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かつて恋人だった私たち  作者: 橘霧子
9/11

9.

「だぁーーーッはッはッはッ!!!! とうとうやりやがったか、あのバカ男!! そうか、そうか、女がいるとは思ったけどねぇ。子供もかい!! さすがは、かのグロスター元伯爵家のご令息だ!!」

「ひどいわッ、笑い事じゃないのよ!?」


誕生日のすっぽかしどころか、一連のヘンリーの不始末を聞いて、体を大きく揺すって楽しげに笑うセーラに、マリアが口を尖らせて抗議した。


「笑って悪かった。ごめん、ゆるして」


目尻に滲んだ涙をぬぐい、セーラはマリアに手を合わせる。

それから席を立ち、店の奥――母屋から別の菓子を皿に盛り付けて持ってきた。今度は名店の菓子で、得意先と長時間話をするときに出すもの。要するに、雑談として聞き流すのではなく、じっくり腰を据えて話そう、との意思表示のつもりだ。


「あら、美味しそうね」

と、マリアが皿をうけとった。

偶然にも、マリアの好物のチョコレートをたっぷり使った焼き菓子だったと気づく。今日来店予定の客に出すつもりだったが、かまいやしない。

細々とした要求の多い面倒な客と、親友を天秤にかければどちらに傾くかなど考えるまでもないのだ。


店の入口に『休憩中』の札を出してカウンターに戻れば、見事な八の字眉毛のマリアがセーラを見上げる。思わず「ブフッ!」とセーラは吹き出してしまう。

その横には、苦い顔で腕を組むエルネストだ。


言わずもがな、セーラはヘンリーが大嫌いだ。


ヘンリーを紹介されたのは、セーラが親元を離れて別の魔道具士に弟子入りしていた頃で、マリアは社会に出たばかりの頃だった。

すでにマリアにはヘンリーを神聖視するきらいがあって、その姿は盲目的に恋に溺れる少女のようだった。


セーラには、ヘンリーがキラキラ輝く王子様や、マリアに尽くす紳士に見えたことは一度もない。それどころか、自称実業家という、実態がなにも見えないヘンリーの肩書きや、現実味のない発言に胡散臭しか感じなかった。


どうしてこんな男を。


真面目で弁が立つが、その内面は初心で世間知らず。それがマリアの本質だと、セーラは熟知している。

ヘンリーの軽薄さは、そのどちらにも似つかわしくない。女の第六感が、そう警鐘を鳴らした。


騙されているんじゃないか?――そんなセーラの悪い予想を裏切らず、結婚後もヘンリーはマリアに寄生しながら家長として君臨し続けるクズ男っぷりを発揮し続けたが、マリアはそれに耐えた。


「あの人はね、やる気を出せばできるのよ」


そう、恋する乙女のような眩しい笑顔で語られてしまうと、好きという感情だけで結婚し、仕事が好きだから結婚後も続け、子供が欲しいから生んだ――そんな単純な世界で生きるセーラがつむげる言葉などなかった。


夫と妻が対等で、常に家族の幸せを願い、共に生活のために働く。それが当たり前のセーラには、マリアの言うところの『やる気を出すべき時』とやらは、結婚後の毎日のことを言う。

一方的に夫に尽くすことを『搾取』と『無償の愛』のどちらに定義するか。たとえ親友であっても、必ずしも同じではないし、違うからといって軽々しく意見するのも憚られた。

それ故に今まで口にしたくてもできなかったことが、ヘンリーという男のメッキが剥れた今、ようやく全てぶちまけることができる。

そう思うと、マリアには申し訳ないが、気分が高揚しているのを自覚しているセーラだった。


さて、あのクズ男をどうしてくれようか。

再びカウンターの中に腰かけ、セーラは菓子に手を伸ばすエルネストに微笑みかけた。


「いやいや、こういうのは何て言うんだっけ? 男の甲斐性? なぁ、色男?」

「んなわけあるか。男の俺にも理解できん。一緒にしないでくれ。……にしても、その子供は本当にヤツの息子なのか?」

「調べた訳じゃないけど、目なんかそっくりなのよ。全体的にも、うちの子たちより似ているわね」

「まぁ、あんたの息子らはどちらかと言えば、あんたに似ているけどさ。なるほどね。じゃあ間違いないだろうよ」

「おい、もう少し言葉を選べ」

「選んだところで、何も変わりはしないよ。なぁ、マリア」

「そうだけど……今は少しだけ、気遣ってほしいわ。私、家では平気なふりをしていたけど、これでも混乱しているし、何より傷ついたのよ……?」

「そーか、そーか、可哀想に。おいで、抱き締めてあげよう」


おちゃらけて両腕を広げるセーラに、マリアも口元を緩めた。

学生時代なら、喜んで飛び付いた。いい年の大人になった今は、おふざけでもしない。


「残念だけど、必要なのは慰めよりもアドバイス。全員まとめて追い出すのは簡単だけど……愛人が妻のいる家で寝泊まりするなんて、普通じゃないもの。事情があるんじゃないかって思うの」


おっと、とセーラはわずかに肩を竦めた。

さんざん尽くした夫に隠し子がいたというのに、どうやら物事はそんなに簡単には進まないようだ。


「おい、待て。悩みっていうのは『どうとっちめるか』じゃなくて、『どうやって共生するか』なのか?」

「そうよ? 詳しい話は今夜するつもりだけど、あらかじめ相手の出方を想定して対策をしたいじゃない?」

「待て待て! どうしてそうなる? まずは追い出せよ」

「え、それはかわいそうじゃない」

「かわいそうって……」


エルネストは言葉につまった。予想外のマリアの思考に、思わず頭を抱えて、天敵のはずのセーラに縋る。


「あれ?……俺が間違っているか? 普通は怒って追い出すだろ? 違うか? あれ? 俺が非道なのか?」

「やめておけ、色男。こいつの性格はよーく解っているだろ? ろくに働かない夫と憎き愛人と言えど、放り出したら割を食うのは子供だー、とか考えてるのさ」

「そうなのか……?」

「えぇ、そうよ。だって、子供には罪はないじゃない。別に家に居たいならそれでもいいのよ? 部屋はあるもの。ただ、家族と同様の扱いは無理ね。生活費、その他諸々は完全に分けて欲しいわ。だって、私の家族ではないから!」

「嘘だろ……お人好しすぎるだろ……」

「あんたはそうだろうよ」


だからあんな男のために20年も尽くせたのだ――そう呟くセーラの声を、言い合う二人は聞いていない。




セーラとマリアの出会いは、寄宿学校だった。

元貴族や大商人、高位官僚の娘ばかりが集められたそこに、一介の道具屋の娘が一人。さすがに両家のご令嬢の集団だけあって、苛められることはなかったものの、居心地のよい環境ではなかった。

そう、あれは苛めではなく、区別だ。


道具屋といっても、王国時代にはそれこそ建国当初から宮中で重用された由緒正しい御用達だった。

新政府が樹立したおりに当主だった曾祖父は、やっとお役御免と喜んだのもつかの間、再び権力者に取り込まれそうになるところを奇跡的な勘の力で逃れ、それまで蓄えていた財産を惜しみなくはたいて4区の土地を買い漁った。そこに建てられたのが今の魔道具店だ。


気位の高い同級生には、その4区生まれという生い立ちが引っ掛かったのだろう。学内においてセーラは誰とも接点を持つことなく、まるで大海の孤島のようにぽつんと隔絶されていた。

彼女たちにとっては、新政府がダグラス魔道具店を繋ぎ止めるべく、セーラの意思に関係なく入学させられた事実など、どうでもよいことだったのだ。


誰の視界にも入れず、誰とも言葉を交わせず、同じ空間に確かに居るのに、一線をひかれる日々。

親の立場や出自によって区別するのが当たり前の彼女たちにとって、それは一欠片の悪気のない自然の行いだった。

使う者と使われる者。

馬鹿馬鹿しいが、価値観が違う者同士は決して相容れない。


名家のご令嬢であれば、そんな孤独にひっそりと涙したのだろうけど、あいにく下町育ちの雑草である。気の合わない面々に愛想を振り撒くことさえ面倒で、むしろ喜んで孤立を選択した。


放課後は宿舎に戻って自室で過ごすだけの生活で、セーラは思う存分、祖父や父の作った魔道具を解体し、構造を調べ、研究した。


王国時代の影響を受けた祖父の作は、こった意匠や複雑な構造で高性能、高品質。

下町での生活にどっぷり浸かっている父の作は、意匠も機能もシンプルで、安価。

解体して内部構造を知れば知るほど、それぞれの強いこだわりや研究の成果を伺い知れ、魅了された。

私も祖父や父のような立派な職人になりたい――その思いは募り、やがて学内でも暇さえあれば魔道具をいじるようになっていた。


そんな生活をしていると、教師たちも気安くなるのだろうか。そのうち、備品や個人の持ち物である魔道具の修理を依頼されるようになった。


本格的なものはまだ資格のないセーラにはできなかつったが、魔力回路の調整程度の不具合であれば、家業を手伝ってきたセーラには造作もない。

教師から預かった自動記録手帳を調べていると、手元を覆うように黒髪の少女がぬっと頭を突っ込んできた。


「な……ッ。ちょっと、アンタ邪魔だよッ」


無遠慮に頭を押し返す。

押し返された少女――マリアは、乱れた髪をさらりと整え、目を輝かせてセーラを仰ぎ見た。


「すごいわ、セーラさん。あなたは魔法の手を持っているのね!」

「……何言ってんだ、あんた……」


呆気にとられている間に、手元の手帳を奪われる。

と、同時にマリアからは矢継ぎ早に質問が飛んできた。


セーラはマリアの手から手帳を奪い返し、投げかれられたままの質問に全て答えた。答えないことで、解らないと思われるのは癪だった。

どうせクラスで一人だけ違った行動をするセーラに、気まぐれに声をかけたに違いない、と侮ったのが間違いで。意外なことにセーラが語る魔道具の仕組みやメンテナンスの手順にも、マリアは真剣そのものといった表情でじっと耳を傾け、疑問に思ったことは遠慮なく質問した。


変なやつ。

それが第一印象だ。

位官僚の娘と言えば、生徒の序列ではトップクラスにいるはずの令嬢が、中身はこんなに訳が解らなくて、『ちんちくりん』だとは。


魔道具の知識など、マリアにとって何の意味もないはずだ。

そんなつまらぬことにさえ、好奇心むき出しでぶつかってくるマリアとの会話は、久々に血の通った言葉の応酬で、俗っぽく言ってしまえば、この時、セーラは『ちんちくりん』令嬢のマリアに『墜ちた』のだった。


人生がバラ色になる瞬間があるとしたら、マリアとの出会いこそがそれと言っても過言ではない。

マリアを通じて他のクラスメイトとも言葉を交わすようになり、遅ればせながら少しずつクラスに馴染むことがてきた。

もちろん境界線を引かれて排されることが皆無でははなく、結局卒業までわかりあえない生徒もいたが、それはどの社会でもあり得ることだ。今なら、それが理解できる。


大海の孤島でしかなかった自分の元に、マリアが気まぐれな旅人のように突然現れたことで、義務としてそこにいるだけだったセーラの灰色の世界は、鮮やかな色彩を得て光り輝いた。

10代という無限大にエネルギーがあるくせに、視野が狭くて考えも行動も至らない年頃に、殻に閉じこもらずに破茶滅茶に楽しい少女時代を過ごせたのは、全てマリアのおかげだと、今でも感謝は尽きない。




遠い記憶から目の前の友人に意識を戻したセーラは、さて、と思案する。

良妻賢母のお手本のような友人は、憎むべき愛人の子でさえ、母の手を差し出そうとしている。

慈愛と言えば聞こえはいいが、マリアはいつも度が過ぎるのだ。何事にも、それぞれが持つべき領分がある。それを超えれば単なる非常識ではないか。


善人病――と、共通の友人のキーラは名付けているが、なかなか皮肉が利いて言いえて妙である。

マリアの場合、単なるお人好しではなく、病的に弱者に対して献身的なのだ。


乾きを訴える者に水を差し出すのはいい。地位と金がある者であれば、さらに肉とパンを差し出す程度もするだろう。

だがその上に家や仕事を無条件に与え、余るほどの食料を与え、薬を与え、さらにゆとりと称して遊ぶ金まで与えてしまう。与えられるだけで生きていける生活は、人を怠惰にする。

そのいい例がヘンリーだ。

もっとも、妻に依存して好き勝手に生きるヘンリーを弱者と称するには、いささか疑問がなくもないが。


「優しいのがあんたの取り柄と解ったうえで言うけどね。相手はヘンリーが妻帯者と知っても関係を続け、子供を産むような女だって事を忘れちゃいけないよ。

あんたにとっちゃ世界中の子供は可愛い、愛すべき存在だとしてもさ、産んだ以上はその責任を負うべきは親だけじゃないのかい。

あんたのことだから、自分の子供と同等まではいかずとも、それなりの衣食住と教育をあんたが用意するつもりだろうけど。

はっきり言うよ。それはやり過ぎだ」


表情を険しくするマリアに向けて、セーラはさらに続けた。


「他人のあんたが、親ができる以上のことをやっちゃダメなんだよ。

ヘンリーと愛人とやらがどれだけ金を持っているのか、私は知らないけどね。奴らが一区で生活しうる財力があるならそうすればいいし、できなきゃできないで出ていくのも仕方ない。3区にも4区にも、いくらでも安い家や学校があるしね。

仮に当面の住居だけでも世話するにしても、あんたの家族でもない者を家族と同等に養う義理も義務もない。

そこは区別が必要なんだよ」

「まぁ、そうだな。お前が大人のゴタゴタを無視して子供に手厚い教育の場を与えるにして、いつまで続けるつもりだ? 今だけのことか? それとも大学まで面倒を見るつもりか?

はっきり言うけどな。最後まで責任を持てるのか? 途中で放り出すのは無責任だし、かと言って大学まで出すのはやり過ぎだぞ」

「じゃあ、どうすればいいと言うの……?」

「答えは出ているだろ。お前は何もするな」


エルネストの指摘に、セーラはだまって頷いた。


「えぇぇー!!」

「……いや、そこは納得しろよ!?」

「あんたは『アドバイスが欲しい』といっただろ? わたしもエルネストも゙、もう結論は言っているんだよ。後はあんたがそれを受け入れるか、無視するかだけさ」

「無視なんて……」

「わかってる。あんたはそんなこと、しないよね。でも、事は重大なんだよ。

今あんたがすべきことは人助けじゃない。まずは夫婦の問題を片付けるのが先だろ? この先、あのクソ旦那とどうするのか。それを決めずして愛人の子供の生活も何もあったもんじゃない。

今のあんたはね、一番大事な問題から目をそらして、どうでもいいことに首を突っ込んで騒いでいるだけさ」


セーラの鋭い言葉に、しばらく誰も言葉を発せずにいた。


議論は途切れ、小休止のような時間が過ぎていく。

マリアは叱られた子犬のように小さくなっていた。

セーラは澄ました顔でカップに口をつけ、エルネストがしきりにしかめっ面で『言い過ぎだ』『フォローしろ』――と、アイコンタクトを送っていた。


なんとも気まずいことになってしまったものの、セーラとて、言いたいことを言ってしまったので、これ以上の言葉が見つからない。かと言って下手に慰めることは自分の発言と矛盾する気がして、結局、黙っているしかないのだ。


会話を途切れたのを見計らって、工房に下がっていた弟子がセーラにそっと耳打ちする。

どうやら、この時間に打ち合わせを予定していた面倒な客が、しびれを切らせて弟子たちに文句を言っているようだ。

セーラは弟子を下がらせ、パン、と手を打った。


「悪い、時間切れ。予定の客が裏で騒いでいるみたい」

「いや、こっちの話はもう終わっているからな。ダラダと居続けて悪かった。先客があったのに突然来たのも良くなかったな」

「それは構わないよ。誰よりもあんたちが一番大事だからね」


それにすごく面倒な客で会いたくないんだよ、と続けると、エルネストは苦笑いを返した。人に直に接する仕事をする者同士、通じ合うものがあるのかもしれない。


「カタログの件は、じーさんと親父を巻き込んで、家族全員でやってみる。何しろ今まで誰もやったことがないものだからね。うわ、そう考えるとすごく楽しみだ! どうしよう、他の仕事、全部後回しにしちゃおうかな〜!!」

「それは、ヤメロ」


物が散乱したテーブルを片付けながら、セーラとエルネストは既にいつもの調子に戻っていた。


「なんて顔してんのさ」


一人、落ち込んだままのマリアに、セーラはニィッと笑いかけた。


「まずはあのバカヤロウをぶっ叩くんだよ。あんたに甘えて生きてきたツケを払わせな。あんたが出来ないなら、あたしがやってやるよ?」


毎日のように仕事でハンマーを振るうセーラの逞しい力こぶを見せつけるように、腕まくりしてポーズを決めれば、ようやくマリアが笑顔を見せた。











お久しぶりです。

やっとのことで、投稿です。


隔週水曜21時に更新。

こちらはゆっくりペースです。

それでもお付き合いいただける方、よろしくお願いします。


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