第一章 バナナの皮と王の眼差し
埃っぽい蛍光灯が、チカチカと頼りなく瞬いている。その光に照らされるのは、壁際に設置された金属製の棚と、その前に佇む一つの影。影は、のっぺりとした白い能面をつけていた。表情というものが削ぎ落された、滑らかな仮面。赤い、少し着古したスウェットの袖口から伸びる指が、棚の一番上の段に置かれたバナナの房から、一本をもぎ取った。
指は慣れた手つきで黄色い皮を剥き始める。しかし、現れた白い果肉には一切の興味を示さない。果肉は無造作に床に放られ、ぐちゃりと鈍い音を立てた。能面の主が関心を寄せるのは、その剥かれた皮の方だった。まるで貴重な美術品でも扱うかのように、両手でそっと持ち上げ、皺を伸ばし、形を整える。そして、棚の二段目に、丁寧にそれを並べた。隣には、すでに同じように処置されたバナナの皮が五枚、行儀よく並んでいる。今日で六枚目。コレクションは順調に数を増やしている。
能面の人物――ノノ、と彼女(あるいは彼?)は自分の中で呼ばれている――は、満足げに頷くような仕草をした。もちろん、仮面の上からは何も読み取れない。ただ、肩が微かに上下しただけだ。ノノは時折、何の脈絡もなく両手でピースサインを作る。それは喜びの表現でも、誰かに向けての合図でもない。指が自然とその形を作りたがる、ただそれだけのことらしい。今も、並べたバナナの皮を前に、虚空に向けてVサインを掲げている。
この場所は「集積所」と呼ばれている。ノノがそう呼んでいるだけで、正式な名称などない。街の片隅にある、忘れられたようなビルの地下の一室。持ち主不明の物、捨てられた物、意味を剥奪された物たちが、どこからともなく流れ着く吹き溜まり。金属製の棚はその象徴だ。
一番上の段には、今日ノノが手をつけたバナナの房と、なぜかエジプトの少年王の黄金マスクのレプリカが鎮座している。空虚な目が、ノノの奇妙な儀式を無感動に見つめている。あるいは、見ているようにノノには思えるだけだ。
二段目は、バナナの皮の陳列スペースになりつつある。
三段目には、様々な色や柄の傘が、まるで痩せた鳥の群れのように窮屈そうに押し込められている。ノノはこの傘たちを「雨待ち鳥」と呼んでいる。外の世界で本当に雨が降っているかどうかは、ノノにとってはどうでもいい。ただ、傘がそこにあるという事実、その「可能性」が重要なのだ。
一番下の段には、段ボール箱がいくつか無造作に積まれている。中身はノノ自身も完全には把握していない。時折、気が向いたときに箱を開け、中から新たな「収集候補」を見つけ出す。片方だけになった靴下、錆びた缶切り、宛名のない手紙。それらがノノの審美眼にかなえば、棚のどこかに新たな居場所を与えられる。
蛍光灯がまた一つ、大きく瞬いた。ノノはバナナの皮から視線を外し、今度は棚の横に立てかけてある古い姿見に目を向けた。鏡には、能面をつけた自分が映っている。赤いスウェット、ピースサインを作る両手。背景には雑多な棚。完璧な構図だ、とノノは思った。理由はない。ただ、そう感じた。
ふと、集積所の重い鉄の扉の向こうから、微かな物音が聞こえた気がした。誰かが廊下を歩く音だろうか。あるいは、配管を流れる水の音かもしれない。ノノは気にしない。この集積所は、外の世界とは緩やかに断絶している。ここに流れ着くのは「物」だけであり、「者」ではないはずだった。
ノノはピースサインを解き、やおらツタンカーメンのレプリカマスクに近づいた。そして、その冷たい金属の頬を、まるで愛おしむかのようにそっと撫でた。
「王様、今日も世界は順調に意味を失っていますよ」
能面の下から、くぐもった声が漏れた。それは誰に聞かせるでもない、独り言。あるいは、この集積所に漂う空気そのものに向けた報告のようなものだった。
王のレプリカは、もちろん何も答えない。ただ、そのガラス質の瞳が、蛍光灯の不安定な光を反射して、一瞬だけ鈍く光ったように見えた。ノノは満足し、踵を返すと、床に転がったバナナの果肉を踏み潰さないように注意深く避けながら、一番下の段ボール箱の一つに向かった。今日は新しい「お友達」を探す気分らしい。箱を開ける指先は、まるで宝探しに臨む子供のように、微かに震えていた。