人生創談
はじめに、これより綴る文章は「文章である」それ以外の意味を持たない何らかの記号のようなものであることを宣言しておく。
セルフ・ハンディキャップ、あるいは言い訳の一言で片づけられる程度のなんとも凡庸で貧相な言葉だと無意味に吐き捨てたいところではあるが、実を言うとこの文章にまつわるほぼ全てが誰にわかるはずもないということだけは確かなのである。
愚かしく愛しき思春期の捻れ・淀み・仄暗いプライドと一片たりとも決別することなく、人生の澱という澱をその身に宿し生きてきた私の自意識は当然と言うべきか極度に歪んでおり、思考→行動のプロセスは現代のどんなテクノロジーを用いたとしても文字に起こすことができない黒塗りの壁画と化している。
ただ、そんな問題は今日の太陽系では日常茶飯事、十把一絡げの一単位が何を喚いておるとお叱りを賜るのも仕方のないことだ。
そのうえで私はどうしても、言わずにはいられない。
インチキや出鱈目をもって己が本心の解となすことは容易であることを認めると同時に、そのような態度で己と向き合いたくはないというごく平凡な意地の存在を視界から外したくはないという微かな感情が存在することを。
なかなかどうして、私は物書きにはとんと向かない類の人間なのだということを。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心、ナルシシズムと自己嫌悪の狭間でもがき苦しみ、それでも私という現象がいかような岐路を辿ってゆくのかを綴りたいのだということを。
正しさはなく、但し苦も無く、そんな逃亡は許すべくもあらずと、私は今日も傷みを悼み生きてみる。




