魔王の間のすぐ横でおっさんがシチューを売っている
勇者はついに魔王の間へたどり着いた!
長く苦しい戦いに、いよいよ終止符が打たれようとしている!
「ふぅ……ようやくここまで来たな」
勇者は額の汗をぬぐう。
旅立ちの日は幼い少年だった彼は、幾度となく死線を乗り越えて歴戦の勇者としての風格を備えていた。
「ああ、ついにこれが最後の戦いだな」
勇者の肩に手を置くのは戦士。
彼のライバルでもあり、唯一背中を任せることのできる戦友だ。
「私たちの冒険ももうすぐ終わりなんだね。
そう思うと少しだけ寂しいかな」
魔法使いの女性が言う。
彼女の魔法には何度も助けられた。
「確かに少し寂しくもありますね。
ですが、使命を果たさねばなりません。
世界に平和をもたらさねば」
穏やかな表情を浮かべた初老の男性。
彼はパーティーのヒーラーを務める僧侶だ。
四人はいかなる時も手を取り合い、困難に立ち向かってきた。
いくつもの障壁を乗り越え、ようやく魔王の間までたどり着いた彼らの物語もあと少しで終わる。
「なぁ……魔王の間ってここだよな?」
目の前にある巨大な扉を指さして戦士が尋ねる。
「ああ、他に扉なんてないだろ?」
「いや……そっちに小さい扉があるんだ」
「……え?」
勇者が視線を向けた先には、確かに小さな扉が一つ。
守衛室と書かれた板が貼ってある。
「見張りのための部屋だろ、きっと」
「ああ……そうだろうな。多分。
あとさ……」
「まだ何かあるのかよ?」
いよいよ最終決戦だと言うのに、何かに気を取られて落ち着かない戦士。
そう言えば……他のメンバーも何かを気にしているようで、明後日の方向をチラチラとみている。
いったいどうしたというのか?
「なぁ……みんなどうしたんだよ?
これから魔王との決戦なんだぞ。
気を引き締めて――」
「いや、あれを見てくれよ」
再び小さな扉を指さす戦士。
それはさっき確認したが……。
うん?
戦士が指さしたのは、小さな扉があるさらに先。
その奥で何者かが釜を火にかけてぐるぐると中身をかき混ぜていた。
モンスターが魔法の薬でも作っているのだろうか?
魔王の間の目の前で?
なにかの罠かと思って近づいてみると、それがモンスターではなく、人間だと分かった。
作業着姿のおっさんが一心不乱に何かを煮込んでいる。
いったい何を――
「なぁ……すごく良い匂いがしないか?」
「ええ、とってもいい匂い」
「食欲をそそりますなぁ」
三人とも変なことを言い出した。
確かにとってもいい匂いなのだが、これは確実に罠だろう。
匂いで感覚を鈍らせているのだ。
そうに違いない。
勇者は警戒心を一層強め、そのおっさんの正体を確かめるべく、剣を抜いて近づいていく。
「おい、お前。こんなところで何をしている?」
「シチューを……作っています」
おっさんはそう答えた。
彼の服装はとても清潔で、白い作業着にマスクに手袋と、衛生管理は徹底されていた。
食べ物を作る時にふさわしい姿だ。
「シチューだと?」
勇者は眉をひそめる。
確かにこの匂いはシチューだ。
釜の中を覗き込むと、中はまごう事無きホワイトシチューで満たされていた。
よく母が作ってくれた。思い出の料理。
謎のおっさんは一人で黙々とシチューを煮込んでいる。
魔王の間の目の前で。
なぜだ。
「はい、シチューです」
「なぁ……わけを聞かせてくれよ。
どうしてこんなところでシチューなんか作ってるんだ?」
「趣味です」
「え? 趣味!?」
意外な返答だった。
「はい。
ここに来た勇者様ご一行に、
高値でシチューを売りつける仕事をしています」
「え? は?」
「どうですか?
一杯5万ゴールドですが」
「5万!?」
シチュー一杯の値段としてはあまりに高額である。
しかし……場所を考えれば当然かもしれない。
なにせここは魔王の間の目の前。
人類にとって最も到達が困難な場所の一つ。
必然的に費用もかさむのだ。
富士山の頂上で売ってる水がやけに高いのと同じである。
「で、どうですか?」
「え? どうとは!?」
「買いますか?」
「ええっ……」
勇者を始め一同は戸惑いを隠せない。
いざ、最終決戦に臨もうとするこの場で、まさかシチューを買えと迫られるとは。
いや……強要されたわけではない。
あくまで購入の意思を確認されただけだ。
「なっ……なぁ、どうする?」
「私に聞かれても……」
「拙僧には罠としか思えません」
「だよなぁ……」
真っ先に考えらえる可能性は魔王の罠。
餌につられた勇者たちに毒を持って、戦わずして勝利を収めるという寸法だ。
こんな幼稚な手に引っかかるはずもない。
しかし……おっさんは警戒している勇者たちをしり目に、一口分小皿によそって味を確かめる。
「うーむ。うまい」
満足そうに頷くおっさん。
どうやら毒は入っていないらしい。
確かにすごくおいしそうではある。
ホワイトシチューで満たされた釜の中には、ゴロゴロとした食材が浮かんでいる。
にんじん、ジャガイモ、玉ねぎ、とりにく、ブロッコリー。
いくつもの食材が調和して、白い海を泳いでいる。
立ち上る香りは空になった胃袋を刺激して、腹の虫を呼び覚ます。
誰もが物欲しそうな表情でお腹をさすっていた。
思えば、魔王城に突入してからまともに食事をとっていない。
携帯用の固形食や清めた水を少しばかり口にしただけで、ほとんど戦いっぱなしだった。
魔王の間は最も攻略が困難なダンジョンの一つ。
呑気にキャンプなんて設営出来ないし、襲撃を警戒してろくに休憩だってとれない。
ずっと緊張しっぱなしだった彼らは、次第にシチューから立ち上るいい匂によって、頑なだった心が開かれて行くのを感じた。
「なぁ……ちょっとくらい、いいんじゃないか?」
戦士がぽつりと言った。
「バカ! いいはずないだろ!」
慌てて彼の言葉を否定する勇者。
ここで心が折れてしまったら負けだ。
「だっ……だけど……」
「ダメなものはダメだ!
どう考えても罠に決まってるだろ!
それに……よく見てみろ!
お前の嫌いな玉ねぎが入っているぞ!」
「うっ……確かに!」
戦士は玉ねぎが嫌いだ。
あの形と匂いを想像するだけで涙が止まらなくなる。
「わっ……私はにんじんが苦手!
だから食べられないね!
あーあー! 残念だなぁ!」
「拙僧は鶏肉が苦手ですぞ!」
「俺はブロッコリーが嫌いだ。
ふんっ、残念だったなぁ……おっさん!
俺たちはお前のシチューを食べられない。
苦手な食材が沢山入ってるからなぁ」
勇者は勝ち誇ったように言う。
彼の言う通り、シチューにはメンバーが苦手とする食材がふんだんに使われていた。
危うく空腹に負けるところだったが、これでなんとか正気は保てる。
魔王決戦の直前にシチューなど正気の沙汰ではない。
しかし……おっさん。
彼らの言葉を聞いてニヤリと笑う。
「俺の作ったシチューはね。
苦手な物なんて全く気にならなくなるくらい。
とっても美味しく仕上がってるのさ。
騙されたと思って食べてごらんよ。
勿論、試食分のお代はとらないよ」
おっさんはそう言って、小さな器にシチューをほんの少しずつよそって四人の前に並べていく。
中にはそれぞれ、玉ねぎ、にんじん、とりにく、ブロッコリーが入っていた。
「「「「……ごくり」」」」
生唾を飲み込む四人。
たとえ苦手な物であっても、空腹には勝てない。
目の前に差し出された器を凝視して目が離せなくなり、ついには無言で器を手に取った。
「おっ……おい!」
唯一勇者だけは誘惑に打ち勝ち、戦士の肩をつかんで思いとどまるよう声をかけた。
だが――
「すっ……すまん! がまんできねぇ」
あれだけ意志の強い男が、一杯のシチューによっていとも容易く屈してしまった。
彼は思うがまま玉ねぎごと器の中身を口の中に流し込む。
「あっ……あっつ!」
戦士が感じたのは強烈な熱さ。
やけどしそうなほど熱を帯びたシチューが口の中で踊る。
はふはふと空気を取り込んで熱を冷ましていると、玉ねぎがトロリと溶けていくのが分かった。
柔らかくとろけた玉ねぎは、繊細な甘さで優しく舌をつつみこむ。
晴れた日に干したお日様の匂いがするお布団のよう。
身体が欲していたエネルギーの塊。
玉ねぎはシチューの中で太陽になっていたのだった。
「ああ……おいしい……玉ねぎがこんなにおいしいなんて!」
戦士は食べながら涙を流す。
今まで食わず嫌いしていた玉ねぎが、美味しくて、美味しくて。
思わず心のなかでゴメンナサイをしてしまった。
「ごめん、私も我慢できない!」
続けて女魔法使いがシチューを口にした。
ごろっとしたにんじんを口の中でかみ砕いて行くと、小さな粒になってシチューとともに広がって行く。
驚くべきことに、このにんじんからは独特の生臭さは感じなかった。
広がるのは芳醇な土の香り。
大地に深く根ざし、栄養を蓄え、立派に育ったにんじん。
太陽の光を浴びて元気いっぱいに育ったそれは、はじけるような甘さを秘めていた。
幼かったころ、好き嫌いが激しかった彼女は、決してにんじんを食べようとしなかった。
苦手だった思い出を引きずったまま大人になって、本当のおいしさを知らなかった。
口の中で崩れるように消えていくにんじんを名残惜しそうに味わい、一思いに飲み込むと、お腹の中が幸せで満たされて行くのを感じる。
ああ……これがにんじんなんだ。
これが大地の恵みを食べることなんだ。
彼女は本当の意味で”食”の本質を味わったような気がした。
「ううむ……では、拙僧も……!」
覚悟を決めて僧侶もシチューを食べることにした。
シチューの白い衣をうっすらと纏ったとりにくは、つやつやとした真珠のような輝きを放っている。
彼は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
大っ嫌いな食材のはずなのに……なぜ。
僧侶はどうしてもとりにくが食べられず、幼少期は辛い思いをした。
親や兄弟からはとりにくを食べないと強い男になれないと言われ、それではいっそのこと出家してしまおうと思い切り、信仰の道を選んだのである。
進路を変えてしまう程の影響力をもったとりにくだが、いま再び彼の人生を変えようとしていた。
僧侶は目をつぶって一思いに注がれたシチューを口に含む。
とりにくをかみ砕くと、その身はほろほろと崩れ、中からはジューシーな肉汁があふれ出て来た。
ごくりと飲み干した瞬間に体中が熱を帯びて、細胞が動物性タンパク質の摂取に喜び打ち震えているのがわかる。
これが……これが欲しかったのだ。
今まで私の人生に足りなかったのはこれだ!
正に悟りの境地に至ったかのような心持。
僧侶は深く、深く、感謝した。
命をありがとう。
ごちそうさま。
「うう……残るは俺だけか」
他の三人が次々とシチューを試食し、見たこともないリアクションをしているのを目の当たりにした勇者。
これには毒ではない特別な何かが仕込まれていると確信する。
そう、薬物の類である。
このシチューには人を幸福感に浸らせて、脳内物質の分泌を促進する物質が混入されているに違いない。
そんなものを食べてしまったら、もう元には戻れないはずだ。
薬物ダメ、絶対。
そんな自分の思いとは裏腹に、身体が勝手に動き始めた。
肉体がシチューを欲している。
ブロッコリーを食べろと俺のソウルがささやいている。
勇者は結局、ブロッコリーを口に含んでしまった。
「…………っっっ!」
ブロッコリーを口にした瞬間。
勇者の双眸がかっと見開かれる。
これは……ブロッコリーだ!
まごう事無きブロッコリーだ!
かつて勇者が幼かったころ。
ブロッコリーがどうしても苦手で、食べることが出来なかった。
村の子供たちからは、食べ物を残す不届きものとののしられ、大人たちからも不届きものとして叱責を受けた。
誰も助けてくれず、味方にもなってくれず、ブロッコリーが食べられないことで、辛い幼少期を過ごしたのだ。
勇者となった今、彼は魔王を倒したあかつきには、ブロッコリーの根絶を訴えようとさえ思っていた。
それほどまでに憎んでいた食材なのに……!
口の中で崩れていくブロッコリーは、あの独特な舌触りと、独特な風味を残していた。
だが……ホワイトシチューが優しく包み込んでくれたお陰で、苦手だった要素は消えてなくなり、それどころか、全く別の食べ物にさえ感じられたのだ。
純白のドレスを身に着けたブロッコリーは優しく微笑んで勇者を抱きしめてくれた。
温かくて、嬉しくて、孤独感が薄らいでいく。
俺はどうしてブロッコリーを憎んでいたのだろう。
こんなに素晴らしい料理があることも知らず、今まで生きて来たのは大きな損失だったかもしれない。
ブロッコリーがこの星から消えてしまえばいいとさえ思っていたが……今は違う。
ブロッコリーは無くてはならない存在だ。
何故なら――
勇者は釜の中に視線を向ける。
その中に泳ぐ、玉ねぎ、にんじん、とりにく、じゃがいも。
そして――ブロッコリー。
そう、ブロッコリーだけが唯一の緑色。
緑が無くなってしまったら、ただの白い汁になってしまう。
ブロッコリーはシチューに彩を添えて、美しい世界を作り上げているのだ。
ブロッコリーのないシチューはシチューとは言えない。
彼女こそがシチューの主役と言っても過言ではないだろう。
「ありがとう……」
勇者はおっさんに握手を求めていた。
「こんなにおいしいシチューがあるなんて。
俺は今まで知らなかったよ。
ぜひ、お代わりをお願いしたいんだが、いいか?」
「へい、毎度。いっぱい5万になりやす」
勇者たちは財布をひっくり返し、所持金を全ておっさんに渡してシチューを購入。
何杯ものシチューをおかわりして、満足いくまで食べ続けた。
「「「「ごちそうさまでした!」」」」
釜の中のシチューをすっかり食べつくした一行は、この世のものとは思えない幸福感を味わっていた。
それは薬物による快楽ではなく、純粋に、食によってもたらされた幸せだった。
おっさんの作ったシチューは、ただのおいしいシチューでしかなかったのだ。
「お金は無くなったけど、これで魔王と心置きなく戦えるな!」
「おう! 体力は満タンだぜ!」
「私も元気百倍!」
「拙僧もギンギンですぞ!」
すっかり元気を取り戻した一行は、最高のコンディションで最後の戦いに臨むことができる。
……はずだった。
「おい! 何だよこれ!?
魔王と戦うのに100万ゴールド必要って!
意味が分からねぇんだけど!
金とんのかよ!」
魔王の間の扉にはお金を入れる箇所があり、100万ゴールド課金しないと開かない仕組みになっていた。
シチューで散財した一行には、扉を開くだけの所持金がなかった。
「おい! 魔王! 出てこい!
俺たちと戦えボケ!」
何とか扉を開こうと蹴ったり殴ったりするが、ビクともしない。
ようやく罠だと気付いたころには、おっさんは姿を消していた。
「くっそぅ……なんでこんなことに!」
「仕方ねぇ、出直そうぜ」
「次はもっとお金を持ってこないとね」
「カジノで稼ぐとしまぞ~」
魔王の間の扉を開くことを断念した一行は、とぼとぼと帰路につくのであった。
◇
「魔王様、もう大丈夫ですよ」
おっさんが声をかけると、魔王の間の隣にあった『守衛室』の小さな扉から、大柄の角をはやした毛深い海水パンツ姿のおっさんが姿を現した。
「ええっと……勇者たち帰った?」
「はい、諦めたようです」
「よかったー! 今回も助かったよー!」
嬉しそうに微笑んで両手でおっさんの手を握る魔王。
おっさんは魔王が雇ったエージェントだった。
平和的に問題を解決しようと考えた魔王は、どうにかして勇者たちにお引き取り願おうと考えた結果、プロにお願いすることにしたのだ。
エージェントたちはダンジョン建設のプロフェッショナル。
ゼネコンで鍛えた建築技術と、卓越したコンサルティング能力によって、どんな勇者も簡単に帰宅させる。
まさにプロの集まりなのだ。
「まさか守衛室が真の魔王の間とは思わなかったでしょう。
これでまた、しばらく時間が稼げますよ」
「でもまたすぐにくるよね?
次はどうするの?」
「ふふふ……」
おっさんは不敵に笑って、まぁるくこねた生地を取り出す。
そしてそれをクルクルと指先の上で回転させて薄く延ばし始めた。
「次はピザ窯を用意して、アツアツのピザでオモテナシしますよ」
「もしかしてパイナップルとか乗っけちゃう?」
ワクワクしながら魔王の質問におっさんは急に真顔になって答える。
「ばかじゃねぇの?」
ピザにパイナップルはダメ、絶対。
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