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第五章 顔のない人形と扉への歩み

集積所の空気は、澱んだ水のように重く、それでいて微かな期待のようなもので満たされているように感じられた。ノノは壁に背をもたせ、床に直接座り込んでいた。視線は、金属製の棚に並べられたコレクションへと注がれている。特に、昨日ハーモニカの隣に置いた、あの稚拙な太陽の絵が描かれた紙片。異物から収集物へと変化したそれは、今や棚の風景に奇妙なほど馴染んでいた。あれを描いたのは、扉の向こうの声の主だろうか?


考え事をしているうちに、どれくらいの時間が経ったのか。ふと、ノノは視界の隅に、以前はそこになかったはずの「何か」が存在することに気づいた。鉄の扉のすぐ内側、床の上に、ちょこんと小さな影が落ちている。


ノノはゆっくりと立ち上がり、警戒しながらそれに近づいた。それは、手のひらに収まるほどの大きさの、素朴な木彫りの人形だった。手足は短く、胴体はずんぐりしている。丁寧に磨かれてはいるが、顔にあたる部分には目も鼻も口も描かれていない、のっぺらぼうの人形。いつの間に、誰が、どうやって? 扉は閉じたままだったはずだ。


ノノは屈み込み、その顔のない人形をそっと拾い上げた。木の温もりが、能面越しの指先に伝わってくる。奇妙なことに、ノノはこの唐突な侵入者に対して、恐怖よりもむしろ懐かしさに似た感情を抱いていた。まるで、ずっと昔に失くしたものが、思いがけない形で手元に戻ってきたかのような感覚。


人形の滑らかな表面を指でなぞった瞬間、ノノの頭の中に、断片的なイメージが閃光のように走った。

―――陽の光が差し込む明るい部屋。木の削りカス。小さな手。誰かの優しい声。そして、完成間近だった人形の顔に、誤ってインクを零してしまった瞬間の、鋭い痛みと絶望感―――

それは、能面をつけるきっかけとなった、遠い日の記憶の欠片かもしれない。ノノは思わず、能面の冷たい縁に手をかけた。剥がし取りたいような、しかし決して剥がしてはならないような、激しい衝動に駆られる。だが、指は寸前で止まった。まだ、その時ではない。


ノノは深く息をつき(能面の下で)、衝動を抑え込むと、木彫りの人形を抱えて元の場所に戻り、再び床に座った。そして、人形を自分の隣に、まるで小さな同伴者のように座らせた。


「あれは、王様」

ノノは声には出さず、心の中で人形に語りかけた。視線は棚の上のツタンカーメンのレプリカマスクに向いている。

「世界の終わりを、静かに見つめている」

次に、三段目の傘たちに視線を移す。

「彼らは雨待ち鳥。いつか来るかもしれない解放の雨を、ここでじっと待っているの」

二段目のバナナの皮、一段目の変化の標本、片手袋、沈黙するハーモニカ、そして太陽の絵…。ノノは一つ一つ、自分のコレクションの意味を、この顔のない人形に説明して聞かせた。それは、誰にも理解されなかった自分の世界を、初めて共有できる相手を見つけたかのような、切実で、どこか滑稽な儀式だった。


人形はもちろん、何の反応も示さない。ただ、ノノの隣で静かに座っているだけだ。


その時、また声が聞こえた。今度は、以前よりもずっとはっきりと、扉のすぐ向こうから。

「…お人形、気に入った?」

それは、間違いなく子供の声だった。無邪気で、しかしどこか底知れない響きを持っている。

「ねぇ、それ、私が作ったんだよ」

声は続ける。

「一緒に、遊ぼうよ。ここ、つまんないでしょ?」


ノノは、隣に座らせた木彫りの人形を、ぎゅっと抱きしめた。人形の硬い感触が、能面越しの胸に伝わる。扉の向こうの子供の声。自分が作ったと主張する人形。そして、「遊ぼう」という誘い。


集積所の静寂と秩序。外部からの侵入。収集と喪失。能面の意味。様々な思考と感情が、ノノの中で激しく交錯する。


やがて、ノノは一つの決意を固めたようだった。抱きしめていた人形をそっと床に置き、ゆっくりと立ち上がった。そして、能面をまっすぐ扉に向け、一歩、また一歩と、確かな足取りで扉に向かって歩き始めた。


集積所の蛍光灯が、チカ、チカ、と不規則に瞬き、歩みを進めるノノの影を壁に揺らす。扉まで、あと数歩。ノノはその先にあるものを確かめようとしていた。外部の世界。声の主。あるいは、自分自身の真実。その一歩が、この閉じた世界の終わりを意味するのか、それとも新たな始まりを告げるのか。それはまだ、誰にも分からなかった。

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