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真鶴さんとも関係ない3

 浅宮は自分の中にある鬱屈した思いをもてあましていた。

――猫を捨てる人間が嫌いだ。憎んでいるといってもいい。それはおそらく普通では理解できない感情で、そして……母親に向ける感情と子供の頃の無力で愚かな自分と交差している。

 中学生のころにこっそりと自宅で猫を飼っていた。そしてそれを母親に捨てられたことを浅宮は心の深い場所に傷として今も抱え込んだままだ。

 母を嫌い、そしてまた中途半端であった自分をも憎んでいるといってもいい。

親の許可も得ずに猫を自宅に引き入れて、最悪な結果を導き出してしまった自分。分別の無いクソガキ。責任の取り方一つ知らない愚か者。

 だから、今回のことはフラッシュバックするように自らの心をかき回す。まるで、面前で自分が同じ失態を犯しているかのように。

羞恥が、怒りに転嫁する。


 問題の猫は現在誠一郎が連れていってしまった。

小百合と共に。

 珍しく達観したような奇妙な眼差しを浅宮に向けた誠一郎は、嘆息してなつるに命じたのだ。

「その人、駅まで送っていって」

――なつるは全身で拒絶していたが、やがてあきらめたように席を立って浅宮を促した。


「……生徒を信じるのは、ふつうだと思いますよ」

「あの先生はツメが甘かっただけです」

「ま、そうかもしれないけど。よく……まだわからないし」

 実際のところ、なぜ道端に四号がいたのかは判らない。その真相を知るのは、里親に名乗りをあげた秋川としい少年だけだ。小百合は、その少年にどう相対するのだろう。その姿を思い浮かべてなつるも暗い気持になった。


――ねこ、どうしたの?


そう質問しなければいけない。

少年は何と答えるのだろう。「元気だよ」「逃げちゃった」「捨てちゃった」どの言葉を返されても、小百合は泣きたい気持ちにしかならないだろう。

 自分だったら問い詰めてしまうだろうか。

どうして? どうして? どうして?


どうすれば良いのかまったく判らない。

相手は、小百合にとって生徒なのだ。

そっと嘆息を落とすと、隣を歩く浅宮が「別に送ってくれなくてもいいですよ」と硬い口調で言う。

 その相手を下から覗き込むように伺うと、なんとも微妙な雰囲気をまとったままだ。

――ちょっと職務質問されてしまいそうな不穏さだ。

駅までと言われたが、駅から放置して大丈夫だろうか。

 なつるは更に暗澹たる気持ちになってしまう。

今まで車の免許の必要性は感じていなかったが、免許をとろう。と謎の決意を新たにした。


「……あの子、浅宮さんが飼えば?」

 ずんと落ちたままの沈黙に耐えられずに、もう何度か口にした言葉がふたたび零れ落ちる。

 もう少年の手元に仔猫が戻る可能性はきっと低い。

だから、何のきなしになつるは言った。

そのセリフが相手の触れてほしくないものであることは、なんとなく判っていたというのに。


 途端、浅宮は引きつった笑みを刻んだ――

「猫は飼いませんよ」

「でも、あの子かわいがっていたし」


「昔、オレのせいで猫が死んだのに? オレには猫を飼う資格も、度胸もない」


他人の猫だから、責任を負う必要のない猫だからこそ――猫に触れることができるのだ。写真やネットで見たり、道端の猫をかまったり。真鶴さんを溺愛したり。それは結局、自分とは関係の無い猫だから許されること。

 自分にはいっさい責任が発生しない、猫。

無関係だという安心の元の無責任な愛情。

 子供の身勝手で猫を引き入れて、そのあげくに仔猫達すら失った。おそろしく身勝手で無力で、どうしようもなく浅はかであった子供の頃の自分。人には触れたくない過去があるというのなら、それこそが浅宮にとって触れたくはない黒歴史。

 

 誰にも言う気などなかったのに、狂暴な何かが自分の仲で蜷局(とぐろ)を巻いて、攻撃的な気分で吐き出した。

 相手から嫌われようが、さらに自分を嫌いになろうがもう関係がない。

 浅宮の告白に、なつるは驚いて目をまたたき――やがて困ったように囁いた。


「浅宮さんは、自分で自分を縛ってしまったんですね」

「――」

「猫を失ってしまったことで、ずっと後悔していて……自分を許せないんですね。でも誰もそんなこと、望んでいないのに」


 ただ静かにとつとつと向けられた言葉に苛立ちが体をめぐり、それに合わせて笑いたくなる。

 浅宮はおそらく殺人的に恐ろしい顔をした自覚があった。

 相手をずたずたに引き裂いてしまいたいような狂暴ななにごとかを言い放ちたくて、でもできずにやっと絞り出した言葉は本心だったのか、それとも勢いであったのかも判らない。


「あなたに何がっ」

「そりゃ……」

 言葉は重なり合い、喉の奥で息詰まる。

見下ろしたなつるから向けられる、ただひたむきな眼差しに言葉が凍り付き、浅宮は逃げ出すように視線を反らした。


「さようなら」


 顔を背けて、すべてを拒絶するようにすっと速度をあげた男の背を、なつるは唖然と見送ってしまった。


***


 誠一郎の手にはハチワレの仔猫。

はじめのうちは完全に無視していた真鶴さんだが、最近では仔猫をうかがっていて――やはり最悪自分が引き取ることになるのであろうと嘆息していた矢先の出来事。

「つれて帰ります」と眼差しを伏せる小百合を連れて、誠一郎は小百合の勤める小学校へと付き合い、猫を譲ったという少年の家を調べさせた。

「もう、いいんです」

 なんどもそう言う小百合に「いいから」と強行する。


 小百合は細い体にぎゅっと力を込めて、何もかもを拒絶するようにうつむく。

そうさせてしまったのは、誠一郎だった。

 仔猫と初対面した時に、小百合の元にいる四号を思い浮かべはしたものの、すぐに打ち消した。

 それでも気にかかり、小百合に連絡をとって「一度事務所に来てほしい」と理由も言わずに告げたのは、猫と対面させたかった為だ。

 小百合と無関係であればそれでいいと思っていた。

それでも、こうなることは判っていたような気もするが。口腔に苦いものが広がる。

でも、だからといって「もういい」という言葉の通りに有耶無耶には今更できない。


 そして二人で少年の自宅近辺まで来れば、小百合は息をつめた。

壁に向かってサッカーボールを蹴る少年の姿に、顔を曇らせる。口元がわずかに歪んで「秋川君」と呟くとたたらを踏んだ。今にも逃げ出しそうな小百合の肩を軽く押すようにして電信柱の向こうに隠して、誠一郎は仔猫を抱いたままゆっくりと少年に近づくと声をかけた。


「すまん、ちょっと道を聞いていいか?」

 まったくの不審者であるが、誠一郎は学校へと通学している小学生とはよく会話をかわしているし、真鶴さんは通学路のアイドルだ。

相手の少年も一目で顔見知りだと認識できた。

――幸い、その顔はこの二週間で何度か見かけている。


 それが意味することといえばつまり、彼は事務所に何度かこの仔猫を見に来ているということだ。

「真鶴さんのおじさん」

 ぼそりとつぶやき、そしてその眼差しは誠一郎の手の猫にうつる。

ぶるりと身震いした少年は引きつった表情を浮かべた。

「猫……」

「里親募集しているんだ」

「――飼い主、見つからなかったんだ……」

 つっと視線が下へと落ちた。

その対応に、誠一郎は苦笑した。

「見つかったけどね。猫、好きか?」

「好きだけど……」

「でも、家族は猫嫌い?」

 その言葉に返答は無かった。


 だがやがて、絞り出すように口が開いた。

「それ、ぼくの猫――本当はぼくの猫なんだ。公園で飼おうと思ったのに、いなくなって……でも、おじさんのとこにいるなら、いいかなって」

 言葉は嗚咽にまみれていた。

「そうか。でもさ。この子――先生にもらった子だろ? 先生、飼うなら親の許可とれって自宅で室内飼いって言っていなかったか?」

「もともとは家で飼おうと思ってたよ……かーちゃん驚かそうと思って、印鑑だけ、自分で押した」

「それはよくないなー。

つーか、親に言ってないのか?」

「言った。言ったよ。先生に猫もらったあとで、猫飼いたいって。そうしたら駄目だって」

 でも、もう先生からもらってしまった後だった。

両親は動物が好きだし、良く動物関係のテレビも見ている。だから、飼いたいといえば許されると思ったのだと、軽い気持ちでやったことが行く場を失った。


「今更先生に言えないし、公園で飼おうと思ったんだ。そしたら……いつの間にかいなくなってて」

 小百合は身をさらに引いて、彼等から死角になる壁に背を預けてぐっとこぶしを握り締めた。

 軽率だと、あまりにも子供過ぎるという憤りが浮かんだが――もとより子供なのだ。それを理解していない自分こそが軽率であった。

 ただほしいという気持ちにブレーキを掛けられない子供などいくらでもいる。その気持ちにブレーキをかける為に親の承諾印というワンステップを挟んだつもりになって、そこで自分の責任を放棄した。

――小百合は誠一郎の事務所にいた青年の言葉の通り、里親にほしいという親に直接言葉をかけるべきであったのだ。


「なにが悪かったと思う?」

「――勝手に、印鑑おしたこと」

 誠一郎は身を伏せてゆっくりと子供に問いかける。

「そうだな。でもその前に――ちゃんと親御さんに話さないと。猫はモノじゃない。あったかいだろう? 生き物なんだ。命がある」

「サプライズのつもりだったんだ」

「うん。幸いこの子はうちが拾ったから生きているけれど、こんなちっこいのが突然外に出されて、車にでも」


 そこで誠一郎の言葉は途切れた。

ガチャリと扉が開く音と、そして女性の声がかぶせられる。

「なにしているんですか?」

 明らかに剣呑な口調に、隠れていた小百合はハっと息を詰めた。

慌てて出ていこうとするが、誠一郎は冷静に対応する。逡巡に足がとまった。

「ああ、こんにちは」

「――うちの子がなにか?」

 完全に不審者扱いだが、誠一郎は笑みを返した。

「いや、迷い猫の飼い主を捜しているんです。二週間前に拾ったんですが。野良にしては状態がいいので、飼い主がいると思うんですよ」

 ひょいっと示された猫に、相手の口調が柔らかくなる。

たとえ不審者といえど、犬猫と一緒であれば不審がられない不思議。そもそも誠一郎はこの付近では真鶴さんのおじさんとして結構有名だ。

 いがいと真鶴さんは招き猫かもしれない。幸い相手も誠一郎に気づいたようで目元が和む。


「ああ、そこの設備屋さん?

そういえばチラシ貼っていたけど――もう結構たっているでしょう? 飼い主なんていないのじゃないかしら。いたらとっくに……」

 自然と母親の手が猫の前足に伸びる。

動物好きというのは本当らしい。ちょいちょいとい触る様子はほほえましいほどだ。


「オレなんだ」


 母親が柔らかな口調で続ける言葉をさえぎって、突然サッカーボールを持つ少年が割って入った。

「かーちゃん、ごめん。この子、オレが貰ったんだ」

「は? はぁ?

設備屋さんに貰ったの?」

 なぜか胡散臭いものでも見るように誠一郎を見る。今この場で仔猫を押し付けられたとでも思ったのだろう。だが、自分の過ちを理解している少年は自らきちんと軌道修正を果たした。


「違う。

本当は小百合先生のトコで産まれた子で、オレが小百合先生から貰ったんだ。でも、かーちゃん飼っちゃダメだっていうから、公園で……こっそり飼っていたら、いなくなっちゃって」

 サッカーボールを握りこんだ手をぎゅっと強く握りこんで、切羽詰まるように言葉をあやつる。

「オレの猫なんだ」


 もの問いたげな母親の眼差しを見返し、けれど誠一郎はすっと身を引いた。

「じゃ、すみませんがオレはこれで」

「え?」

「おじさん? 猫はっ」

「んー、これが君の猫だという確証はないし。ここで猫を預けても迷惑そうだし。何より、小百合先生に言うべきこともあるだろうし――とりあえず、このこはうちに連れて帰りますから」

 突然家族間の真剣な話し合いに勃発しそうな場であったというのに、あっさりと誠一郎はその身をひるがえし、さっさと小百合が隠れている角まで来ると、小百合を伴って歩き出した。


「あの、どういう――」

「あの場で猫は渡せないし。あとはあの親子の問題でしょ。オレはただひっかきまわして来ただけ。このままこの子は我関せずで無視されるのか、引き取られていくのかは判らないけれど、ああそうですかって訳にもいかない。そもそもうちの子じゃないし」

 誠一郎はハチワレの仔猫をひょいっと小百合の手に抱かせた。

「それより、連れて帰りますか?

もともと先生の猫だし。別にうちで預かっていてもいいけれど」


 小百合は小さなほわほわとした仔猫をそっと胸に抱いて眼差しを伏せた。


――軽率な行動をとった相手に猫をはいそうですかと手渡すことは難しい。

小さな声で鳴く猫に頬を寄せて「連れて帰ります」と言えば、誠一郎は微笑んだ。

「じゃあ、車で送りますよ。猫を連れて電車は難しいでしょう?」

 もちろんプラス運賃で猫だって電車に乗れるが、その場合はキャリーケースが必要になってくる。当然のごとく小百合は職場にキャリーケースなど常備していないだろう。別に真鶴さんのキャリーケースを貸してもいいが、果たして真鶴さんは仔猫の匂いがついたキャリーケースにこの先入ってくれるだろうか。

 それでなくともキャリーケースの入り口に四肢をふんばってなかなか入ろうとしてくれないというのに。


「ごめんなさい」

 小百合は沈んだ声で口にしたが、誠一郎は苦笑を返して仔猫の頭をぐりぐりと撫でた。


「ありがとうっていうもんですよ、そういう時は」



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