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真鶴さんとも関係ない2

「ヅラちゃん可愛い」

 と失礼なことを言うのは高凪設備の従業員、空気の読めない男の異名を誇る古沢であった。

 ぴしりと浅宮の笑顔に亀裂が走る。

「ヅラはやめてください」

「だってヅラかぶっているみたいじゃないですか。ハチワレで」

 まったく純粋に言い切る古沢に、浅宮の眼差しは冷たい。

冷たいが、古沢がいてくれると率先して浅宮の相手をしてくれるのでなつるは正直助かっていた。

 相手の心情をまったく気にしないので、古沢はほぼストレスフリーで生きている希少人種だ。

 この二週間通いつめている浅宮は、まるで自分の席のように片隅の応接セットに座り、やはり仔猫を膝に乗せている。

 すでに浅宮の携帯の写真データは真鶴さんフォルダ並に仔猫の写真フォルダが潤っているに違いない。

 なぜいちいち連射なのだろう。そう一度突っ込んだら「たった一枚の極上の写真を保存する為です」らしい。自宅でパソコンにうつして、素晴らしい一枚を模索するのだそうだ。

――そんな浅宮の一面を、彼の会社の人たちは知っているのだろうか。

 なつるはなんとなく遠い目をしてしまった。


「そろそろ名前つけたらいかがです」

 浅宮がヅラちゃんと呼ばれだしてしまった仔猫を不憫におもったのかそんな風に言い出した。

――確かに、ヅラちゃんで定着してはまずい。

 だが、まだ宙ぶらりんの状態で名前などつけたら離れがたく思ってしまう。誠一郎は今のところまだほだされて「しょうがねぇなー」と飼う承諾の言葉を口にはしていない。もう少し時間がたてばと思っているのだが、誠一郎ばかりに頼っているのも駄目だろう。


 一応、迷い猫を拾ったということで警察にも届けてある。

はじめに連絡をいれたら、警察の担当者は困ったように口にした「あの……うちでひきとる場合、一週間後には保健所にいくことになるのですが」と。警察に取得物として届けると、そのようなことになるのだという。勿論、そんなことは願い下げだ。

「え、えええ。どうしたらっ」

「勿論、こちらに預かって欲しいというのでしたら預かりますが――そちらで保護していただけるのでしたら、そんなことにはなりません」

 ということで、届けだけは出したが相変わらず仔猫は高凪設備の事務所にいる。

一週間経過したが、未だ迷い猫のチラシに反応はない。

学校帰りの小学生がわらわらと覗きに来るくらいだ。


 名前をつけようかどうしようかと迷っていると、からんっとカウベルの音が耳についた。

「いらっしゃいませ」

 慌てて事務員としてにっこりと対応すると、事務所のガラス扉に手をかけて立つ相手は良く知る女性であった。

「あ、一号ママ先生」

「こんにちは。あの、高凪さんはいらっしゃいますか? 少し前から一度来てほしいと言われていたんですけど、ちょっと忙しくて……」

 相手は一号ママ先生。

真鶴さんと姉妹猫の一号をひきとってくれた、近所の小学校の音楽教諭だ。なつるより少しだけ年上の柔らかな雰囲気を持つ女性は――どうやら誠一郎に何かしらの感情を抱いているようだ。

 なつるは「誠ちゃんの良さが判るなんて素敵な人だ」認定をしていて、勿論相手のことを気にいっている。

 ただし、二人で仲良くデートを重ねているという様子でもないので今のところはあくまでも「猫友達」という感じだ。

「誠ちゃん、もう少しで戻って来ますよ。こっちでお茶を飲んで待ちません?」

 と、示すソファには当然の如く浅宮――そしてその膝の上には仔猫が寝ている。

一号ママ先生も仔猫を見たら喜ぶだろうと思っての提案だ。番犬よろしくへんなのがついているが、気にしなくていい。

 雰囲気はボクサー犬だのドーベルマンだが、一応噛み付かない。

「あ、でも」

 困惑を見せる一号ママ先生に、空気の読めない男古沢はひょいっと手を伸ばして――浅宮の膝の上の仔猫をぷらんっとつまみあげた。


「先生、新作のおもちゃありますよ」

 思い切りふっとばしたい気持ちになったなつるだが、浅宮は更に氷点下だった。あっさりと相手の手から猫をとりかえしたあげく「生物はおもちゃじゃないですよ」と冷淡に言い切る。


 誰よりその猫をおもちゃにしているのは浅宮だというのに。

突っ込んではいけないのかもしれないが。

「あら、仔猫――うちの子と同じくらいの大きさですね」

 にっこりとわらう一号ママ先生であったが、ふいに眉間に皺を刻んで呟いた。


「うちの、子?」


 呟きはやがて確信となったように、一号ママ先生――小百合は目を見開いて「なんで?」と首をゆるゆると振った。


***


――何故、小百合のところの仔猫がここに、しかも二週間もいるのか。

「……」

 浅宮の手から小百合の手に渡った仔猫を、小百合は大事そうに胸に抱いた。

困惑するなつると浅宮は顔を見合わせ、キンブオブ空気の読めない男古沢は「おなかすいたー」と近所のコンビニに出かけていった。

「……里子に出したんです。

もう三ヶ月になるところだし、そろそろいいだろうって。でも、なんで」

 きゅっと自然と仔猫を抱く腕に力が入ったのか、猫がにーっと声をあげる。慌てて小百合は手の力を抜いた。

 その眦は今にも涙の粒を落としてしまいそうだ。

「えっと、よく似た違う子なんじゃ?」

「うちの子です。ほら、肉球のところにほくろがあるの。うちの、四号ちゃん……間違い、ないです」

「――じゃあ、里子に出した先から逃げ出した、のかな」

 なつるのつぶやきに、小百合の眉根がきゅっと寄る。

何かを言いかけて、その唇は一文字に結ばれた。

「――相手の方は、なにもいってないんですか?」

「……秋川君、うちの生徒です。今朝も、いつも通りで」

 そう口にして瞼を伏せたが、ふと小百合は唇を引き結んだ。いつも通り――そうではないのかもしれない。確かに、脳裏に浮かんだ少年はいつも通り「センセー、おはよー」と言っていた。けれど、彼の最近の姿といえば、ランドセルの持ち手の部分をきゅっと握って、そしてだっと駆け出していく姿ばかりだ。

 仔猫を逃がしてしまった後ろめたさからか、視線を合わせずに走っていたのではないだろうか。

 一人考え込んでしまった小百合に、冷淡な言葉を投げかけたのは浅宮だった。

「生徒にあげたっていうのは、親の承諾は得ていたのですか?」

「え。はい――一応、相手の親御さんには手紙を出して、印鑑を押してもらいました。生き物のことですから」

 子供達は小百合の猫が仔猫を産むということで、数人がこぞってほしいと声をあげてくれた。だが、それは子供の勝手な思い付きが主で、小百合がきちんと親御さんの許可をいただいてねというと人数は減っていった。

 さらに猫を譲渡する為に手紙を作成し、親御さんに読んでいただいて印鑑を頂いてねというとさらに減った。

――それでも三人が手紙に印鑑を添えて戻してくれ、小百合は安堵して仔猫を手放したのだ。


「印鑑なんて、勝手に押す子供もいるのに? 先生は直接親御さんとやりとりしたのですか?」

 浅宮の言葉に、小百合ははっと息を詰めて浅宮を見返した。

「その子、捨てられたのではないですか?」

浅宮は言いづらい言葉をずけずけと向ける。その口調はいつもの浅宮よりさらに冷たいものとなり、なつるは慌てて二人の間に入った。


「ちょっ、浅宮さん。まだ判らないのにそんなっ」

「迷い猫を預かっているという紙はこの辺りで何枚か貼ってありますよ。図書館と動物病院、公園の掲示板。お忙しい先生が気づかなくともその子の目に届かないとは思えない。それでも猫を引き取りに来ないのだから、そういうことでしょう」


「なんなのこの空気」


 なんともいえない重い空気が満ちた事務所内に、誠一郎がカウベルの音をさせて戻った時、なつるは心の底から誠一郎の嫁になってもいいと思った。

 もちろん、叔父と姪なのでそんなことは無理な話だが。それならば老後の世話はまかせてくれ。完璧にとは言わずとも、まぁまぁそこそここなしてさしあげよう。独居老人街道驀進中の誠一郎なのだから、将来を悲観しているに違いない。


 とりあえず現在のずんっと落ち込んだ小百合と、そしてどこまでも氷点下なド―ベルマンの相手をしてくれる人間は誰であろうとも愛を捧げたい。



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