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五粒と二片

“優しい女王さま”相変わらず、でございます。


林檎摘みをしながら、サーヤさんは昔の真実の一端を知ります。


エヴァイラ第二枢機卿の過去は想像以上にヘビーです。


そしてイオ vs. シイ、低次元の争いにファン(もしいたら)激減でしょうか。

耳に届く荒い呼吸が自分のものと知って、“優しい女王さま”は漸く我に返った。

息が苦しくて、身体中が汗だくになっていた。


「カナイ、大丈夫ですか?酷くうなされていましたが」

寝台の上に身を起こし、彼女を背中から抱きしめるのは、勿論“宰相”閣下だ。

暗闇に顔は隠されているものの、馴染んだ指先が服の上で踊り、柔らかな唇が首筋に

押し当てられる。


「悪夢を見たわ。血の色をした魔物たちが地の底から這い上がってきて、

 わたくしに絡みつくの。一番強い魔王の…あの顔は…陛…」

「カナイ?」

“宰相”に名を呼ばれ、女王は慌てて口を噤んだ。自分の醜い感情を知られたくない。


「御身を大切になさってくださいませ。貴女の代わりは誰もいないのですから」

「ふふっ心配症ね。私のアガイルは」

「貴方のことを幾ら心配してもしすぎることはありませんよ」

「明後日には貴方の娘がいよいよ辺境伯となるわ。寝込んでなんていられない。

 わたくし、精一杯祝福してあげるわ」

「優しい女王さま」

「苦しいわ、アガイル」

ふふっと女王は笑う。そう、彼女は彼の“可哀想な娘”に慈愛を注いでやるつもりだ。

「そうそう。叙爵と同時にカレント少将との婚約発表もするのでしょう?

 わたくし、お祝いに…」

「カナイ」

女王の言葉が遮られた。“宰相”はほんの少し指先に力を込めた。

「娘は確かに婚約しますが、相手はレンではありません」

「あら?」

「カリウドに任せることにしました」

一拍おいて女王が「どなた?」と尋ねてくる。

“宰相”は暗闇で顔を歪めた。やはり女王さまは“彼”の名を覚えていなかった。

「カリウド副宰相です」

「ああ…」

どうでもいいという口ぶりだ。

執務室で毎日のように顔を合わせていても、彼女は“彼”を知らない。

数え切れないほど身体を重ね、口付けを交わしても彼女は“彼”を知らない。

女王が見ているのは昔も今もただ一人の男だけ。アガイルという名の男だけ。

…それが決して報われぬ思いであることも知らずに。


「“私”同様、副宰相も女王さまに命を捧げています。娘と結婚することで、

 北方に睨みをきかせることができる…全てはカナイ、貴女の御為です」

「まあ、政略結婚なの?副宰相はサヤのことを愛してはいないの?」

「わた…副宰相がお慕いしているのは陛下だけです。それは結婚しても変わりません」

「それではサヤが可哀想…父親からも夫からも愛されないなんて」

「貴女は優しい人ですね、カナイ」

「副宰相に伝えて。サヤを粗略に扱わないように、と」

「仰せの通りに。私の女王陛下」

実際、“彼”は辺境伯となる娘を粗略に扱うつもりはなかった。

昨日の記憶が蘇る。

麗しい貴婦人が彼の執務室を訪ね、求婚への承諾を伝えに来た。

初め相手が誰か分からなかったが、やがて北方辺境伯代理と知る。

戯れのように仕掛けた求婚であったが、娘も馬鹿ではないということか、

カレント少将より副宰相を選んできた。


試みに誓いの接吻を強請ってみれば、娘は躊躇わずに唇を差し出した。

舌で口内を散々に蹂躙しても拒まなかった。

…従順な女は嫌いではない。

それが魅力的な姿態の持ち主なら尚更だ。

大人しくしているなら、たまには可愛がってもやるし、後継ぎだって生ませてやろう

…そう“彼”は考えていた。


一方で“優しい女王さま”は密かに心を痛めていた。

「サーヤが可哀想。宰相も副宰相もわたくしのことばかりで、あの娘を愛さない。

 わたくしのせいで…」

できるだけ、優しくしてあげなくては、“可哀想な娘”なんだから、と女王は

心の中で何度も何度も繰り返した。


*** *** *** *** ***


エルミヤ辺境伯代理はその日何杯目かになる檸檬水を口に含むと、ぶくぶくと口を

ゆすいでいた。何度やっても口内に嫌な感触が残っていて、気持ち悪い。

思い起こせば、不快な記憶が蘇ってきて、鳥肌が立つし、悪寒がする。


「はっきり言わせてもらうよ」

そんなサヤを軽く睨みながらサヴァイラ第二枢機卿が口を開く。


「お前に色仕掛けなんぞ20年早い」

「ぶっ」

全くとんでもない娘だった。

朝一番に主神殿の第二枢機卿の私室へ訪ねてきたと思ったら、勝手に備えつけの

檸檬水に手を伸ばし、飲むでなく、うがいを始める。

そうしてちょっと突いただけで吹き出す。

「汚いねぇ」

礼儀作法を厳しく仕込んだはずなのに、どうしてこんな粗雑な娘が出来上がったのか。


「サヴァイラ様、20年後に私は40ですよ。おばちゃんじゃないですか」

「色仕掛けするなら、それ位になってからにおしって言ってるんだよ。

 全く、副宰相なんか引っ掛けてどうしようっていうんだい」

本当に頭が痛い。

サヤの婚約に青年枢機卿と坊ちゃん少将と異種族従者が大人しくしているはずはなく、

この先に巻き起こるであろう騒動を想像して、第二枢機卿は暗澹たる気持ちでいた。

一体何時になったら平穏無事な日常が送れるのか。


「どうしてレンにしておかないんだい?一番無難な選択だろうに」

地位も名誉も財力もあるが副宰相はダメだ。

宰相の片腕であり、国政を担う意味では優秀な男だが、サヤの夫という意味では最悪だ。

カリウドはもう十年以上も報われぬ片恋に苦しんでいる。

尽くしても尽くしても、愛しい女性が彼を見ることはない。

一方通行の虚しさが心の中に積もってゆき淀みを作る。

そんな恨みの矛先が宰相の娘であるサヤに向けられる危険性が十二分にあった。


「…レンが好きだから」

「何だって?」

衝撃の告白を聞いてサヴァイラは我が耳を疑った。

密かに「シイ派」を自認する第二枢機卿にとって聞き捨てならない。

「レンが好・き・だ・か・ら、です!

 もう、恥ずかしいことを二度も言わせないで下さいっ」

その“恥ずかしいこと”を一語一語区切って強調し、大声で叫んだ娘に、サヴァイラは

あ然呆然であった。

「好きなら結婚すればいいじゃないか。何も問題ないだろう?」

「で・す・か・ら」

苛々とサヤは説明した。

「利用した挙げ句、ポイ捨てするのは忍びない、と思う程度には少将が好きだからです。

 その点、副宰相殿なら、いつ“消えて”いただいても、全く良心が痛みませんから」

さらりと物騒なこと言う。

そう。サヤの抹殺予定者名簿の中で相変わらずリウは筆頭を占めているのであった。


「それじゃ、お前、誰が一番好きなんだい?やっぱり、イオ…」

「大っ嫌いです!顔も見たくないし、名前も聞きたくありません」


サヴァイラの言葉を遮り、サヤは叫んだ。

エルミヤか自分かと迫り、断った途端に王女と急接近。

更には白昼堂々の接吻を見せつけてくれた…浮気者。軽薄。嘘つき。女たらし。

一度始めれば際限なく悪口を言ってしまいそうだ。


万一遭遇する事態になれば、神々しいお顔をうっかり殴ってしまいかねないので、

主神殿を訪ねる際にはイオが法王猊下のお供で確実に不在の時を狙った。


「で、シイはどうするんだい?」

「…暇をだしたと言いましたよね?」

年寄りの好奇心にも困ったものだ。

第一、サヤは質問しに来たのであって、されに来たのではない。


「お前はシイのディヴァンだろう?離れて平気なのかい?」

「ディ…何ですって?」

「ディヴァン。魂の片割れ。命を分け合い、命の終わりを共にする存在」

「…なんか凄く重いんですけど」

「ディヴァンは人間で言うところの伴侶や配偶者に近けど、確かにずっと重い意味を

 持つ。何しろ互いの命を分け合うのだから」

「私は単なる人間です。そういう意味ならシイのディヴァンにはなれない」

きっぱり否定しながらも、考えてしまう。

シイが将来、別の女性の手を取り、その人との新しい未来を歩み始めたらサヤはきっと

心穏やかではいられない…どころか、嫉妬で胸をかきむしってしまいそうだ。


「北方辺境伯と異種族若者との恋物語。良いね~誰かさんが書く小説みたいだね。

 ま、マルモアのすべての山を登るより大変そうだけど、せいぜい頑張っとくれ」

「サヴァイラ!」

半世紀以上歳の離れた、マルモアに7人しかいない枢機卿を呼び捨てて叫んでしまった。


「…で、これは何です?」

数刻後、エルミヤ辺境伯代理はちょっとありえない格好で、主神殿隣接の果樹園

…林檎園の中にいた。


「お前が亡くなった祖父について聞きたいと言ったからじゃないか」

「言いました、確かに言いましたが…」


それがどうして、こうなった。訳ガ分カラナーイ、のサヤであった。


使い古されてクタクタした、つばの広い麦藁帽子。首には手拭い。軍手に前掛け。

極めつけは大きな背負子…つまりは林檎収穫用の出で立ちなわけで。


「神殿において祈りと労働は基本中の基本。それに、分かっていると思うけど、

 情報は無料ではないのだよ…キリキリ働きなさい」

要約すると、秘密を教えてやる代わりに林檎の収穫を手伝え、と。

サヤは合点すると、早速手近なところでタワタワしている実をもぎ取ると背中の籠に

ポイポイと投げ入れていった。

「虫食いのないのを選ぶんだよ…投げるんじゃない。優しく扱うんだ」

忽ち指導が入る。話しながら、サヴァイラも林檎を収穫し、サヤの籠に詰めてゆく。


「死んだお爺ちゃん、無実でしたよね?」

「そうだね」

「陥れたのは…先王かと思ったのですが、当時まだ10になるかならぬかのはず。

 となると、先王の母親ですか?でも、それだけだと祖父を追い落とすには弱い」

「先王の伯母、つまりお前の祖父の姉で現女王の母親もそうだ。

 嫁ぎ先の勢力を背景にしてね」

「兄嫁や姉にそこまで嫌われる祖父って…」

「国民には人気があったね。貴族制度廃止後の自由主義を支持していたし、

 神殿勢力との融和にも心を砕いていた…だからこそ警戒された」

「でも…兄王や兄王の子から王位を奪おうなんて考えていなかったんでしょ?」

「問題が一つあった。先王に障害があって王位継承が危ぶまれたんだ」

「先王に?少し身体が弱かったとは聞いていたけど

 …王位継承が危ぶまれるほどだったなんて…」

言いながら、サヤは自分の間抜けさに気づく。

そん機密情報を王室がおいそれと漏らすはずはないのだ。

「知能に問題はない。むしろ長ずるに従って明晰過ぎるくらいだった。

 但し、身体の方は生まれつき、四肢に麻痺があったんだ」

「そんな…」

「全く動かない訳じゃないよ。ただ…」

第二枢機卿はそこで、よく熟れた林檎をもぎ取り、ゆっくりと身体を捻って、

サヤの背負う籠の中に入れた。

「こんな何でもない動作も先王にとっては苦行だっただろね」

「だから先々代の王は…」

「結局王子は一人しか授からなかったし、我が子に後を継がせたいという願いは

 あっただろうさ。その一方で我が子に重荷を負わせたくないという親心もあった。

 何より国政のことを考えたら人望のある弟王子に譲位した方が好いと判断したんだろう

 …でも、王妃と妹と妹の夫であった大臣に押しきられた。

 旧貴族勢力が珍しく一丸となって王弟排斥に乗り出したんだ。王弟が即位して

 これ以上、既得権益を奪われるのは我慢ならなかったし、身体をの弱い王の方が

 御しやすいと思ったんだろう」

もはやマルモア王室とマルモア主神殿の生き字引となりつつあるサヴァイラは、

サヤの求めに応じて事細かく昔の経緯を話してくれた。

孫としては、祖父を謀反人に仕立てあげた悪人たちを成敗するべきなのだろうが、

主だった者たちは既に他界してしまっている。

彼らの最大の誤算は先王で、彼は即位するや否や自分を支配しようとする者たちを悉く

処刑している…その中には実母も現女王の両親も含まれていた。


「さて、籠もいっぱいになったことだし、戻るとするかね」

「滅茶苦茶、重いんですけど…」

両方の肩紐が食い込んで痛い。

体力に自信があるサヤでも注意して歩かないと、よろめいて転んでしまいそうだった。


「待って、サヴァイラ。もう一つだけ教えて。

 王女さまだったのに、どうして神殿に入ったの?」

身も蓋もない言い方をすれば、王女は王家にとって貴重な駒だ。

友好を結びたい外国の王室に嫁がすも良し、

機嫌を取りたい国内の有力者に嫁がすも良し。

「何で私のことなんて聞きたいんだい?」

「…サヴァイラ様が王家も神殿も本当は嫌っているから」

第二枢機卿は来た道を戻りながら小さく息を呑んだ。上手に隠していたつもりだった

のに、この娘にはいつの間にかばれてしまっていたらしい。

聞いて楽しいことではなかろうと思いつつ、なぜかこの時、重い口を開く気になった。

きっと自分がもう人生のあら方を終えてしまっていて、死ぬ前に…誰かにこんな人間も

いたと記憶に留めて欲しいと願ったからだろう。


「政略結婚から逃げて神殿に入った訳じゃない。むしろ、4代前の国王によって

 政略で神殿へ送られたんだ。当時最大勢力を誇っていた神殿への“貢ぎ物”として」

「王家の姫君を神殿の巫女に据えることが栄誉になるから?」

「表向きはそんなところだ。けれど実際はもっと生々しい。

 …やんごとなき姫君を自分たちの欲望の捌け口にできるから、だ」

サヤの足が止まった。サヴァイラは構わず昔話を続けた。

「15の年に主神殿に送りこまれ、それから30の年まで、表向きは巫女姫として

 敬われ、裏では法王や枢機卿など高位聖職者専用の…娼婦だった」

サヤの手からかじりかけの林檎がこぼれ落ちる。

平静を装おうとして、とても無理だった。

サヴァイラが王室も神殿も嫌っていて当然だ。


「密かに神殿の最奥で…父親の特定できない子どもを生まされた。

 さすがに自分の出産回数は覚えているが、あの内の何人が成人まで生き延びたか、

 今でも生きているのか、分からない。

 生まれたその日に引き離されてしまったから、今会えたとしても自分の子かどうかも

 分からないんだよ。

 もしかしたら…お前くらいの孫がいるかもしれないが、それも分からない」


サヴァイラは口ぐせのように、平和に暮らしたい、のんびり暮らしたいという。

それは彼女のこれまでの人生がどんなエルミヤの山よりも険しかったせいだ。

「サーヤ、私は“可哀想な年寄り”かい?」

「いいえ」

キッパリとそこは否定する。今、ここにいる彼女の存在がその答えだ。

「少しずつ力を付けて、私は私を道具扱いした者たちを少しずつ“片付け”ていった。

 女で初めて枢機卿の地位にも登った」

「そうして逞しく生きてきた貴女に対して、

 なぜ私ごとき小娘が“可哀想”などといえるのです?」

むしろその生き様を賞賛すべきではないのか。

「けれどねぇ、サヤ。私は自分の恨みに凝り固まるあまり、お前の祖父の窮乏にも、

 先王の絶望にも、女王の孤独にも…全て見て見ぬ振りをしてしまった。

 その結果が現在だ。

 私はお前に逞しく生きて欲しいと思うけれど、私と同じように生きて欲しい

 訳じゃない。最初から切り捨ててしまってはダメだ」

第二枢機卿が自分に何を求めているのか、正直、サヤには理解できない。

サヴァイラ自身はできなかったくせに、女王や王女や宰相らを切り捨てずに、せっせっと

救い上げて未来を歩めというのなら、「そんなの無理に決まっている!」と怒鳴りたい。


けれど“先王の絶望”と“女王の孤独”とサヴァイラは告げた。

はっきり明言することは避けたが、先王は幸せに逝ったのではないのだろう。

そして自分の両親を処刑した男と結婚した女王もやはり幸せとはいえなくて。

王家の存続のために先王は従妹姫を娶り…先王の病状が原因で子が作れぬとしたら…

次に何が起こるかは想像できてしまう。


「“優しい女王さま”をお前が毛嫌いする気持ちはよく分かる。女王がおよそ為政者に

 相応しい器でないことも認めよう。けれど…私には女王を拒絶できない」


同じ痛みを知っているから。


「ご心配なく、サヴァイラ。祖父のことは女王さまには関係ないことです。

 女王さまや王女さまが嫌いだからという理由だけで、公然楯突いたりしませんよ。

 私も平穏無事が大好きなんです」

サヤはやたらに重たくなった籠を背から降ろすと、相手を安心させるように言った。


そう。サヤには現王室をひっくり返そうなどという思惑はないのだ。

…但し、“エルミヤが害されぬ限りにおいて”という条件が付くが。


*** *** *** *** *** 


マルモア主神殿の南方には神殿直轄の広大な森林がある。

一部には遊歩道や芝の広場が整備され、市民の憩いの場となっているが、奥に進むと、

ほぼ手付かずの原生林が存在し、野生動物が生息する。

神殿の度重なる警告にも関わらず、山菜採りやキノコ採りに入って深みにはまり、

遭難する者が後を絶たない。

…もっと言ってしまうなら、“聖域だから安心”という分かったような分からないような

理由で最奥にある小滝付近は自殺の名所であったりする。


そんな、春には蕨があったり、秋には松茸があったり、たまに気の毒なご遺体が

あったりする森の中を、全速力で走り抜けようとしている青年がいた。

銀の髪はくしゃくしゃに乱れ、褐色の肌はうっすら汗を帯びている。

まだ息を切らすほどではないが、少しずつ呼吸は上がってきていた。

そして、足運びもまた、少しずつ荒くなってきていた。

それほど余裕のない走り方を青年がするのは稀で、もしかしたら五年前に主神殿で騒乱が

あって以来かもしれなかった。

いや、あの時よりも今の方がずっと本気を出していて

…その琥珀の瞳は爛々と輝いている。


枢機卿の供をして王都内に幾つかある副神殿を訪れたアイオン第五枢機卿は、

適当な口実を設けてさっさと帰ってくるつもりであった。

ところが折悪しく一般参賀の日に当たってしまい、枢機卿直々の命で何人かの告解を

引き受ける羽目になってしまった。

理想主義者で平和呆けした爺…もとい、王室と神殿と国民の調和に心を砕く尊き御心の

法王猊下は副神殿長に乞われるや、あっさりと第五枢機卿を“貸し出し”た。

25歳の青年枢機卿が老若男女に人気であることを承知の上の所業だ。


お陰で、イオは、

「妻が妊娠中に浮気してしまったんです。正直に妻に打ち明けるべきでしょうか」だの、

「元夫と今の夫の間に揺れ動いています。どちらを選ぶべきでしょうか」だの、

「昔の彼女が乳飲み子を連れて現れたんです。本当に俺の子でしょうか」だの、

「舅が不埒な視線で私を見るんです。夫に相談すべきでしょうか」だの、

どうでもいい告白やら、相談ごとやらに付き合わなければならなくなった。


普段なら「それは大変ですね…」と親身になる“振り”をし、

「…したらいかがでしょう?」と適当な提案をして、爽やかな笑顔で締めくくる、

という演技ができるのだが、現在はとても無理だ。

自分の恋愛に精一杯で、他人の色恋沙汰なぞはっきり言って、纏めてドブに捨てたい。


わらわらと群がってくる悩める子羊たちを何とか丸めこみ、法王猊下を置き去りにして、

なんとか逃亡に成功。ただ、足取りを消すために相当回り道をして、主神殿の森を横断

せねばならなくなった。

遭難多発地帯でも、イオにとっては生まれた時から馴染んだ場所、

迷うなどありえなかった…そうしてもちろん、狙うは北方辺境伯代理ただ一人だ。


サヤが主神殿を去る時間にぎりぎり間に合うか、という見通しが立ったところで、

前方に“妖しい”若者が立っていることに気が付く。

遊歩道を避け、道なき道を選んで走っていたとはいえ、神殿が近づけばそれだけに

他人との接触率も高くなる。

人がいること自体はおかしくないのだが、問題なのは…その若者が十数羽の鳥を一斉に

操っていることであった。

それも種類は様々で、鳩、雀、烏、目白、尾長、翡翠…くらいまでは許容範囲として、

鷹やら鳶やら隼までいるのだ。

どれだけ鳥好きされる体質だとしても、普通の人間であるならば“ありえない”。


近づく気配を察して若者が振り向く。その緑がかった黒髪や少しだけ先の尖った耳を

見るまでもなく、アイオンは相手の正体を悟る。


「お前のせいだ!!!」「あんたのせいだ!!!」

と、同時に二人は互いへと罵声を浴びせていた。


シイの操る隼がアイオンの瞳を突こうと舞い上がり、アイオンの操る銀の錫杖が容赦なく

それを打ち払う。どちらも互いへの敵意…というか、ほとんど殺意…を剥き出しにした。


「あんたが中途半端な求婚(プロポーズ)なんかしたせいで、サーヤが変な方向に突っ走ったじゃ

 ないか!」

「元はといえばお前が副宰相なんぞに後れをとって、耳を齧られたりするからだろう!」

…はっきり言って、どっちもどっちなのだが、森の中に二人を諌める者はいない。

仮にレン少将がいたとしても、大好きなお兄ちゃんが亡くなったと泣きじゃくって

酔っ払って、サヤを困らせた彼には何も言う資格がない。


「どけっ。お前に構っている暇はない」

錫杖で纏わりついてくる鳥たちを退けつつ、アイオンは無理やり先へ進もうとした。

一刻も早く主神殿に戻り、サヤに会いたかった。会って全部きちんと説明しなければ。


「僕が行かせると思うの?今のあんたにサーヤに会う資格なんてないでしょ」

猛禽類の眼そのままにシイは第五枢機卿の行く手を阻んだ。


「このままサーヤがあの変態野郎と婚約してもいいのか、お前は!」

アイオンの剣幕に一瞬の十分の一だけ、シイはたじろぎ、けれど忽ちに応戦する。

「いいわけないだろ。けれど、“婚約”と“婚姻”は違う…分かっているだろ?」

「知るか。仮初めだろうと、あの変態がサヤの婚約者を名乗るなぞ我慢ならん!

 それに、あの副宰相のことだ、正式な婚姻式まで手を出さないなどありえん」

「…そうだね。サヤが婚約を承諾するために訪ねて行った時、それはもう濃厚な接吻を

 要求したようだよ」

異種族の力を全開にしたシイは、鳥の眼を借りて、副宰相とサヤが唇を重ねるのも、

その後サヤが何度も何度も何度も口を濯ぐのも見ていた…荒れ狂う心を抑えながら。

本来、第五枢機卿と情報共有なぞする気はなかったが、自分の感じた痛みを相手にも

与えたくて、あっさり濃厚な接吻云々を明らかにしてやった。


「あの変態」

「変態に変態って言われてもねぇ…僕に言わせれば副宰相もあんたも似たりよったりだ」

「勝手に一緒くたにするな、不愉快だ。奴は邪心の塊だが、私は純愛一直線だ」

純愛一直線な割には王女さまに不埒な真似をしているが、それをシイは追及する

つもりはなかった。別に王女のことはどうでも良いのだ。


「どうせサーヤに会ったら、ひっ攫って、自分の隠れ家の一つに監禁しようとでも

 考えているんでしょ?でもって言うこと聞かないと叙爵式に出さない、とか脅して」

その通りなので、イオは黙り込んだ。しかし!彼にも言い分はある。


「お前だって、鳥の眼を利用して、四六時中サヤの周囲を覗き見しているんだろう?

 昼間だけじゃない。夜だって寝室を覗いて、サヤのあどけない寝顔ににやにやしたり、

 しどけない寝姿にむらむらしたりしているんだろう?」

これにはシイも黙り込んだ…その通りなので反論できない。

どっちが変態なんだか、とイオがせせら笑う…本人たちに自覚はないものの、どこまでも

低次元の喧嘩であった。


「あ、ナナツが迎えにきた。サヤが林檎をもらって神殿を後にするようだよ。

 残念、間に合わなかったね、枢機卿猊下」

にっこりとシイが微笑んだ。彼の妨害工作は成功したのだ。


「サヤの弟分だからといって、私が手加減すると思うなよ」

「サヤの弟分辞めたから、手加減してくれなくて一向に構わないよ」

「何だと?」

「サヤを誰にも渡すつもりはないと言ってるんだ。あんたにも、少将にも、もちろん

 副宰相にも、ね。大丈夫、サーヤと僕はマルモアの全ての山を乗り越えて、幸せに

 なるから。あんたは、あの王女とくっ付いて、王家“中興”に精を出せば良いよ。

 僕は、あの坊ちゃん少将とは違う。あんたが王女さまと“近親婚”したところで全く

 気にしない」

それはつまりシイがアイオンの出生の秘密を知っているという含みであった。

「サーヤはどういう反応をするかな?君が王女さまの異父兄で、自分の再従兄(またいとこ)だと

 知ったら。ああ、わざわざ告げ口したりしないよ…どうせ彼女はもう直ぐ真実に

 辿り着く」


宰相の子ではないとサヤには伝えていた。

けれども真実の父や母が誰であるかを…問われれば正直に答えようと思いつつ、

結局イオは今まで告げずにいた。

やはり心のどこかで、知られるのを恐れていたのかもしれない。


それにしても、と第五枢機卿は認識を新たにする。

自分が本当に欲しいものを勝ち取るためには…宰相でも副宰相でも少将でもなく、

目の前で柔らかな笑みを浮かべる異種族の若者を倒すことこそ、

肝心なのだということを。


本文中に出てくる“ディヴァン”=魂の片割れ、ですが、英語の

divine(神のような、神聖な)とdivide (分ける、分割する)を

勝手に雪柳がもじった造語です。


さて、この片で、イオの父親と母親がバレバレでしょうか?

自分に似てないからと言って棄てさせた父親とか、憎い男の子どもだからと

言って棄てるのを許した母親って…サイテーでございます。

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