私のお気に入りは、ヴ王陛下
当時、アニメ化した『最果てのパラディン』を視聴して書いたもの。この作品を視聴して、私は、コミック版の『風の谷のナウシカ』を思い出しました。
『最果てのパラディン』が何となく気に入って、視聴している。
今どき、こういう作品もなかったかなと、そんな感じ。
ナイーブな印象の主人公が、ものすごい一生懸命生きてる感じがいい。
この作品を視聴していて、マンガ版の『風の谷のナウシカ』を思い出しました。
共通項は「生きる」でしょうか?
私は、松本零士さんの座右の銘“時間は夢を裏切らない…”の意味が長い間分からないでいたクチですが、こういう作品には分かったようで分からないようで、格好良くて意味深な台詞というが
出てまいります。
ナウシカの「いのちは闇の中のまたたく光だ!」なんて、如何にもそういう台詞の一つで、分かったようで意味が分からない。
つまるところ、当時の読者だった私は“生きる”ってどういう事かがよく分かっていなかったらしい。
『最果てのパラディン』がこの先どういう展開になっているのかも知らないで、好き勝手なことを書いてしまいますが…。
主人公は、今どき流行りの異世界転生をはたし、輪廻の神に誓いを立ててその信徒になりま
す。
前世は引きこもりで何者でもなかった、生きているのに死んでいるような、そんな人生だったと独白する主人公は、“今度こそ生きて死ぬんだ!”と神に向かって誓うのです。
ええよね~。
いい。
昔は、こういう作品が多かった!
ここで、ナウシカの台詞を思い出したのです。あの“闇”っていうのは、つまるところ人生とか世の中とか、そういう物の事だったのかなと?
命は、その闇の中で一瞬でも光って死んでいく。
いえ、出来たら輝き続けて欲しいものですが、“またたいている”と言うんですね。
線香花火みたいに、ちらちらと。
宮崎駿は天才かと思いましたよ。
『風の谷のナウシカ』で私が一番好きな登場人物は、ヴ王陛下です。
武王とか醜王とか、そんな意味だったのかと思いますが…まず、ビジュアルが非道い、キャラクターは傲岸不遜、見るからに我執と我欲に満ち満ちた人物です。
その人物の前に、人間性を喪失させた“理想の人間”というのを持って来て、「そんなものを人間と呼べるか!」なんて否定させたのも、宮崎駿さんです。
つまり、宮崎駿さんは、ヴ王陛下の様な人物をこそ“人間だ”と主張するのです。
そして、印象の強いアクを煮詰めた様なその人物は、実は意外とまともで、最後は人間性を発露しながら死んで行くのです。
こっちは当時の私にも理解出来ました。
「これこそが人間の死だ」って、思いましたから。
いいえ、今なら「どんなに汚濁にまみれ醜く見えたとしても、生きるとはこういう事なんだ」と思うでしょう。
そんな感じで、人間、闇(人生)の中で光って見せたら、それが一瞬のことであったとしても“生きた”って言えるんだなあ…と、しみじみ思った次第です。
人生なんてこんなハズじゃなかったことだらけ、絶望だらけの真っ暗闇で当然だと。
しかも、ナウシカ(自分)はその中で光ってみせると…。
(最後に待っているのは闇だとも言っているけどね!)
光り続けるのは無理だな。
ときどき、たま~に光ろう。
残りは、生きているのに死んでいるような人生でいい。
ヴ王陛下万歳!
これくらい、色々な作品の名前を挙げたりすると、まずい時はまずいのでしょうか?