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四粒と二片

サヤ、現代でいえば「エルミヤ州・州知事代理」みたいな肩書です。

そういえば仕事しているところをあまり書いていないな、と思いまして、

冒頭少し「冬にどうやって金を稼ぐか」で頭を悩ましているところを

出してみました。


そんなところに、イオが白昼堂々アプローチ。どうする、サヤ?です。

エルミヤ王都出張事務所。


王都におけるエルミヤ地方の総合窓口となる役所である。

マルモア国民に北方エルミヤへの理解を深めてもらうため、各種の情報提供をするほか、

マルモアの王室、軍部、神殿、中央行政機関との連絡調整を行う機関である。

行政面では、地方税の課税・徴収、交通網の整備・管理、災害対策、文化振興、

子ども・高齢者への福祉、教育・職業訓練、雇用対策、農地・牧地の改良…などなど

地方行政でやるべきことは山ほどある。


エルミヤ辺境伯代理であるサヤは、(みやこ)代理アガイルと(くに)代理ナナツに補佐されながら、

エルミヤの首長たる地位にある。母カヤが逝去した時、まだ15歳であったため、直ちに

爵位を継ぐことは許されるず、暫くの間、父であり宰相であるアガイルの預りとなった。

そして18歳にして、代理(仮)の地位を得、この度20歳になるに及んで、ようやく

正式に辺境伯を名乗ることが許されることになる。都代理といってもアガイルはほとんど

放任状態であったため、母逝去時からエルミヤ治世はサヤとナナツの肩に掛かっていた。


従って、辺境伯代理の「代理」部分が取れたからといって、サヤの仕事に大差はないのだ

が、心理的な影響はすこぶる大きい。なにせ、郷代理ナナツはともかくとして、

都代理たるアガイルの「補佐」という名の「監視」から解放されるのだから。


もっとも目下のサヤには、正式な叙爵を目前にしてウハウハ浮かれている余裕など

どこにもなかった。


何度も言いますが、エルミヤはビ・ン・ボ・ウですので。


エルミヤの首長たる本来業務を抱え、王都出張所でウンウン唸っている最中だったり

するのだ。頼りになるシイはさすがに動かせず、自宅療養を命じて部屋に閉じ込めてきた。

意外にもシイは争わず、「しばらくは安静にしています」と宣誓した…あやしいものだが。


ともあれ、ここはサヤ一人で切り抜けるしかないのだ。


エルミヤ王都出張事務所には正規職員が10名足らず。非常勤職員が20数名。

合計30名ほどで、エルミヤに関わる諸業務をこなしている。

通常、地方役人というのは、「安定収入」「堅実」「失業なし」ということで、

まずまず人気の職業なのだが…エルミヤの場合は必ずしも当てはまらない。


「安定収入」…サヤが辺境伯代理となってから、給与不払いや支払遅滞が起こったことは

一度もない。但し、エルミヤ地方財政の内情に鑑みれば、どこからどうやって給与が

出ているのか、摩訶不思議な現象が続いている。


「堅実」…地方役人当該地方において一定の社会的(ソーシャル)地位(ステータス)を有している。

一般家庭の場合、見合い相手が地方役人であれば、まず歓迎され。が、「堅実」と「安全」は

別物だ。エルミヤ地方役人の場合、在地であれ王都であれ、身の危険を覚悟して職務を全う

せねばならなぬことがままある。


「失業なし」…一度採用されれば、心身ともに健全である限り、終身雇用である。

エルミヤの場合、文字通り終身雇用。本人が希望すれば、70でも80でも仕事を

続けることができる。が、もちろんそんな物好きはいない。むしろ、泣いて辞めたい

という若者や年寄りをアノ手コノ手で慰留するのが日常茶飯事だったりする。


ということで、田舎から上京して、王都出張事務所で働く人々が薔薇色の人生を送って

いるかというと…とんでもないのです。彼らの多くは自分たちが「貧乏クジ引いた!」と

思っているのだ。


「もうちょっと観光収入を伸ばせないかなぁ」

王都出張事務所の物置兼会議室で、サヤは腹心の部下数名と額を寄せあって

考えこんでいた。

「“聖なる山での寺院(テンプル)滞在(ステイ)計画(プラン)と“少数民族村での異文化体験”

 計画(プラン)は順調に参加者を増やしております」

「でも“<熟年夫婦向き>エルミヤ☆冬籠り”計画(プラン)は見直しが必要ね」

エルミヤの冬は長く厳しい。冬の数カ月は観光客もほとんどいなくなる。

そこで昨年考案したのが、暖房完備・三食付きの別荘を冬の間中貸し出すというもので、

時間とお金に余裕がある熟年夫婦を狙ったのであるが…イロイロ失敗した。

二人きりで一冬を過ごしたいという熟年夫婦と、なぜか新婚夫婦が(仕事はどうした、

仕事は!)百組ほど集まり、収益としては黒字になった。

問題なのはその後で、冬の間中一緒に居た結果、その3割が春に離婚した。

どうも四六時中一緒にいると互いの嫌な所が目に付いて夫婦喧嘩が多発したらしい。


「いっそ離婚率3割を公表して、“<二人の愛を確かめて>エルミヤ☆冬籠り”計画とか

 にする?あとは“<強くなりたい貴方へ>エルミヤ☆冬の武者修行>計画とか」


冗談を言っているのではありませんよ?

辺境伯代理として如何に収益を得るか、真面目に考えているのです。


「そうですなぁ。折角建てた別荘を遊ばせておく訳にもまいりませんし」

と、厳つい顔に似合わず、メルヘンな村を造るのが大好きな建設部担当者が相槌を打つ。

「でも誰が面倒見るんです?

 猛吹雪の中、険悪になった夫婦の仲裁をするのは大変だったんですよ?

 昨年死人が出なかったのが不思議なくらいです!」

と叫ぶのは観光振興局担当者。昨年、現地視察をしていた彼は、喧嘩中の夫から妻を

かばい3度殴られ、妻から夫をかばい5度ほど()たれたりしている。

女性の長い爪が凶器となることも、彼はこの時、身を持って体験した。


「夫婦喧嘩の末の死亡・傷害に関して当方は一切責任を負いません。

 夫婦喧嘩の末に外に飛び出して、凍死したり、狼に食い殺されたりしても当方は

 一切責任を負いません…などなど事前に幾つか念書をとりますか?」

と、提案するのは法務担当者。

マルモアの最高学府を卒業しているのだが、ちょっと応用力に問題が。

「で、そんな念書とられてまで参加したい人たちがどれだけいるのよ?」

サヤの指摘に一同、はぁああと重い溜息をつく。


この数年、豊作続きなので、エルミヤのどんな寒村でも餓死者は出ていない。

大きな災害もなく、地方行政はまずまず安定しているといえる。

但し、財政状況がギリギリ綱渡りなのは相変わらずなので、経済活動が停滞しがちな

冬の間でも何とか小金を稼ぎたいところなのだ。


「伯代理、お客さまが…」

会議室の扉が控え目に開けられて、サヤに呼び出しがかかった。

耳打ちされた名前に慌てて立ち上がり、会議の一同にはそのまま休憩に入るよう指示する。

シイは自宅療養。ナナツも王都の商工組合に出掛けて不在。

そして休憩するに頃合いの良い、お昼時。


更には絶対面会を断れない相手。


「イオ」

小汚くはないが小奇麗ともいえない出張事務所の入り口に立っていたのは、この国に

7人しかいない枢機卿の一人であった。


「やあ、サーヤ。昼を一緒にと思って、訪ねてきたんだ」

25歳の青年が20歳の娘を昼食に誘う。別段おかしくもなんともないことだ。

二人は見つめ合い、腕を組んで、連れだって近場の洒落た食堂へ…って、違~う!


第五枢機卿が一人でフラフラ何をやっているんだ。


エルミヤ地方の神殿管区長である彼が、エルミヤ辺境伯代理のサヤと会うこと自体は

何も問題はない。

が、王都の主神殿にサヤを呼びつければ良いだけの話だ。

間違っても法王直近の高位聖職者が一地方の出張事務所に昼食の誘いに来てはならない!


「イオ、どうして、ここに?」

「君の家には出入禁止になっているから、職場を訪ねるしかなかった」

問答無用で腕を取られ、事務所から引っ張りだされたものの、早くもサヤは周囲を

見回して隠れ場所を探した。


「平日の真っ昼間です。まずいですよ」

「なにがまずい?」

分かっていて聞いてくるイオは意地が悪い。

彼の服装は枢機卿の常用する暗紫色の長衣ではなく、下級神官の常用する生成り地の

上下だ。しかし、褐色の肌に銀の短髪、琥珀の瞳の神官が早々いるはずもない。


大通りを闊歩すれば、第五枢機卿ここに在りとバレるのも時間の問題ではないか!


サーヤにしてみたところで、イオほど面は割れていないものの、宰相閣下とよく

似た容貌のせいで、時間差でバレる可能性が高い。


青年枢機卿と辺境女伯代理が二人で白昼堂々と出歩いていたら…どんな醜聞(スキャンダル)になるやら。


しかも、若き枢機卿に心酔している老若男女は相当数に上るのだ。

その彼を(たぶら)かした女という烙印が押されればどこかで刺されるかもしれない

…いえ、冗談ではなく、真剣(まじ)な話です。


「この先に香草(ハーブ)(ティー)の美味しい店がある。そこで軽食をとろう」

イオの提案に、歩き回るよりは人目につかないだろうと判断してサヤは

従うことにした。


女の子の好きそうなパイやケーキやビスケットが並ぶショウケース。

けれど、甘いものが全くダメなサヤに配慮して、イオは本日お勧めの昼食(ランチ)セットを

二つ注文すると、店の一番人目のつかない、奥まった席に陣取った。


「人目を気にせず、君と二人で外出できるようになりたい」

甘い囁きではなく、苛立ちを吐きだす物言いに、サヤはどんな表情をしていいのか

分からず困ってしまう。


私もよ、と言えたらどんなに良いか。

普通の恋人同士のように外出(デート)できればどんなにか。


ん…?恋人同士?

脳内に浮かんだ妄想に、サヤはあたふたしてしまう。


いや、私とイオは別に、そんな関係じゃ、あううう…。


動揺しているのを何とか誤魔化そうと、運ばれてきた野菜サンドを頬張る。

基本、朝晩二食のサヤは昼にはあまり空腹を感じないのだが、何かしていないと

間がもたないのだ。


「君は私のことを何も聞かない。私のことは気にならない?どうでも良い?」

「ちがっ…!」

声を上げようとして、慌てて口を押さえる。

一番奥まったテーブルとはいえ、周囲に人目がある。


「何でも聞いて、サーヤ。何でも答えるから」


そう言われましたも、だ。

どうして25歳の若さで枢機卿なの?ご両親は誰なの?

私のことどう思っているの?枢機卿って辞められるの?辞めたら結婚できるの?

…なんて勝手なことばかり、聞けるわけがないでしょうが…!!!

あ、でも一つだけ確認しておこう。絶対ないと思うけど、万が一にも、だ。


「イオのお父様が実は宰相閣下で、私たち異母兄妹なのよ~っていう展開

 だけは絶対にないわよねっ!」

「ぶっ」

優雅にお茶を飲んでいたイオが吹いた。

「…それ?最初の質問がそれなんだ?」

よっぽど予想外だったらしい。ケホケホと小さく咳込みながら、複雑な(おも)持ちで

口元を拭っている。

「だって半分でも血の繋がった兄なら、好きって思うのすら許されないじゃない!」

青年枢機卿が誕生する背景には間違いなく権力者の影がある。

そして、マルモア一の権力者と言えば、認めたくはないが、“あの男”なのだ。

イオと宰相がどのように関わっているのか、気にならないはずがない。


が、イオに「違うよ」とあっさり否定され、喜んでいる場合ではなかった。


「今、好きと言ったか、サーヤ?私のことが…好き?」

琥珀の瞳に見つめられ、サヤは己の失言を悟る。

あっという間に顔全体が朱に染まり、野菜サンドを投げ捨てて脱兎の如く、

逃げだそうとするも、イオの方が素早かった。

がっちり肩を押さえこまれ身動きもままならない。


「何も言ってないわ!イオの空耳よ。気のせいよっ!」

…辺境伯代理は20歳にして、周囲の同情を集めるくらい恋愛経験値が低かった。


「サーヤ、教えてくれ。

 私が枢機卿の座を捨てたら、私と結婚してくれるか?」

それは心躍る求愛(プロポーズ)で。

けれども次の瞬間にも哀しい現実を突きつけられる。

「私が君のために枢機卿の座を捨てたら、君は私のために辺境伯の地位を諦められるか?

 王都でもなく、エルミヤでもなく、誰も知らない場所で二人で生きることができるか?

 できるものならば、私はそうしたい」

「イオ…」

愛の告白にしろ、結婚の申し込みにしろ、重すぎる言葉だった。


嬉しいと感じる自分がいるのは事実。

唯々目の前にいる男の手をとって走り出したい自分がいるのも事実。


けれども。

エルミヤを捨てる…?


「私を縛ろうとする王室も神殿も民も捨てて、自由になりたい。

 君と誰憚(はばか)ることなく光の中を歩きたい。平凡な一人の男として生きたい」

これまでも枢機卿という地位をイオが疎んでいることは薄らと感じていた。

そればかりではなく、彼は王室との交流も、神殿で暮らしも、民からの敬愛も全て厭うて

いるのだ。冥く沈められた心の闇に触れてサヤは胸が痛くなる。

何もできない自分が悲しい。

「イオ…この世に“平凡な人生”なんてないよ?全てを捨てても、見知らぬ場所で

 違う誰かになったとしても、結局、自分自身からは(のが)れられない」

「そんなことが聞きたいんじゃない」

頬を両手で押さえられ、瞳をのぞきこまれる。本心を言えと迫られているのだ。

「私はイオが好き。すごく好き。でも…エルミヤは捨てられない。

 私の帰る場所はエルミヤだから」

「なぜ?辺境女伯の娘として生まれて何度危ない目に遭った?

 王都で何度嫌な目に遭った?なぜ好んで苦労を背負い込むんだ?

 叙爵なぞ止めてしまえばいい。

 もっと楽に、もっと幸せになれる道がいくらでもあるだろう」

「イオ」

サヤは手を伸ばしかけたが、引っ込めた。

少し離れたテーブルからちらりちらりと視線を感じる。

正体がバレかけているのかもしれない…長居は禁物だ。

「もっと楽で幸せになれる道はあるかもしれない。でも、私はその道を選ばない。

 私はエルミヤと共に生きたいから」

「私が君のために全てを捨てたとしても、君は私のために何一つ手放さない…狡いな」

「…そうだね」

否定したいけれど、できない。

イオとの生活のために、エルミヤを捨てるなど、サヤにはできない。


「どうやら私は北方の荒れ地に負けて…捨てられてしまうらしい」

「違っ」

顔を上げると、イオは今まで見たことのないほど寂しそうな表情を浮かべて立っていた。


「話はそれだけだ」

席を立ったイオにサヤは重ねて言葉をかけることも、後を追うこともできなかった。

仕事に戻らなければと思うものの、身体が石化してしまったようで動けない。

心も固まりかけているのか、今何が起こったのかを把握することもできない。


「お嬢さま、戻りますよ」

どこで見張らせていたものか、頃合いを見計らったかのようにナナツが顔を出す。


「ナナツ…私、もしかして、人生初の“失恋”なるものを経験しているみたい」


(あの男がそう簡単に貴女を諦めるはずないでしょうが!)

内心毒づきつつ、ナナツは余計なことを言わなかった。

自分の娘のような孫のようなサヤがこれでイオを遠ざけてくれるなら、

それに越したことはないからだ。


ナナツに助け起こされ、サヤは呆然として泣くに泣けないまま仕事に

戻ることとなった。


*** *** *** *** *** 


王女が“優しい女王さま”の元を訪れた時、女王は遅い昼食の最中であった。

傍らに宰相が寄り添い、雛鳥に餌を与える親鳥の如く、甲斐甲斐しく給仕している。


「いけません、陛下。もう少し召し上がって下さい」

「もうお腹いっぱいで入らないわ」

「さあ、口を開けて」

「アガイルってば…強引なんだから」

王女の耳に最初に聞こえてくるのは、そんな甘い会話で。

最初に目に映るのは、宰相の差し出す銀の匙をパクンと口に含む女王さまの姿であった。


「これは王女さま」

宰相が王女に気がつき、慌てて立ち上がって一礼する。

「わたくしに遠慮しないで続けてちょうだい。

お母さまの食がまた細くなっているようね」

母親と宰相の仲睦まじい様子を見ても、王女は動じたりしない。

むしろそんな光景が日常茶飯事なのだ。

彼女にとって十の時に亡くなった厳格な父王よりも、よほど宰相の方が身近な存在なのだ。

王女は母親と宰相の恋を理解し、応援して“あげている”つもりだ。


女王は娘にぼんやりと視線を向けたが、特に話しかけるでなく、食事を再開した。

パンを小さく千切るのも、スープを冷ますのも、果物の薄皮を剥くのも全て宰相に

任せている。宰相は、まるで女王が重病人であるかのような献身ぶりだ。

それを見守りながら、王女はとても羨ましく思う。


お母さまの宰相さまのように、私にも、私だけを見つめて、私だけを愛してくれる人が

欲しい。そうして、できるなら、そんな人と結婚したい。忍ぶ仲では嫌だ。

国中から祝福されて、光の中を二人で歩きたい。


「今日はどうなさったのです、王女さま?」

王女が座り込んだまま、なかなか来訪の目的を告げないので、宰相の方から口火を切った。

「ええと、お伺いしたいことが…痛っつ!」

女王が不意に身体の向きを変えたので、宰相の腕とぶつかり、手にしていたフォークが

飛んでしまったのだ。全く無防備であった王女のこめかみにフォークが直撃する。

先端が当たって地味に痛い。

「大丈夫ですか、王女さま」

「平気よ」

宰相がワザとそんなことをするはずない。そう判断して、王女は寛容に微笑んでみせた。


「それで、お伺いしたいのは、高位聖職者の還俗についてなの」

「既にご承知と存じますが、神官が俗世に戻ることは可能です。

 法王猊下がお許しになれば、の話ですが。

 但し、神官長以上の職位で還俗した例は希有と申せましょう」

宰相が女王に代わってスラスラと答える。

「そうすると、枢機卿の還俗というのは困難なのかしら?

 何か極めて特別な事情…例えば王家との縁組といった理由があれば法王猊下は

 お許しくださるのかしら?」

「王女さまは、もしや第五枢機卿と…?」

宰相の眼がすっと細められる。

「あ、あくまで可能性の話として尋ねているだけよ?

 アイオンと具体的にどうこうという話なんて、出ていませんからね!」

「王女さま…」

顔を紅くして弁解する姿に宰相は微苦笑を浮かべる。

「だいたい、宰相はおかしいわ。

 自分の娘の婚約は進めているくせに、わたくしの縁談のことは考えていないの?

 サヤとわたくしは同い年なのよ」

などと、いささか見当違いの苛立ちまで宰相にぶつけて来る。

「それは、世継ぎの王女さまの婚姻となると、それだけ国家の重大事になるからです。

 一地方領主の婚姻なぞとは比べものになりません」

「そうかもしれないけど…」


その一地方領主を望むとカレント少将は宣言したのだ。

このわたくしより…!

思い出すとまた、胸がむかついてくる。


「許しません」

そこに思ってもみなかった声が響いた。

それまで関心無さそうに聞いていた女王が唐突に口を開いたのだ。


「お母さま?」

きっぱりと否定され、王女は我が耳を疑った。

自分の母親がこれほどはっきりと己が意志を表明するのはいつぶりだろう

…王女は思い出すことができなかった。


「貴女とアイオンだなんて。許されない…許しません」

「どうして…お母さま?」

「あの者は神への道を歩むべきもの。将来、法王になる可能性はあっても、

 女王の夫になることはありません」

「でも、お互いの愛があれば…」

「愚かなことを。枢機卿を惑わしてはなりません!」

母がこんな風に声を荒げるのを聞くなんていつぶりだろう

…これも、王女は思い出すことができなかった。


よろりと立ち上がった王女は一歩踏みだすやいなや、無様につんのめることになった。

どうしたことか、片方のヒールが折れてバランスを崩したのだ。

「王女さま!」

宰相が慌てて手をのばしたが間に合わず、したたかに腰を打ちつける。

「誰か、王女さまをお連れしろ!」

その声で隣室に控えていた侍女たちが現れ、慌てて王女を介抱する。

宰相は倒れた王女を青ざめた顔で見つめている女王にも配慮を怠らなかった。

「さあ、こちらのお薬を飲んで、一時ばかりお昼寝なさってください」

「嫌よ。この粉薬、飲みにくい上に苦いんですもの。飲みたくないわ」

「我が儘を仰いますな。きちんと飲まなければ午後からの謁見がキツくなりますよ」

宰相が粉薬を水に溶かし、吸い口を差し出すも、女王はぷいと横を向いてしまう。

「仕方ありませんね…」

宰相は扉の所で立ち止まっていた王女に目配せする。

その意味するところを悟って、王女は両脇を侍女に支えながら慌てて退出した。

彼女がこっそり振り返って、最後に見たものは女王に口移しで薬を飲ませる宰相の

姿であった。


「アガイル…眠るまで側にいてね」

「もちろんですよ、カナイ」

いつもは薬が効いて直ぐに眠りに落ちるのに、心に(わだかま)りがあるせいか、

女王はまだ話し続けていた。

「アイオンが還俗だなんて。ありえないわ」

「王女さまが気紛れに仰ったことかもしれません。あまり気に病まれますな」

「あの男の血を引く子どもなぞ…」

“優しい女王さま”はその呼称に似合わず、嫌悪と憎悪をむき出しにしていた。

「アイオンに罪はありません」

「分かっているわ。あの子に罪はない。あの子も可哀想な子。でも、あれは…災いの子。

 生涯、神殿に閉じ込めなければ…」

そこで女王の意識が途切れた。


「あいつが大人しく籠もっているはずないのにな

 …王女ももう少しまともな奴に懸想すればいいものを」

些か鬱屈(ストレス)が溜まっていたせいか、フォークを飛ばしたり、ヒールを折ったりと、

こっそりくだらない遊びをしてしまった宰相である。


ふと視線を感じて目をやれば、窓の手すりに尾長が一羽止まっていた。

その丸いつぶらな瞳がじっと宰相を見つめている。

「ふん、漸く、“使える”ようになったか。トロい奴」

尾長を…鳥を通して自分を監視する男の存在を感じながら宰相は立ち上がる。


「サヤ、聖職者と異種族だけはやめておけよ。

 甘ちゃんなお前には坊ちゃんなレンがお似合いだからな」

此処にはいない娘にそう話しかけて、宰相は“優しい女王さま”の眠る部屋を後にした。


ということでサヤ、イオとは破綻?


次回、傷心の彼女に更なる試練が。

まさか、ありえない!の「新たな求婚者出現」。まさか、ありえない!の噂が浮上。

叙爵のことだけ考えていたいのに、そうできない事態が次々と

サヤの身に降りかかります。

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