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ひまつぶしに書いた随筆  作者: 檻の熊さん
11/11

「時代が変わったんですよ」と、その侍は武蔵に言った。

 いえ、昔見た時代劇にそんなシーンがあったかなという、それだけの書き出しです。


 「犬のしつけ」と呼ばれるものには、明らかな流行がありました。

 そもそもが、海外情報です。

 日本国内には、その昔は「調教師」とか「訓練士」呼ばれる人たちが書いた、主に警察犬の訓練について書かれた情報とその劣化版(いわゆる「犬の飼い方」みたいな本)しかなかった中に、当時のバブル末期頃にかけて流行りだした血統書付きの犬の飼育が後押しする形で、海外の情報が入ってきたのです。


 その昔、1990年代の前半くらいまでは「アルファシンドローム(犬勢症候群)」というものが、よく言われておりました。

 有り体に言って、その情報しかなかったと思います。

 この方法の骨子は、「飼い主は群れのリーダーとして振る舞え」というものでした。

 飼い主は、犬に「なめられたら駄目だ」という訳です。


 少し違うのですが、飼い主は言わば「軍隊の鬼軍曹」として犬達を支配するべきという考えで以て、「犬のしつけ」の紹介が始まったのです。


 バックグラウンドを振り返れば、当時の海外の社会的背景の中に、人が人に対して「リーダーシップ」をとるべきという風潮があったのがベースだったのかなと思っております。


 さて、しつけの必要な「駄目な犬」とは何でしょうか?

 分かり易いところで、咬癖のある犬(人に咬み付く犬)、無駄吠え(人が居なくなると吠える)、物を壊す(屋内に犬だけを放しておくと部屋が壊滅する)といったものが挙げられます。

 これらは、今で言う「問題行動」です。

 英語からの直訳であれば「異常行動」とも書きます。

 「不適切な振る舞い(Bad Behabior)」と書く事も出来ます。

 日本語は厄介で、印象操作的に元の英語が何であったかを分からなくさせてしまう効果があります。


 問題行動のひどい犬たちというのは、当時の欧米では飼い主によって安楽死させられておりました。

 この点、日本人には理解しにくいのですが、あくまで飼い主が「責任を持って」、「駄目だ」となった犬の殺処分をしていたのです。

 当時の話、病気や怪我で死亡する犬の総数を、問題行動が原因で殺処分された犬の総数が上まわっているという統計が示され、行動学のプロフェッショナル、獣医師、訓練士といった人々が、問題行動を示す犬たちに積極的に取り組むようになりました。

 その初期の頃の成果が、上記の犬勢症候群だったのです。


 その後、おそらくは社会的な背景の変化が後押しするようにして、欧米では「ほめて伸ばすしつけ」というのが広まっていきます。

 現在、巷間でよく見かける「犬のしつけ」について書かれた本は、大体このテーマで書かれております。

 簡単に書いてしまえば、この方法は体罰を否定しております。

 犬を怒鳴ったりもしません。

 犬に強い恐怖を与えたり、苦痛を与える事でコントロールしようとしたりもしません。

 人の方で言われる、いわゆる児童虐待に当たる行為を全て否定しているはずです。

 骨子は、「犬のしつけも人の子育ても同じ、人間の子供で問題となる行為を犬に行うべきではない」といったところでしょうか。


 この方法は、従来の犬勢症候群で説明出来なかった、しつけが上手く行かない犬の行動を「かなり」コントロールして見せました。

 さらに、犬と人との関係性、付き合い方を変えたと言っていい「しつけ」の方法論でした。


 この2つが、欧米から我が国に紹介された「犬のしつけ」で、事実上犬勢症候群を示す犬というのは極めて稀ですから、後者こそが「犬のしつけ」であると成っていった訳です。

 この2つの「しつけ」は、理論としてはよくまとまっている訳ですが、言わば思想で主義です。

 つまり、当時の西洋の、時代的社会的背景が投影されて構成された「理想の犬」「理想の子育て」へのアプローチが、こういう物だったという事なのです。


 我が国、つまり日本には、犬を飼うという文化には西洋ほどの成熟はなく、どの家でも犬を飼うようになったのは、実は戦後になってからだと言われております。

 当然ながらしつけのノウハウに乏しく、なんなら「なぜ、犬にオスワリ、フセ、マテを教えるのか?」、その理由すら分からずに、なんとなく犬達に「芸」を教えていたくらいです。

 

 日本独特の犬事情について例示したいとき、よく引き合いに出されるのは「柴犬」です。

 当然ながら、この犬種は日本発で、元々海外で品種改良を経た末に作出された犬種ではありません。

 海外における様々な「犬種」とは、育種の概念によって作出された、能力、姿形、性格、行動を目的に沿った方向性で以て選抜淘汰を繰り返した努力の結晶です。

 日本犬というのは、明治の文明開化以降、西洋から流入した洋犬によって淘汰され始めた日本古来の土着の「地犬」を守ろうと、言わば絶滅しかかっている野生動物を守るかのように「保護」を試み、その姿形や性質を後世に伝える為に残された犬達です。

 言ってしまえば「原型」そのまま、日本犬には能力や性格による繁殖時の選抜淘汰なぞされておりません。

 極端な話、動物園の檻の中で展示して、「日本の犬」として遠くから眺めるだけでも良いくらいの元は野生動物みたいな生き物だったのです。

 ──実際、当時はそういう人の往来の無い陸の孤島と化している都会と隔絶した山村僻地まで分け入って、タネとなる犬達を探し出している。生き残っていたら、絶滅したニホンオオカミとニアミスしてもおかしくない場所にしか、既に当時、犬が残っていなかったのです。


 柴犬の飼育と「しつけ」には、海外からもたらされた方法論が、あまり上手く適合しませんでした。

 いえ、なんなら他の日本犬、北海道犬、紀州犬、四国犬についても同様です。

 しかし、「問題行動」は発生する、してしまう。


 海外の方法が、主義や思想に裏付けられた「教育論」に過ぎないのだという主張は、こういった犬達がいたから醸されていったものです。

 「なんとかしなければならない」けれど、その犬はよく吠えてみたり、人を殺す勢いで咬んだりするのです。

 外国にはピットブルのように闘犬として品種改良された犬種がありますが、そういう犬達とも違います。

 日本犬には家人に対する奇妙なまでの忠誠心(と呼ばれる行動)と、他人に対する警戒心が付きまといます。

 「素のままの犬」というのは、本来そういう生き物だったのです。

 この犬種に対応するための方法が、海外情報の中には乏しかったのです。

 お陰で日本人は、色々と試行錯誤をする様に成り、次第に日本語で整理された行動学が展開されていくように成って行ったのです。


 犬の飼い主には大きく3タイプくらいあるだろうと言われます。

 ひとつは、犬勢症候群の犬に対応させたら良いのではないかというような、犬に対して高圧的で、支配的で、服従を強いるようなタイプの飼い主です。

 一般に、あまりそういう犬はおりませんが、確かにそういう犬が居た場合、殴る蹴るをしてでも、近くで見ている人が居たら顔をしかめるほど犬を怒鳴り散らしてでも、犬を制御下に置いてもらわないと困る犬の飼い主としては、こういうタイプの方が適しているのではないかと思われます。

 ──嫌な話ですが、今どき、こういう犬は殺処分されてしまうかもしれません。「毒を以て毒を制す」とでも言うのか、そうでもしなければ飼えない犬達の入る隙間が、ここで、マイノリティの住処となっております。


 つぎに、今どきの飼い方をする飼い主のグループというのがあると思います。

 つまり、暴力的な空気の存在しない、「ほめて伸ばす」しつけをしている人と犬達です。

 今風の飼い方をする場合、おそらくその犬達は社交的で、比較的犬同士の仲が良く、人間に対しても攻撃的な振る舞いをしません。

 根本的に、そういう事が出来る犬種が残り、飼い主達もそういう犬の扱いをする人たちが共通認識で以て犬を中心に集まってコミュニティが形成される傾向があります。

 前提として、「全ての犬をこのグループの中に入れる事は出来ない」という事実が、何処かに行ってしまいがちに成る傾向があります。

 「どんな犬でも、そのように育てたらそうなるのではないか?」と考える人たちが、思想を宗教の様に普及させてしまい、逆に犬同士の咬傷事件など悲しい出来事を生み出す原因になる事があります。

 ただし、世間でもこの飼い方が出来る犬種が好まれる傾向があるので、大多数の飼い主と犬達には、知らずにこのグループに属しているというのが実態になると思われます。


 「第三群」とでも呼べば良いのでしょうか、近頃では3つ目の集団がある事が明らかです。

 人間でも「子供を叱れない親」というのがありますが、ネグレクトとも違う、上手くしつけに当たる行為が出来ないで、子供(犬)の言いなりになってしまう親(飼い主)というのが、かなりおられます。

 こういう方達は「消極的な飼い主」と呼称されたりします。

 「ここはこうしろ」とまで言って、技術指導をしても、その通りに出来ない。

 「しつけ」が「しつけ」として機能しない。

 「しつけ」を放棄しているようにも見えるし、放任主義という風にも見える。

 ある意味、子供(犬)は、特に修正される事なく成り行き任せにのびのびと育つ。

 ──こういう人たちが、見た目重視で、能力性格などの話を全て無視して柴犬を買ってくる。

 全てが成り行き任せですから、「その犬を良くする」という話は何処かに行ってしまい、犬の飼育だけが継続されていきます。

 事故さえ起きなければ、それでも…?

 日本の一番平均的な飼い主像は、大概このグループに収まる。


 私が、「時代が変わった」と思うのは、今でも「体罰厳禁」と言って犬を褒めてしつけるスタイルを守ろうとする、思想的な情報を配信している方達はたくさんおられますが、同時に、犬のしつけのスタイルには上述の3つのグループがあり、そのいずれかに適合する犬種が存在するので、飼い主は自信の性質と選択するべき犬種を、「この3群の中から選べ」という事を言う人がいる様に成ったのです。

 一概に体罰を禁止するでなく、猛烈な犬とのアタッチメントを要する傾向のある「ほめて伸ばすしつけ」を選択するでなく、「ただソコに居れば良い」という飼育としつけもアリなのだと、今では言う人たちが居る時代になったという事です。


 理論武装した海外の情報が、日本国内の実情の中で吟味され、少しばかり熟れてきたと感じるように成りました。

 だからこそ、この随筆のタイトルは「時代が変わったんですよ」なのです。

 いいえ、実は人間の子育てに関する海外情報に由来する、外挿なんだそうです。


 よりフレキシブルに、現状に即した「子育て」が行われる様に成ってきた事に、違いはないんですがね。



 

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