揺れる日本列島
日本列島――その地形は、美しくも複雑で、数多の断層が刻まれた大地である。長い年月をかけて作られた山々や川、都市の密集した街並みの下には、知られざる力が静かに眠っている。それはいつ目覚めるか分からない、大地の記憶である。
この物語は、ある十月の昼下がりに起きた、未曾有の災害を描くものである。野付半島から札幌、函館、青森、東京、そして大阪から大分まで――日本各地の断層を震源とするが、たった30分あまりで列島を揺るがし、戦後最悪の惨禍をもたらした。
目の前で家や街が崩れ、生活が一瞬で奪われる現実。地震の恐怖は、単なる揺れではなく、人々の心に深い傷を残す。この物語では、被災した人々の視線を通して、その恐怖と絶望、そしてわずかな希望を描き出す。
読み進めるうちに、あなたはこの地震の規模と影響の大きさを、少しでも実感するだろう。そして、揺れる大地の上で、人々が何を思い、何を選択したのか――その断片を目撃することになる。
これは、災害の記録であり、同時に人間の生きる力を問う物語である。どうか、覚悟をもってページをめくってほしい。
※日本横断断層は複数の断層地震の総称
十月のある昼下がり、野付半島の沖合で微かな地震が観測された。最初は小さな揺れで、地元住民の多くは何気なく日常を続けていた。しかしその小さな異変は、すぐに恐怖の前触れとなった。
札幌市。午後1時16分。
地鳴りが地下から響き渡り、高層ビルの窓ガラスが一斉に震えた。街を歩く人々は、まるで大地に押し潰されるような衝撃を受け、手に持ったスマートフォンが地面に弾き飛ばされる。地下鉄は緊急停止し、駅のホームには驚きと混乱が入り交じった叫び声がこだました。
函館。午後1時17分。
港に係留されたフェリーが不自然な揺れで岸壁に叩きつけられ、局地的な津波が市街地に押し寄せる。住宅街では川沿いの家屋が濁流に飲み込まれ、通りはあっという間に水没した。避難する人々は、恐怖に震えながらも互いに手を取り合い、わずかな高台を目指した。
青森、岩手、宮城――断層の連鎖は北から南へと続く。山形盆地断層帯、中央構造線、さらには長野、静岡の地下深くまで、地殻は次々に破壊され、街や山河を縦断していった。列島を揺らす地鳴りはまるで生き物のうなり声のようで、屋根瓦が崩れ、道路は裂け、橋は倒壊した。
東京。午後1時21分。
都心の高層ビルは軋みを上げ、地下鉄では乗客が押しつぶされそうになりながら避難する。銀座の歩行者天国では、通りに立ち並ぶ街灯や看板が次々に倒れ、人々は必死に逃げ惑った。緊急地震速報のサイレンが鳴り止まず、通信網も断続的にしか機能しない。湾岸では埋め立て地が液状化し、道路は波打つように隆起した。
大阪。午後1時26分。
高速道路は波打ち、立体交差はひび割れた。新幹線の車両は緊急停止し、プラットフォームでは人々が立ちすくむ。関西国際空港の滑走路には亀裂が走り、到着を待つ飛行機は着陸を断念せざるを得なかった。街中では地下街の天井が崩れ、瓦礫に閉じ込められる人々の悲鳴が響いた。
九州・大分。午後1時33分。
山々が崩れ落ち、川をせき止めていた土砂が一気に下流へ流れ込む。温泉街は濁流にのみ込まれ、住民は高台や避難所を目指して逃げ惑った。揺れは徐々に収まるが、その跡には深い裂け目と瓦礫の海だけが残された。
列島を横断する地震は、時間にしてわずか30分あまりで、未曾有の大災害をもたらした。政府や自治体はすぐさま緊急指示を出すが、交通・通信・電力網の多くが断絶し、初動の混乱はさらに被害を拡大させた。報道機関は災害の全容を把握することができず、ネット上には恐怖と混乱の声が溢れた。
夕方、崩壊した街を見渡すと、瓦礫の山の間に人々が取り残されている。救助隊は懸命に捜索を行うが、山の崩落や液状化、火災の発生により、容易に近づくこともできない。列島全体が、戦後最悪と称される災害の影に覆われていた。
翌日、政府は被害の概算を発表する。死者数は数万人、負傷者は十万人を超え、住宅やインフラの損壊は計り知れない。専門家はこの地震を「日本横断大震災」と名付け、過去の災害の記録を塗り替える規模であると認めた。
しかし、その数字以上に、残された人々の心には深い傷が残った。家族や友人を失った悲しみ、故郷を失った喪失感、再建への途方もない困難……。列島全体が、見えない断層の上で静かに揺れ続ける恐怖を抱えながら、新しい日常を模索せざるを得なかった。