幕開け:Ouverture
人工知能とロボット技術が飛躍的に進歩した近未来。労働から駆逐された失業者たちを「自己責任」の名のもとに切り捨てていった人類は穏やかに安楽死を遂げる。
Ⅰ
一番古い記憶に残る母はスーパーマーケットのレジ係だった。それから,バックヤードで野菜や肉や魚のパッケージ係になった。幼いわたしには何も分からなかったけど,この頃レジが無人化されたのだろう。
20世紀の後半に誕生したロボット技術とコンピューター技術が実際の経済活動に広く用いられるようになったのが20世紀の末頃。単純な工場労働の多くはロボットに置き換えられた。それから,コンピューターがその後を追うように人工知能と呼ばれる段階に達し,わたしが物心ついた頃,コンピューターがチェスや将棋の名人を打ち負かしたことがニュースになっていた。やがて,ロボット技術と人工知能は融合し,人工知能を備えたロボットが人間から職を奪い始めた。
一般事務作業は機械化・無人化され,管理職の下には人間以上の情報処理能力を持つ人工知能ロボットだけがいて「平社員」のいないオフィスが出現した。自動車や鉄道が自動操縦されるようになり,運転手という職業が消滅した。商店のレジ係が,商品の値段を打ち込む代わりにバーコードに光線を当てるだけになったのはわたしが生まれる前のこと。それから無人レジに移行するまで10年以上も要したのが不思議なほどだ。ともあれ,わたしが小学生の頃,商品の輸送と販売から人間が追放された。無人トラックで搬送された商品を荷下ろしして売り場に並べる作業はまだしばらく人手に任されていたけど。
この頃のことで,今も奇妙に鮮明に覚えているシーンがある。家の近くで道路工事をしていた。ある日の夕方,こざっぱりした身なりの親子が立っていた。父親は工事の監督のようで,自分の仕事を子供に説明している。子供は,女の子らしかったが,誇らしげな表情で父を見上げながらその言葉を聞いている。わたしは,仕事帰りの母と一緒に通り過ぎた。母は仕事場で出たキズ物の野菜や肉を大事そうに小脇に抱えていた。従業員に格安で売り渡されるそれらが,わたしたちの夕食のおかずになるはずだった。
やがてバックヤードの仕事も機械化され,そんなささやかな役得のある仕事もクビになった後,母はしばらく駅の清掃をしていた。家庭用には掃除ロボットが普及し始めていたけど,駅やビルの清掃はまだ人の手を必要としていたから。
それもクビになり,どうしても次の仕事が見つからず,生活保護を受けるようになったのは,わたしが高校入学して間もない頃。失業率が20%を越え,さらに30%を越え,「4人に1人が失業者」,「3人に1人が失業者」と報じられ,仕事にあぶれて生活保護を受けても冷たい視線を浴びることは少なくなった。厳しい季節の前に,つかの間の陽光が漏れたような時期。この頃はまだ,生活保護世帯の子供も高校進学が認められていた。生まれるのが5年遅かったら,どうなっていただろう。
そんな境遇にあっても,母は明るい人だった。「人は助け合って生きるんだよ」が口癖だった。そんな母の願いはわたしが医者になること。「お医者様」,それは母が現実感をもって想像できる範囲で一番偉い人だったのだろう。「世のため人のため」になる仕事でもある。そして,ぜいたくとは言わないまでも,ゆとりある安定した人生を子供に願ってもいたはず。
その願いを拒絶する理由はなかった。わたしは勉強が好きだったし,とりわけ本を読むのが好きだった。文科系の本も理科系の本も。そして何より,母を悲しませたくなかった。そんな母に胃ガンが見つかったのは,医学部の合格発表から間もない春の頃。そして晩秋に死んだ。「あたしは,もう安心だ」と言って。
母は良い時に死んだのかもしれない。それからほどなくして,失業率が50%を超えた。労働人口の半分以上が失業状態となり,失業している方が当たり前,仕事にありつけるのは幸運という時代が始まった。職に就けた幸運な人の割合を示す「有業率」という言葉が使われるようになったのがこの頃。やがて,それまでの社会保障,社会福祉制度は維持できなくなり,ドラスティックな大改革が行なわれた。
それまでは建前だけでも「文化的な」最低限の生活を保障することになっていたけど,「文化的な」という言葉が外されて,単に最低限の生活,生命を維持するためのぎりぎりの生活を保障することになった。「金もないくせに子供を産むな」という世論に押されて,失業世帯の出産を抑制するためアメとムチの誘導策が導入された。断種手術を無料化し,さらに手術を受けた者にはボーナスを支給するかわりに,子供の数に応じた手当支給は廃止され,子供が何人いても夫婦世帯が受け取る生活扶助手当は同額とされた。生後1週間以内の嬰児殺は,自己申告すれば殺人罪に問われない代わりに,両親に断種手術が強制されることになった。
貧困の連鎖を断ち切るという建前も放棄され,福祉受給世帯の子供への教育扶助は義務教育までの公教育費用に限定された。職のない大人のための職業訓練も廃止された。職そのものがない以上,どれほど職業訓練を受けても再就職は不可能だから本人にとっても無意味だという誰も反論しようのない事実,福祉支出をできるだけ削りたいという行政の意向,そして,失業の不安に怯える有業者たちの「なんで俺たちが納めた税金で,職を求めるライバルを増やさないといけないんだ」という,公然とは語られないけど広く知れ渡った不満に押されて。こうして,失業者とその子供たちはほぼ一生涯失業者として人生を終えることが確定した。それ以前から,貧乏人の子は劣悪な教育しか受けられず,学校を出ても職がないか,不安定・低賃金労働にしか就けないのが普通で,わたしのようなキャリアは例外中の例外だったけど,そんな例外さえ認められなくなった。
この話を聞いた時,最初に心に浮かんだのは「よかった,わたしは間に合った」ということ。安堵を感じた後に,悲しみが生まれた。貧困が固定化された社会への悲しみ,希望から排除された人たちへの悲しみ,そしてこの状況でまず安堵を感じた自分への悲しみ。
失業者とか非就労世帯というお役所的な用語に代わって「下流」というあけすけな言葉が広く使われるようになったのもこの頃。母は「もう安心だ」と言って死んだけど,わたしは,医学部に在籍しながら,下流に転落する不安を感じていた。知的労働も人工知能やロボットに置き換えられるようになっていたから。
熟練した医者よりも正確な診断を下す人工知能が開発され,内科医はコンピューターが下した診断と処方をチェックする……と言えば聞こえはいいけど実際は追認するだけの存在となった。外科医の技能はロボットで模倣されないだろうと信じられていたけど,指先に目を備え,そこから送られてくる映像を人工知能で完璧に分析し判断するロボットは,どんな難しい手術もごく小さな切開創を通してやり遂げるようになった。福祉医療の削減も重なって医師過剰がニュースを賑わすようになった。わたしが卒業する時,同期生で医者の仕事に就けたのは半分だった。わたしはその半分に何とか滑り込めた。ほかの半分を蹴落として。
医者だけではない。腕利きのトレーダーよりも的確に市場の動向を予測する人工知能,熟練した弁護士よりも速く精密に法令や判例を検索して法廷弁論を作成する人工知能,全世界の電子化された科学文献を迅速に検索して有望な研究課題を見つけ,その研究・検証の方法を立案する人工知能など,それまでまさか機械に置き換えられることはないと信じられていた領域にまで人工知能が進出し,知的熟練労働を駆逐し始めた。雇用蒸発とか失業津波という新語が「時の言葉」になった。
このように人間の雇用が機械に奪われる事態を予測し警鐘を鳴らす人は,わたしが生まれた頃には既に存在していたらしい。単純作業が機械で置き換えられることを予測して,より高度な知識・スキルを身につけるよう勧める意見もあった。だけど,その後の時代の流れの中で機械に置き換えられていったのは,むしろ高度の知識・スキルを必要とする知的・専門的な仕事だった。今から振り返れば,大量の情報を短時間に処理して人間以上に正確な推論を行なうことこそコンピューターの得意技であるし,低賃金労働より高賃金労働を機械で置き換える方がコスト削減効果が高いのだから,それらの仕事が狙い撃ちのように人間の手から奪われたのは当然の結果と思えるけど,当時の常識に浸っている人たちには盲点だったのだろう。「まさか自分が……」と信じていた人たちが下流に送り出された。
わたしはかろうじて医者の仕事に留まって,教育ローンも無事に返済し終えた。同年配で失業した医者たちもいる。精神科を選んだのが幸運だったのか。母が生きていれば,少しは楽をさせてあげられると思うけど,その一方で,「人は助け合って生きるんだよ」という言葉を裏切った生き方を見せずに済んで良かったとも思う。母が亡くなってからの20年あまりの人生。
今,有業率は10%にまで落ち込んだ。この間,何度か社会保障制度が修正された。そして来週,「これが最後」と銘打たれた改革のための会議が社会経済省で,内部スタッフだけでなく外部委員も招いて開かれる。なぜか,わたしも参加を求められた。そんな場に精神科医が出席して何の役に立つのだろう。滅びゆく職業の代表者として意見を述べろというのだろうか。それにしても,「これが最後」とはどんな改革なのだろう。20世紀のナチスの「最終解決」のようなものでなければよいけれど。
Ⅱ
社会経済省統計予測計画局の自分のオフィス。去年,計画部長に昇進して,省内に自分用のオフィスを与えられた。それで,室内のロッカーにネクタイとシャツブラウスとパンツスーツを置いて,私服で通勤し,ここで着替えることにした。若い頃のいくつかの夢を諦め,入省してもうじき20年。「官吏になるからには能吏になろう」という初心を忘れはしないけど,これくらいのわがままは自分に許してもいいだろうとも思う。それに,ここで官僚の戦闘服ともいうべきネクタイ姿に着替えることで,気持ちが引き立てられるのも事実なのだから。
今日はこれから大臣官房に出向く。局長と共に,来週の最終改革会議に提出する政府原案について説明するため。説明は局長がするのだけど,実際に原案作成を取り仕切ったわたしも同席するよう求められた。
大臣官房には大臣が待ち構えていて,局長とわたしが席に座るまもなく話しかけてきた。
「最終改革とはずいぶん自信満々なタイトルじゃないか。これが最後の改革,ここで大改革を成し遂げれば,以後は同様の改革は必要なくなるということか?」
局長は「はい」と手短に答えた。
「それだけきっぱり言い切るには,十分な根拠があるのだろうね?」
「もちろんです。この50年ほどで失業率が5%から90%に上昇しました。逆から言えば,有業率が95%から10%に低下した,働く人の数がほぼ10分の1に減ったということになります。これは,視点を変えれば,同じような新技術を導入しても,50年前は1000人の労働者に代替し,1000人分の人件費を削減できたのに,今ではたかだか100人分の人件費削減効果しか見込めない状況だと言えます。新技術導入による利益が10分の1に低下したわけです。もはや,人間の労働に代替する新技術を導入してもペイしない状況に到達してしまったのです。もちろん,こんなおおざっぱな議論だけではなく,精密な経済モデルと正確な技術動向データに基づくきめ細かな定量的予測の裏付けもあります。失業率は頭打ち,有業率は下げ止まる。この現状に適合した改革を実施すれば,それが最後の改革になるはずです」
「それは頼もしい」
「その確信があればこそ,今度の会議は外部有識者も招いた大規模な会議としました。そこで,改革案を広く社会に向けて説明し,とりわけ今回の改革によって社会システムが今後長期にわたって安定することを理解してもらうためです」
「よろしく頼むよ」
「はい。当日,政府を代表して原案を説明し答弁に立つのは,計画部長です。原案作成を実質的に取り仕切ったのは彼女ですから。統計予測計画局のホープです。刑事費用の削減というアイデアを出したのも彼女です」
「過分のお褒め,ありがとうございます」
大臣の前でこれほど持ち上げられて,わたしはいささかぎこちなく答えた。
「そうか。しかし,すごい着想だな。失業者世帯全員に断種手術を施して,確実に人口を抑制するだけでなく,犯罪率を劇的に減らし,社会コストを大幅に削減するとは」
大臣からは特に細かな点についての質問はない。わたしは同席しなくてもよかったろうなどと考えていると,局長が誰に語りかけるでもなく,
「しかし,最低限とはいえ生活を保障され,しかも犯罪のない世界で生きるとは,考えようによっては天国にいるようなものだな」
とつぶやいたので,わたしが答えた。
「われわれ有業者の負担を減らすため,長期的に緩慢に絶滅の運命をたどらせるのです。それくらいの見返りを与えてもよろしいのでは」
「まあ,それはそうだ」
自分のオフィスに戻り,私服に着替える。帰ろうとして,なんとも言えない疲れを覚え,椅子に座り直した。先ほどの会話を思い出す。
「……それくらいの見返りを与えてもよろしいのでは」
結局,わたしにできることはそれだけなのか。……こんな思いに沈みながら,なぜか子供の頃の情景を思い出す。父に連れられていろんな工事現場を見に行った思い出。道路や橋の建設現場。それを指揮・監督する父の姿が誇らしかった。そして父はよくわたしに語ったものだ。
「実際に機械を動かして働く人たちがいるから,わしは監督を務められるんだ。あの人たちがほんとうの意味でこの世界を支えているんだ」
働く人たちへの素朴な敬意。わたしはそれを素直に受け継いだ。そしてまた,さまざまな読書を通してしみ込んだ素朴な理想への共感。自由,平等,人間どうしの連帯,民主主義,「人民の人民による人民のための統治」……。だけど今,この社会は働く人民を必要としなくなった。今,父の監督の下で作業を遂行するのは,自動操縦されるブルドーザーやクレーン車,自動運転されるトラックなど。もはやこの社会に働く人民の居場所はない。そして,民主主義も。
民主主義が人民に主権を委ねる制度であるのなら,人民が主権者たる見識を備えないといけない。すべての人民とは言わないまでも,多くの人民が,少なくとも半分以上の人民が。だけど,多くの人民が主権者たるにふさわしい見識を備えた社会など,存在したためしがなかった。アメリカでもヨーロッパでも。ヒットラーやスターリンや毛沢東を熱烈に支持したのは人民たちだった。それほどの巨悪でなくても,自分たちを害し,自由や平等を踏みにじる指導者に人民が熱狂した例は掃いて捨てるほどある。
であるなら,「人民による統治」が不可能であるなら,せめて「人民のための統治」を担う能吏になろうと心に決めた。その成果がこれなのか。人民が飢えと寒さにさいなまれて絶滅するのではなく,最低限の生活を保証されて穏やかに安楽に絶滅するための制度を設計するのが,わたしの役目だったのか……。
Ⅲ
社会経済省の大会議室。会議開始予定時刻の15分前に入ると,もうかなりの委員たちが着席していた。正面に議長,その脇に政府・社会経済省の代表とおぼしき人たちが何人か座っている。わたしの後からも委員たちが入室し,開始予定時刻にはほぼすべての席がうまった。ざっと見たところ,100人くらいか。議長が会議の開始を告げた。
「では,定刻になりましたので,会議を始めます。まず,政府・社会経済省を代表して,統計予測計画局計画部長が改革案を提案いたします」
議長に指名され,計画部長という女性が立ち上がった。
「これから,政府案を報告いたします。政府案の文章は,なるべく分かりやすい表現を心がけましたが,それでも理解しにくい用語があるかもしれません。そのような時は,報告の終了を待たず,その場でご質問ください。理解できない言葉をそのままにして報告をご静聴いただいても,理解不足となりかねません。この会議は決してセレモニーではありません。改革案をきちんと理解していただきたいと願っておりますから,不明な点は遠慮なく質問してくださるよう,お願いします」
ここで彼女は軽く頭を下げた。「分からないところがあればその場で質問してください」とは,おもしろいことを言うものだ。政府の会議に出席するのは,もちろん初めてだけど,たいていはもっと形式的でかしこまっているものだろう……わたしがこんなことを考えているうちに,彼女は政府案を報告し始めた。
「21世紀初めに5%に満たなかった失業率は徐々に上昇し,2030年代には50%を越え,今や90%に達しました。10人のうち9人は働こうにも職がない,10人のうちの1人が働いて社会を支えている,そのような状況に立ち至ったのです。
失業者の生活を支える社会保障制度はいくたびも破綻に瀕し,これまで何度も改革を重ねてきました。とりわけ2035年の改革は徹底的で,今でも『大改革』と呼ばれております。しかしこの大改革の後も状況は悪化の一途をたどっており,さらなる根本的な改革が必要な事態に立ち至りました。ただ,この破局的な状況にあって希望も見えております。技術開発や経済情勢の分析から,雇用を減らす技術革新はようやく減速し失業率は頭打ちになると予測されます。今この時点で,失業率90%という状況に適合した改革を行なえば,社会経済は安定するはずであります。そこで,今回は社会経済省の内部スタッフだけでなく外部の有識者にもご参加いただいて,会議を開催することとしました。社会保障制度の改革はこれで最後になるとの確信を込めてこの会議を『最終改革会議』と名付けたのは,このような次第であります」
大声ではないけど,よく通る声だ。委員たちは真剣に聞いている。政府の委員会なんて,どうせおざなりだろうと思っていたけど,そうではないようだ。あるいは,聞く側を真剣にさせる気迫を彼女が持ち合わせているのか。
「では,最終改革の政府原案をこれからご説明いたします。
改革案の目的は,当然のことながら社会保障コストの削減であります。これまでも,生活扶助,教育扶助,医療扶助などさまざまな分野に大胆に切り込んでコスト削減を図ってまいりました。今回はさらに刑事費用の大幅な削減を目指しています。刑事費用とは,警察,裁判,刑務所など犯罪の取り締まり,処罰に係わる費用であります。端的に言えば,犯罪の発生数を劇的に減らすことにより,刑事費用を大幅に削減しようとするものです。ただ,この点を述べる前に,これまでの改革の延長線上にある教育費用と医療費用の削減のための方策を説明いたします。これはいずれも現状を追認するものであって,社会に大きな混乱を引き起こすことはないものと思われます」
……教育費と医療費をさらに削る? まだ削れる部分が残っているのか? わたしは心の中でつぶやいた。
「まず,教育扶助は廃止します。現状でも,非就労世帯の子供たちの教育は機能不全に陥っております。義務教育を終えても,親と同じ失業者として社会保障制度に頼って生きるほかに何の展望もない中で,学習意欲も湧かないのでしょう。欠席率が高いこと,出席している児童たちもまじめに授業に取り組もうとしないことは,彼らの教育に携わっている職員から絶えず報告されているところであります。この状況にあって,教育扶助の廃止すなわち義務教育の廃止は,当事者たる子供たちにとって無意味な義務からの解放としてむしろ喜ばれる措置でありましょう。ただし,この20年来の出産抑制策のかいあって,非就労世帯の児童数は大幅に減少しておりますので,教育扶助の廃止による費用削減効果は限られたものであります。
医療扶助も,ほぼ全面的に廃止します。ただ,痛みに苦しんでいる人を放置するのは,当人はもちろん周囲の人々にとっても人間的に耐えられないことですので,痛みに対する安価な鎮痛剤・鎮静剤の投与だけは続けます。その他の病気については,自然の経過にゆだねることにします。もちろん,現状において上下水道は整備されており,食料は今後も十分に供給さるので,医療の提供が打ち切られても寿命が急激に短縮することはないと予想しております」
……もちろん,健康が医療だけで支えられるわけでないことは分かっている。栄養のバランスの取れた食事,清潔な水,衛生的な住まい,それらが健康の基盤であって,その部分がしっかりしていれば,狭い意味での医療が乏しくても人はそこそこに健康に生きていけることは分かっている。それにしても……こんなわたしの思いとは無関係に,彼女の報告は続く。
「では,今回の改革の主眼たる刑事費用の削減策を以下に説明いたします。
そのための中心となる施策は,生活扶助の受給希望者全員に,ということは非就労者とその家族全員にということでありますが,断種手術を受けさせることであります。具体的には,男性にはパイプカットと通称される精管結紮術ではなくて精巣切除術,女性には卵管結紮術ではなくて卵巣切除術を受けるよう求めます。この手術を受けない者は,受給資格を剥奪されることになります。これまでも貧者が子供を産み社会保障負担を増大させるのを防ぐため,積極的に断種手術が推奨されてきました。その結果,成人女性の80%以上,成人男性の20%ほどが既に断種手術を受けております。これを,男女とも100%にする,とりわけすべての男子に精巣切除術を施すことが目的であります。これがなぜ刑事費用の削減につながるのか,疑問に思われる方々も多いでしょうから,今少し説明を加えます。犯罪学では常識となっておりますが,犯罪の最も確実な予測因子は男性であることです」
ここで,どこかから
「予測因子とは,どういう意味でしょうか?」
という声が挙がった。
「予測因子の意味ですか……それを分かりやすく説明するのは,意外に難しいですね……」
これまで立て板に水のように報告を続けてきた人が,思いがけず言いよどんだ。その姿を見てわたしは反射的に
「わたしが説明しましょうか」
と発言した。この場にいるほぼ全員がわたしに視線を向けた。ああ,言わなきゃよかった,と思ったけど,議長から
「では,ご説明をお願いします」
と指名されては,後に引けない。わたしはその場で起立した。
「M…と申します。医者をやっております。予測因子は医学の世界ではよく使う言葉ですので,計画部長に代わってご説明します」
相変わらず,ほぼ全員の視線がわたしに向かっている。緊張をほぐすため,何度か深呼吸をしてから,説明し始めた。
「実例を挙げるのが分かりやすいかと思います。たとえば,『喫煙や肥満は心筋梗塞の予測因子である』とか『塩分の取り過ぎと高血圧は脳出血の予測因子である』という使い方をします。ある事実によって別の事実が予測できる。そういう時に使う言葉です。もちろん,喫煙者がみな心筋梗塞を起こすわけではないし,高血圧なら必ず脳出血を起こすわけではありませんが,そうでない場合に比べて確率が高くなるということです。つまり,関係が深い,因果関係がある,というのと同じことですが,ある事実によって別の事実を予測できる,この予測という側面に注目した表現なのです。予測することで予防策を考えることができる,このような目的意識を込めた表現とも言えます。
このような説明で分かっていただけたでしょうか?」
わたしは,質問が発せられた方を見た。誰かがうなずくのが見えた。それを確認してわたしは着席し,計画部長に軽く会釈した。
「M委員,適切で明快な説明をありがとうございます。
ご説明いただいたとおり,犯罪の最も確実な予測因子は男性であるというのは,男性であることと犯罪とは因果関係が深い,女性より男性の方が犯罪者となる確率が高いという意味です。どれくらい高いかと申しますと,毎年刊行される犯罪白書には,刑務所の受刑者の男女比はほぼ10:1,つまり男性受刑者が女性受刑者の10倍多いと記載されています。もちろん,すでに男性として成人した者に精巣切除術を施して男性ホルモンの分泌を止めたとしても,一挙に犯罪傾向が消失するとは考えられませんが,男子全員に施術することで,かなりの犯罪減少効果が見込めます。とりわけ,思春期になる前に施術された者たちが大人になる頃には,劇的な減少が生じると期待されますから,当然のことながら刑事費用は大幅に削減できます。つまり,妊娠を確実に防ぐ施策が,犯罪を大幅に減少させ,刑事費用を削減する施策ともなるわけです」
ここで,彼女は一息入れて,委員席に視線を向けた。多くの委員たちが「ほーっ」という顔をしている。わたしもだ。感心したというか,意表を突かれたというか。犯罪を激減させるために男性全員に精巣切除術を施す,そんなことが許されるのかという疑問より先に,そんなことを思いつく人がいることに驚いた。
そんな委員たちの反応を受け止めて,計画部長は説明を再開した。
「さて,この断種手術に次いで刑事費用の削減効果を見込める施策が,金銭給付から現物支給への移行であります。現在も上下水道・電気光熱費を含む住居費用に関しては,公営住宅はもちろん,民間の賃貸住宅に関しても福祉機関が借り上げて受給者に住まわせる現物支給方式ですが,その他の支出に関しては受給者の口座に毎月定額を振り込み,受給者は自分名義のカードで必要な物を購入するシステムです。この方式では,どうしてもカードの盗難・盗用,あるいは他人が購入した物品の窃盗,さらには売買の場での売り手・買い手の詐欺行為など,細かな犯罪が絶えません。
また,貧困は必ずしも節約のスキル,限られた所得を計画的に支出する習慣をはぐくむものではないようで,貧困層ほど生活扶助費を受取ると無計画にお金を使い尽くし,やがて困り果てて窃盗などに走る,あるいは,世帯主が自分の酒やギャンブルに支給額を使い果たし,家族が困窮して犯罪に走ることも多いと報告されております」
……それは,悲しいけれど現実だ。わたしも医者としてそんな現実に立ち会ったことがある。精神障害と貧困は縁が深いから。そして精神障害はお金を管理する能力も阻害して,ますます貧困を深めるから……わたしがこんなことを考えている間も,報告はよどみなく続いている。
「これら少額の経済犯罪は,殺人や強盗ほどには人目を引きませんが,捜査・裁判・処罰の費用は同じようにかかる上に,それらが原因となって傷害,暴行などの粗暴犯が誘発されることもあります。現物支給方式では,それらの犯罪をほぼ根絶できると見込んでおります。たとえば,食料は,既存の食品店や食堂をカフェテリア方式の食堂に改修し,そこに置かれた食品を各人が好きな時に好きなだけ取って食べる方式に移行しますが,これならば他人の分を詐取して自分が食べるという犯罪は成り立たないはずです。衣服および最低限の生活に必要な雑貨類に関しても,類似の方式を予定しています。
支給する物品の範囲を限定した上で,その範囲でなら誰もが欲しいだけ取っていい,そして自分たちの周りには,その範囲を超える物品を持つ者がいない,この環境にあっては,経済犯罪はほぼ消滅すると想定されます。
なお,この現物支給方式を円滑に実施するためにも,受給者の集住が望まれます。現状でも経済的に劣位にある非就労者の居住地域と有業者の居住地域は分かれる傾向が顕著でありますが,現在はまだ少数ながら非就労世帯が有業者居住地域内に散住しております。これらの者の移住を促進します。この数十年来の人口減少によって住居に余裕はありますので,移住は速やかに円滑に進行するものと思われます。
以上で,改革案の報告を終わります。ご意見のある方は遠慮なくご発言ください」
社会保障のコスト削減のため,下流民を特定の地区に囲い込み,全員に断種手術を受けさせる。教育は廃止し,医療も最低限に切り詰める。それはまるで……いや,怒りは抑えよう。この場では,冷静に論理的に反論すべきなのだ。感情的になっては議論に負ける。政府提案のうちで一番反撃しやすそうなところは……わたしは挙手した。
「M委員,どうぞご発言を」
という議長の指名でわたしは発言した。
「刑事費用の削減には賛成です。そのために犯罪を減らすことにも,もちろん賛成で,それは下流の人たちにとっても良いことでしょう。ただ,そのために男性全員に断種手術を求めるという政策は,正当化できるものでしょうか?」
わたしの質問を聞いて計画部長は軽くうなずき,それからゆっくり立ち上がって答弁した。
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わたしはゆっくり立ち上がった。その批判は予想どおりだ。もちろん,反論は用意してある。
「M委員の疑問はもっともです。ほかの多くの委員の方々も同様の疑問を抱くでしょう。それにお答えするのに,タバコの健康被害を例に挙げて説明します。タバコはその健康への有害な影響のために,公共の場での使用を禁止されており,私的空間での使用にも制限が加えられています。ところで非喫煙者に比較した喫煙者の疾患リスク比,つまり非喫煙者に比べて喫煙者はどれくらい病気になりやすいかという比率ですが,これは,地域や時代や年齢によってばらつきはありますが,喫煙の影響の大きい慢性閉塞性肺疾患でおよそ10,その他多くの疾患で2ないし5くらいです。2ないし5,あるいは最大で10くらいのリスク比でも,タバコを公共の場で禁止することは正当なこととして社会に受容されています。であれば,犯罪のリスク比は10くらいですから,断種手術を十分に正当化できると考えております」
M委員は,いささかあっけにとられたようだ。まあ,自分の意志で止めることができる喫煙と,自分の意志で選びようのない性別を同列に論じる議論を聞かされれば,唖然とするだろう。しかし,気を取り直して反撃に転じるはずだ。彼でなくても,ほかの委員からでも。そう思って待ち構えているのに,別の委員から
「当然,断種手術を拒否する者たちが出現すると思いますが,その対策は?」
という質問を受けて,肩すかしを食わされたような気持ちになった。もちろん,その種の質問も想定の範囲内ではある。
「当初は,不満の声も挙がりますが,受けないと衣食住を与えられないとなれば,最終的にはほとんどの者が受けるはずです。暴動のような事態はほぼあり得ないと考えております。彼らはもう数十年にわたり福祉受給に頼って無為の生活を送ってきたのですから,暴動を起こす意欲も力もないでしょう。もちろん万が一を想定して,警察ロボットなど鎮圧装置はしばらく配置する予定です」
これを機に,あちこちから質問が発せられた。
「暴動は起きなくても,手術を受けない者がたとえば無料カフェテリアに侵入して食事をするとか,衣料雑貨配給所に忍び込んで物品を持って行くということは起きないでしょうか? 手術を受けたかどうかをどうやって識別するのでしょうか?」
「性ホルモンを検出します。断種手術をすれば男性ホルモンまたは女性ホルモンがほとんど分泌されなくなります。検査用の特殊な電磁波を体に当てて体内の性ホルモンを検出する装置を入り口に取り付け,性ホルモンが体内に存在する者が入り口を通りかかると電撃を放射して弾き飛ばすことにしています」
「弾き飛ばすだけですか?」
「はい,弾き飛ばすだけです。ただ,電撃への耐性には個人差があります。耐性が最も高い人間でも確実に弾き飛ばせる程度の電撃であれば,耐性の低い者は死亡する可能性はあります。ですがそれは自己責任というか,十分に警告を発した上でのことですから」
「野山に逃亡する者も出現すると思いますが」
「2~3日ならあり得るでしょうが……繰り返しますが,彼らはもう何十年にわたって自ら働くことなく,福祉に頼って生きてきた者たちです。野山で狩猟採取生活をする能力を持ち合わせているとは思えません。やがて戻ってくるでしょう」
「そのような者たちへの処罰は検討されているのでしょうか?」
「特に考えておりません。規定どおり断種手術を受けさせるだけです。処罰というのは,言うなれば特別待遇でありまして,かえって余計なコストがかかってしまうものですから」
「好きなものを好きなだけ取っていいとなると,むやみに溜め込む者が現れないでしょうか?」
「制度発足の当初はそのような現象もあるでしょう。やがて1年ほども経過して,いつでも同じものが欲しいだけ手に入ることが常識として徹底されれば,そのような愚かなことは消滅するでしょう。仮に,愚行を続けるものが何人かいたとしても,それに応じて物資を供給するくらいの生産力は存在しますから,ご心配なく」
「誰もが同じものを欲しいだけ,というのは20世紀の社会主義が掲げた原理に似ていませんか? 社会主義は結局自滅しました。政府提案のシステムも自滅の危険はないのでしょうか?」
「社会主義の実験が失敗したのは,労働へのインセンティヴを与えるのに失敗したからであります。あの時代は,人間が働かないと社会経済システムを維持できなかった。そのような時代にあって,働く意欲を生み出すことができない社会体制は自滅するのが当然でした。今は違います。10人のうち9人は働く必要がない,働きたくても働けない時代です。現物支給の対象となるのは福祉受給者です。彼らにはそもそも労働へのインセンティヴを与える必要がないのです」
よどみなく答弁しながら,わたしは心の中で自問していた。なぜ,政府提案に寄り添ってその有効性を確認するような質問ばかり出てくるの? 下流民全員に断種手術を施し,時間の流れの中で絶滅させようという提案に対する根本的な批判が,なぜ出てこない?
この時,M委員が再び挙手して発言した。
「みなさんは人間の連帯という感性を持ち合わせていないのですか? 彼らも人間なのですよ。それを,特定の地域に囲い込んで,衣食だけ与えて,いっさいの文化を奪い,子供を産ませず,時の流れの中で絶滅させようとは,まるで20世紀のナチスのガス室ではありませんか」
そうなの,当然,そういう批判が提出されてしかるべきなの。それにわたしが答えようとする前に,別の委員が挙手して反論を加えた。
「ガス室とは暴言です。今生きている者を殺そうというのではないのです。今生きている者は死ぬまで衣食の面倒を見ると言っているのです。本来,敗者は去るのが市場経済の原則です。貧困,失業は自己責任です。ただ,無収入に放置するのは死ねと言うに等しいから,最低限の生活は保障するというのです。市場経済原理からすれば恩恵であって,それをガス室とは,不当な言いがかりです」
いや,「恩恵」と呼ぶのは,いくら何でも言い過ぎでしょう。そう思っているとM委員がまた挙手するのが目に入った。
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これを「恩恵」と呼ぶとは,どんな神経の持ち主なのだ……いや,感情的になってはいけない。わたしは挙手して議長に発言を求めた。
「では,ガス室という言葉は取り消します。ただ,冷静に考えていただきたい。今,わたしを含めここに列席のみなさんは1日8時間働いている。さきほど計画部長が『10人のうちの1人が働いて社会を支えている』と説明なさいましたが,10人のうちの1人,人口の10%が1日8時間働けば,全人口が生きていくのに必要なものを生産し分配できる,それほどテクノロジーの進歩した時代をわたしたちは生きています。
ならば,人口の10%が雇用を独占しないで,全員に分配すれば,みんなが1日1時間働くくらいで生きていけるはずです。10%の人間が労働の義務と権利を独占するのではなく,ワークシェアリングによってみんなが平等に労働の苦労と喜びを分かち合う社会を目指す方が,人間的であり,また有業者にとっても負担を軽減できるより良い方策ではないですか?」
計画部長が反論する前に,別の委員が挙手して反論を始めた。
「M委員,市場経済の原則は利潤追求です。各人,各企業が利潤を追求することで,神の見えざる手に導かれて,社会全体の利益が増すのです。企業が新しいテクノロジーを導入するのはコスト削減とりわけ人件費削減によって利潤を増やすためです。新技術によって雇用が減少するのは,経済の法則であって,いかんともし難いでしょう。オータナティヴは存在しないのです」
「存在しないと諦める前に,見えざる手に導かれてテクノロジーが人間から職を奪う市場経済原理そのものを見直そうとは思わないのですか?」
「20世紀の社会主義の愚行を繰り返そうとおっしゃるのですか?」
「愚行の一言で片付けてよいのでしょうか。確かにソ連モデルは愚行でした。だけど,社会主義という基本設計思想からたった一つのモデルしか作れないわけではないはずです。もっと良いモデルを追求してみようとは思いませんか?」
「具体的に,どんなモデルでしょうか? M委員には具体的な青写真があるのですか?」
そう問い詰められると,わたしは言葉に詰まった。この場で,新しい社会主義のモデルを提出しろと言われても……。
一瞬,会議室に沈黙が流れたところで,計画部長が発言した。
「M委員のヒューマンな思いは理解できます。ただ,もう遅すぎるのです。20年,いや30年か40年遅すぎました。40年前ならワークシェアリングも実現の可能性があったでしょう。今となっては不可能です。生活扶助受給者の多くはすでに数十年にわたって勤労を経験していません。自分だけでなく,親が働く姿さえ見たことがない人たちも珍しくないのです。彼らは働く意欲がない,とまでは申しませんが,働く習慣を失ってしまっています。毎日ほぼ決まった時間に寝て起きて,一定時間働くという生活規律を持ち合わせていません。それに加えて,現代社会で働くために必要なスキルをまったく身につけておりません。残念ながら,今となっては,ワークシェアリングは不可能な夢なのです。
さらにもう一つ,スキルの熟練に係わる問題があります。1日1時間働くだけでは,どんな仕事であれそれに必要とされるスキルを身につけられないでしょう。M委員ご自身にしても,医学部を卒業されて医師になった後,毎日8時間あるいはそれ以上働くことで医師としてのスキルを身につけ,医師として熟練なさったのではないですか? 人が一人前の職業人となるためには,最低必要とされる労働時間の限度があるのです。それが具体的に1日何時間であるかは議論の余地があると思いますが,1日1時間では圧倒的に不足だとは言えるでしょう」
あくまで冷静な口調。事実に基づく整然とした反論。それに切り返すのは難しい。さすが,政府の中でもエリートコースと言われる社会経済省の部長だけのことはある。彼女の方が役者が上かな。そう思っていると,どこかから言葉が発せられた。
「配布された委員名簿によりますと,M委員は20年ほど前に医学部を卒業なさって医業に携わっておられるのですね?」
「はい」
「20年前,すでに医学部卒業者のうち医業に就けるのは2人に1人という状況だったはずです。あなたは,言うなれば,同級生の半分を蹴落として医者になられた。なぜ,20年前に御持論のワークシェアリングを主張なさらなかったのですか?」
この発言には,すかさず議長が「個人攻撃は控えてください」と警告した。
確かに,その発言は個人攻撃だ。けれども,真実でもある。その問いには「若かったわたしは他者を思いやるゆとりがなかった。教育ローンで生活費と学費を賄ったから,その返済のためにどうしても仕事に就きたかった」としか答えようがない。しかしそれは言い逃れに過ぎないのだろう。こんな思いに沈んでいると,計画部長がまた発言した。
「ここは今後の社会制度について議論する場ですから,特定の個人の過去をあげつらうのは避けてください。それは非生産的なことです」
彼女はここで一息ついてから,発言を続けた。
「M委員がワークシェアリングを主張なさる背後には,勤労は美徳だというモラルがあるのだろうと推測します。わたしもまた,そのモラルを親から受け継ぎました。個人的な話をさせていただければ,わたしの父は建設インフラ省で道路設備の点検補修作業の監督をしております。母は,もう亡くなりましたが,やはり道路工事の仕事をしておりました。この両親から,わたしは勤労のモラル,そして労働を尊ぶ素朴な哲学を受け継ぎました。しかし,今我々が議論の対象としている福祉受給者たちは,もう何十年にもわたって労働に携わったことがなく,働く習慣も能力も失った者たちなのです。おそらく一生涯,職に就くことの叶わない人たちに,勤労のモラルを説き労働の価値を語るのは残酷なことではありませんか? 彼らにはむしろ,『君たちはもうずっと働かなくていい』と言ってあげる方が親切ではないですか?」
わたしは彼女の顔を見返した。自ら立案し提案した政策の冷酷なリアリズムと,そのような同情心は,彼女の心の中でどのように両立しているのだろう。
彼女は,発言を終えて着席しようとして,ちょっとためらい,再びきちんと背筋を伸ばして,発言を続けた。
「わたしも,人はお金を稼ぐためだけに働くわけではないこと,仕事には収入を得るという目的のほかに,自尊心の基盤とでもいうか,自分が社会に役立っているという実感を得る目的があることは,承知しています。わたしが社会経済省に勤めているのも,ただ生活の糧を得るためだけではなくて,多少なりとも世のため人のためになることをしたいという思いがあるからです。
長期にわたる失業は,この自尊心の基盤を破壊してしまいます。それは残酷なことですが,いかんともし難いのです。たとえば今,失業者の一人が社会経済省にやってきて『仕事をさせて欲しい。福祉で最低限の生活は保障されているから,給料は要らない。生きがいのために仕事をさせてください』と願い出ても,その人を,たとえ無給であっても雇うことはできません。なぜなら,社会経済省で仕事をするために必要なスキルを持ち合わせていないからです。ほかの職場でも事情は同じでしょう。そのような人に働く習慣を植え付け,何らかの職業的スキルを身につけさせるには莫大なコストが必要でありますが,それほどのコストを支出することについて,社会的合意は得られないのです」
彼女の表情は心なしか悲しげだ。エリート官僚が下流民の運命を悲しんでいるのか。それとも……それとも,この場で一人だけ異論を唱えるわたしをなだめるためのリップサービスなのか。
わたしがこんなことを考えている間も,計画部長と他の委員との質疑応答は続いた。議論の焦点はどの程度のコスト削減が見込めるかに移っているようだ。その議論を聞きながら,わたしはふとあることを思いついて発言を求めた。
「男女両性に断種手術を求めるのは,なぜでしょうか? 子供を産ませないためには,男女どちらかに断種手術を施せば十分なはずです。そして,犯罪防止のために男性全員に断種手術を施すのであれば,女性はそのままの状態に放置して差し支えないはずです。まして,卵巣切除術は精巣切除術に比べて手間もコストもかかります。おそらく3~4倍のコストを要するでしょう。女性の断種手術を取りやめれば,社会全体として手術の総コストを4分の1か5分の1に削減できると思いますが,いかがでしょうか」
「M委員もコスト削減主義に転向されたか」と,どこかからヤジが飛んだ。
「あなたがたの論理に従って反論しているのです」とわたしは応じた。
「不規則発言は慎んでください」という議長の言葉に続いて,計画部長が回答した。
「手術のコストだけ考えれば,M委員のご指摘のとおりです。ただ,社会的コストとでもいうべきものを考慮に入れると,男女両性に平等に断種手術を受けさせる方が妥当であろうと考えております。先ほども申し上げましたが,現状で断種手術を受けている人は女性では80%を超えていますが,男性では20%弱です。男性の方が圧倒的に少ない。どうやら,女が女らしさにこだわるより以上に,男は男らしさにこだわるもののようです。このような状況で,女性はそのままで男性にだけ断種手術を要求すると,男性からの大きな反発を招き,不測の事態が起こりかねません。もちろん,暴力的な抗議行動が起きたとしてもそれを鎮圧するのは容易ですが,そのような手荒なことは,できれば避けたいと思っております。鎮圧に際して犠牲者が出た場合,我々の側の心理的負担は相当なものでしょう。このような治安維持コストと心理的コストを考えると,男女平等に断種手術を求め,男性の不満を減らす方が総コストとして安上がりと判断しております」
計画部長は,ここで一息ついた後,「蛇足ながら」と前置きして,説明を付け加えた。
「医師であられるM委員にこのようなことを申し上げるのは気が引けるのですが,現在では卵巣切除術もずいぶん簡略になりました。膣から細いチューブを入れ,卵巣に高周波を照射して液状化し,吸い取るという方法です。もちろん,外に露出している精巣を切除するのに比べればこれでも高コストですが,その差は3~4倍というほどではありません。せいぜい2倍,ひょっとして5割増し程度です」
何人かの委員が笑いを漏らした。わたしも苦笑いした。専門外の医療技術の進歩については,わたしより政策立案者の方が詳しいようだ。
計画部長はさらに発言を続けた。
「男性のみならず女性にも断種手術を求めるのは,もう一つの理由があります。これもまた刑事費用の圧縮に係わるものですが,男女とも性ホルモンの分泌を止めることで情痴犯罪の減少が見込まれています」
つまり,恋さえ奪われるということか,とわたしは心の中でつぶやいた。もはや声には出さなかった。こんなわたしの思いとは別に,議論は今後の展望に移っていった。計画部長は相変わらず自信にあふれて答弁している。
「被扶養人口は現在がピークであります。これからは子供が一人も生まれないのですから,高齢者や病弱者が死去するにつれて被扶養人口は今後減少の一途をたどります。減少のペースについていくつかのシミュレーションがありますが,最も控えめな予測,つまり死亡率が現在と同じと想定しても,現在すでに20歳以下の未成年が極端に少ない人口構成からして,30年後には半分になります。実際には医療が提供されなくなるために死亡率がやや増加するはずであり,現実的なシミュレーションとしては30年後に現存人口の35~40%と見込まれています。ですから,皆さん,今が一番苦しい時期です。5年,10年すれば一息つけます。そして,我々の子供の世代には福祉費用の負担は現在の半分以下になるでしょう」
この説明を聞いて何人かの委員は明らかに満足げにうなずいていた。だけど,満足してうなずくようなことなのか? 人口の90%を長期的に絶滅させようという計画なのに。自分たちだけ生き残ればいいと,本心からそう思っているのだろうか,この人たちは……。
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わたしの説明を聞いて,M委員は浮かない顔をしているけど,ほかの多くの委員は満足したようだ。自分が作成した案が受け入れられて,わたしも満足すべきなのだろう。だけど,満足しきれない何かが残る。この案は,自分たちの負担を減らすために人口の90%を消滅させようという案なのに,これほどすんなり受け入れられて,いいものなのか。こんなことを思っている時,M委員が発言した。
「計画部長の説明に対しては初歩的な疑問があります。この20年,有業率を50%から10%に低下させる激しい技術革新がありました。政府案の説明の冒頭で,この傾向は頭打ちで,失業率はこれ以上は上昇しないとの予測を提示なさいました。予測の詳細な手法については質問を控えます。おそらく,高度の経済理論と統計予測理論を駆使したもので,説明いただいてもわたしには理解できないでしょう。ただ,予測はあくまで予測であって,外れることがあり得る,とは言えるはずです。予測に反して次世代の子供たちが成人に達した頃,雇用数が半分とか3分の1になっていた場合,どのような対応を考えておられるのでしょうか」
やはり,この点を衝いてきたのは彼だったか。
「そのような対応は検討しておりません」
わたしは自信をもって言い切った。ここは,細かな数字や数理モデルを論じるより,満身の自信を込めて断固とした口調で押し切る場面なのだ。M委員は虚を突かれたような表情を浮かべ,大会議室は一瞬静まりかえった。そして,誰かが発言した。
「その時こそ,M委員の御持論であるワークシェアリングの出番でしょう。我々の子供たちが雇用を分け合い,労働時間を短縮すればいいのです」
わたしは心の中で軽く舌打ちした。余計な発言,むしろ「やぶ蛇」かもしれない。そして,思ったとおり,M委員が反論した。
「それはもはや不可能だと言われたではありませんか」
「状況が違います。我々の子供たちは,きちんと教育を受け,現代社会で仕事をするために必要なスキルを身につけ,勤労意欲もあります。無為に生きてきた下流の者たちとは違うのです」
「しかし,市場経済原理に従えば,雇用を提供する側,つまり企業は利潤追求が目的なのだから,雇用を減らしてコスト削減を目指すはずではありませんか?」
「その時は,企業の行動をコントロールすればいいのです」
その発言を聞いたM委員はあきれたような表情だ。わたしもこの発言にはいささかあきれた。「その時できることを,なぜ今この時にできないのか」と指摘されたら,どう反論するつもりなのだろう,発言の主は。わたしが指摘するわけにはいかない。わたしは政府提案を通させる立場なのだから。だがM委員が何も言わないのは,どうして? 今さら何を言っても仕方ないと思っているのか。
ほどなく,会議は閉会した。
会議室を出て廊下を歩く人の波の中にM委員もいる。心なしか疲れたような足取りだ。建物を出て,歩道への階段を降りているところで追いついた。わたしは彼の肩をたたいた。
「M委員,お疲れ様でした。そして,ありがとうございました。まず『予測因子』の意味を説明していただいたお礼を申し上げます。そして何より,あなたが鋭い批判を提出してくださり,それに答えてわたしが説明を付け加えることで,議論が盛り上がりました。ほかの委員たちも理解が深まったと思います。それに……」
「それに?」
「いや,何でもありません。ともかく,今日はありがとうございました」
こう語って軽く会釈し,わたしは足早に省内に戻った。これ以上のことを言うべきではない。政府案を作成し,採択させ,これから実施すべき立場として,彼の感性への共感を表明するわけにはいかない。
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計画部長は足早に戻って行く。わたしに一言お礼を言うために,わざわざ追ってきてくれたのか。几帳面な人だな。そして,個人的には「いい人」なのだろう。ただ,社会保障制度改革案を作成するという立場であればこそ,冷酷にも非情にもならざるを得ないのだろう。
街路はイルミネーションが美しい。雇用を確保した10%の人間が住む街区は,豊かに美しく整備されている。ここにいる限り,この世には不幸など存在しないようだ。貧困も,疎外も,病気も,そして死さえも……。
「死さえも」,この言葉につられるように奇妙な連想が生じた。半世紀前にブレイクスルーが生じた幹細胞技術,臓器再生技術は完成期を迎えた。自分の皮膚や血液から採取された細胞を万能幹細胞に初期化させ,そこから望みの臓器を再生させる技術が実地に応用され始め,誰もが利用できるようになっていた。神話の時代から人間が求め続けた不老不死がついに実現する。しかし,人が100歳になっても150歳になっても元気で働き続けるなら,次の世代のための雇用の空席ができないではないか。
……いや,もういい。今さら議論を蒸し返すことはない。すべては決着したのだ。




