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かつて恋人だった私たち  作者: 橘霧子
6/11

6.


玄関ポーチを降りたところで馬車を見送り、チャールズはさっそくマリアから仰せつかった、大事な仕事に取りかかることにした。


くるりと体を反転させ、日の光を受けて灰白色に輝く屋敷を見上げる。

元は由緒正しい貴族の邸宅であっただけに、造りには古めかしさがあるものの、やはり王政廃止後の建築ブームで立ち並んだものとは違う、重厚さが感じられる。玄関を中心に左右にずらりと部屋を有し、どっしりと構えるその様は、まさに鎮座という言葉がふさわしい。


思案げに腕を組み、しばらくしてパチリと指を鳴らした。

それを合図に足元からまばゆい黄金色の光の波が広がり、音もなくグロスター邸の敷地のすみずみに行き渡っていく。

横にのびる場所がなくなると、今度は木々や建物の形を撫でるように迫り上がり、そうして敷地内にある全てを包みこんでしまった。


これはチャールズの魔法。

結界の完成だ。

彼か、彼以上の術者にしか、これを見ることも出来なければ、解くことできない。


――お客様があちこち歩き回っても問題がないように、こちらのプライベート空間に結界を張って欲しいの。


それがマリアの指示だったのだが。

我が主は優しすぎる。なぜこの屋敷の所有者である我が主が、突如入り込んできた愛人などに気を遣わねばならぬのだ――と、自主的かつ盛大に解釈を拡大した結果が、敷地全体を結界で覆うという方法だった。


これでこの先、結界が閉め出したかの客人は、マリアの許可がなければ、庭の花1本も触れられなければ、コップ一杯の水さえ手にすることはできない。


もちろん、『お客様として迎え入れる』という主の気持ちを汲んで、最低限のお客様の生活空間は解放し、自由に行き来できるようにはしている。少々窮屈かもしれないが、それがどうした。

チャールズは満足げに口元をわずかにゆるめると、仰せつかったもう1つの仕事をするために、屋敷の中に戻った。






「チャールズ、こんなところにいたのね! 探したのよ」

「何だ、騒々しい」


マリアから言いつけられたもう1つの仕事は、通信機を使ってすぐに終わり、チャールズは食料庫の在庫を確認していた。


執事の仕事は多岐にわたる。

通常の家政に関わる仕事のほか、最低限の使用人しかいないこの屋敷では、主人の執務の手伝いも行っている。一つ一つはさしたる労働ではないにしても、その全てを完璧に仕上げようとすれば、時間はいくらあっても足りない。一秒たりとも無駄にはできないのだ。


実のところ、鍛え上げた魔力の全てを執事としての能力に振り分けたチャールズであれば、絶対に自分の手で成し遂げたい大切な仕事以外は、魔法でサッと片付けてしまいたいところなのだが。

魔法嫌いのヘンリーによって禁じられているため、余計な労働をしいられていた。これまでは。


屋敷の西側の半地下に、厨房や洗濯場といった屋敷の雑事を担ったり、使用人が食事や休憩をする部屋がまとめられていて、厨房の隣に食料庫と備品倉庫が設けられている。

毎日昼前に、食料店や雑貨店の御用聞きが訪れるので、その前に必要なものを書き出しておかなければならない。その作業中に、リンダが食料庫に飛び込んできたのだった。


「あちら様がお帰りになったんだけど、たいそうお怒りのご様子で。ジャニスに当たり散らして大変なのよ。旦那様も『チャールズを呼べ!!』と食堂で大騒ぎよ」

「解った。行こう。お前はこれを頼む」


リンダにメモを手渡して、チャールズはニヤリと笑った。


「あなた、何かしたのね?」

「奥様から頼まれた仕事をしただけだ」

「どうせ、お言いつけ通りにせず、あちら様が困るようなことをしたんでしょう? 全く……奥様にご迷惑がかかったりしないでしょうね?」

「それはない」

「仏頂面が笑うときはね、たいてい何かが起こるのよ」

「俺は今、笑っているか?」

「ええ、ニヤニヤとね。そんな顔で行ったら、余計に怒鳴られるわよ」

「気をつけよう」


しかめっ面するリンダの前で気を引き締め、普段の仏頂面にもどると、チャールズはヘンリーの待つ食堂に向かった。




食堂には、ヘンリーだけでなく、オパールとジャニスもいた。アレックスはいない。これからする話を子供に聞かせたくなくて、先に部屋にやったらしい。その程度の知性と羞恥心は、この二人にもあるようだ。


ヘンリーは落ち着きなく室内を歩き回り、オパールは椅子に座っている。

オパールの足元に、なぜか床にへばりつくようにジャニスが土下座をしていた。チャールズの仏頂面がさらにひどくなった。


「旦那様、お呼びと伺いましたが、これは一体どういうことでしょうか」


『これ』とはもちろん、土下座をしているジャニスのことだ。チャールズが立つように命じると、オパールがバンッ!とテーブルを叩いて意味の解らぬ抗議を始めた。

出迎えがない? 茶が出ない? ――それらを無視してジャニスを横に立たせ、チャールズはヘンリーに向き直った。


「ジャニスに何か不手際がございましたか」

「ジャニス?……いや、そうじゃない。マリアだ。あいつはいないのか」

「奥様はご出勤されました。本日は夕方までお戻りになりません」

「そうか、では呼びもどせ」

「それは承服いたしかねます」

「いいからあいつを呼び戻せ!!」


ヘンリーは力一杯に壁を殴り威圧するが、チャールズは眉一つ動かすことはない。

横に立つジャニスがびくり、と体を揺らし萎縮するのを見咎めて、早々に下がらせた。

優しさではなく。これから始まるであろう茶番に、怯えた使用人の姿ほどヘンリーを助長させるものはないからだ。


「わたくしが伺いましょう。

お客様との生活空間を分けることと、今後は各所の旦那様のお支払に奥様からの補填は行わない旨の通達、それらは奥様から命じられ、わたくしが行ったことでございます」

「やはりそうなのか!! ふざけやがって!!」


ヘンリーは暖炉に飾られていた皿を掴むと、チャールズに向かった投げつけた。

皿はチャールズに掠りもせず、その背後の壁に当たって砕けた。


「クソが!!」


ヘンリーは怒りの沸点を越えると、行動も口調も粗暴になる。暴言を吐き、怒鳴りつけ、物を投げ、壊し、そばにいる者を殴り、蹴る。

これまで何度、この屋敷の貴重な品を壊され、マリアや子供たちが身も心も傷つけられてきたことか。


ふと思う。

果たして、ヘンリーはその姿を愛人に見せたことはあるのだろうか、と。


責任感が強い妻の上に胡座をかき、苦労は全て妻任せ。自分はろくに仕事もせず、湯水のように金を使い、妻に尻拭いをしてもらうくせに、暴力と暴言は一人前の男――そんな、使用人の目にもろくでなしにしか見えない男だと知っていて、それでも愛人になったのだろうか。


先程まで強気な態度でふんぞり返っていたオパールは、その勢いを失って驚きの顔のまあんぐりと口を開けていた。

オパールの様子から察するに、おそらくヘンリーは彼女の前では、至って紳士的だったのではないか。

その紳士が使う金のほとんどは、ツケ払いの上に本人では支払い不能で、毎月妻に請求が回っていることなど、誰も想像しやしないだろう。


そうやって紳士の金払いの良さと柔和な外面に騙され、気づいたときには後戻りできないところにいる。

若い頃のマリアもそうであったように。


「今までは旦那様が浪費し支払不能になった分は、奥様のご配慮で自動的に奥様に請求されるようになっておりました。しかしながら旦那様には、もう一つ家族をもつ余力があるご様子。

奥様より旦那様へ『今後はご自分のお給料をやりくりなさってください』と言づかっております。

従いまして、本日よりツケの立て替えはしない旨、すでに旦那様のご贔屓先に通達させていただきました」

「……その、男には男のつき合いが……」

「お仕事の関係でしたら、お勤め先に経費の申請をなさればよろしいでしょう。それこそ、奥様が支払うべき費用ではございません。

もちろん、そちらのお客様に関わる費用も、でございます」

「いや、それは……」


ヘンリーは押し黙る。

そんな金は、どこにもない。


彼名義の銀行口座も、同年代の所帯持ちの男性と比べたら、腹を抱えて笑われるであろうほど微々たる貯蓄額しかない。


驚くべきことに、マリアと結婚してからというもの、ヘンリーは一度も家計の心配などしたことがなかった。

この屋敷の維持費はおろか、1ヶ月間の食費も、光熱費も知らない。子供が生まれた時も、その後の教育費も、何にどれだけの金が必要かなど、考えたこともない。全てに関心がないのだ。


叔父の商会を手伝っているといっても、ヘンリーは商会の役員でもなければ、正規雇用の社員でもない。気が向いた時だけ出社し手伝っているのでは聞こえが悪いので、いつでも独立できるようにして身軽な立場にいる、と、うそぶいて歩いている根なし草だ。


かわいい甥っ子であっても、真面目に働く社員と同等の給金は払えない。

叔父の良識的な判断によって、手にする給料は小遣いに毛がはえたようなものしかない。

独身であれば充分かもしれないが、所帯を持てば、当然足りるはずがない。


だと言うのに、マリアが二度の出産で仕事を離れた間でさえ、ヘンリーは変わろうともしなかったし、何もしなかった。

「家族が増えたのだから、これからは真面目に働こう」とか、「収入が少ないのだから贅沢は控えよう」などの、当たり前の判断もできなかった。


一人目の時はまだマリアが離職して間がなく、マリアが蓄えを上手くやりくりするだろうし、駄目なら実家のフォーブス家が助けてくれるだろうと、任せきりにしていた。


二人目は、一人目から大分年が離れた出産で、すでにマリアの商会が立ち上がった後。しかも産後の休養が明けてから早くに仕事復帰したので、気にする間も無く今に至ってしまったのだ。


「ご結婚されて20年です、旦那様。

その間、このグロスター家を支えていらっしゃったのは、どなたでしょう。

旦那様がご自分の経済力に全くの無知でも、当主然と振る舞っていらっしゃれたのは、どなたの努力があってのことでしょう。

その重み、一度でもお考えになったことがおありでしょうか?

一度でも奥様に真摯にお心を砕かれていらっしゃれば、よその女性をこの家に入れるなど、できようはずもございますまい」


「すまないとは思っている。だが、妻とはそういうものだ。駄目な夫を支えるのは、妻の仕事だ。それがこの国の伝統だ」


「さようでございますか。では、わたくしはもう何も申し上げることはございません。

旦那様には当家主人の伴侶として、当家の方針に従っていただくのみです」


チャールズは冷え冷えとした眼差しでヘンリーをじ、と見つめた。


「家とは、そういうものでございましょう? 伝統的に」

「……!!」



ヘンリーは何も言い返せなかった。完膚なきまでに負けた。

因習どおりに無限大に夫を支えるのが妻の務めと言うならば、当主に家人が服従するのも当然の義務になる。たった今、したり顔で言いはなった自分の言葉を、そのまま返されてしまった。


グロスターという名前だけならば、当主はヘンリーに間違いない。

しかし、本当に名前だけで、実際にはこの家に貢献したことなど、一度たりともない。


ヘンリーにはこの屋敷を維持するのは愚か、夫婦二人が食べていくだけの収入も怪しい。そのわずかな金子さえ、遊興と愛人に使い込み、足りずに妻に頼っている始末。ここで改めて当主の名乗りを上げたところで、実際に家族を養い、屋敷を維持しているマリアにその役を降りられては、自分が一番困るのだ。


それに、なにより。

世間がヘンリーを認めはしない。

今まで好きなだけ遊び暮らしていたのは、マリアという信用があったからだ。世間でグロスターと言えば、ヘンリーではなく、マリア。

今朝、意気揚々と愛人と息子を連れて食事と買い物に出かけたヘンリーは、これまでの上客扱いが嘘のような対応をされ、さっそくその手痛い洗礼を受けたばかりだ。


「もういい!!」


再び腹いせに手近な皿を暖炉に叩きつけ、ヘンリーは足を踏み鳴らしながら食堂を後にした。

残されたのは、チャールズとオパールの二人。

今まで完全に存在を無視されていたオパールが、否応なしにチャールズと対峙することになった。


「あの……じゃあ、私も部屋に戻ろうかしら……?」

「その前に、一言ご忠告申し上げましょう」

「な、何かしら……?」

「この家の使用人は奥様のご実家のフォーブス家に雇用され、フォーブス家の()()()()ためにこちらに派遣されているのですよ。

ゆえに仕えるべき主人は、マリア様とご家族だけです。旦那様にお仕えしているのは、あくまでもマリア様の伴侶でおられるがため。

お客様も、マリア様に客人として認められたからこちらにおられるということを、お忘れなきよう。……間違っても使用人を好きに扱ってよい立場などと、心得違い召されるな」


最後は脅すような言葉になってしまったが、オパールにはちょうどよい。

オパールは、「解ったわよ!」と言い捨てると、バタバタと慌ただしく食堂を出ていった。






静かになった食堂で、一人チャールズは佇む。

パチリ、と指を鳴らすと、ヘンリーが割った皿の破片が次々とくっつき合い、元の皿に修復されていく。

両手を差し出すと、すっかり元通りになった皿が二枚、その上に重なった。


チャールズは、その皿を丁寧に暖炉の上に戻した。


ヘンリーは忘れてしまったようだが。

その皿は、マリアの二人の息子たちが幼い頃に土をこね、形を作り、絵付けしたもの。

形は歪だし、厚さはまばらで表面はデコボコしている。絵だって一枚は花だと解るが、もう一枚は牛なのか犬なのか解らない。


ある夏の日。

旅行先の田舎で窯元を見学し、そこで子供たちが一生懸命に、大人の手を借りずに作ったものだ。

どちらも世界に二つとない、この家の宝物だった。









3月29日投稿予定分です。

年度末と新年度。色々忙しくて、小説を書くどころじゃありませんでした。


通常、隔週水曜21時に更新。

こちらはゆっくりペースです。投稿が遅れることも、多々あります。

それでもお付き合いいただける方、よろしくお願いします。


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