に対し、娘の婚約を願い出たことは小さな波紋を呼んだ。

政略結婚の末に生まれた娘であり…疎遠な親子関係と看做されていたのだが、

どうやら事情は少しばかり違ってきているらしい、と誰しもが考え始める。


「辺境伯サヤと副宰相カリウドの婚約につき、ここに宰相アガイルの願い出があった。

 この二人の婚約に異議ある者あらば、この場で申し述べよ」


…ん?

ガチガチに緊張していたサヤは、予め渡された脚本(シナリオ)とは違う展開となったことに

気がついた。

法王猊下の御言葉が、違う。

予定では、宰相が婚約を願い出て、法王がこれを承認し、

サヤとカリウドに祝福を与えて、列席者から拍手喝采を浴び、

一連の儀式がお開きとなる…はずであった。


(異議ある者は…って、そんな科白(せりふ)脚本(シナリオ)にあったっけ?)

実は、自分の記憶にあまり自信がない。

最後の方の詰め込み勉強は、心身ともに疲れ果て、適当に流してしまった気もする

なぜなら、婚約の部分は彼女にとって、どーでも良かったのだ。


「辺境伯サヤと副宰相カリウドの婚約に異議ある者あらば、この場で申し述べよ」

法王が重ねて列席者に向かって問いかける。

神法に疎い、サヤでも分かる。“三度(みたび)の問い掛け”という古くからの作法だ。

法王が三度問い、列席者が賛同を示す“沈黙”を返すことで、願いは成就する。


ふと…法王の後ろに控える第五枢機卿アイオンに目が行ってしまう。

その琥珀の瞳はサヤを見ているようで、誰も…何も映していないかのようでもあった。

何も言ってくれるはずはないのに、それが当たり前なのに、悲しくなる。


(さようなら、イオ…)


「この婚約に異議ある者あらば…」

「異議あり」

三度目の、最後の、問いかけはしかし、誰も予想もしなかった方向から遮られた。

全ての視線がそちらに…“優しい女王さま”と“聡明な王女さま”を護衛する者へと

向けられる。

聖なる沈黙が破られた。

「異議ある者は進みで出よ」

法王の前に滑り出たのは、カレント少将であった。

「マルモア王国軍少将カレント、ここに二人の婚約に異議を申立てます」

王都屈指の名家出身。

マルモアの宮廷では、若い娘を持つ親たちからは「婿に欲しい男」、

娘たちからは「夫にしたい男」の番付(ランキング)に毎年一桁入りの若き武将。

彼が元直属上司である宰相の意に逆らって、異議を唱えたことで、

“儀式の間”には激震が走った。


(なに考えてるのっ、レン!)

第五枢機卿から少将へ、素早く視線を移したサヤは、辛うじて叫び出すのを

堪えたものの、内心、大混乱(パニック)であった。

婚約者候補として、事あるごとに思いを告げられてはいたものの、

所詮は“あの男”の腹心と本気で取り合わなかった。

こんな風に…表立って事を起こすことはあるまいと高を括っていたのだが。


「エルミヤ辺境伯の誕生については心よりお慶び申し上げます。

 しかしながら、辺境伯と副宰相殿のご婚約には異を唱えます。

 宰相閣下は、王国と神殿とエルミヤのためにこの婚約を願われました。

 法王猊下は、このような政略のための婚姻をお認めになるのでしょうか。

 マルモアの神々は男女の細やかな情愛による結びつきを寿(ことほ)ぐはず。

 サヤ姫に求愛する者の一人として、私は聖なる沈黙を破り、政略のための

 婚姻に異を唱えます」

乱暴な要約をするならば、「父親(アガイル)圧力(プレッシャー)をかけた政略結婚なぞ、俺は認めん。

サヤと結婚するのは、サヤを愛するこの俺だ」ということにもなろうか。

フラれ男の横槍と評するには、あまりにもレンの態度は堂々としていた。

王子のいないマルモア王宮で、明るい金髪に空色の瞳の美丈夫(ハンサム)は、

さながら王子サマの如き存在として持て囃されていた。

その彼が、異議申し立てに事寄せて、衆目の前でサヤへの求愛を公言する。


外野(ギャラリー)の悲鳴やら歓声やらが姦しくなった。

その騒ぎを切り裂くように、新たな閃光が走る。

「辺境伯と副宰相の婚約に異を唱える者はここにも居ります」

“儀式の間”の一番後ろから、別の声が響いた。

「何者か」

法王猊下の問いかけに進み出たのは、緑がかった黒髪を肩になびかせ、

片方だけ尖った耳を出した異種族の青年。


「シイ」

姿を確かめる前に、声だけでサヤには分かっていた。

シイが来てくれた。

突然現れた、元秘書官に過ぎない彼を、諌めるべき状況なのに、

なぜか安堵の溜息が洩れてしまう。


「き、さ、ま。王宮(ここ)に入る資格はないはず」

カリウド副宰相が殺意の籠った眼差しでシイを睨みつけた。


「エルミヤ辺境に住まう異民族・異種族を代表して、サヤ様の辺境伯叙爵を

心よりお祝い申し上げます」

カリウドを徹底的に無視して、シイは女王の御前でも法王の御前でもなく、

サヤの前に額ずいた。

「されど、エルミヤの民の賛同を得る前に婚約するのはお止めくださいませ。

 貴女は我らの認めた大切な(あるじ)。私が身命を捧げる唯一人の(あるじ)

どうかマルモア中央の意向だけで軽々に婚姻を決めたりなさいませぬように」

乱暴な要約をすると、「父親(アガイル)圧力(プレッシャー)をかけた政略結婚なぞ、私たちは認めません。

マルミヤ中央府が何と言おうと、エルミヤの民が認める相手でないと許しませんよ」

となろうか

…聞き様によっては、王室に喧嘩売っていると取られかねない危険発言である。


「衛兵、この卑しい獣を捕えろ!女王に仇なす者だ」

案の定、副宰相が吠えた。

これを片手で制し、押しとどめたのは法王猊下であった。

「その髪色にその耳。確かに(いにしえ)にエルミヤを統べた種族の名残を留めるが…

 “純血”の者たちはとうに滅んだはず」

「確かに滅びました…他ならぬマルモア大神殿の信奉者たちによって。

されど、その血を色濃く残す者たちが僅かですが、生き延びているのです。

その証をここに、お見せしましょう」

さして大声でもないのに、シイと法王の対話は“儀式の間”によく響いた。

異種族の青年が両手を高く差し上げると、どのようにしたものが、

広間の窓という窓、扉という扉が一斉に開かれた。

そして突風とともに飛び込んできたのは、都中から集めたかのような鳥たち。

鳩、雀、(からす)、目白や尾長と、人間の生活域に日常的にいる鳥たちはもちろん。

翡翠(かわせみ)に、鴨、鴛鴦(おしどり)、白鳥、黒鳥、と水辺に棲まう鳥たちから、

(とび)、鷹、(はやぶさ)、梟と山辺に棲まう鳥たちまで。

更には、雁に鶴と渡りを行う鳥たちから、

孔雀に白鷺、鸚鵡と外国からもたらされた鳥たちまで。

“儀式の間”の天井が何百、何千羽という鳥たちで埋めつくされる。

翼ある者たちと一括りにされても、大きさも、色彩も、鳴き声も、

様々に異なる鳥たちが一つの渦を巻くようにして飛び、(さえず)り、風を作る。

恐ろしい事にその渦は異種族の青年…シイの指先の流れに従って作られていた。


「鳥だけで足りぬようであれば、牙と爪を持つ四足の獣たちも呼び寄せましょうか?」

「…エルミヤの異民族・異種族を代表する者として、そなたの存在を認めよう」

真実はどうであれ、法王はシイの存在を認めざるをえなかった。

そうでなければ、集まった鳥たちに襲撃されかねない、そんな恐怖さえ

“儀式の間”には漂い始めていたのだ。

法王の承認を受け、シイが人差し指を天窓に向けると、そこから一斉に鳥たちが

飛び去っていった。全てがあっと言う間のことで、夢のようであったが、床に落ちた

何枚もの、何種類もの羽が、記憶を留める楔となった。


(シイ…派手にやってくれちゃって)

サヤはハラハラして成り行きを見守っていた。

叙爵式の主役は彼女だったはずだが、もはや蚊帳の外に置かれている気さえする。

今日のために詰め込んだ知識は鳥たちの羽ばたきと共に飛び去ってしまった。


はっきり言ってしまえば、副宰相との婚約はどうでも良かった。

宰相さえ抑えこめれば、承認されない方がむしろ有り難い。

けれども、婚約が無効になると同時に、叙爵まで無効になるのは困るのだ。

何とか事態を丸く収めて、苦痛でしかない王宮からさっさと逃亡したい!


「サヴァイラ、本日の叙爵式においてサヤの後見役を務めるそなたから

 何か申すことはないか?」

法王の問いに、第二枢機卿は口を開く。

「辺境伯の叙爵は承認され、辺境伯の婚約は承認されなかった。

 それだけのことではありますまいか」

そっけない物言いだが、さりげなくサヤの意を汲んでくれている。


「アイオン、そなたからも何か申すことはないか?」

法王の問いに、第五枢機卿は首を振る。

「私がこの場で発言するのは適切ではないと存じます」

「なぜだ?エルミヤ神殿管区長として、サヤはそなたの庇護下にある者であろう?」

琥珀の瞳がサヤに向けられる。

先ほどと異なり、そこには感情の波が揺れに揺れて見えた。


(イオ…?)

胸が錐で揉まれたように痛む。何か言って欲しいが、何も言って欲しくない。

イオへの思いを自覚する度に、サヤの心は重くなる。

それはどこにも行き場のない、(おおやけ)にすることのできない思いだから。


「重ねて申し上げますが、辺境伯サヤと副宰相カリウドの婚約について

 私が発言するのは適切ではないと存じます

 なぜなら…サヤが私以外の者と婚姻することを認める気はありませんから」

「アイオン枢機卿!」

法王の諌めにもアイオンは止まらなかった。

迷って、迷って、けれども止めることができない思いが溢れた。

「枢機卿としての地位を捨て、神の身元を去っても、添い遂げたい娘なのです。

 副宰相カリウドとの婚約を私個人が認めることはありません…絶対に」


“神の使者”と称される青年枢機卿の前代未聞の告白に。

今度こそ、“儀式の間”は収拾不能の大混乱に陥った。


慌ててサヤは女王と宰相の方を見やる。

婚約はどうにでもなれ。但し、辺境伯の地位は頂いてゆく。

そんな意志を込めて。


(女王陛下…?)

不思議なことに、“優しい女王さま”は玉座に腰かけたまま、

人形のように動かなかった。

そういえば、辺境伯を承認する言葉以外には何も彼女の口から出ていない。


サヤはそこで初めて違和感を持った。

傍らに立つ王女の方は明らかに、怒り狂っていて、綺麗な装いが台無しだ。

ところが女王の方はこの騒ぎに聊かも動じていない…というか感じていないで。

女王の威厳とも違う。

まるで…何も眼に映っていないし、耳にも聞こえていないようだ。


宰相はといえば、こちらは口元に薄らと微笑み浮かべて佇んでいる。

娘の婚約を法王に願い出たのは、他ならぬ彼自身なのに、異議申立てに腹を立てる

様子もない。それどころか、大混乱の成り行きを愉しんでいるような気配すらあった。


(あの男…何を考えているの?)

マルモア王家に忠誠を示すために婚姻しろだの、宰相家の後継ぎを生めだの、

煩く要求していた割に、レンに、シイ、そしてイオに対して抗議一つしようとしない。

何だかまだ隠された裏の、裏の、裏の思惑がありそうで、サヤは憂鬱になった。


それにつけても。

宮廷の主だった者たちが集うことになった叙爵式の場で、

名家出身の少将カレントとエルミヤ異種族代表を(たぶん勝手に)名乗るシイ。

そして枢機卿アイオンの三人がよりにもよって辺境女伯への恋慕を明らかにした。

女冥利に尽きるとサヤは泣いて感動した…はずがなかろう!!!


胸がときめいたのは一瞬だけで、むしろ彼女は怒りに身を震わせていた。


(あんたたち…後で覚えていなさいよ)


大嫌いな女王さまに膝を折り、存在そのものを忘れたい宰相に頭を下げ、

唾棄すべき副宰相に唇を差し出しても、彼女は、エルミヤのためと忍耐し、

波風立てずに叙爵しようとしていたのに。


蓋を開けてみれば、阿鼻叫喚の地獄絵図…と、言わぬまでも大騒動になってしまった。

明日には、いや今夜中にも、エルミヤ辺境伯誕生なぞそっちのけにして、

彼女を巡る“恋の鞘当て”とやらの話が王国中を駆け巡るだろう。

どんな悪女認定されるのか、想像するだに恐ろしい。


「それではここにエルミヤ辺境伯の誕生を認める。

 但し、辺境伯と副宰相の婚約は見送りとし、祝福は別の機会に授けるものとする」

法王猊下が片手を上げて宣言し、何とか騒ぎの収拾を図る。

後はもう誰が最初に逃げ出すかの問題であった。

恥をかかされたと思ったのか、カリウド副宰相は早々に消え、

宰相も“優しい女王さま”の手を取るや、

辺境伯となった娘に一瞥もくれずに退出してしまった。


法王と第二枢機卿サヴァイラは疲れた表情で互いを見やりながら大神殿に引き上げた。

サヤが御礼とお詫びを述べる暇もなかった。

レンにもイオにも言ってやりたいことは山ほどあったが、

王宮でこれ以上騒ぎを起こすことは得策ではないと悟り、二人に近づくことは止めた。

ナナツと共に可及的速やかに帰路につく。

その行く手には解任してエルミヤに追い返したはずのシイがちゃっかり待ち構えていた。


「シイ、あんたねぇ…」

殴りたい衝動と抱きしめたい衝動の狭間でサヤは両の拳を握りしめプルプル震えた。

ところが、彼が差し伸べた手を、条件反射のように取ってしまう。


「さあ、我々の家に帰りましょうか、“お嬢さま”」


サヴァイラ第二枢機卿は、何と言っていたっけ?

“魂の片割れ”…ディヴァン。

どうしよう。

取り戻した温もりを、サヤはもう手放せそうになかった。


そうして“エルミヤ辺境伯”となったサヤはナナツ、シイと共に、

宰相邸ではなく、街中の隠れ家に久しぶりに帰宅したのであった。


*** *** *** *** *** 


回廊を一人、颯爽と歩く青年枢機卿に背後から追いついた者がいた。

「アイオン、お待ちなさい!」

振り返った第五枢機卿の瞳には息を切らした王女さまが映った。

「先ほどのことは…何の冗談なの?」

その顔が憤怒に染まり、ひたと彼を見据えている。

「先ほどの…とは?」

「枢機卿の地位を捨てても…サヤと添い遂げたいと?何の冗談?気でも狂ったの?」

「あの場で冗談を言うほど非常識ではありませんし、もちろん正気です」

眼の前の愚かな娘が絶望の色に染まるのを、イオはじっくりと愉しんだ。

「あの娘のために…還俗しようというの?

 貴方が、ささやかな家庭を築く夢を見た相手は、あの娘なの?」

「仰る通りです」

「そんなこと認めないわ!貴方が還俗して婚姻を結ぶのは、この(わたくし)よ。

 貴方は次代の女王の夫となるべき者」

「“聡明な王女さま”、それは許されぬことです。

私と貴女が結ばれることはありません」

アイオンはそこで冷笑すら浮かべた。

「なぜよ?先王の血を引く貴方と、現女王の血を引く(わたくし)

これ以上の縁組はないわ。

サヤのことは一時の気の迷いとして許して差し上げるから、

私に跪きなさい」

王女の言葉にアイオンは今度こそ声を上げて嘲笑った。

「アイオン!」

「お気の毒な王女さま。哀れで愚かな我が妹」

「アイオン?何を言って…」

「私が望む地位を得るために、別にお前の存在なぞ必要ない」

甘い言葉も優しい眼差しも、全ては掻き消え、

そこには王女の初めて目にする男が立っていた。褐色の肌に銀の髪、琥珀の瞳。

“神の使者”と呼ばれた者の存在に初めて恐怖する。

「私の父は確かに先王だ。だが、母はお前と同じ、女王だ」

「そんな…」

はっきりとは尋ねたわけではなかったが、王女はアイオン枢機卿の母親を神殿に

仕える巫女の誰かだと推測していた。王女の生まれる前、まだ先王が比較的元気

だった頃に余所で作った子だと思っていたのだが。

「話しただろう?この姿ゆえに、父に我が子と認められず、神殿に捨てられた。

 母は我が子を捨てられるのを黙認したそうだ。

私こそが王と王妃と間に生まれた唯一の嫡子であったにも関わらず、ね。

貴女とは、半分ですが、確かに血は繋がっています。

 別にマルモアの神など恐くはありませんが、近親婚をするつもりはありません」

「騙したの…?」

「私が何か一つでもお前に約束したことがあったか?」

「サヤとの婚姻は絶対に認めないわ!お母さまも、貴方の還俗に反対している」

むきになって反撃しても、アイオンには小娘の悪あがきにしか見えなかった。

「別に還俗しなくても、サヤと婚姻する方法はある。

 私を“聖俗の長”と認めさせれば良いだけのことだ」

「何を言っているの…?」

「聡明な王女さま”、神学のお勉強が少しばかり足りませんね。

 “聖界の長”と“俗界の長”は別々の人物である必要はないのですよ。

 歴史上、何人かの兼職者が存在します。

 “聖俗の長”は“国王”ではなく、“神王”と呼ばれ、

最高位の聖職者でありながら、妻帯も認められます」

「まさか、貴方は…そんな大それたことを」

「ええ、そのまさかですが、何か?

望みのものを得るために必要とあらば、王家と神殿の誰を殺めることになっても、

“神王”の地位に就いて見せますよ」

妹だからといって私に盾付くなら容赦はしませんよ…そう囁く“神の使者”に

王女は立っていられないほどの恐怖を感じて、その場に崩れ落ちた。

第五枢機卿は、神王ならぬ魔王のような微笑を浮かべて立ち去った。




 



今回、サヤは被害者?


頑張ったのに、トンデモ3人のせいで叙爵式がメチャメチャになりました。

副宰相との婚約が流れたのは良かったですが。


“聡明な王女さま”には遂に制裁が下りました。でも、イオ、ひどっ!

“神王”なんてアホな事を言ってますが、彼の暴走を誰が止めるのか。


次回、“優しい女王さま”の優しくない真実にサヤが迫ります。

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