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真鶴さんはナマモノがお好き

 事のはじまりは一本の電話だった。

いいや、はじまりはさかのぼれば三ヶ月前のことで、そして――三日前には終わっていたといってもいい。


 飯塚なつるは、その日当たりの良い小さな設備屋の事務所でのんびりと猫の真鶴さんの首輪を新しく作ろうと計画していた。

 真鶴さんは二年前に社長が拾ってきた五匹の子猫のうちの一匹で、当然五匹の子猫の世話は社長の姪であるなつると社長とでやりながら貰い手を求める為に、事務所の前に張り紙を出した。

 社内の出窓のところで遊び転げる子猫達は、たちまち通学路を行く小学生と学校の先生のアイドルとなり、あっという間に一匹、二匹と減っていった。

 はじめのうちこそ歓迎していた社長だが、五匹が二匹までになると寂しさにどんよりとした空気をかもすようになっていたが、子猫の世話をしながら優雅に社長だとふんぞり返れる程の社員もいない。

 そして毎日窓辺で二匹の猫を眺めていた女の子が、母親と父親の手を引いて現れた時に「二匹とも下さい!」と元気に言う言葉をさえぎって、一番目つきの悪い三毛の子猫をぎゅっと抱きしめた。


「ごめんな、この真鶴さんはうちの会社の子だから、一匹だけで勘弁してくれ」


……いつの間にか名前までつけていた。

いや、きっとあれは咄嗟に出た言葉なのだろう。

二匹とも貰われてしまうことが耐えられず、寸前まで見ていた真鶴半島の自然ドキュメンタリーが咄嗟に出たに違いない。


かくして真鶴さんは今も会社の窓辺で睨みを利かせる目つきの悪い我が社のアイドルだ。

「なっちゃん。あの……ごめんなさい」

 仕事で忙しい社長が、まだ遊び盛りばりばりの子猫の相手などできようはずもなく――真鶴さんの世話は考えるまでもなくなつるの仕事の一つになった。


 ということで、首輪の作成だって立派な業務だ。

あー、お仕事ってタイヘン、忙しいわぁ。

なつるはふんふんと鼻歌を歌い厚地の皮に目打ちで穴を開けながら、鈴をつけるべきか違うアクセをつけようかとあれこれと考えていたのだが、机の左側に置かれた白くて実務一辺倒の電話が音をさせた。


 真鶴さんが迷惑そうに「なー」と鳴く。

この電話の電子音が真鶴さんのお気に召さないのは承知しているけれど、生憎とオルゴールのような音だとなつるは気付かない恐れがあるし、そもそも音量や音を変更する為に必要なマニュアルはずぼら社長がすでに廃棄してしまっている。

「はいはい、今でますよー」

 なつるは真鶴さんに睨まれながら、二度のコールで受話器を持ち上げた。


「はい、お待たせ致しました。高凪設備です」

 弱小設備会社には滅多に電話は掛からない。

社長と事務員。あとは二人の社員がいるだけの本当に小さな設備会社だ。

 名刺には社長の携帯番号も明記されている為、たいていの電話は携帯に掛けられる。この固定電話が使われるのは、ファックスの送受信が主だった。

 だからこの時も応対はしたものの、その次の瞬間にはぴーぴるるっと電子音が流れるだろうと予想していたのだが、なつるの思いを裏切るように、穏やかな声が耳に入り込んだ。


「飯塚さん?」


 うおっと。

危うくなつるは持っていた目打ちをぎゅっと握り込み、動揺してそのへんを刺してしまいたい気持ちになった。


 滅多に聞くことは無いが、その美声は忘れない。

相手は取引先――というか元請けの事務員である浅宮だった。

 弱小会社、しかも間違いなく縁故であるなつるに出会いというものは無い。そんななつるの、唯一の心のオアシスだ。生憎と出会いではなく声のみのお付き合いだが。

 わたわたと慌てたなつるは、電話だというのに思わず鏡を見て自分の姿を確認してしまった。


 うわっ、あたしってばこんなぼさぼさの頭して!


訳の判らない混乱に陥り、けれど慌ててメモ帳を引き寄せた。

「あの、何かありましたか?」

 うわずった声に、浅宮は電話口の向こうで小さく笑い、そのまま言葉を続けた。

「儲かってるようですね」

 唐突な言葉の意味が判らない。

関西であれば、「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」な、会話の枕詞のようなものだろうか? なつるは冷静さを取り戻して、動揺で浮き上がった尻を椅子に戻した。

 安い事務用の椅子がキィっと音をさせる。

この音が嫌いな真鶴さんがまたしても「なーっ」と抗議の声をあげた。


「そんなことないですよ。うちは相変わらずです」

「そうなんですか? 随分と儲けているのかと思いました」

 相手は淡々と言う。

その声音の意味があやふやで、なつるはますます眉を潜め、とんとんっとボールペンの先端でメモの端を叩き、ぐりぐりと落書きなどしだす。


――相変わらずの美声。どんな顔してんのかなー

 

正直な気持ちが文字に現れ、慌ててぐしゃぐしゃとボールペンでかき消す。

「だから、うちからの売り上げなんて要らないのかと思ったんですが」

 さらりと言われた言葉に、なつるは咄嗟にカレンダーを見て、更に訳がわからなくなって「んー?」とへんな声を出してしまった。


「もしかして請求書届いてないですか? ちゃんと月末に届くように出してありますけど」

「先月分は届いてますよ?」

 淡々と返される言葉に、更に意味が判らない。

素敵声の持ち主だが、仕事なのだから要点をかいつまんできっちりと言って欲しい。

こう回りくどい物言いは良くないですよ。

なつるが内心で苦情を並べたところで、浅宮は言った。


「予定では十日にそちらに移動している筈の代金が、まだうちの口座にあるんですよ。ですから、うちからの売り上げなんて要らないってくらい儲かってらっしゃるのかな、と」

「――」

 なつるはしばらく眉を潜めて、やがて相手の言おうとしている意味がはっきりと見えてくると口元が引きつるのを感じた。

――振込みのミスですか?

などという言葉は出なかった。

あちらのミスであればこちらに電話をしてくるはずがない。


「それは……もしかして」

「約束手形です」


 そう、浅宮のところとの取引である一定の金額を超えると発生する、にっくき約束手形。

いまどき約束手形などといわれるかもしれないが、建設関係では未だ根強く横行しているソレは、手形台帳に記載して銀行に預けないといけないものだが、この時の手数料をケチル――節約する為に、なつるの会社では割れる前後三日に銀行に持ち込むようにしていたのだ。

 割れ日の前後三日であれば、手形は小切手と同じ扱いとなり裏書をして提出すれば、普通預金処理がなされる。


ただし――それを逃すと約束手形はただの紙切れとなるのだ。

ただ数字が記載されているだけのただの紙切れに。


 ざっくりと言われた言葉に、なつるは悲鳴をあげた。

「ごめんなさいっ。忘れてました。完全にこちらのミスです、どうしましょう! えええっ。どうしろって!?」

 

 咄嗟に出た言葉に更に慌てて、なつるは半泣きになった。

手形が紙切れ。

それはつまり、それはつまりっ。


 しかし、電話口の相手は淡々と言う。

「物凄くお忙しいとは思いますが、その手形をこちらに持参して下さい。小切手を切りますから」

「え……」

「昼前にお願いします」


 その言葉と同時に電話は一方的に切れた。


 なつるは、つーつーと無常な音をさせる受話器を見つめ、ばったりと机に突っ伏した。

「真鶴さーんっ、やっちまったよぉぉぉ」

 これは怒ってる。怒ってるよね。普通に考えて最悪な事務員だよね。

要点を言えなどと言っている場合では無い。

乾いた笑いを張り付かせ、なつるは窓辺で胡乱な眼差しを向け、くわっと大きな欠伸をした猫に訴えた。


「あああ、猫になりたい! 真鶴さんになりたいよぉっ」

あたしの馬鹿ぁ。

 

しかしいつまでもテーブルになついている場合では無い。

なつるはよれよれと身を動かし、とりあえず仕出かしたことを社長である叔父に電話をかけた。


「……小切手発行してくれるって?」

「はい……」

「良かったな。とりあえず菓子折りもってさっさと行って来い。電話は転送にして、事務所の戸締りと真鶴さんの餌と水の確認だけきちんとして」

「はい……」

 どんよりと応えるなつるに、叔父は溜息を吐き出して付け加えた。

「一度やったミスはもうしないこと。誰でもうっかりはする。気にするなとは言わない。気にしろ。だけどいつまでもうじうじするな。俺からも先方に言っておく。おまえは頭をさげて、一つ人間大きくなって帰って来い」

「はい……」

「よし、いい子だ」


 叔父の言葉にほんの少し浮上し、なつるはぐっと拳を握った。

「気をとりなおして、浅宮さん初見学してきます!」

「――だから、反省はしろよ?」


***


 気を取り直しすぎたなつるは、友人のコネでデパ地下で超有名生菓子をみつくろい、ついで普段は決して着ない淡い薄桃のスーツ姿で、化粧品売り場でナチュラルメイクをばっちりと施してもらい、浅宮の言葉に従いぎりぎり昼前に都心部にあるビルに入っているオフィスにたどり着くことに成功した。

 相手は叔父の弱小設備屋などものともしない大手だ。

ひたすらどきどきする心臓を押さえ込み、入った途端に「高凪設備の飯塚です。この度はお手数をおかけいたしまして本当に申し訳ありませんでしたっ」とがばりと頭を下げたが、正面にいたのは女性受付で、相手は困惑した様子で「は?」と呟いた。


「飯塚さん、こっち」


 笑いを堪えるように口元に手を当てた男性は、半開きの扉からひょこりと顔を出して手招いた。

 電話で聞く声とは多少違うが、その相手が浅宮だと瞬時に判る。

なつるは顔を赤らめ、縮こまりながら案内され応接室へと招かれた。

「たびたびすみません……」

 恥。

一生で一番恥ずかしい日と認定しても差し支えはないだろう。なつるはもってきた鞄を抱きしめるようにしてただひたすら頭を下げた。

 面前の浅宮は笑いたいのを堪えている様子で、手元にあるファイルを開く。

その動きに、慌ててなつるは持ってきた菓子をまずつつつっとテーブルを滑らせ「あの、つまらないものですがっ」とありきたりな台詞を口にしたが、相手は「ああ、つまらないものをありがとうございます」と平然と返した。


「……」

――Kデパート地下の超有名パティシエのふわふわロールケーキだよっ。抹茶と屑きりが入った絶品スイーツなのにっ。

 会社を出る前に友人に頼み込んで用意してもらったものだというのに。

 と憤慨し、はたりと自分の言葉の矛盾に顔をしかめた。

「それより、手形は?」

 その言葉にあわあわと三ヶ月前に発行されている手形をさしだし、ふかぶかと頭を下げた。

「本当にご迷惑をおかけいたしました」

「そうですね」


……そうですねぇぇぇ。

あっさりと返される言葉に、なつるはちらりと相手の顔を見た。

一言で言えばスーツ姿もびしりと決めたその姿は、想像していた「浅宮」さんとは違っていた。今までさわやか系ほにゃんのオニイサンを想像していたのだが、面前にいるのは悪く言えば「インテリヤクX」だ。

 残念なことに。


真鶴さん。なんだかメル友と出会ってがっかりとした気持ちです。

――いや、メル友なんていないけどさ。


 事務員浅宮はてきぱきと処理をし、用意された小切手を小さなトレーの中でくるりと回してなつるに確認させると、そのまま差し向けてきた。

 なつるは落胆したままそれを受け取り、鞄の中に押し込んだ。

あとはコレを銀行に持って行き、入金処理を済ませれば終了だ。やっと大きく息をつき肩の荷を降ろすと、なつるは晴れ晴れとした表情で「では失礼しますー」と嬉々とした声を発したが、面前のお方は腕時計に視線を落とし呟いた。


「昼前に来て欲しいと言ったのに、昼休憩の時間に入ってますね」

「……」

「まぁ、取引先と食事といえば時間は融通が利きますけど」

「……」

「勿論、取引先の飯塚さんは食事に付き合ってくれる訳ですよね?」


 にこやか嘘っぽい笑顔のインテXXXザは思い切り圧力を忘れない。事務員というか何故この男は営業していないのだろうか。確実に営業をするべき男である。

 どんな無茶な契約も取れますよ。

無理矢理ね。

「お供――させて頂きます」


真鶴さん、人生最悪の日はどうやらまだまだ終わりません。


手早くテーブルの上を片付けた浅宮は顎先で扉を示した。

「何か苦手なものはありますか?」

「しいて言えばヤク……」

「はい?」

「いえいえいえ。えっと――ナマモノが」

 事務所を出てリノリウムの廊下を歩く。

昼時刻はだいぶ過ぎている為、廊下を行く人もない。

「そうですか。近所に美味しいお寿司屋さんがありますよ。行きましょうか」

 なつるはぴたりと足を止め、くわっと目を見開いて少し前を歩く青年を見た。

「あの、何を食べると?」

 ほんの数秒前になつるは確かにはっきりと「ナマモノ」は苦手だと言った筈だ。だというのにナマモノの代表格のような寿司という単語が出される筈が無い。

 確認の為におそるおそる言えば、浅宮はエレベーターの呼び出しボタンをおしながらきっぱりと言った。

「お寿司です」

「……嫌いなんですが」

「そうですか。私は大好きです」

「お一人でどうぞ」

「そうすると私の昼時間は残り四十分にも欠ける訳ですが、その責任は当然飯塚さんにあると思います」

 エレベーターの扉が開き、浅宮の手がその扉を押さえるようにして促す。

なつるは多少躊躇しながらおそるおそるエレベーターに足を踏み入れた。

「私はお寿司が食べたい」

「……判りました」

 かっぱ巻きに玉子にいなりずし。

チェーン店の回転寿司ならともかく、ミートボールが乗っていたり、カラアゲが乗っているような寿司は無いだろうな。

ふふふふふ、楽しい食事は助六か。しかもどうやら浅宮は楽しい相手では到底無い。

 うなだれて壁になついたなつるとは裏腹に、1階のボタンを押した浅宮はおもむろに自分の手荷物からカードケースを取り出し、ぱくりとそれを開いた。おそらく電車用の自動清算系カードが収納されているであろうケース。


まるで刑事ドラマのようにずいっと見せられたのは、真鶴さんを膝に乗せ無理矢理真鶴さんの手を掴んで盆踊りをさせているなつるの写真だった。

 物凄く嫌そうな顔をした真鶴さんと、物凄く楽しそうななつる。


「……なん、で?」

 なんで、なんで?

どうしてこの人ってばあたしの写真!

携帯の待ちうけなどの画像でもなくあくまでもプリントアウトされている写真!

何これっ、ストーカー? あたしマジやばくないっ?

えええ? あれ、浅宮さんってばこの写真どこで? コレって社長の――誠ちゃんの携帯でとったやつでしょ!

べたりとエレベーターの壁に背を預けたなつるに、浅宮は言った。


「真鶴さんに会わせて下さい」

「……はい?」

「あ、他に写真はないですか? 今は? 猫好きなら当然もっていますよね? 写メは? 送ってもらえませんか? ああ、できれば真鶴さんだけの写真が欲しいんですが――そういえば飯塚さんの名前って真鶴さんに似てますね。なつるさんって呼びますね」


 エレベーターという個室の中、追い詰められるように言われた言葉の羅列になつるはぐるりと目を天井へと向けた。

「真鶴さんを抱っこさせてくれるならお寿司屋さんは諦めてもいいですよ?」


 外見インテリヤXザはエレベーターが1階に到着した途端、ぱたりとカードケースを閉ざしてこほんと咳をした。

「お寿司はビルを出て右、イタリアンなら左です」

「……左でお願いします」


 真鶴さん、御免なさい。

わが身可愛さであなたを売るおかーさんを許して。

でも、でもっ、真鶴さんの貞操は必ず守るから。


なつるは思わずおかしなことを誓うのだった。




 



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